道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

人文学の未来

2011-12-12 09:53:43 | 精神文化
 地元の知人に、空手家がいる。本業は大手証券会社のプログラマーだが、どこへ転勤しようと転職しようと引っ越そうと、「空手をやってないとオレはダメだ」と言って、とにかく空手の修行だけは欠かさない。そして、「空手は世界を救う」と考え、地元で空手教室を開いている。もちろん儲けは度外視で、空手の普及のためである。

 よく考えると、研究者も(特に「実学」ではない人文学では)、「○○を学ぶことに××という意義がある」と主張するのであれば、このような形で普及活動をすべきなのかもしれない。
 現在一般的になされているのは、一般向けの本(あまり好きになれない言い方だが、俗に「啓蒙書」と呼ばれる)をどんどん出版することである。しかし、それはアタれば大きいのだが、一発アテるのは大変難しい。
 それよりも、空手のように、もっと草の根で、毎週地元の公民館を借りて講義・勉強会をするという活動を増やすべきのような気がする。それは、トップクラスの学問を持つプロフェッショナルだけではなく、私のようなレベルでも良い。大切なのは、人数を広げること。一部の限られた才能だけが情報を発するトップダウンではなく、謂わば「農村が都市を包囲する」のロジック(最近の企業戦略でも、テレビ・新聞のマスメディア広告よりも、twitterでの細やかな個人対応が重視されてきているそうだ)。

 仏教研究者には一般向け座禅会を開く人々もおり、中国哲学の分野でも湯島聖堂講義があるが、空手の草の根道場に較べると圧倒的に少ない。教会が信徒有志で聖書勉強会を行うのに較べれば、もはや無いも同然と言って良い。こうした活動を増やさないと、人文学の裾野は細るばかりとなるように思う。

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 なお、誤解の無いように付記しておくが、件の空手家は、決してレベルは低くない。実技・実践哲学だけではなく、書物上の学問もある。琉球空手の発祥地としての沖縄の歴史をよく研究しており、「武の七徳」の典故が『左伝』であることも知っている。
 そういえば、日本全国に数多ある教会で行われている説教・勉強会のレベルも、決して低くはなさそうだ。先日、少し縁があって地元のプロテスタント教会の礼拝に参加して来たのだが、牧師が聖書のある箇所について解説しているのを聞いて驚いた。聖書内でロジックをつなげるやり方はまさしく経学的であり、それを一般信徒たちに説明していたのだ。言葉遣いは平易で丁寧だが、内容に手加減は無かった。

 裾野が広がると、こういう高度なことも一般に伝えることができるようになるのかもしれない。

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2 コメント

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偶然 (shiba)
2012-03-17 18:44:10
意象という言葉を検索していたら、このブログにたどり着きました。いくつか読ませていただいたところ、大変興味深いものばかりでしたので、これからも楽しみに見させていただきます。どうぞよろしく。
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コメントありがとうございます (ping)
2012-03-22 17:20:56
shibaさま

コメントありがとうございます。また、ご覧下さり、誠にありがとうございます。
ここ一年ほどの間、ホームページの方に偏重していて(それも最近は少し間延びがちですが)、このブログがご無沙汰してしまっております。
でも、また何か気がついたことがあれば更新致しますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
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