道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

真価の検証

2006-03-31 11:39:46 | 世間話
人と連絡先の交換をする時にたまに言われるのが、
「あ、ケータイ、docomoなんだ。お金持ちだね」
……不本意である。

そもそも、家族で最初に携帯電話を買ったのは母で、
友人が勤めているからという理由でdocomoにした。
その後、私や父が加入する時も、家族割引があるという理由でdocomoにした。
言ってみれば、考えなしにdocomoにしたのである。

また、親戚の多くが住んでいるので、たまに新潟の農村に行くが、
電波の都合から言っても、docomoは結果的に無難な選択であったと思う。

ただ、「不本意」というのは、「docomo=高い=金持ちの携帯」とされていることである。
以前気になって料金を比べてみたが、携帯電話大手三社でほとんど違いがないように思われた。

最近、asahi.comがこれについて特集を組んだ。
http://www.asahi.com/ad/clients/shinka/3/index.html

はっきり言って、docomoのための広告のようなものであるから、
主張をそのまま鵜呑みにはできないが、少なくともデータを改竄はしていないだろう。


結論から言えば、三社とも大体の料金はほぼ同じである
(もっとも、これを広告しなければいけないdocomoもどうかと思うが)。
パケット使い放題のサービスでdocomoは料金が高めであったが、
月々どれだけパケットを使うかをよく検証すれば、
むしろdocomoが安上がりになる選択肢すらあった。
(というより、私から言わせてもらえば、
 パケット使いまくる方が「金持ち」の所業であるのだが。。)

では、なぜ「docomoは高い」というイメージとなっているかと言えば、
おそらく、auの学割、vodafoneのLOVE定額に代表されるような、分かりやすい目玉商品がなく、
「お買い得」感が薄いからではないだろうか。
すなわち、イメージの問題である。

イメージ戦略でdocomoには落ち度があったのだ。
これは、商品自体の問題ではないにしろ、やはり重要な問題である。

「劇場政治」然り、「ホリエモンブーム」然り、良し悪しは問わないが、
最近は特にイメージというものの力が非常に強くなっているのは事実であろう。

こうした現状を踏まえての企業努力で、
docomoはまだまだ足りないところがあったのだと思う。


そして、このことは、莫大な情報の中で実際のことを自分の目で確かめず、
イメージだけで判断してしまいがちな、我々自身の問題でもあると思う。
消費者として、また、時に有権者として。

……もっとも、まったく同じような品質ばかりなら、イメージで選ぶしかなかろうが。。

Seeing is Believing?

2006-03-31 03:04:11 | 形而上
昔、映像が凸レンズによってスクリーンにさかさまに映ることを習って、
目も同じ構造であることを知った時、
網膜にさかさまに映像が映っていることを想像して、少し不安になった。
その後、脳ではきちんと処理できているという話を聞いて安心した覚えがある。

しかし、よくよく考えてみれば、生まれてからずっと逆さまの映像を見てきて、
逆さまの映像の中で行動し、逆さまの映像の中で考えているのだから、
問題は起こるわけがない。
言ってみれば、全てが全て逆さまに認識されているのだから、
それが自分にとっての映像世界であり、
今頃逆さメガネをかけてもしょうがないのである。
(もっとも、以前、逆さメガネで映像を再逆転させて生活した実験があったが、
 一、二週間で完全に慣れたという結果は、なかなか興味深いものがある。)


視覚は全てが180度に認識されていても問題ないという話であったが、
生まれてからずっと全てを90度回転して認識している人がいても問題ないのではないかと、
ふと思った。
その人は90度回転した視覚世界の中で何かを指差して、
他の人は180度逆転した視覚世界の中でそれを見て、
お互い見ているものは90度異なるが、外見上は全く問題なく対象物の映像を共有している。

そう考えれば、色だって、他の人とちょっと違う見え方をしていたって、問題ない。
母親が指差して教えてくれたリンゴの色を「赤」と思って育ってきて、
他の人と話す時もそのイメージで「赤」と言う。
たとえお互い視覚世界が全く違っても、リンゴが全く異なる見え方をしていても、
リンゴを指差して「赤」と言えば、お互いが自分の「赤」の色彩イメージと照合して、
「うん、赤いね」と言う。

ものを見たって、それは映像としてのものであって、ものの存在そのものの直観ではない。
そもそも、ものが実際存在しているのかだって、確認できない。
視覚だけでなく、聴覚だって触覚だって、ものそのものを感じ取っているわけではないのだから。

……小さい頃からこんなことばっかり考えていたから、私は詩人にはなれなかったのだろう。

仰げば尊し

2006-03-30 00:15:41 | その他雑記
入学したての頃に授業でお世話になり、その後も色々遊んで下さった先生が退官された。
今日は少しだけ研究室にお邪魔したのだが、
本とその他のもの(電子機器やらお酒やら)で雑然としていた部屋がすっからかんになったありさまというのは、
寂しさを通り越して壮観であった。

私の大学生活はその先生との出会いから始まったと言っても過言ではなく、
単なる学問的知識よりも、もっと多くのことを先生から学んだ。
そのおかげで、ずいぶんと学生生活を楽しく送れていると思う。

どんな付き合いだったかと言えば、傍から見れば師弟というよりは、悪友である。
二人で興味の方向はかなり似ていて、かつ悪趣味であることも同じである。
先生が口を開けばそれは私をからかう言葉であり、私はそれに皮肉で返す。
先生が教官側の裏事情を披露して下さるので、私は学生側の事情を話す。
先生が気前よくおごって下さるので、私は趣味の悪いお土産を持参する。

向こうは幅広い分野について深い知識、時に悪趣味な裏事情まで知っているので、
こちらは非常に参考になった。
しかし、こちらもただ教師に教わるだけの学生で留まらず、
自分の可能な限りで向こうの知らないであろう知識を返すなり、
頭をフル回転させて機知で返して来たのである。

このような付き合いは、専門が違う者同士だから可能だったのかもしれない。
しかし、こういった付き合いのできる人を持つことは大切だと思う。

幸い、先生は退官後も別の大学で教鞭をとられることになった。
その大学に通うために引っ越されたが、私の家からはむしろ近くなった。
これからも、きっと会う機会はあるはずである。

ともあれ、この三年間、私に様々なことを教えて下さった先生に感謝している。

桜花繚乱

2006-03-28 23:34:25 | 精神文化
杏の花も散り、東京にも桜の季節がやってきた。

桜ほど日本人に愛されている花はないというが、全くその通りだと思う。
至る所に桜があって、しかも少し大きな都市なら必ずといって良いほど、
桜並木や、公園の樹木として、多くの木が力強く立ち並び、
一般の人に開放されている場所がある。

春の訪れとともに桜がどんどん開花して行き、列島中が桜で覆われる、
これは壮大なロマンだと思う。


師匠がエッセイの中で、
「桜は雪の如く、人は海の如く、声は潮の如く、夜は夜ならず。
 意を含んで内向的な日本人は、この時期は非常な情熱を外に顕す」
というようなことを言っていた。

日本人の気性というのは、普段は気持ちを抑えて外にはっきり出さないのに、
桜の季節は、その開花のように開放的になり、その落花のように爆発するのである。

金屏風の似合う牡丹でもなく、白いバルコニーの似合うバラでもなく、
若い柳の緑に並んで咲く淡いピンクの桜こそ、最もよく日本人の心を象徴している。

この世はゆめかうつつか

2006-03-27 13:18:11 | 形而上
久しぶりに、立ち読みで一気読みしてしまった。。

『99.9%は仮説』

科学は万能ではないばかりか、突き詰めれば全て仮説に過ぎないこと、
当たり前は常の当たり前ではないこと、確かなものなどないこと、
こういった問題について、科学の中の様々な事例を挙げて語ってくれている。

そして、また、書名が非常に科学的である。
「全てが仮説」という言葉でさえ仮説であるのだから、
「100%」ではなく、「99.9%」にしているのだろう。


私は懐疑主義者であるので、この本の基本的な主張は全て考えたことがあるし、
今でも考え続けている。
半年前に、「科学の出発点は仮説」と言って、工学系の学生と大議論になったことがある。
だから、目からウロコ、というコトはなかった。

しかし、この書の中で挙げられている大小の事例は非常におもしろく、参考になるものばかりである。
また、書き方のテンポがよく、非常に読みやすい。
自然科学以外の事例の中には、主張と論点がズレてピンボケしてしまっている箇所もあるが、
あらゆる分野に通用するテーマであることを説明する、意欲を汲むべきであろう。

オススメの一冊である。

冥土inチャイナ

2006-03-27 00:31:08 | その他雑記
具体的に何%なのかは知らないが、
日本国内で売られている衣服に占める"Made in China"の割合は非常に高いと思われる。
また、衣服以外でも、様々な製品が中国の工場で作ったものである。

今回中国に旅行する際、上海の友人から「キティの東京限定のストラップを買ってきて」
と言われて、巣鴨ヴァージョンのものを買ったが、実は"Made in China"。

南京で会った恩師もこう言っていた。
「日本から中国に帰国する時に、一番困ったのはお土産。
 これは日本の特産品だろうと思って買おうとしてよく見たら、
 みんな"Made in China"って入ってた」


ところで、一昨日靴を買った。
セール中だったので800円というお買い得。
靴底に入っていたシリカゲルを見ると、
「シリカグル たべられません」

……「グ」と「ゲ」って、似てるな。

暑さ寒さも彼岸過ぎまで

2006-03-24 22:58:36 | 街中
先日の雨で杏花も若干散り始め、代わりに桜が咲き始める中、
今日は遠出をせずに、地元でのんびり。

近くの公園に行ったら、遊んでいた女の子が、
「あ、こないだ会った人だぁ!」と声をかけてくる。

以前、公園でフルートの練習をしていた時に話しかけて来て、ちょっとおしゃべりした後で、
その子の家がちょうど帰り道にあったので、話しながら送っていったことがあった。

実に半年ぶりである。
よく顔を覚えていたなぁ。

今日は少し立ち話しただけだが、彼女は途中で何人かの大人に話しかけ、とても楽しそうである。
また、話しかけられた方も、無邪気な彼女の話を聞いていて、非常に楽しんでいる。

こういった時間って、すごく豊かで幸福であると思う。

最近は、子供に対する犯罪も増えていて、こういったことは危険である。
親からすれば、見ず知らずの人と話させないように注意するところであろう。

なんだか世知辛くなってしまっていて、少し寂しい気がする。


4月から5年生になるそうな。
友達とボールを投げあって、楽しそうに去って行った。

またね、ゆーなちゃん。

また中国へ行く!

2006-03-24 22:02:59 | 街中
……というのは冗談。
今まで何回も中国に行ったのに、中華街には行ったコトがなかったので、
横浜の予備校に通っている友人と遊びに行く。

飲食店が立ち並ぶ中に、媽祖廟があったり、ちょっとしたテーマパークがあったり、
なかなか楽しめそうなところであった。

しかし、友人に「中国っぽいだろ?」と訊かれた時に、
門も、装飾も、売っているものも中華テイストなのに、なぜかそんな気にならず。
どう考えても日本としか思えないのである。

日本人が多いからでもないし、日本語が多いからでもない。
中国にもそんなところはあった。


では、なぜであろうか。

そう考えながら、ちょっと裏道に入ったところで、ふと思い至ったのは、
人が少なすぎるのである。
夜10時頃であることを考慮すれば、むしろ人通りは普通より多いというべきであるが、
これが中国の都会であれば、夜遅くまで、大勢の人間が裏道にまで詰まっている。
そして、みんな好き勝手に歩き、屋台もたくさん出ていて、非常ににぎやかである。

それから、中国よりもみんながおとなしく、そして歩くテンポが早い。
中国であれば、みんなが好き勝手歩き、大声で話し、
しかし立ち話やら冷やかしやらでその場所をなかなか去らずにゆっくりしている。
中華街にも中国人は多くいるが、みな日本式のマナーで行動している。

そのため、雰囲気として、「中国とは違う。やはり日本だ」と感じたのだろう。


中華街で味わえるのは、中国のモノであって、人ではないのである。

長寿

2006-03-23 06:45:50 | その他雑記
帰国すると、もう日常が始まる。
学校は春休みであるが、バイトはほぼ毎日あるのだ。

バイト先で、台湾に行っていた先輩が、
「麻将巧克力(マージャンチョコレート)」をくれた。
牌に書かれた緑の「發」やら赤の「中」やらがなんとも毒々しい。

お返しに差し上げたのが、「長寿酥」。上海ではよく見かける平凡なお菓子の類である。
が、原材料をみると、「蜂蜜、チョコレート、パイナップル、ウーロン、マンネンタケ、長寿……」
「長寿」?? なんでしょーか、これは??

「長寿」が中に練りこまれたお菓子というのは、なかなかすさまじい。
いったいどういうことであろうと、教えてMr.Yahoo!

すると、こんなページがヒット。
http://www.llv.cn/shop.php?nowmenuid=42

どうやら、「長寿菜」という、海草の一種であるらしい。

しかし、この会社、商品名に「の」が多いなぁ。

偏見と効率

2006-03-19 22:56:05 | 旅中
南京から上海に行こうと、南京駅に入ろうとしたら、
警察に身分証の提示を求められた。
私は素直に見せたが、周りの客の中には、「なんでだよ」と反発するものもいた。
警察は「一分で済むから」と言ってなだめていたが、
そもそも一分で済むようなチェックとは、意味があるのだろうか。

同じようなことは、成田空港でも常時やっている。
空港に入る前にパスポートの提示を求められる。

しかし、身分証を見るだけで控えも取らず、果たして犯罪抑止効果があるのだろうか。

ずっとこう思っていたのだが、身分証提示にはやはり意味があるらしい。
すなわち、いわゆる「問題ナシ」の身分や国籍の身分証なら見るだけだが、
出身地や出身国、身分によっては、念入りに調査される場合があるらしい。

つまり、出身についての偏見によって、判断されているのである。

建前から言えばこのように出身から扱いに差別が生まれるというのは問題である。
しかし、犯罪抑止の観点から言えば、「傾向」を基にした、効率の良い方法なのであろう。

最近、「日本在留外国人全ての指紋管理」をするべきかどうかでもめている。
外国人であるという理由だけで、すなわち偏見によって指紋提出を強制するというのは、
人権問題になりえるだろう。
しかし、外国人による犯罪が多いことも確かである。

人権の尊重と、犯罪防止の効率、どちらをどれだけ優先させるか、
これは非常に難しい問題なのではないだろうか。