道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

農水省の話

2011-04-20 17:25:08 | 社会一般
これは、つい先日、母が農水省に弁当を売りに行った時の話である。

一人の職員が、買おうとして手にした弁当を、眺めて一言。
「あ、野菜は茨城産か」
彼は買うのを止め、そのまま去って行ったという。

更に、その話を別の職員にしたところ、「そんなもんでしょ」と言われたらしい。


母は、数年前から、国産の素材を使った弁当を売りに農水省に行っているのだが、それを買う職員は数えるほどだという。要するに、自給率向上というのは、看板に過ぎないのである。
東南アジアと東アジアで自由貿易圏ができて自らがハブられるのを恐れてアメリカ合衆国がTPPを画策し、菅氏がそれに乗った際も、農水省は沈黙していた。

今回の話も、あまりにお粗末だが、その一例にしか過ぎない。


農水省に就職した友人は、頭の出来も良く、体力も根気も有り、性格も素晴らしい人間であった。
しかし、就職後は、電話取りと資料作成、国会答弁のお守りに追われて、憔悴していた。これで事務仕事以外に「自給率向上」等といった理想を追う余裕は、もはや残されていないだろう。


農業の生き残りを高額農産物の輸出に託すプランは、破綻した。少なくとも、当分の間は、中国の富裕層による需要は期待できない。
茨城はおろか、北海道ですらも、福島のすぐ隣と見られている。日本は、世界地図で見たら、かくも小さいのである。
そして、日本の農産物を宣伝し、農業を振興すべき農水省も、上述の通り、アテにはならない。

日本の農業を守るとすれば、それは、日本地図を見ている我々が、国産の農産物を買う他無いのである。

そうだ、牛乳、飲もう。

2011-03-20 14:52:18 | 社会一般
「牛乳とホウレンソウから基準値超える放射線量」(「産経ニュース」2011年3月19日付)

「ホウレンソウ、茨城県が出荷停止要請」(「日本経済新聞」web版2011年3月19日付)

検出された値が大したものではないということは、各報道機関によって宣伝されている。しかし、体内に長期間溜まったらどうなるのか、という問いにどれだけ答えているのだろうか。ヨウ素131は半減期が8日であるので問題ないが、セシウム137は半減期が30年と、長い。いくら微量でも、特定の部位に留まり続けたら、まずいのではなかろうか。

心配性の私は、既に先週の時点でそのように思い、知人に尋ねた。答えは明快なものであった。

「137Csの物理的半減期は30.07年ですが、生物学的半減期は144日。これはCsが比較的代謝の早い元素であることに起因します。カリウムの代わりとして代謝するのだとおもいます」

要するに、摂取してしまっても、半年以内には体外に排出されるということである。
これならば、今回のように微量ならば、全く問題ない。

「微量だから問題ない」「よく洗えば落ちる」だけではなく、
「体内に吸収してしまっても、そのうち出る」のである。
この点をもっと宣伝しても良かろう。

そして、総理大臣という地位にありながら存在感の薄い菅氏には、是非とも茨城産の牛乳とホウレンソウを食べて、国民にアピールして欲しい。「全く問題ない」「みんなで飲んで食べましょう」と。

――そう、彼が最も存在感のあった厚生相時代、カイワレダイコンを食べて見せたように。

「自粛」について(人間性と市民性の相克)

2011-03-19 12:28:56 | 社会一般
 震災発生以降、どうも気持ち悪い雰囲気が漂っている。
 「一致団結」して「未曾有の国難」を乗り切ろう。大変な状況でマナーを守り、思いやりを持って助け合っているから、「日本人は素晴らしい」。等々。
 足の引っ張り合いばかりだった政治や輿論が建設的方向に向かうのは良いことなのだが、私にはどうも気持ち悪い。後輩曰く、「いがみあっていたライバル同士が、協力して共通の強敵に立ち向かう、という筋書がみんな好きなんですよ」と。確かにそうかもしれない。

 節電自体は、大変良いことだと思う。
 しかし、「使っていない電灯は消す」「冷蔵庫にものを入れ過ぎない」「暖房の設定温度は下げる」程度のことは、普段から「でんこちゃん」が言い続けていることだ。デパートの電灯が明るすぎる、ネオンや巨大広告テレビが電気の無駄遣いだというのも、大抵の人間が前々から思っていたことではなかろうか。地震が起きて「ヤシマ作戦」が発動されなければ実行できないというのは、褒められたものではない。
 そして、この非常時に、「節電しなければ非国民」のような言論が飛び交うのが気持ち悪い。確かに停電ともなれば、自宅療養中で医療機器に電気が必要な人が大変なことになるのだから、極力避けたい。しかし、言わせてもらえれば、普段からこの程度の節電をできていなかった者は、地球人として二流である。


 最も気持ち悪いのは、様々なイベントを「自粛」する雰囲気である。
 被災地を思えば、ガソリンや物資を買い込まず、募金くらいはすべきである。しかし、「自粛」については、よくよく考えなければならない。そして、これについては、「人間としての感情」と「市民としての務め」との衝突が関わってくるように思う。

 何十、何百万もの人たちが苦しんでいる中で自分たちが心から楽しむことはできない、というのは人間として自然な感情である。しかし、多くの人間がその感情に従って行動したらどうなるだろうか。
 東大の卒業式程度なら、問題は小さい。東大生協が安っぽいアカデミックガウンでボロ儲けすることができなくなるくらいだろう。
 しかし、例えば、社会全体で宴会・旅行が「自粛」されれば、飲食店や旅行会社は次々と経営難に陥る。これは、二次的に、被害者を増やす行為である。つまり、人災だ。

 似たような話で、阪神大震災の時に、被災者たちにとって一番迷惑だったのは、ボランティアだった、と聞いたことがある。大して役に立たないのに、食糧を消費する足手まといだった、という話。
 ボランティアたちは、瓦礫の中で何百万もの人たちが苦しんでいる映像を見て、いてもたってもいられずに駆け付けたのであろう。これは、人間として自然な感情である。しかし、その結果、却って被災者たちに迷惑をかけた。すなわち、「駆け付けて協力したい」という自然の欲求を満たす、自己満足にしかならなかったのである。
 彼らがすべきは、沸き上がる感情をぐっと抑え、普段通りに生活することだったのである。多少気を利かせて、「ボランティアに行ったつもり」で一日働いた分の給料を寄付しても良かった。


 特に非常時に問われるのは、「良き市民」であるか否か、である。それは、自己の感情や周囲の雰囲気に流されず、自分の能力・立場が何の役に立つか、少なくとも迷惑にならないように振る舞えるか、を理性的に判断して実行することだと思う。
 感情の発露や周囲への雷同は、人間が本来的に持つ性質である。しかし、それを我慢し、直感的に判断せず、よく考えることが必要となる。自分一人がこれをしたって構わない、ではなく、みんなが自分と同じようなことをした場合に社会全体がどうなるか、を視野に入れる。
 たとえ人間の性が善であるとしても、善なる性に従うのみでは、必ずしも社会的に善とはならない。社会的に善なる市民となるには、理性的な判断と適度な実行力が必要である。そして、時にその行動には、自己の人間性を抑圧することも伴う。

 地震発生以降の「不謹慎」「自粛」の蔓延を見ていると、暗澹たる思いを否めない。情感と配慮の細やかさは、日本人の美点である。しかし、これを裏返せば、盲目的な団結と雷同は、すなわち「衆愚」である。この体質は戦前から変わっていないのかもしれない。




 戦時中に、このような話があった。
 ある者がレコードでベートーヴェンをかけていたところ、憲兵が現れて、「敵性音楽をかけるとは何事か」と叱った。その者は「ベートーヴェンはドイツ人ですから、同盟国の人間であります」と反論した。しかし、結局押し問答の末、無理やり停止させられたという。
 要するに、西洋のクラシックをかけること自体が、集団の均質性を乱すものとして、憲兵たちには受け入れ難かったのであろう。


 それほど好きな人物でもないが、福沢諭吉には、このような話がある。
 戊辰の戦乱の中、彼の塾では粛々と学問が続けられた。街中から斬り合いや砲火の音が響いて来ても、それは中断されなかったという。
 彼は、長期的視野に立ち、自分が今すべきことが何かをよく考えていたのであろう。

東大卒業式大幅縮小

2011-03-18 22:55:47 | 社会一般
 「平成22年度東京大学学位記授与式及び卒業式について」(公式HP、2011.3.17)によると、教職員数名と各学部の卒業生代表のみで式典を執り行うそうだ。
 良心的に考えれば、安田講堂に大勢集めてる時に余震か何かで事故があったら責任問題、
ということが大きな理由であろう(しかし、それならば普段からきちんと検査しておいて欲しいものだ)。

 しかし、もし仮に、節電や「自粛」のためであったとしたら、頂けない。
 前者であれば、それは東大の卒業式が、電気を敢えて使って行うほどの価値が無いもの、ということを自ら曝露するに他ならない。そんなものなら、普段から行わなければ良い。
 後者であれば、実にくだらない。戦時中の大政翼賛的な姿勢への反省からスタートしたはずの戦後東大が、70年を経て逆戻りしたということになる。政治や世間の空気に「右に倣え」をせず、自らできちんと「何に価値があるか」を見出だそうと考えるのが最高学府の役目であるはずだ。
 そして、「未曾有の危機」の中だからこそ、なおさらに、「ここで一発、卒業生一同の前で素晴らしい訓辞を垂れて、逆境に立ち向かって行く諸君の栄養にしてやろう」という気概が欲しい。それがエリートを養成する教育機関の務めであろう。

 卒業式は決して遊びではない。アカデミックガウンや振袖といったコスプレのために設けるものではない。総長・理事・学部長の持てる叡智を叩き付けて送り出す、大学教育最後の舞台である。代表だけが参加し、残りはインターネットでライブ中継を見る(ことができる)などというもので、それが可能だろうか。

 すなわち、もし「自粛」だとしたら、それは馬脚を顕してしまったということである。



 ところで、余談だが、今年の卒業生は、実に数奇な代であった。

・意気揚々と入学し、最初の年の学園祭では「はしか騒動」。
・大学二年生になると「リーマンショック」で家計がピンチ。
・大学三年生から就職活動を始めるものの、「就職氷河期」の中でなかなか内定を取れず。
・ようやく進路も決まり、まもなく卒業という時になって、「式典縮小」(実質は中止)。

 きっと、打たれ強くたくましい社会人となるだろう。

五日制社会の提言

2011-03-16 23:43:01 | 社会一般
弁当屋の場合、9~13時に停電されると商売にならない。
居酒屋の場合、18~22時に停電されると商売にならない。
オフィスは多少融通は利くが、それでも停電時間はできる仕事が激減する。

故に、電気を停められそうな日は休業した方が良い、というよりも、せざるを得ない。

しかし、東京電力の定める計画停電予定は、5日サイクルである。そのため、「毎週○曜日は計画停電のため休業」とすることはできない。「3月のお休みは16、21、26、31日。4月のお休みは5、10、15、20、25、30日を予定しております」という形で告知するしかない。
こんなやり方では予定が分かりにくいし、商売に差し障りがある。この節電戦争を長期間戦い抜くことが難しい。

一つの案としては、東京電力が5グループ分類をやめ、7グループにする。
これにより、一週間という7日サイクルを採る現行の社会制度と合致させ、各店舗は、最も商売に差し障る時間帯に停電が予定される日に合わせて、「定休日:○曜日」といった具合に告知することができる。

もう一つの案としては、曜日という7日サイクル制度自体を見直す。すなわち、関東地方の社会全体を、5日で一週間という制度にするのだ。
「定休日:第2停電日」「第1,2停電日は外回り、第3,4停電日はデスクワーク、第5停電日は休み」「アルバイト募集。第5停電日に働ける方を歓迎」といった具合である。

よく考えてみれば、キリスト教国家でもない日本が、週7日なんていう勘定しにくい数字のサイクルにすることはなかったのである。一週間が5日でも良いではないか。
毎週日曜日に教会に通う敬虔なキリスト教徒は閉口するかもしれないが、今までが優遇され過ぎていたのである。例えばイスラム教徒が金曜日に礼拝をしなければならない。それに較べてみれば、キリスト教徒が、いかに優遇されて来たかが分かるだろう。


停電日に合わせて休業日を設ける制度には、利点もある。
それぞれの会社・店舗・学校によって停電日が異なり、従って休日が異なる。
これにより、休暇を取るタイミングが社会全体で分散し、役所・銀行での手続きがしやすくなり、レジャー施設が混雑しなくなる。

一方で、欠点もある。
休日が分散するために、シンポジウムやイベントに人を集めることは難しくなる。
しかし、その代わり、会場費は、今のように休みが集中する土日に借りるよりは安くなるだろう。


如何であろうか。
この際、「一週間は七日」といった呪縛から逃れてみようではないか。

停電

2011-03-15 11:04:24 | 社会一般

 自分のいる地域は、どうやら18:20~22:00に停電するようだ。無理に懐中電灯で電池を消耗するよりは、寝ていた方が良いだろう。私の場合は、それで済む。
 大変なのは、自宅療養中で、電気が必要な器具を使っている方だろう。病院にいれば自家発電があるが、自宅では電気がなくなる。下手をすれば命に関わる。昨日の間にうまく対処できていれば良いのだが……。

 ネット上に溢れかえる「東電がんばれ」コールには些かの気持ち悪さをも覚えるが、しかし、実際に東京電力はよく頑張っていると思う。原発の話だって、事後処置としては、信じられない程に知力・努力を振り絞っている(ただし、原発というのは、たとえ「築40年」「想定外の事態」「世界中でも考えられる限り最善の対処」であっても、万一の事態が起こってはならないシロモノであるから、やはり彼らの責任は追及されなくてはならない。尤も、遠因は数十年前の見通しの甘さなのだから、現在の職員たち及び民主党政権には気の毒である)。
 計画停電も、仕方の無い処置である。無理をして大規模停電になっては、元も子も無い。事前に告知して停める分だけ、我々も対処しようがある。

 昨日は、鉄道各社が運行を大幅に減らし、それに伴ってオフィス・工場が機能しなくなったため、停電処置無しでも何とかなった。しかし、いつまでもそういうわけにはいかないだろう。経営が危うくなる企業・生活が危うくなるサラリーマンが続出する。既に現在だって、『ビッグ・イシュー』を売って生活している人たちは大きな危機を迎えているのではなかろうか。
 鉄道を動かし、オフィス・工場を動かし始めれば、どうしても一般家庭の停電が必要となる。故に、計画停電という処置は妥当である。

 東京近郊が停電を強いられる一方で、千代田区・中央区・港区・新宿区・渋谷区・文京区・墨田区は、一切停電しない。中央集権というのは、なるほど、権力のみならず電力をも中央に集める体制だったのか、と思ってしまう。一方、好意的に考えればいくつかの理由が挙げられる。
・大企業が多く、いざという時には一般家庭よりも統制しやすい。
・勤務の中断やサーバーの復帰などで、大きな負担が見込まれる。
・車通りが多く、信号を停めると大混乱が予想される。
こうしたことを考えると、確かにその選定は合理的かもしれない。しかし、停電させられた企業・飲食店からすれば、「行政区分の分かれ目が経営危機の分かれ目になってはいけない」とも言いたくなるであろう。

 思うに、第1~第5グループの割り当ては良いとしても、停電時刻は日によって変えるべきだ。そうしなければ、毎日9:20~13:00に停電させられる弁当屋はつぶれるし、18:20~22:00に停電させられる飲み屋もつぶれる。
 最も良いのは、7日サイクルでそれぞれの時間を変化させることだ。そうすれば、弁当屋も飲み屋も「○曜日は定休日」ということにして対処することができる。

 恐らく今回は長期戦になる。少なくとも、長期戦になっても持ちこたえられるような配慮が必要である。


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 ところで、こうなって初めて節電が呼びかけられ、(今のところ)積極的な協力を得ているが、本来ならば普段からすべきだったことも多い。昼間にコンビニの電灯を消して営業しても全く問題の無いことくらい、前々から分かっていただろう。オフィスも電気・空調をつけすぎだったのだ。街灯だって、青梅くらいまで行けば全く無駄が無いが、府中なら2本に1本くらい消しても良いし、都心なら4本のうち3本消してもまだ明るいままだろう。
 京王線なんぞは、最近もうけた金を駅舎改築に費やし、田舎の駅でも階段をせばめてエスカレーター(動かしっぱなし)だらけにしたが、その無駄な工夫が今になって仇をなしている。私の住んでいる地域では、停電時刻に軒並み運休・駅舎閉鎖を強いられることとなった。「バリアフリー」というのなら、エスカレーターを何本も増やすのではなく、エレベーターを増築するだけで良かったはずなのだ。その方が、設置費用でも消費電力でも遥かに合理的だ。

 また、アパート・マンションの入口が電気式のドアであるために、停電時に開かない・セキュリティ面で問題が生じる、というアホな事態に直面しているところも多いことだろう。
 この際言わせてもらえば、電気式というのは信用できない。テレビのリモコンだってそうだ。電池がなければチャンネルを回すこともできない。昔のように、メカニックで本体とつながっているダイヤル式であれば、そんな問題は生じない。

 既にそのうちの一部は、以前の記事でも指摘していたのだが、今回の停電騒ぎによって、我々が日常無視していた様々な無駄・思慮不足が露呈することになるのだろう。

 

補足:

停電時刻は日によって変わるらしい。しかし、5日サイクルでは、やはり定休日が分かりにくい。

http://matome.naver.jp/odai/2130001740747617201/2130010496748507803


続き

2011-03-13 11:05:56 | 社会一般

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110312/erp11031222520014-n1.htm

 ロシア人が言うならそうなんだろう、と思う。誰なのかは知らないけれど。

 また、ホウ酸入り海水の注入、というのは過去に例が無いような気がするが、うまくいくというのなら、それにこしたことはない。
 どうやら、昨日、私一人で騒いでいたのは茶番で終わりそうだ。よかったよかった。

 しかし、日本の原発ですら、地震&津波の合わせ技の前ではこの有様。現場の必死の知力・努力で何とかなりそうだが、それでも少し漏れたという。
 そしてオソロシイことに、最近、中国では原発建設ラッシュで、しかも、近いうちに「格安」を売り文句に輸出も考えているらしい。果たして、彼らは万が一の事態が生じた際に、今回の東電・日本政府のような対応を取れるのであろうか。
 我々が今のような生活を続けるのに原発は不可欠であるし、他国の人間がその生活を目指そうとするのを止めさせる権利は、我々には無い。原義とは異なる意味だが、21世紀型の「チャイナシンドローム」が起こらないことを願うのみである。

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 ところで、北京にいる友人からの連絡で、明日、彼の記者仲間が来日して地震について報道するらしい。
 その際、凄まじい規模の大災害を報じるとともに、それでも混乱による死傷者をほとんど出していないマナーの良さを、もっと中国に宣伝して欲しいと思う。

 かつて、周作人は「礼之必要」という文章を書いた。要旨は以下の通り。
 皆が礼儀正しいこと・ルールを守ること、というのは、社会的コストを大きく節約する。例えば、日本では人々がきちんとしているので、客によって商品が損われることを防ぐための工夫はほとんど必要ない。しかし、中国では人々のマナーが悪いので、店員を多く雇ったり、ディスプレイを堅固なものにしなければならない。性悪説を前提として様々な対策を打たなければならないので、それを防ぐために様々な出費が必要となる。そして、それは社会全体としては多大なる非効率を発生させる。

 今回の地震でも、マナーの良さが、被害を拡大させなかったことは、どんどん評価されるべきであろう。 そして、あわよくば、中国人のマナー向上につなげて欲しい。


※ただし、首都圏に限れば、若干の不安もある。マナーはみんな良かったのだが、車で帰宅しようとする人間が多すぎて、主要道路で大渋滞を引き起こしていた。震度5程度ならこれでも良いが、震度6,7レベルになったら、これではいけない。自宅が心配な気持ちは分かるが、極力移動せず、その場に残ることをみんなが考えなければならないと思う。道路は警察・消防が使えるようにすべきである。「自分一人だけならば」という人間が何千・何万にもなった時に、社会的効率が著しく低下する。一昨日、本郷通りを見て、暗然たる気分を否めなかった。東京が本当の大災害に直面した際に、我々はベストを尽くせるであろうか。


原発

2011-03-12 20:53:01 | 社会一般
 昨日は山手のバイト中に被災。夜は大学で帰れない組と宴。IHがあるので、鍋で米炊いて麻婆豆腐を作って食し、ベルギービールで杯を交わす。 みんなで酔っ払い。
 今日は朝からずっと本郷にいた。まぁ、いつも通りの日常にすぐ戻るだろう、と思い、一応ラジオを聴きながら、安否を訊ねて来た海外の友人に返信。今晩は停電があるかもしれないというが、それも仕方あるまい。原子力発電が何基か止まれば、当然そうなる。むしろ、我々の生活が如何に原子力に頼っているのか、ということを知る、良い機会だとすら思う。原子力が恐いなら、節電に励むべきであろう。

と、そこに、原発情報。
「圧が下がらない」
「水が入らない」
……これって、スリーマイル並みでは。。。

更に原発情報。
「燃料棒が露出」
「温度上昇」
「セシウム検出」
……むむむ、スリーマイルを越えて来とる。

「メルトダウン」
……ゲゲゲ!!

 これが2時くらいだっただろうか。
 その後、圧を下げ、注水も始まったらしいけれど、炉内温度は相変わらず推定2800度のまま。
下手をしたら本当にチェルノブイリ、と思い、米と水とガムテープとマスクを買い込んだ。水・電気が使えなくなる可能性も考え、乾物も買った。 そして、放射線で電子系がイカれ、ATMが使えなくなるということも考え、千円札を山ほど下ろした(いざとなったら、一万円札よりは千円札であろう)。
 知人はヨウ素を買った。
 別の知人は京都に行った。


 結局、杞憂で終わり、バカみたいに物が残るという茶番になれば良いのだが。。
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付記
 帰宅している間ニュースは見られず、現在、何時間かぶりに情報を手に入れると共に、官房長官の記者会見を見た。3時半くらいに起こった爆発は格納箱ではなく、単に建物の外壁というだけらしいが、それならば、炉内の圧力の逃げ場は相変わらずということであり、再臨界の危険はまだ残る。
 この記者会見、要するに、まだまだ予断が措けないということを示したに過ぎない。

「そして誰も知らなくなった」

2010-08-20 11:34:22 | 社会一般
不明100歳以上、二百数十人 警察届け、わずか49人(産経新聞) - goo ニュース
リュックに母の骨?男性が保管 大田区の104歳女性か(朝日新聞) - goo ニュース


最初に「都内最高齢の男性が白骨で見つかる」「孫には“即身成仏”と説明」というニュースを見たとき、その猟奇性から、巣鴨事件を連想した。
そして、「誰も知らない」のように映画化されるのだろうな、くらいにしか思っていなかった。

しかし、調査・報道が進むに連れ、それは巣鴨事件のように一件のみの特異な出来事ではなく、かなり多く起こっている事態だということが分かって来た。

よくよく考えてみれば、死亡届を出さずに遺体を保管しているというのは、まだマシな方である。家の中で生者が死体と同居しているというのは凄まじい状況で、古来タブーとされている。また、それで年金をせしめていたというのも、せこくはある。しかし、少なくとも死ぬまでは家族と一緒に生活していたということだし、年金詐取だって必要にかられて行ったことかもしれない。
むしろ、一人で暮らしている家の中で孤独死したという方が少し悲惨だが、それも家族に居場所は知れていたのだし、まがりなりにも文明的な生活ではあっただろう。

今回の行方不明者の中で最も数が多く、そして最も悲惨なのが、恐らくホームレスとなって死んでいった人達なのではないだろうか。渋谷にも新宿にも、そして八王子にだって、老人のホームレスはいる。
家族が「○○年前から弟の所で暮らしているものだと思っていた」「住所登録が姉のところだからずっとそこに住んでいると思っていた」と思っていたり、あるいはホームレスになっていたことは薄々感づいていても引き取る気はないからそのままにされていたり、そもそも身寄りが一人もいなかったり。
ホームレスとして生きていけるのは80歳が限界で、それを越えると体力がついていかないという。今回の行方不明者は、恐らくほとんど生き延びていないだろう。


この一連の事態で、最も猟奇的なのは、これほどの人間が文字通り「野垂れ死に」したであろうことを、これだけ放送される前まで、我々が普段全く実感していなかったことではないだろうか。
定職についていない自分にその資格があるかは分からないが、せめて『ビッグイシュー』を買うくらいはしようかと思う。

デブゼロの一族

2010-08-18 22:23:14 | 社会一般
悠仁さま、博物館に 東京・上野(産経新聞) - goo ニュース

皇族には全く詳しくないが、
ニュースなどで映像を見る限り、
肥満の人がいない。

多額の予算を持っている宮内庁のことだから、
万全の栄養管理・健康管理を行っているのだろうし、
皇族達自身の自己管理能力が優れているとも言える。

しかし、ひねくれた言い方をすれば、要するに、
彼らに太る権利は認められていないのである。
皇室典範には書いていないが、暗黙の人権侵害か。

もっとも、一生涯アイドル業を仕事にしているようなものだから、
ファッションモデルが太ってはいけないのと同じで、
当然といえば当然である。