道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

躑躅

2007-04-27 22:24:51 | 街中
日本人は桜が好きである。
およそ人の住むところ、日本中至る所に桜が植えられて、
春の訪れとともに鮮やかに花開く。
しかし、私の見たところ、桜と同じくらい或いはそれ以上に多く植えられて、
桜が散り終わるのを待っていたかのように鮮やかに咲き誇る花がある。
――つつじである。

つつじは細い枝が密生しており、手入れすれば形がきれいに整うので、
背の低い壁を作るのに適している。
歩道と車道を分かつのに、
鉄のガードレールを用いれば簡単に乗り越えられてしまうが、
つつじを植えて壁にすればなかなか乗り越え難く、
そして無機質な鉄よりも、温かみがある。

都会ではこのように実用的な用途でつつじがよく用いられている。
桜と異なり、花を咲かせることが第一の目的ではない。
しかし、この時期、つつじはなかなか美しく咲いてくれる。
明るい朱色、艶やかな紫、透き通るような白、
色とりどりの数多の花が、垣根で、街路樹の根元で、
所狭しと鮮やかに咲き乱れている。
桜と違って見上げる必要はない、名所に行く必要もない、
ただ道を歩きさえすれば、美しい花々を見ることができるのである。

桜ほど注目されず、バラのように貴重に扱われもしないが、
すねることもなく、こびることもなく、
春が来ればマイペースで咲き誇る、
そんな鮮やかさがつつじにはある。

八重桜

2007-04-18 23:21:26 | 街中
先日、角信がなくなるということを聞いたので、桜新町にラーメンを食べに行った。
駅から出て、ミスドの脇の道をずっと真っ直ぐ行き、大きな道路に出ると、
そこに角信はあった。

大通り沿いなのだから、決して目立たない場所ではない。
しかし、周りに駐車スペースがないというのは、
違反取締り強化後の今日では致命的な欠陥である。
店に入ってみても、昼時なのにも関わらず、2,3人しか客はいなかった。
これでは経営はもたない。

もう来ないであろう、そう思って、
同じ系列の山手では置いていない「黒らーめん」と餃子を一人で食べたら、
すっかりお腹いっぱいになってしまった。
時間もあるし、腹ごなしも兼ねて、
駅前の「サザエさん通り」を少し散策した。

このサザエさん通り、もとは「中通り」といったらしいが、
長谷川町子美術館が建てられたことにちなんで、このように改称されたらしい。
残念ながら、駅前ではサザエさんのキャラクターはあまり見つからなかった。
しかし、小さい通りの両脇に並ぶ建物は、なかなかセンスの良い感じであった。

そして、何より良かったのは、この通り、桜並木になっているのだが、
定番のソメイヨシノではなく、八重桜なのである。
何本か並んでいるのは見たことがあったが、
このように並木になっている八重桜を見たのは初めてである。
ソメイヨシノの並木ほど迫力はないが、
一本一本がそれぞれ個性的で、なかなか味わい深い。
そして、開花の遅い八重桜を並木としているので、
他の桜の名所がすっかり終わってしまった中で、
4月中旬に桜祭りを開催できるというのがなかなか洒落ている。

真打は遅れて来るものである。
それまでの登場者が衰えたところに満を持して現れる、
なかなか美味しい役回りである。
皮日休は牡丹について
「落尽残紅始吐芳(残紅落ち尽くして始めて芳を吐く)」
と詠んだが、
これはまさに桜に於ける八重桜に当てはまる。

ソメイヨシノだけが桜ではない。
それが散った後にもなお、また味わい深い桜が咲くのである。

2007-04-17 12:36:30 | 精神文化
「桜は日本人の心」という言葉がある。
バラや牡丹のような派手さはなく、
控えめな薄ピンクの、素朴で上品な色。
また、小さな花が非常にたくさん咲くのだが、
散る時はぱっと潔く散り、晩節を汚さない。
その素朴さ、清潔さは、
日本人の単純さ・純粋さの美学に相応しいものと言える。
国学者本居宣長の詠んだ句も、まさにこの意であろう;
"敷島の大和心を人とはば 朝日に匂ふ山桜花"

樹上に咲いて良し、空中に散って更に良し、
そんな桜だが、もう一つ楽しみ方がある。
すなわち、地上に落ちてなお良し、である。

もはや桜も散り尽くした時分、
ふとしたことで駒場野公園に行ったのだが、
行ってみて驚いたのは、地上一面が真っ白なのである。
見る場所によっては、光ってさえいる。
宙に舞う花びらを雪に喩えることはよくあるが、
地に積もってもまた雪の如し。
散った後の桜を鑑賞するとは未練がましく、
潔さを旨とする日本の美学には適わないが、
美しいのだから仕様がない。

あるいは、
定番のみにとらわれず、意外なところにも美を見出すという点では、
これもまた日本の美学に適うものなのかもしれない。
兼好法師もこのように言う;
"花は盛りを、月は隅なきをのみ見るものかは"

散り尽くして後もなお美しい、
これは粋の極みであろう。

ラーメン屋の昔語り

2007-04-10 14:27:07 | 街中
サークルの勧誘のビラを貼りに、
以前バイトをしていたラーメン屋「山手らーめん」に行った。
このラーメン屋、学校のすぐ裏にあり、
昼休みになると学生や教員でよく賑わったものだが、
最近は構内の食堂やレストランが充実されたために、少し振るわない模様。

昼休みが終わった後を見計らっていったので、客も少なく、
久しぶりということで、昔よくお世話になった店員さんと世間話をしていた。
主に、昔バイトをしていた人たちについて、
○○はどこに行った、△△がこの間ラーメン食べに来た、
□□は最近全く見ないけれども何をしているのだろう、
といった話であった。
その話の中で、姉妹店として同じ麺やノウハウで経営されていた、
桜新町にあるラーメン屋「角信」がなくなるということを聞いた。
どうやら、客が少なくなりすぎて、採算を取るのが大変になってきたようである。

以前は会うのが当たり前だった人たちと会えなくなること、
昔は、これからもずっとあるだろう、と思っていたものがなくなること、
こうしたことに思いを馳せると、不思議な感覚がする。

哲学の基本的テーマの一つに、「時間は流れる」という認識への疑問、があり、
これについて、「実は時間は流れていない」とも言われる。
しかし、思い出を振り返り、今とのギャップを考える時、
不覚にも「時間が流れてしまったのだなぁ」と感じてしまう。
何となく甘く、酸っぱい感覚を伴うものを言う時に、
「流れる」という表現は、何とも優雅で相応しい言葉に感じられるのである。

龍門石窟訪問記

2007-04-06 22:23:02 | 旅中
洛陽市街からバスで1時間ほど行ったところに、
龍門石窟という遺跡がある。
伊河の両岸の岩壁に、無数の仏像が掘り込まれたものである。

穴の数は2000余り、河の対岸から眺めると蜂の巣のようである。
仏像は巨大なものから手のひらより小さなものまであって、総数は10万体以上。
想像を絶する労力によって造られた、すさまじい遺跡である。

仏像のうち最も有名なのは、奉先寺の盧舎那仏、
巨大で威厳あるその仏像は、則天武后をモデルにしたとも言われる。
しかし、実際に見て圧倒されるのは、万仏洞であった。
遠くから見ただけでは、穴の壁に網目模様があるようにしか思えないのだが、
近づいてよくよく見ると、全て小さな仏像。
「万~」という名前でも、さすがに1万もないだろうと思っていたら、
ところがどっこい、その小さな穴の中には、1万5千もの仏像が彫られているという。
その手間を考えると、気が遠くなる。
まれにお供え物がされている仏像もあるが、
仏像よりも、これだけの仏像を彫った人々に合掌したい気分になる。

ところで、ある程度規模の大きい仏像の中には、
顔がないものがかなり多い。
それも、人為的に削り取られたような跡がついている。
廃仏の被害にあったのかと思っていたのだが、
後で説明を読んでみると、実は盗掘によるものらしい。
現在行方が分かっているもののうち、
欧米の博物館にあるものも少なくないが、
大多数は日本にあるという。
つまり、旧日本軍が、戦争の際に持ち帰ったということである。

実に無粋である。
どうせ奪い取るのなら、仏像まるごと奪い取るべきであろう。
顔だけ削り取ってしまうと、顔も残された本体も、不気味である。
まるごと持ち帰る余裕がないならば、そもそも盗掘などすべきではない。

ここで先の戦争の是非を論じるつもりはないが、
こういった野蛮な行いは、勝っても負けても自国の名誉を損なうのである。
いまどき「小日本」なんて言う人はいないが、
往時は言われても仕方ないことをしていたのである。

あんぱんの日

2007-04-05 13:48:30 | 旬事
「4月4日は"あんぱんの日"」
そう言って、コンビニにあんぱんがずらりと並んでいた。

最近、競争過多のコンビニでは、
なにかにつけてイベント化して商品を売ろうとする。
結果的には他のコンビニも追従するからイタチごっこなのだが。

話が逸れたが、4月4日は「あんぱんの日」らしい。
木村屋の初代安兵衛があんぱんを明治天皇に献上したのが由来である。
その、パンという西洋の素材を用いて、日本独自のものを生み出した趣向は、
明治の精神を代表するものとも言える。
そういう意味では、「あんぱんの日」というのも、なかなかたいそうなものである。

パンで餡を包むということが、
何故それほど「日本化」としての意味を持ち得るのであろうか。
「餡を使ったから」というだけで「日本化」といえるものであろうか。
日本の食材を使うだけで「日本化」なのであれば、
カレーパンを「インド化」とも言えるハズである。

おそらく、餡という食材に加えて、
「包む」ということがミソなのではないだろうか。
すなわち、西洋ではパンの食べ方において、
・塗る(ジャムやバター)
・のせる(ハムなど)
・はさむ(サンドイッチ・ハンバーガーの類)
といったヴァリエーションがあったが、
包むというのはそれほどなかったのではないだろうか。
もちろん、チーズやゴマ入りのパンはあるが、
それは生地に「混ぜ込む」のであって、
あんぱんなどのように「包む」わけではない。
それを木村安兵衛は、酒饅頭をヒントに、
「包む」スタイルのパンを発明したのである。
これは、パンの酒饅頭化であり、「日本化」と言える。

「塗る」「のせる」「はさむ」ではなく、
「包む」というスタイルを選択したことは、
物質的・技術的要素を取り入れつつも、
それを自前の思考様式・精神文化によって活用するしたということである。
すなわち、まさに漱石の言った「和魂洋才」である。


しかし、ここで問題となるのは、
「包む」ことが、「塗る」「のせる」「はさむ」の西洋的スタイルと異なり、
日本と西洋との違いを言うことはできる。
しかし、「包む」動作は、日本独自のものではない。
中国にも、まさに「包子」と呼ばれるもの、すなわち肉まんの類がある。
そして、中に餡を入れる点においても、まさにあんまんなるものがあるのだから、
パンの酒饅頭化は同時に「あんまん化」とも言え、
日本独自の文化形態とは言いがたい。
中国だけでなく、韓国にも中華まんのようなものがあるらしいのだから、
もはや、日本の特徴というよりは、東アジアの特徴というべきであろう。

思うに、あんぱんとは、
パンを「東洋化」あるいは「東アジア化」したものではないだろうか。
すなわち、「西洋と日本」ではなく、「西洋と東洋」という対比の構図である。

パンの形状をそのままに異物を追加して個性を保つ「塗る・のせる・はさむ」、
パンの形状を変化させ異物を内に含んで調和する「包む」、
安易な比較であるが、西洋と東洋の精神文明的差異というのは、
案外、パンや酒饅頭から論じることができるのかもしれない。

バラの乾杯

2007-04-03 00:08:08 | 街中
江戸東京博物館の脇の通りに、バラが植えられている花壇がある。
こじんまりとしたスペースに、十数本の苗が植えられ、
それぞれに品種を書いた立て札がつけられている。
「ウイミィ」「クイーンエリザベス」「正雪」などなど、
様々な名前がつけられている。

私はこういったことには疎いので、ただ見ているだけなのだが、
しかし、「ビクトルユーゴ」「王朝」といった名前ならともかく、
「初恋」や「乾杯」などというものまであって、驚いた。

植物の品種に「乾杯」という名前をつけるとは、凄いセンスである。
あるいは、バラだからこそ似合う名前なのかもしれない。

今度は花が咲いていそうな時期に行ってみようと思う。

車窓

2007-04-02 20:39:14 | 旅中
砂丘なるものが見たくなって、
青春18切符を使って鳥取まで行ってきた。
朝5時に新宿を出て、2日後の深夜に帰宅したのだが、
そのうち電車に乗っていたのが30時間強、
実に半分近くの時間を車上で過ごした旅であった。

今回は鳥取と京都で一泊ずつしたのだが、
その間に行った観光名所は、
砂丘・二条城・比叡山の3つのみ。
移動ばかりで、あまり名所を見ている暇がなかった。
そして、最大の目的であった鳥取砂丘も、
雨がひどくて、実質30分ほどで引き揚げてしまった。

こう言うと移動ばかりで実のない旅行のように聞こえるが、
それは違う。
電車で過ごす時間も、また旅行の中の楽しい体験である。
本を読むもよし、寝るもよし、人々を観察するもよし。
席を譲ればそこから会話が始まって、
平凡に見えるおばあさんの意外な過去を聞かされたりもする。

そして、何より、外の景色を見るのが面白い。
都市から田舎へ、山を抜けて川を越え、
狭い国土に様々な町や地形が詰まった日本を列車で行けば、
景色は次々と変わる。
湖や川を見て、今どこにいるのかを推理してみたり、
山間の盆地の集落を見て、人々の暮らしを想像してみたり、
そんなことをしていれば、時の経つのも忘れてしまう。


2日目に、浜坂で電車待ちのついでに駅前のうどん屋に入って、
手早く昼食を済ませようとした。
まだ少し早い時間だったので、客は我々だけであった。
注文して少しして、店主がうどんを作って持ってきたのだが、
その時、「どこに行くの?」と話しかけてきた。
「昨日鳥取に泊まって、今日は京都に行きます」と応えると、
そこから、浜坂の温泉や浜辺についての話が始まった。
一方的に話し続けるのではなく、私との対話の中で自然に、
しかし、ロマンチックに、山陰の美しさを語った。
決して特別な内容はなかったが、
人をして浜坂を訪れたい気持ちにさせる話であった。
もっと店主と話をしたかったが、乗り継ぎの電車まで時間がなく、
相棒が食べ終わったらすぐに店を出た。

そのまま豊岡往きの電車に乗ったのだが、
店主の言葉を思い出した。
「上り電車に乗るならば、左の席にしなさい。
 海が見えるようにしなさい」
その言葉に従って、左側の席にかけて、
窓の外を眺めていた。
すると、
人家の向こう側に、美しい砂浜が現れた。
岩と緑に囲まれて、小さくて白い砂浜が見える。
すぐにトンネルに入ってしまって見えなくなるが、
山を抜けると、また美しい砂浜が現れる。
それもすぐに見えなくなるが、
山を抜けると、次の砂浜が見えてくる。
山を越える度に、次々と砂浜が現れてくる。
どれも全く違う砂浜でありながら、全て美しい。
なるほど、店主が勧めるわけである。
海が遠くなるまで、しばらく窓に貼り付いて、
外の景色の変化に見入っていた。


「車窓」、実に旅情あふれる言葉である。
旅に出る時は、時間に追われることなく、
車窓を大事にしたいものである。