道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

卒業

2007-03-25 00:49:26 | その他雑記
早いもので、入学してから、もう4年が過ぎてしまった。
長いようで短かった学生生活、どれだけのものを得たのか、
非常に多かったような気もするし、思ったより少なかったような気もする。
そんな思いが駆け巡る。
卒業式というのは、「光陰如矢」を実感するための行事なのかもしれない。

友人たちとの久しぶりの再会を楽しみ、
それぞれの近況や進路を話しながら、儀式はそれを遮るように始まる。

壇上に立つアカデミックガウン姿の人々は、大学を代表するそうそうたる面々だが、
理事や法学部の先生方が、帽子が気になって、お辞儀がお粗末であるのが滑稽であり、
そんな面倒な帽子を被りながら、財界人や教育学部の先生方がスマートに礼をしていたのが興味深かった。
普段、頭を下げ慣れているかどうかが露顕したということであろうか。

開会の演奏、学事報告の後は、恒例の総長告辞
内容はさておき、長い。
演説2,3個分のテーマを一回で言おうとしている上に、重複も多い。
講堂の収容人数の都合上、式の間中立ちっ放しの学生も多いのだが、
告辞が長すぎて、中には途中で後ろから抜け出してしまう者もいた。

講堂での堅苦しい式典が終われば、学科の部屋で学位授与式。
アットホームな研究室なので、ぱぱっと済ませて、午後一時には宴会開始。
寿司を取ってもらって、先生の差し入れでワインも美味い。


その後、私は宴会を途中で抜けて、
教養学部の学位授与式に参加するために、駒場へ行った。
私は教養学部の人間として卒業するのではないが、
式の途中にオルガンを弾く役として呼ばれたのである。

アカデミックガウンもなく、式辞も短く、ユーモアはふんだんに、
なかなか気楽で、かつ雰囲気の良い学位授与式であった。
そして、それが終わると私の出番。
たかだか5分間の演奏であり、しかも言ってみれば、
学位授与式から一高賞授賞式への場面転換のための時間稼ぎ、
或いは、式が中断されれば当然始まる学生の雑談のBGM、
あまり大した役目ではない。
しかし、大学の始めの2年間を過ごし、
後半の2年間も何かと通い続けた、駒場の教養学部、
その卒業式に参加し、何かの役割を果たせるのはとても嬉しいことである。
そして、それが、3年間触れ続けたオルガンを弾くということなのであるから、
自分にとって、これほど卒業の記念に相応しいことはない。

「他所の学部の学位授与式でオルガンを弾いたこと」
なんだか少し変わった体験であるが、
自分にとって、卒業式の一番の思い出としていつまでも記憶に残るであろう。

バスⅢ

2007-03-22 11:04:54 | 旅中
中国で乗ってはいけないバスPart.Ⅲは、長距離バスである。

邯鄲で、大同往きの列車の切符を買おうとして駅に行くと、
もの凄い人だかり。
行列が駅の建物から溢れ出ている。
中国の所謂"春運"というもので、要するに休み明けラッシュである。
大分並んで、ようやく切符売り場にたどり着いて「明日か明後日、大同まで」と言うと、
「ないよ。三日後まで、どこ往きの切符も全部売り切れ」
と言われ、切符争奪戦争、あえなく敗退。

仕方がないので列車は諦めて、長距離バス乗り場に行くと、
大同往きはなかったが、幸い翌日発の北京往きがあったので、それを購入。
北京にいる友人にそのことを電話したら、

「あー、バスか~。まぁ、しょうがないね」

「しょうがない」というのはどういうことであろうか。
そういえば、列車があれだけ混乱を極めているのに、
バスのチケットがあっさり買えたのも気になる。
何かまずいことでもあるのであろうか。
しかし、公営のバスだし、犯罪の危険があるとも思えない。

次の日の夜、長距離バスに乗り込んだ。
席は一番前、脚も伸ばせて快適である。
やがて、席もいっぱいになって、バスは発車した。
街を出て、山を越え荒野を越え、一路北京へと向かう。

乗っているうちに、「しょうがない」の意味が分かってきた。
バスが、速い。速すぎる。
カーブでも、躊躇なく対向車線に入って、前の車を追い抜いていく。
深夜とはいえ、車通りは決して少なくない。
もし向かいから車が来たら、もちろん危険である。
一番前の席に座ると、それがよく分かる。
しかし、分かってもどうしようもないし、深夜ということもあり、
ここは居座って、眠ることにした。

結局、無事北京に到着した。
夜10時半に出て朝5時に着いたのだから、列車とほぼ同じ所要時間。
一直線の線路を障害物なく走る列車と、道沿いに車や人を抜いたりすれ違ったりするバス、
列車の速度は決して遅くはない。
ほぼ同じ所要時間というのは、バスがいかに高速であるかを表している。


中国に長く暮らしている人に訊くと、
やっぱり長距離バスの事故は、かなり頻繁に起きているらしい。
そのため、みんな極力バスに乗るのは避け、
それこそ、列車の切符が買えない時、やむをえず利用する程度のものとか。

……なるほど。無事北京について良かった。。



ところで、今回でバス3連続であったのだが、
このネタ、いつか中国語のスピーチをする機会があった時にしてみようかなと思う。
題して、「三巴(中国語で"バス"を"巴士"という)」。
これは、「三八(国際婦人デー、転じてフェミニスト、もしくは「おっかない女性」の意)」と発音が同じだから、
タイトルだけで中国人の受けが狙え……ないか。

バスⅡ

2007-03-21 12:28:43 | 旅中
バスといえば、私営バスも乗るのは避けた方が良い。

今回、洛陽から日帰りで三門峡に行って来た。
行きは公営のバスで約2時間。
朝早かったのもあり、バスは乗客も少なく快適であった。

三門峡で遺跡や博物館、黄河などに行って一日楽しみ、
さあ帰ろうというところで、洛陽行きのバス乗り場に向かったのだが、
その時、
「洛陽~、洛陽~!」
という声が聞こえ、私営バスの客引きが目に入った。
そこで、試しに乗ってみようか、と思ったのが間違いであった。

料金は同じ、バスのつくりもほぼ同じ、
一見すると公営のバスとほとんど変わらない。
しかし、運営の仕方が全く違う。

まず、道端で客を拾う。
車道の脇で荷物を持って立っている人を見ると、
バスを止めて「どこ行くんだ?」と訊き、バスが通る場所だったら乗せる。
なるほど、こうやって客を乗せれば経済的に効率よく運営できるし、
バス停まで遠いところに住んでいる人にも便利である。

感心しているのもつかの間、道も半ばで突然バスが止まって、30分くらい動かなくなる。
何だろうか? ガス欠か? 故障か?
……それとも余分な金を要求されるのだろうか?
他の乗客が乗務員の指示に従ってバスを降りていくので、
私もそれについて行こうとしたら、
「お前は洛陽だろ? 座って待ってろよ」
と言われ、私と後ろの親子1組の4人でじっと待つこと数十分、
ようやく、「降りてあのバスに乗り換えな」と言われ、バスを降りる。
余分なお金を取られることはなかったが、
要するに、乗客のうち、終点の洛陽まで行く人が少なかったために、
面倒くさがって自分では最後まで行かず、
途中から他のバスに依頼したということなのだ。
確かに、客が4人だけでは、バスを走らせる燃料ももったいない。
効率が良いといえば効率が良いのだが、接続に結局1時間近くかかってしまった。

バスも乗り換えたし、これで真っ直ぐ洛陽に帰れる、と思いきや、
途中で通過する街で、バスがうろうろと客引きを始める。
座席が5,6人分余っているので、その空席も無駄にしないよう、
一人でも多くの客を乗せるために、
乗務員が窓から顔を出して、あるいはバスを降りて歩き回り、
「洛陽~、洛陽~!」と言いながら客引きをする。
街に立ち寄る度にそれをやるから、辺りはとっくに真っ暗になっているのだが、
それでもひたすら、「洛陽~、洛陽~!」
いい加減、うんざりである。

公営のバスなら2時間で着くところだったのに、
結局、4,5時間かかってしまった。



もう私営バスには乗るまい、と思ったのであるが、
その2日後、また乗ってしまった。

ある農村から邯鄲へ行こうとしていた時、
まずその農村から一番近い市街地まで路線バスに乗ったのだが、
路線バスの乗務員が、「お前、この後どうするの?」と訊くので、
「乗り換えて邯鄲まで行く」と答えた。
すると、途中でバスを止めて、
近くのバスを指差して、「あれに乗ればいい」と言う。
そうか、あれに乗れば邯鄲に行くのか、と思ってそれに乗ったのだが、
そのバス、発車後ずっと、ぐるぐるぐるぐると同じところを走って、
「邯鄲~、邯鄲~!!」
……油断して、また私営バスに乗ってしまったのである。
やはり、時間は、公営の倍近くかかったのであった。

金曜夕方・北京・バス

2007-03-18 21:53:28 | 旅中
金曜日の夕方に北京でバスに乗ってはいけない。
なぜなら、渋滞するからである。

北京では近年、市街地が急速に拡大し、
多くの者が郊外に暮らすようになった。
そこから中心部の職場まで自転車で出勤するには距離があり、
かといって日本のように鉄道は発達していない。
その結果、バスやタクシー・マイカーによる通勤が一般化し、
朝夕の渋滞が慢性化した。
そして、特にそれがひどいのが、金曜の夕方なのである。

知っていたはずである。
知っていたはずなのであるが、私はうっかりバスに乗ってしまった。
北京大で友人と別れ、洛陽行きの列車に乗るために北京西駅に向かう時、
時間に大分余裕があったので、地下鉄ではなくバスで行くことにした。
――これが油断であった。
その日、見事に渋滞に引っかかり、列車には間に合わなかった。

せっかく奮発して寝台の切符を買ったのに、
結局、何本か後の列車に乗り、
12時間立ちっ放しで洛陽に向かうことになったのである。

金曜の夕方、北京でバスに乗ってはいけない。

帰国

2007-03-17 21:08:38 | 旅中
2週間の中国旅行から帰ってきた。

成田に降り立つと、空港に書いてある"Narita"という字が目に入り、
「ん?! 何だこれは……あ、日本語か」
と、戸惑いと共に帰国を実感した。

初めての中国旅行から帰って来た時も、
駅に貼ってあるビラや看板の類を見て、
「あっ! 日本語で書かれているのに、間違いがない!!
 ……って、当たり前か。ここは中国じゃなくて日本だ」
という具合であった。

旅も面白いが、帰国というのもまた面白いものである。