太宰府、といえばなんといっても天満宮であり、
最近はそのすぐ近くに九州国立博物館なんてものもできている。
しかし、太宰府と言えば、もともとは大宰府政庁が置かれたことで建設された都市であるのだから、
その跡地にも行ってみなければなるまい。
大宰府政庁の跡地には、小さな展示館のようなものがあって、おじいさんが模型を使いながらいろいろと解説してくれる。
模型を見てみれば、太宰府は山に挟まれ、建設当時は長い堀(現在でも「水城」という地名が残っている)もあり、要塞であったことは想像に難くない。
博多平野を蹂躙した元寇も、わずかに泥地として残っていた堀に阻まれて、太宰府の直前で引き返したとか。
一通り解説をしてくれたおじいさんが、すぐ近くの観世音寺について語り出す。
天智天皇が母斉明天皇を慰めるために建てた由緒ある寺院で、一時期は勢力があったらしいが、後に天満宮に押されて、今では小さくなってしまっている。
しかし、それでも、貴重なものがたくさん残っており、是非行ってみるべきだ、と。
そう話す言葉の端々に、「天満宮なんて新参者じゃないか」という思いが感じられて面白い。
そうして、話を終えて、
「じゃあ、観世音寺も見に行ってきます」
と言って出たところで気がついた。
この展示館、有料だけど、お金を払っていない。
観世音寺を見た後、お金を払おうと戻って来たのだが、
覗いてみると、おじいさんはまた別の客をつかまえて解説をしている。
なんだか楽しそうだし、お金のことは気にしていなさそうな様子なので、
そのまま太宰府を後にした。
最近はそのすぐ近くに九州国立博物館なんてものもできている。
しかし、太宰府と言えば、もともとは大宰府政庁が置かれたことで建設された都市であるのだから、
その跡地にも行ってみなければなるまい。
大宰府政庁の跡地には、小さな展示館のようなものがあって、おじいさんが模型を使いながらいろいろと解説してくれる。
模型を見てみれば、太宰府は山に挟まれ、建設当時は長い堀(現在でも「水城」という地名が残っている)もあり、要塞であったことは想像に難くない。
博多平野を蹂躙した元寇も、わずかに泥地として残っていた堀に阻まれて、太宰府の直前で引き返したとか。
一通り解説をしてくれたおじいさんが、すぐ近くの観世音寺について語り出す。
天智天皇が母斉明天皇を慰めるために建てた由緒ある寺院で、一時期は勢力があったらしいが、後に天満宮に押されて、今では小さくなってしまっている。
しかし、それでも、貴重なものがたくさん残っており、是非行ってみるべきだ、と。
そう話す言葉の端々に、「天満宮なんて新参者じゃないか」という思いが感じられて面白い。
そうして、話を終えて、
「じゃあ、観世音寺も見に行ってきます」
と言って出たところで気がついた。
この展示館、有料だけど、お金を払っていない。
観世音寺を見た後、お金を払おうと戻って来たのだが、
覗いてみると、おじいさんはまた別の客をつかまえて解説をしている。
なんだか楽しそうだし、お金のことは気にしていなさそうな様子なので、
そのまま太宰府を後にした。