道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

雑記:大正帝崩御の日に思うこと

2007-12-25 20:50:30 | その他雑記
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大正というのは、短く、印象は前後に較べて薄い。
明治帝・昭和帝の誕生日は今でも祝日なのに対し、
大正の天皇誕生日は残っていない。
思うに、近代日本史におけるターニングポイントであったし、また、15年間という期間も、歴史上の他の元号と較べ、それほど短くもない。
要するに、明治・昭和が強すぎるのである。

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この日、よく見かけるのはサンタクロースの服。
ひどいのになると、サンタ服を着た女性にサンタ服を着た男性が花束を捧げて求愛している人形まである。

クリスマスの本来の意味はイエスの生誕であるのにも関わらず、街はサンタまみれ。
いや、キリストのコスプレとかされても困るけれど。磔ルックとか。

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子供にプレゼントを配るというサンタクロース、その元になったのは聖ニコラウスという。彼は、貧乏で嫁入り支度ができない娘達の家に、こっそり金品を置いて行ったという。
年頃の女性の部屋に、誤解を恐れず忍び込む、その勇気は讃えるべきであろう。
そして、この逸話から、彼のターゲットは子供限定ではなかったことが分かる(まさか、妙齢の娘限定、でもなかろう)。まだ我々くらいの年齢でも期待して良いのではないか、と勝手に思ったりする。
――もちろん、彼の恩恵を最大に受けているのは、商品経済なのであるが。

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非キリスト教国である日本で、これほどまでにクリスマスが浸透したのは、ひとえにサンタクロースのおかげであろう。
ナザレのイエスの誕生日(イエスが誕生したのはイヴ。ユダヤ暦の一日の始まりが日没だから勘定が混乱しているが)にプレゼントを子供達に配る老人の目的は、無理矢理勘ぐれば、キリストの誕生に嫉妬したヘロデ王によってユダヤ中で子供が殺されたことに対する贖罪だったのかもしれない、というグロテスクな想像も可能である。
しかし、重要なのは彼の活躍による結果で、クリスマスという宗教行事の普及、そしてキリスト教の世界的認知に大いに役立っているという点に注目すべきである。

隣人愛、人類の救済、といったキリストの主張は形而上的・高尚であり、凡人には理解し難い。我々のように宗教に警戒心を持つ日本人がとっつきにくいのは尚更である。
しかし、サンタクロースの行動は、極めて分かりやすい。モデルとなった聖ニコラウスは異端を攻撃したという理念的人物でもあるのだが、サンタクロースはそんな難しいことは言わない。ただ、無言で物品をばらまくだけである。そして彼の行為は、キリストが本来軽視していた世俗の富を肯定するものと言える。

圧倒的に世俗的で、宗教色が薄いために受け入れやすく、そして我々が日頃から抱いている物欲を満たしてくれる。
サンタクロース信仰というのは、仏教用語で言えば、現世利益、なのである。
そして、それは、本来は俗界からの解脱を主張したゴータマ・ブッダの教えから出発したはずの仏教が、日本では俗事に関する祈願に使われているのにも似ている。

ちなみに、中国語では「聖誕老人」という。なんとなく「寿老人」のような響きで、やはり世俗のご利益を授けてくれるような気がする。

サンタクロースは、キリスト教圏では商業主義の蔓延の象徴とされているが、
商業主義が蔓延している非キリスト教圏では、キリスト教への認知を高めている。
その現世利益的特徴は、イエス・キリストの高邁で厳しい主張を伝えることの助けとなるのか妨げとなるのかは分からないが、
キリストの生誕を祝う人数を増やすことには、最も貢献しているだろう。

――人はパンのみに生きるに非ず、されどパンも大事である。

スカーボロ・フェア

2007-12-22 01:38:25 | 音楽
同じイングランド民謡で、同じくかつての恋人への歌いかけであるのにも関わらず、「スカーボロ・フェア」の歌詞は、女々しい「グリーンスリーヴス」と違って、かなり強気である。
しかし、強気を越えて傲慢とも言えるほどの歌詞なのに、その旋律は爽やかで軽快。少しだけエキゾチックな音階は、テンポの良いリズムとあいまって旅情を催す。何とも素晴らしい曲である。

どうも、サイモン&ガーフィンクル版で有名になっているようだが(私はまだ聴いたことがない)、れっきとした民謡で、やはり「グリーンスリーヴス」と同じくらいの時代の成立という。
これらの民謡然り、ダウランド然り、バード然り、16~17世紀のイギリス歌曲は非常に優れたものが多い。そして、素朴ながら美しい旋律を編み出すそのセンスは、時を前後してヨーロッパ大陸で流行った華麗なるバロック音楽とは一線を画しているように思われる。

素朴であるが故に、時代に捉われず、常に我々の前に新鮮であり続ける。このようなものを「古典」と言うのであろう。


ところで、現在でも多くの人を魅了し続けている曲であるが、友人が出席した結婚式で、入場のBGMに使われたらしい。
素晴らしい曲ではあるのだが、結婚式はまずいと思う。
要するに、歌詞の問題である。

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Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemary and thyme,
Remember me to one who lives there,
She once was a true love of mine.

Tell her to make me a cambric shirt,
Without any seam or needlework.

Tell her to wash it in yonder dry well,
Which water ne'er sprung nor rain fell.

Tell her to clear me an acre of land,
Between the salt sea and the sea strand.

Tell her to plow it with one ram's horn,
And sow it all over with one peppercorn.

Tell her to reap it with a sickle of leather,
And tie it all up in a tomtits feather.

Tell her to carry it all in a sack,
And carry it home on a butterfly's back,
Then she shall be a true love of mine.

スカーボロの市に行くのかい
「パセリ、セージ、ローズマリーにタイムはいかが」
あそこに住んでいる娘によろしく
昔、あいつとは付き合ってたんだ

亜麻布のシャツを作れと言ってくれ
縫い目も針跡もないやつを

そのシャツを泉で洗えと言ってくれ
あそこは水も湧かなければ雨も降らない

1エーカーの畑を作れと言ってくれ
海と浜の間に

その畑を羊の角で耕せと言ってくれ
そして胡椒一粒を畑全体に播くんだぜ

それを革の小鎌で刈り獲れと言ってくれ
そしてシジュウカラの羽で束ねるんだぜ

全部を一つの袋に入れて運べと言ってくれ
そして蝶の背中に乗っけて運ぶんだぜ
そうしたらまた付き合ってやるよ、って

グリーンスリーヴス

2007-12-20 23:21:46 | 音楽
歌曲で何が好きかと訊かれれば、迷わず挙げるのがイングランド民謡「グリーンスリーヴス」である。
単純な旋律に物悲しさがこめられ、せつなさを素直に歌う。

ヘンリ8世の作という説があるが、恐らくはエリザベス朝期の成立であろうと言われている。
Greensleevesという名の女にフラれた男が、未練たらたらで「ずっと待ってるから戻って来ておくれ」と泣きつくという、めめしい内容である。
「greensleeves(緑の袖)」は当時の隠語で「浮気」を指すとも言う。つまり、間男の歌である。
こういうところから、ヘンリ8世説がでてきたのであろうか。


小さい頃からずっと、出だしの旋律を「G-B-c-d-dis-d(ソシドレミ♭レ)」で記憶していたのだが、CDを借りて聴いてみると「G-B-c-d-e-d(ソシドレミレ)」になっている。
友人にこれを話すと、「えー、4番目の音の次は、全音上がるんだよー。半音だと思ってたのは、そっちの方が自然だから、記憶の中で改変されてたんだよ」と言われた。
うーむ。

それ以来、色々なCDを借りてみて気付いたのは、歌の場合は大抵4番目の音から5番目には全音上がるのだが、リュートやギターだとほとんどは半音。
思うに、もともとは全音だったのだが、リュート独奏に編集された際に、自然な音階で弾きやすいように、半音に改められたのではなかろうか。
――ともあれ、私の記憶が勝手に改変されていたわけではないのだ!

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Alas, my love, you do me wrong
To cast me off discourteously
And I have loved you so long
Delighting in your company

I have been ready at your hand
To grant whatever you would crave
I have both waged life and land
Your love and goodwill for to have

Greensleeves, now farewell and adieu
And God I pray to prosper thee
For I am still your lover true-
Come once again and love me

Greensleeves was all my joy
Greensleeves was my delight
Greensleeves was my heart of gold
And who but my lady greensleeves

ああ、恋人よ、君はなんてひどいことを
無法にも私を振るなんて
君をこんなに長く愛したのに
君と共にあることを喜んだのに

私は心に決めていたのだよ
君が求めたら何でもあげようと
命も財産も賭けたんだよ
君の愛と真心を得るために

グリーンスリーヴス、今は別れ、さようなら
神に向かって私は君を繁栄させてくれるよう祈ろう
私は今でも君の本当の恋人だから
もう一度戻って来て私を愛しておくれ

グリーンスリーヴスは私の全ての喜びだった
グリーンスリーヴスは私の楽しみだった
グリーンスリーヴスは私の黄金のハートだった
グリーンスリーヴス以外に誰が私の女となろうか

「ラ・フォリア」

2007-12-18 11:40:06 | 音楽
私は昔からバッハが好きで、聴くのも弾くのもバッハばかり。
しかし、生来が浮気者なので、実はコレッリも大好き。
多作でヴァリエーションが豊富なバッハに対し、コレッリは現存する数こそ少ないけれど、その曲はどれも非常に美しい。
教会ソナタも良いし、合奏協奏曲も軽快。全くハズレがない。
残念ながら、ヴィヴァルディやバッハと較べて、マイナーの域を脱し得ていないが、その中で比較的有名なのが、「クリスマス協奏曲」(クリスマスの定番になって欲しいな、とひそかに思う)、
それから、ヴァイオリン・ソナタの「ラ・フォリア」。

「ラ・フォリア」は、ヴァイオリン奏者はどこかで一度は習う曲と言うけれど、
これがとても素敵。
その甘美な響きに、思わず「愛を歌った曲じゃないか」と思ったことすらある。


ところで、"フォリア(follia)"という言葉、どうも「狂気」という意味のようである。
――やはり、私の勘は正しい。愛を歌った曲なのであろう。

李白と杜甫

2007-12-12 00:15:08 | その他雑記
李白は自由奔放の天才肌にして遊び人、杜甫は勤勉実直の努力家にして苦労人。かたや型破りな文句を駆使して短くまとめる絶句が得意で、かたや規則通りの文を整然と並べる律詩に長じる。「詩仙」「詩聖」と並び称される二人のイメージは、対句の如く対称的である。

「李杜」の言葉があるように、いずれも詩作における偉人として名を馳せているが、古来人気が高いのは、断然李白である。

  李白一斗詩百篇、 李白一斗、詩百篇、
  長安市上酒家眠。 長安市上酒家に眠る。
  天子呼来不上船、 天子呼び来れども船に上らず、
  自称臣是酒中仙。 自ら称す、臣是れ酒中の仙、と。

酔っ払ってそこらへんで寝ちゃって、皇帝のお呼びだって断っちゃう。自由人の本懐、まさに此処に在り。うじうじした杜甫の詩なんかより、ずっと大胆で明るく、読んでいて楽しい。
――と思いきや、実はこの「李白一斗詩百篇」の詩は、杜甫の作なのである。杜甫だって豪快な詩を読むのである。

そして、後世への影響という点で考えると、実は杜甫の方が圧倒的に大きい。
李白はもちろん天才だし、奇抜で、彼にしか詠めないような作品がたくさんある。しかし、その思想・詩作の方向性について言えば、幻想的で美を追求する南朝以降の詩の流れの延長として理解できる。
一方、杜甫は、儒家的発想を用い、庶民の視点を持ち、現実主義的な、内容の重い詩を詠み、「詩史」とも称される。これは、当時の主流とは異なるが、確実に新しい流れを生み出し、それは韓愈や白居易にも継承されていった。
要するに、李白は伝統派であったが、杜甫は変革者であったのだ。

自由な天才がトラディショナルで、勤勉な苦労人がニューウェーブというのは、なかなかイメージに合わないような気がする。


しかし、思えば、モーツァルトとベートーベンもこれに近いのではなかろうか。
前者は明るく、天才で、個性的な曲を多く作ったが、作品の雰囲気としては、C.P.E.バッハやハイドンと方向性が似ている。
それに対し、後者は、苦悩が多く、努力家であったが、彼の作品はそれまでの貴族的な音楽とは全く異なり、市民層に力強く訴え、ロマン派の流れを作り出した。

なお、偶然ながら、杜甫が李白を尊敬していたのと、ベートーベンがモーツァルトに弟子入りしようとしたというのも、重なる。

ともあれ、変革者としての役割は、天才肌の自由人ではなく、努力家の苦労人が果たすものなのである。

「弱者ぶりっこ」の「してもらう主義」

2007-12-07 00:36:23 | 精神文化
 「権利」という語について、日本国憲法第十二条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」、及び丸山真男がそれについて述べた「「である」ことと「する」こと」の一文がよく引かれる(中国学の某先生は「日本人は丸山真男の奴隷から抜け出していない」と言っていたが、そうかもしれない):
「この憲法の規定を若干読みかえてみますと、「国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ。」という警告になっているわけなのです。これは大げさな威嚇でもなければ空疎な説教でもありません。それこそナポレオン三世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示している歴史的教訓にほかならないのです」

 蔡元培のように「権利」をそれそのもので「責任」とした文章ではないが、しかし、それを保持する「責任」は必ず伴う、ということを言っているのである。
 思うに、これはなかなか大変なことだ。「民主主義」の正義が説かれて久しいが、それが独裁より優れていることを構造的に説明するのは難しい。そして、近年の投票率の低迷を挙げるまでもなく、権利の行使というのは面倒なものである。
 かつて、オクタヴィアヌスが皇帝位を手にした方法は実に賢かった。当時ローマの領土には、完全に支配が実現している領域と、未だ支配が徹底せず統治が困難な地域があった。オクタヴィアヌスは、完全に統治されている部分の支配を元老院にゆだね、支配が難しい場所の統治を買って出た。元老院は、面倒な仕事を全て押し付けることができることを歓迎し、その任務の実現のために、ということで喜んで彼に皇帝権を承認した。これにより、かのカエサルもが失敗した、ローマ共和国の帝政化を成し遂げたのである。


 何故、突然こんな話を始めたかと言うと、先日、田村理『国家は僕らをまもらない』を読んだからである。
 大学で憲法学の教鞭を取る氏は、日本人には「国家権力=私たちを助けてくれるもの」という認識があまりに強く、「国家権力=放っておくと何をするかわからないから制限しなければならないもの」という前提の立憲主義を学んでいるはずの学生の間ですら、そこから抜け出せていないことを指摘している。そして、それを、自分たち「庶民」は力がないので「誰かが何とかしてくれる」という、「弱者ぶりっこ」の「してもらう主義」と言っている。そして、その文脈によって、近年の憲法改正運動を解している。
 著作の中には主義主張がはっきりしており、そして氏の美意識が前面に表れた記述も多く、それらを受け入れるかどうかは人それぞれである。ただ、「弱者ぶりっこ」の「してもらう主義」というのは、まことに的を射た指摘だと思う。

 政治の問題に限らず、我々は(少なくとも私には)「自分は時間がないから」「自分はお金がないから」「自分は能力が足りないから」他人任せにすることがある。あるいは、「いざと言うときには○○さんに頼ろう」という具体的標的があるのかもしれない。
 もちろん、謙譲や助け合いは美徳でもあるが、悪徳にもなり得るのである。中国人と話すと、「日本人は謙虚だよね」と言われることが多いが、「私は能力がないんです」が「→だから、敢えて口に出しては言わないけれど、いざという時に助けが必要なんです」という文脈の場合もある。「察する」ことが日本人よりも劣る(とは言っても、世界標準より上なんじゃないかと思う)彼らには、これら「言外の請願」は通じず、何かを頼む場合にははっきり言わなければならないが、それは個人主義・責任論の観点からすれば、当然のことである。

 丸山の言うように、権利の行使を怠れば権利が失われる危険はある。そして、更に踏みこめば、面倒であっても、権利を持つ者には権利を適切に行使する責任がある。よって、「してもらう主義」は権利を放棄したも同然なのである。
 もちろん、我々は政治家や官僚よりも、政治には疎い。だから、能力のある者に任せるべき、というのも一理ある。民主主義が必ずしも優れた政治体制であるとは限らない。
 ただ、もしも民主主義を擁護するのであれば、政治に限らず、「弱者ぶりっこ」の「してもらう主義」の精神を抜け出さなければならないのだろう。


 かつて漱石が『私の個人主義』で戒めたのは、強者による自由の濫用であった。しかし、今日では、というよりも昔から強者を強者たらしめていたものの一つでもあるが、「弱者ぶりっこ」の「してもらう主義」が問題である。弱者ぶって他人に依存するのに、対等な関係を維持できようはずもない。
 個人個人が自己の責任を明らかにし、それを果たすという、個人主義は未だに実現していないのである。

「自由」=「義」?

2007-12-06 23:33:31 | 精神文化
 1918年1月5日、蔡元培の保定育徳学校に於ける演説の中に、以下のような言葉がある:

「所谓自由,非放恣自便之谓,乃谓正路既定,矢志弗渝,不為外界势力所征服。孟子所称“富貴不能淫,貧賎不能移,威武不能屈”者,此也。準之吾華,当曰義(「自由」と言われるものは、気まま自分勝手を言うものではなく、正道を定めた後は志を変えず、外界勢力に服従させられないことを言うのです。孟子が「富貴も動揺させることができず、貧賎も心変わりさせられず、威圧・武力でも屈服させられない 」と言っているのが、これにあてはまります。これを我々中華の語に当てはめれば、「義」と言うべきでしょう)」

 また、彼は、同年4月1日に『華法教育会叢書』の序文でも、董仲舒の「正其誼不謀其利(正しい誼(「義」と同義)に基づき、利を謀らない)」が西洋に於ける「自由」に相当すると述べている。

 これらのことから、蔡元培は「自由」を「義」と考えていたと推論できる。そして、その具体的内容は、「正しい志・行いが、外的圧力によって妨げられない」ということであろう。
 彼にとって、「自由」とは、自然権として人間が先天的に有するものではなく、道義的正義を実行するために社会的に必要なもの、というニュアンスによって解されていたのである。そして、それは、様々な改革運動が政治的圧力によって頓挫した清末の経験を踏まえているのかもしれない。


 少し遡って、1912年5月の「中学修身教科書」下篇第三章理想論において、「自由」に伴う責任について言及している。

「其理想,不特人各不同,即同一人也,亦復循時而異(理想は、人それぞれで異なるのみならず、一人の人でも時によって異なる)」
「人之行事,何由而必任其責乎?曰:由于意志自由。凡行事之始,或甲或乙,悉任其意志之自択,而別無障碍之者也。夫吾之意志,既選定此事,以為可行而行之,則其責不属于吾而誰属乎?(人の行為は、何によってその責任を負わなければならないのだろうか。それは、意志の自由によってである。そもそも、行為の始めは、甲というものであれ乙というものであれ、何でもその意志が自分で選択したものによって決まるのであり、そこには他にそれを妨げるものはいない。およそ自分の意志でその事を決め、可能だと思ってそれを行ったのだから、その責任は自分に属さないでいったい誰に属すものであろう)」
「本務之観念,起於良心,既於第一節言之。而責任之与良心,关系亦密。凡良心作用未発達者,雖在意志自由之限,而其対於行為之責任,亦較常人為寛,如児童及蛮人是也(本分という観念が良心によって起こることは、既に第一節で述べた。そして、責任と良心というのも、その関係は密接である。およそ良心の作用が未発達な者については、それが意志の自由の範囲内であっても、その行為に対する責任は、常人に較べて緩やかである。例えば、児童や蛮人がこれにあたる)」

 彼の認識によれば、「自由」が社会的責任を伴うことは明らかなのである。すなわち、正道は絶対的なものではなく、人それぞれにとって異なるものであるが、しかし、各自がその良心に従って自由に選択する以上、その行動・結果には責任が伴う。言い換えれば、自己の良心の自由は、道義的責任と裏表なのであり、むしろ、良心によって道義的責任を果たすために自由が必要、とも言える。
 故に、彼は、「自由」を「義」と言ったのである。