道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

腕時計激減について

2009-10-10 00:37:51 | その他雑記
腕時計をする人が減っているというのは分かる。
そして、携帯電話が時計の代用をしているというのも分かる。

私も、大学に入ってから携帯電話を持って、腕時計を持たなくなった。
試験の時に「携帯電話を切って下さい」と言われる段になって、
腕時計を持ってきていないことに気づいて、試験時間がさっぱりわからなくなったことも度々であった。


しかし、記事中に紹介されている、
「バブル世代や、その上の世代にとっては、腕時計はステイタスアイテムでしたが、逆に、20代くらいの若い人たちに聞くと、まさにそこが腕時計をしない理由だという声もあります。『腕時計のブランドや値段で、自分を判断されたくない』と言うんですよ」
という分析は、少し納得がいかない。


なぜなら、同じ記事の中で、
1993年の出荷量/出荷額が2552万4千個/92771百万円、2008年が731万6千個/77843百万円、
というデータを紹介しているからである。

15年間で出荷量が3分の1以下に落ちているのに対し、
出荷額は92771百万円から77843百万円に、つまり2割も落ちていない。
細かいデータがなければ何とも言えないが、これだけを見てすぐに思うのは、
安価な時計の売れ行きが減っているのだな、ということ。

少なくとも、高額な時計の売り上げが激減した、ということは読み取れない。



「腕時計のブランドや値段で、自分を判断されたくない」という意識は確かに存在するのかもしれない。
私もブランドものの時計をつけたいとは思わない。
しかし、これが時計の出荷量を激減させた原因の一つかどうかというと、話が別なのではないかと思う。

詳細なデータやアンケート調査を元にした分析なのかもしれないが、
少なくとも、このように短い記事の中で断片的に紹介するだけでは、
説得力がまるでない。

表面上のデータを見る限り、
出荷されている時計の平均価格は上がっている。
このデータのみを提示して分析をするならば、
「実用上の理由で安価な腕時計を付ける者が減った」
くらいのことしか言えないのではないかと思う。


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(前略)

では、腕時計の出荷量などには実際に変化が出ているのだろうか。
社団法人日本時計協会に聞いたところ、
「腕時計の出荷量はやはり確実に減っていますよ」として、ある資料を教えてくれた。
JCWAデータの「時計完成品の国内出荷の推移」~「ウォッチ完成品の国内出荷の推移(1993年~2008年)」によると、水晶アナログ・水晶デジタル・機械式の合計は、1993年が2552万4千個(92771百万円)、そこから1998年まで増減を繰り返していたが、1999年には急減し、1689万3千個(71517百万円)に落ち込んでいる。

さらに2000年以降は徐々に減って、2008年にはとうとう731万6千個(77843百万円)に。
なんと1993年からたった15年ほどで、3分の1以下の出荷量になっているのである。

身の回りの「腕時計をしていない人」にその理由を聞くと、大多数の声として挙がるのが「携帯電話を持っていれば、時間がわかるから、腕時計は不要」というもの。
他に、「もともとファッションとして腕時計をしていたけど、今はしない人のほうが多いから」「海外旅行に行くときだけ、時差対策として、腕時計をする」などという声もあった。

また、ある新聞の経済記者はこんな分析をしてくれた。
「バブル世代や、その上の世代にとっては、腕時計はステイタスアイテムでしたが、逆に、20代くらいの若い人たちに聞くと、まさにそこが腕時計をしない理由だという声もあります。『腕時計のブランドや値段で、自分を判断されたくない』と言うんですよ」

(後略)

excite.ニュース2009年10月9日より)

巨石文明

2009-10-08 16:01:15 | 精神文化
私達は、追われていた。上司に、追われていた。
何故追われていたのか、それは仕事の途中で逃げたからである。

逃げなければ殺されることは分かっていた。
何か危険なものを埋める仕事をさせられ、それが終われば口封じに消されるのは自明のことであった。
上司が一度本社に戻るために小舟を漕ぎ出したその時、
私は同僚と逃げ出した。

家には帰れず、金もなく、私達はさまよった。
知人の家ではいずれあしがつくし、野宿では上司に見つかる危険が高い。

あてもなくあちこちを回るうちに、住宅地にやって来た。
一棟何百戸も入る巨大なマンションが、いくつも並んでいる。
木を隠すは森の中、人を隠すは人口密集地、
私達はここに留まることにした。

忍び込める空き部屋がないかと探すうちに、親切な親子が現れ、泊めても良いと言う。
大変図々しいが、背に腹は代えられない、お世話になることにした。

母親と見られる女性が、「うちは特別なんですよ」と言う。
私は、何が特別なのだろうか、と思いながら、その部屋に入った。
部屋の広さは普通より狭いくらい、家具も内装も変わったところはない。
しかし、ベランダに出てみて驚いた。

皇居が一望できるのだ。

それも、我々が普段知っているような姿の皇居ではない。
広大な草原である。
そして、草原のあちこちから、石が頭を出している。
――いや、よく見ると、あちこちではない。
石の形も、立っている角度もバラバラだが、しっかりと列をなして並んでいるのだ。
また、横を見ると、靖国神社もあるが、
それもまた、草原に数多の石が立っている。

無数の大きな石の列が、地平線まで続いていく。
その荒々しく広大な眺めは、太古の感動を呼び起こす。


ああ、天皇家というのは、巨石文明だったのか。


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――というところで目が覚めた。

起きてみれば、皇居の起源は400年前の江戸城建城であるし、
靖国神社に至っては明治時代である。
巨石文明の遺跡のハズはない。

しかし、夢とはいえ、感動的な光景であった。

巨大な建築なら、都心に行けばいくらでも高層ビルがある。
皇居には広大な敷地を囲む石垣があるし、
靖国神社にも、バカみたいにでかい鳥居がある。

しかし、それよりも、草原に立ち並ぶ巨石の方が、
何故か人の心を揺り動かす。

一体、何故なのだろうか。

古典とは

2009-10-06 23:42:32 | 精神文化
先日、久しぶりにお会いした変態准教授が、一冊の本をくれた。

橋本秀美『『論語』――心の鏡――』

良著である。


これを読むことで、
生きる指針を直接得られるということはないし、
何か実践哲学・倫理上で有用な発見をできるというわけでもない。

しかし、(少なくとも中国に於いての)「古典とは何か」というテーマについて、
非常に優れた見解を、簡明な言葉でまとめている。

以下、「古典とその意味」という節からの引用である(p.164~p.167)。

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 以上、『論語』の様々な解釈を紹介してきた。『論語』に代表される古典は、単に古い時代に書かれた文献というだけでなく、千年二千年と多くの人々に読み継がれ、多くの人々の思考に深い影響を与えてきた、という意味で重大な価値がある。百年前の人も、五百年前の人も、千年前の人も、二千年前の人も、皆『論語』を読んだ。そういう人たちによって、この社会、この文化が作られてきた。二千年前の人も五百年前の人も、我々が理解・共感することのできる同じ人間であり、我々の社会・文化は五百年・二千年の歴史の沈殿の上に成り立っている、と考えるならば、我々は『論語』に非常に大きな興味を持たずにはいられない。このような興味から考えるならば、二千年以上も地中に埋もれていて、近年突然発見された竹簡・帛書などは、二千年前の現実を現在に伝える珍しい資料である一方で、正にその二千年の歴史の重みを欠く点で、古典としての意義は無いと言える。
 私は、『論語』を巨木に譬えたい。それは、正に二千年以上の時間を経ることによって、始めて現在の巨大な姿となって我々の目の前にある。梅壇は双葉より芳し、二千年前の若木の時にも、既に他の雑木とは違っていただろう。しかし、若しある人が様々な手段を用いてその若木の姿を復原し、それこそが『論語』の本来の姿であり、二千年後の現在、『論語』は随分老化し歪曲して本来の美しさを失っている、と主張するならば、私はその人は歴史を知らない、と言うだろう。私の前にあるのは蒼然たる巨木であり、その巨木が形成してきた周辺の風景である。我々は、そのような風景の中に生きている。巨木の二千年前の姿は、あくまでも可能な幻想に過ぎない。それを真実として追求するのは、迷信的狂気だ。私は、現在の巨木の姿をありのままに観察し、その肌膚の間に二千年の滄桑を感じ取ることを喜びとする。
 古典には様々な意味があり、様々な読み方が可能である。古典が直接具体的な内容を主張しているのではなくて、意味は 読者がそれを読むことで始めて生まれてくるのである。古典の内容が、私の心の琴線に触れたとき、そこで始めて古典の音が鳴り響く、つまり共鳴だ。私の目の前に、ギリシア語の古典とアラビア語の古典が置かれたとして、それらは、私にとってほぼ同様に無意味である。何故なら私はギリシア語もアラビア語も解さないからだ。読めない人間にとって、本は唯の紙でしかない。この場合、古典と私の心の琴線は、全く調律が合っていないから、共鳴の起こりようもない、ということだろう。しかし、日本語や中国語にしたところで、完全に分かる、ということはあり得ない。大体は分かるが、時々は分からない場合もある、というのが言葉だ。一口に日本語とか中国語とか言っても、実際に使われる言葉は、時代により、地域により、階層により、世代により、それぞれ大きな幅があるし、個人差も少なくない。日本語なら日本語に、一つの固定的な調律体系が明確に客観的に決められているわけではなく、大体皆似たり寄ったりの調律だから、話は通じるが、たまには分からないこともあれば誤解もある、ということだ。
 古典派は、とりわけ『論語』のように表現が簡単な古典は、色々な意味で理解される可能性を持っている。しかし、我々は、その全てを聞き取ることはできず、自分の心の琴線と共鳴する部分だけを聞くことになる。つまり、同じ『論語』を聞いている筈でも、私に聞こえている音と、あなたに聞こえている音は、同じではない。それは、どちらが正しい音なのかという問題ではなく、私の琴線とあなたの琴線が違っているという問題なのである。ということは、『論語』の音を聞くということは、実際には聞く人それぞれに異なる心の琴線の音を聞くことに他ならない。
 本書を書くに当たって、まず「心の鏡」という、何とでも解釈できそうな漠然とした副題を付けた。『論語』が小さな本であることも、「鏡」という言葉を選んだ理由の一つだが、もっと直接的な理由は、色々な人が『論語』を読み、『論語』を解釈することが、あたかも人が鏡を覗き込むようなものだと思われるからだ。鄭玄が、何晏が、朱熹が、『論語』という鏡を覗いた時に、そこに見えたのは、彼ら自身の心の姿に他ならない。鄭玄・何晏・朱熹それぞれの解釈は、かなり異なり、完全に矛盾する場合も少なくない。しかし、彼らはそれぞれ真実を語っていたのである。古典というのはそういうものであり、『論語』とはそういう書物であった。

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言われてみれば、「なぁんだ、そんなの分かってるよ」と思うかもしれない。

しかし、この節に至るまでの間に、大量に(しかし分かりやすく)『論語』の歴代解釈を引用・検証しており、
それらが根拠となって、この見解を裏付けている。

当たり前の結論でも、
実証的に、説得力ある論理で、かつ多くの人に分かる言葉で説明するのは非常に難しい。

それをやってのけた点で、この書は良著なのである。




ただし、氏の社会学的持論が展開される章「『論語』と中国社会」(p.169~p.202)の内容は、あまりにくせがありすぎる。
それまでの実証的論述とは打って変わって、主観的な話を一方的に進める強引な論調となっている。
橋本氏の社会的主張内容については、少し前のものだが、このサイトに掲載された文章を読めば、おのずと分かる。

まぁ、これは、変人の変人とされるゆえんであろう。

3B

2009-10-03 18:50:29 | 音楽
といえば、ドイツである。
世界史で言えば、ベルリン、ビザンティウム、バグダッドの三都市を鉄道で結ぶ計画を指し、
音楽史で言えば、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスの三人の作曲家を指す。

ところが、先日、ルネサンス歌曲の演奏会で、合唱団(と言っても5,6人)の代表が、
「イギリスにも3Bはあります。
 バード、ブリテン、……そしてビートルズです」
と言って笑わせてくれた。


ただ、イギリスの3Bは、ビートルズはともかくとしても、
前二者の音楽史的影響力はどうなのだろうか。
私はブリテンについて評価するだけの現代音楽についての知識と先見性は持たないが、
少なくとも、バードの音楽は、後世の作曲家への影響という点では弱いように思う。


しかし、「イギリスの3B」を挙げた彼は、間違いなくバードを最も愛している。
恐らく、他の団員たちもそうだっただろう。
演奏会では、プログラムの半分をバードが占めていた。
そして、アンコールでもバードを歌っていた。

バードの魅力というのは、そのバランス感覚にあるだろう。
バッハがバロック音楽を集大成したように、
バードはルネサンス音楽を集大成した。
そして、古めかしい形式美のみならず、そこにはオリジナリティと、活きたリズムが存在する。

惜しいかな、清教徒革命の際にイギリス音楽は壊滅し、バードの学統は途絶えた。
しかし、彼の才能自体は、「3B」の名にふさわしいものだったのかもしれない。



http://www.youtube.com/watch?v=30UfjAucDsA

……そう、何を隠そう、私自身もバードを好きなのだ。