道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

君が世は

2006-02-28 21:11:50 | 言葉
「君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで」

典拠としてよく挙げられるのは、『古今和歌集』賀部にある「我が君は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで」とされる。
詠み人知らず。

「君が代は」で始まるものとしては『和漢朗詠集』が最初とされる。
ただし、「我が君は」で始まる写本もあるため、「君が代は」で始まるのは誤写から生じたという説もある。

メロディーについては、明治になって、薩摩軍楽隊隊長ジョン・ウィリアム・フェントンが、
砲兵隊長大山巌から薩摩琵琶曲「蓬莱山」の一節としてこの句を聞いて、それに節をつけたのが起源とされる。
その後、海軍省の雇音楽教師フランツ・エッケルトらにより編曲され、現在の形になった。


歌詞の内容を素直にとれば、主君の長寿を言祝ぐものである。
これは、「蓬莱山」が、その座の主人を祝賀する歌であったことからも、妥当であろう。

ところで、和歌で「君」といえば「恋人」の意で用いられることが多く、「よ」というのはその場合「世」すなわち「男女関係」となる。
そして、「細石が巌になる」「苔が生す」を暗喩と捉えるならば、以下のような解釈も可能である。

「いとしいあなたとのこの愛は、千夜も八千夜も、
 生まれた子供が立派に成長して老いるまでも続きますように」

ト学説も良いところだが、こんな平和なラヴソングが国歌なら、なんと素敵なことであろう。

鳥獣可与同群

2006-02-26 23:38:13 | 言葉
さっき、中国人の友人とチャットをしていたら、中国のネット上にある変な寓話をたくさん教えてもらってしまった。
私には中国語の語感を保存したまま訳す力はないので、概要をば。

「Windowsというのは、コンピューターウィルスのようなものだ。
ウィルスは、大量の情報をコンピューターに入れたり、動作を遅くしたりする。Windowsも、コンピューターの大量の容量を占め、また動作も遅い。
しかし、Windowsはコンピューターウィルスではない。
なぜなら、ウィルスはプログラムの設計者の意図通りに作動するが、Windowsは設計者の意図しない動作を起こす。
ゆえに、Windowsは決してコンピューターウィルスではなく、似て非なるものである。」

また、中国人の感覚では、豚とはいわば「うすらばか」の象徴のようなものなのだが、、
「唯物論者ならこう言うだろう。『お前は豚である、故に私はお前を“豚”と言う』
 唯心論者ならこう言うだろう。『私はお前を“豚”と言う、故にお前は豚である』
 いづれにせよ、あなたは豚である。」

動物といえば、こんなのも。
「人が犬と喧嘩をした。
 もし、人が勝てば、その人は犬より畜生であるということである。
 もし、人が負ければ、その人は犬という畜生にも劣るということである」

引用はこれだったらしい↓
「掲示板上最も変態なHN大全」
名前が、、すごい。。。

花婿入用

2006-02-25 11:34:17 | 世間話
またまた職場の話。

少し年配の女性で、すごく明るい方がいらっしゃる。
昨日も「雪が降るかも、って予報で言ってたから、昨日はわくわくしてなかなか寝られなかった」という。
また、「何もないところで顔面から転んじゃったら、
『そんな転び方するのは、子供か年寄りだけだよ』って言われちゃった」らしい。
……子供か年寄り、どっちかといえば、子供の方で。。

そんな彼女、この間、イギリス人にメールを出して、「メール下さいね」と言うところで、"mail"ではなく、"male"と書いてしまったらしい。。

男性を求めてるのですかっっ( ̄□ ̄;)!!

……というツッコミを入れたかったが、
その人の旦那さんが、私をバイトで雇ってる先生だったりするから、自粛しました。

旅立ちの季節

2006-02-24 20:27:37 | 言葉
機械に詳しくて、いつもみんなから頼りにされているバイト先の先輩、
今週は旅に出てしまって、職場にはいない。

それでも不在ということを知らずにいろいろな人が訪ねて来ては、
困った顔をして去っていく。

そんな彼の机の上に貼ってあった書きおき。

「探してください」

これを見た、とある先輩の言。
「……探さないでください、よりも寂しい言葉ってあるんだね」

往ぬ年

2006-02-23 21:32:46 | 精神文化
北京大学中文系が運営しているHP
http://www.pkucn.com/

どーでもいーのだが、一番左側に並んでいる黄色い犬、WindowsXPの「スタート→検索」で出てくる犬そっくり。。

これ自体は金銭的にも名誉的にも大した問題ではないのだが、
中国の最高学府北大がこんなことをしては、著作権問題に示しがつかないのではないか。

というよりも、そもそも中国人がオリジナル性というものを重視していないのだと思う。

ヨーロッパでも、
バッハやモーツァルトの時代は、他の作品をそのまま用いるのは恥ではなかったし、
パクられた方も、それだけの価値があるものとして評価されたとみなされるのであった。

ただ、現在のこの状況では、やはり知的財産権というのは大切である。
だから、中国人の意識というのは、遅れていると言わざるを得ない。

しかし、今進化しつつある情報ツールと、知的創造の担い手、消費者層、
それぞれの状況を踏まえてもっとも妥当な仕組みを考える上で、
自分たちの考え方も「時代遅れ」になりうることを常に意識すべきであろう。

ニュー・エイジ

2006-02-22 23:30:50 | 言葉
最近、ネオリベラリズムという、サッチャー・レーガン・ナカソネの2周遅れのような用語が流行っている。

しかし、「ネオ」だとか「新」だとか「ニュー」だとかという言葉は、便利ではあるが、安易に使いすぎている気がする。

今新しく生まれたものというのは、何十年か経てば古いものとみなされるのは世の理というもの。
それなのに、目新しいものにガンガン「新」とか「ニュー」とかいう固有名詞をつけていたら、
そのうち時代錯誤もはなはだしくなる。

たとえば、「新体操」なんて、とても新しいイメージはない。
また、「ニューヨーク」も、立派な歴史を持つ都市と言えよう。
「モダンな雰囲気」なんて、"modern(現代的)"という意味で使われることはまずないであろう。

「新世紀」だとか「新人類」だとかいう定義のはっきりしない用語なら良いが、
「モダニズム」のように語の指す対象の性質の範囲をはっきり決めてしまうと、
更に新しい流れが生まれた時に、それに「ポスト・モダニズム」などと名づけて逃げることになり、
その後にはさすがに「ポスト・ポスト・モダニズム」というわけにはいかなくなって、困る。

もっと、「新しい」ということに捉われずに、そのものの性質をきちんと見極めて、きちんとした呼び名をつけて欲しいと思う。


もっとも、すぐになくなると思われるものならば、「新」をつけてもよろしい。
「日本新党」やら「新党さきがけ」なんぞは、あっという間に消えてなくなり、
まさに「新」を冠するにふさわしいものであった。

こそあ

2006-02-20 22:26:48 | 言葉
中国語では、こそあど言葉の「こ」にあたるものは「這」で、「あ」にあたるものは「那」で、
「そ」にあたるものはなく、時に応じて「這」「那」を使い分ける。
教科書ではこのような解説であったように思われる。

しかし、では、日本語で「そ」という状況において、
中国語では「這」と「那」との使い分けはどのような基準で判断すべきなのだろうか。
というよりも、むしろ、そもそも「這」と「那」との語感の違いとは何であろうか。
この問題について中国人の友人にいろいろ訊いてみたら、
様々なパターンはあるものの、結局、距離感覚によると言う結論であった。

話しているうちに、そもそも「こ」「そ」「あ」はどのように使い分けられているのだろうかという、
日本語についての疑問が浮かんで来た。


まず、空間的には、「ここ」よりも「あそこ」の方が遠い。これは確かである。
しかし、「そこ」というのは、「ここ」より遠いが、「あそこ」との距離関係はよく分からない。
また、「そ」は英語で言えば"it"にあたるような、前出のものを指す代名詞とされるが、
「原稿は明日までにそちらにお送りしますね」といった用例は説明できない。

「そ」があると、大分めんどうである。

おそらく、「そ」には"it"のような用法はあるものの、
「こ」「そ」「あ」の使い分けの感覚というのは、
指される内容が、自分に関係しているか、相手に関係しているか、
それともどちらにも関係が深くないかというものであるような気がする。
すなわち、自分に近ければ「こ」、相手ならば「そ」、
両人から遠ければ「あ」なのではないかということである。

例えば、自分のいるところは「ここ」で、
相手のいるところは「そこ」、
二人ともいない別の場所なら「あそこ」と言う。

また、自分の友達を相手に紹介する場合は「この人は~」と言い、
相手が連れて来た人について問う時は「そちらの方は?」と言い、
テレビに映っている有名人を話題にする時は「あの人は~」という。

そして、自分の話したことを言う時は「このことは~」と言い、
相手の話なら「そのことは~」と言う。
また、ちょっと前に話した内容を再度提起する時は
両人にとって時間という距離があるために、「あのことだけど~」となる。

ただし、相手の話したことであっても、相手の話を聞くことによって、
自分も関知しているものという感覚になっていれば、
「このことは~」とも言えるであろう。

ということは、相手の話したことに「このことは~」というか「そのことは~」というかというのは、
無意識にそれについての自分の関わり、もしくは相手への親近感を表しているのではないだろうか。

ジョニーっ!!

2006-02-20 22:04:40 | その他雑記
バイト先のコンビニで何週間も前から気になっていたのが、
「豆腐屋ジョニー」という値札。
実物を見たことがなく、いったいこれは何なのだろうと思っていた。

しかし、先週、ついに実物がやって来たっ!!
さっそく買って食べてみるっ!!

……甘い。すごく甘い。
クリームプリンの如く甘い。

牛乳や砂糖でも入っているのかと原材料を見ても、
国産丸大豆とにがりのみ。

うーん、なかなかやるなぁ。大豆だけであんなに濃い甘さが出るのか。。

そういえば、中学時代、将棋部の後輩で、
やたら「ジョニーっ!!」と叫びながら将棋を指しているヤツがいたなぁ。
で、叫びながら指すと、やたら強い。ってか、相手が混乱するからか。。

ちなみに、豆腐屋ジョニーの製造元は男前豆腐店という。

仮装的国

2006-02-19 00:47:33 | 政事
先日のブログにも少し書いた話だが、ロシアから来る友人のビザ申請のために「招へい人」となった。
しかし、身元保証人としての必要書類を揃えようとして、昨年度の課税証明書を発行してもらったら、
昨年度の年収……9万円。。実際の10分の一ほどであろうか。。

社長~~、給与をほとんど税務署に申告してないじゃん!
源泉徴収してないじゃんっ!!
脱税じゃんかよっ!!

……ということになり、所得の記録では、到底保証人として認められるものではない。
そこで、外務省に「預金証明ではダメですか?」と問い合わせると、
「ダメですねぇ。預金はいろいろ不正ができるので」とのお答え。。

身元保証人は別に立てるしかなさそうである。


ところで、外務省のHPにビザ申請について書いてあるのだが、
項目に、「中国、ロシア、NIS諸国籍以外」「中国籍」「ロシア、NIS諸国籍」の三種類がある。

まぁ、いろいろ違いはあるのだが、身元保証人の経済力に関しての項目が、
中国籍とロシア、NIS諸国籍の場合は「課税証明書、納税証明書、又は確定申告書控」であるのに対し
その他の国籍の場合は、「納税証明書、預金残高証明書、確定申告書控、所得証明書」。。。
……って、中国やロシア、NIS以外だったら、納税証明書じゃなくても預金残高証明書で許されている!

身元保証人はビザ申請人の国籍とは関係ない筈であるのに、この扱いの差は何なのであろうか。
中国人や旧ソ連圏の人と友人である者は、預金で不正をする確率が高いとでもいうのであろうか?!
……もっとも、私は不正をする気はあったが、それにしてもこの不平等は腑に落ちない。

そもそも、「中国」「ロシア、NIS諸国」「その他」で分ける理由が分からない。
中国やソ連が仮想敵国だからなのであろうか。

雪降る街とポリスメン

2006-02-19 00:22:28 | 街中
新宿東口を出て、右翼団体の勇ましい演説を左耳で聴きながら直進すれば、そこは歌舞伎町、様々な人間とその欲望がごったがえすカオスな街である。

大久保で友人と待ち合わせがあったので、新宿から歌舞伎町を通って目的地へ向かっている最中、コマ劇場のあたりで警察官数人に呼び止められた。
何でも、その日の昼頃にちょうどそのあたりで刃物による傷害事件があり、特別警戒中らしい。

私は警察は好きではないし、道端の聴取など態度が横柄な時は「任意協力なんでしょ? 私は急いでるから協力できません」と言いたくなる。
しかし、まじめで我々のために働いている個々の警察官のことは尊敬しており、そして事情があるようだし、何より雪の降る中がんばっているのだから、素直に協力した。

「すみません、ちょっといいですか? 刃物など持ってますか?」
「持ってます」
「えっ?! 見せていただけますか? 何に使ってるのですか?」
「昼ごはんのリンゴの皮むき」
「……ちょっと交番まで来て頂けますか?」

3,4人に取り囲まれて交番まで行って、調査に非常に積極的に協力し、正直に自分の生活をありのままに述べたら、パトカーに乗って(助手席に乗ろうとしたら怒られた。。)警察署までドライブ。その後も何やら事情聴取。

どうやら、刃渡りが30cmを超えていなくても、刃物を持ち歩くのはよろしくないらしく、
「例えばさ、道端で恐い人にからまれたらさ、持ってるこのナイフで刺しちゃうかもしれないじゃない。こんなナイフだって人を傷つけられるんだよ」
「ええ。からまれてる時に、鞄の中からナイフを探し出す時間の余裕があれば」
「……」
「あ、そうそう、実はもう一つ刃物持ってます」
「え?! ああ、出して」
「これこれ、カッターです」
「カッターは文房具だからいいの」
「でも、人殺せますよ」
「いいからって!」
……果物ナイフがダメでカッターが良い理由がいまいち分からない。

理屈に合わないのはマニュアル仕事ならよくある事なので仕方ない。
せっかくなので、連行されてる時や、パトカーに乗ってる間やら、書類書いてる途中やら、いろいろな警察官と世間話。
愛想の良い人もいれば無愛想な人もいて、こっちを見下げるしゃべり方の人もいれば普通のしゃべり方の人もいて、やはり人それぞれである。

しかし、道端で会った時から常に3,4人の人が一緒に来ていて、私のアホな話にいちいち40分ほど付き合わされて、なかなか効率も悪くて大変そうである。
そして、私の件を片付けた後も、また雪の降る歌舞伎町へと繰り出して行くのであった。

おまわりさん、お疲れサマです。
そして、みなさま、おまわりさんに無駄な労力を使わせないように、お昼のリンゴの皮剥きのためにナイフを持ち歩くのはやめましょう。