道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

山手らーめん公式ホームページ開設

2011-01-15 22:59:35 | その他雑記
 山手のホームページを公開した(山手らーめんホームページ)。実は一週間前から公開していたのだが、どこからもリンクを貼っていなかった。広報担当に依頼してツイートしてもらったのが、つい昨日。
 なお、「山手らーめんドッと混む」はコワイので「山手らーめんチョッと混む」にしたいという社長の要望はあったが、結局アドレスはhttp://www.yamate-ramen.com/にした。


 サーバー立ち上げとHTML構築は一人アンサンブル氏、画像処理は河津商店社長、文章作成と監修は私、というのが基本的な役割分担だったのだが、アンサンブル氏が画像処理をした件数も多いし、私が絵を描いた場合もある。以下はそれらの例。


・次のアニメは、作画が私の手に成るもので(手描き→スキャン→paintで編集)、それをアンサンブル氏に頼んでgifアニメ化してもらったものである(原画は100枚超。描いた私も大変だったが、アニメ化するのもかなりの手間だったはずである)。私はもっとゆっくりしたアニメにしてもらうつもりだったのだが、アンサンブル氏の信条により高速化された


・これも私が作画し、河津社長が色付け、アンサンブル氏がアニメ化処理したもの。他の二人はモデルとなった人物を知らず、私も曖昧な記憶だけで描いた、てきとーなキャラクターだが、不思議とウケは良い。実物を見たい方は、是非とも山手らーめん本郷店へ。
 クリックすると全体を表示

・これは河津社長が補正して整えてくれた写真を、私が配列、アンサンブル氏が編集・アニメ化。ラーメンがネオンサインの如く動くというのは私の考えであったが、それを素早く逆走させるというアンサンブル氏の創意が炸裂した作品
 

・作画は私、アニメ化はアンサンブル氏。例によって、動きが早い
 

ツイッター上で早速話題になっていたこのキャラクターは、私の作画ではなく、アンサンブル氏が彼の友人に発注したもの。画面一杯にこれがうごめき出した瞬間は、思わず噴き出してしまった。アンサンブル氏の創意には感心させられる。
 

データ倉庫作成

2011-01-06 23:51:09 | その他雑記

「知識庫」


図書館で一日にいったいどのくらいのコピーがなされ、どのくらいの資料を撮影しているのかは分からないが、その中には重複もかなり有ると思う。
各利用者がコピーを取る度にそれをストックし、それらを元に副本やデータベースを作って公開すれば、資源・労力の節約になるのではないだろうか。それに、閲覧・複写の度に原本を傷める、という問題も解消される。


そこで、まずは自分がデータ化した資料を公開してみる。

公開基準は以下の三点。
・著作権が切れていて、かつ戦後に商業出版されていないこと。
・何か研究の役に立つ文献であること。
・一部の研究機関にのみ所蔵されていてweb公開されていないなど、アクセスが悪いこと。

第一点目は、権利関係で面倒な事態にならないように。
第二点目・第三点目は、見やすい形に整えてアップするのにも手間がかかるので、アップするだけの価値があるものにしたいため。

今のところ、自分の手持ちの資料のみだが、人からデータの提供があれば、それをアップするのも考えている。

とにかく、文献資料というのは人類の共有財産であり、共有財産は万人に開放されるべきである。
そのためにも、インターネットというツールは、有効に活用しなければならない。


正月

2011-01-03 11:50:31 | 旬事
 中国・韓国・ヴェトナムといった、他の漢字圏(&旧漢字圏)の国では旧暦で正月を祝うのだが、日本だけがグレゴリオ暦である。旧暦では「孟春之月」を「正月」とするので、まさしく「迎春」であり、春の到来を祝う行事なのだが、グレゴリオ暦の「1月1日」には全くその意味が無い。尤も、旧暦の「1月1日」も、月の運行に基づいて設けられる日に過ぎず、太陽の運行に基づいて設けられる二十四節気の「立春」とは若干ずれているのだから、一概に旧暦正月のみを正しいとするわけにもいかない。

 五経の一つ『春秋』は紀元前8世紀から紀元前5世紀のことを記した歴史書であるが、その最初の記事は「元年春王正月」という、時間を指定する六文字のみで、その時に起こった事件は何も書かれていない。これについて『春秋公羊伝』では、以下のように注釈する。

 元年者何,君之始年也。春者何,歳之始也。王者孰謂,謂文王也。曷爲先言王而後言正月,王正月也。何言乎王正月,大一統也。 (「元年」とは何のことか、それは君主の最初の年のことである。「春」とは何のことか、一年の始まりである。「王」とは誰のことか、(周王朝の開祖)文王のことである。何故(経文では)先に「王」と言ってその後に「正月」と言っているのか、それは王の(設定する)正月だからである。何故「王の正月」と言うのか、それは一統を尊ぶからである。)

 ここで謂う「一統」とは、王者が人間のみならず鳥獣草木に至る全てのものを統べるという意味で解釈される。ここで「正月」を「“王の”正月」と言うのが「一統を大(たふと)ぶ」ことであると云うのは、つまり、一年の始まりである正月を正しく設定することにより、あらゆる生命サイクルの端緒を正すという発想が示されているのだ。そして、ここには、天地人を統べる王の正当性・正統性という思想が込められている。
 このために、中国の歴代帝王は暦に非常にこだわった。正しい暦を頒布することが、自らの王者としての任務であると同時に、王者たる証明であった。そして、王朝が変わる度に、甚だしい時は同一王朝内でも皇帝が代わる度に、改暦がなされた。改暦によって、自らが新しい帝王であることを天地人に知らしめようとしたのである。
 改暦のことを、「改正朔(正朔を改む)」と謂う。「正朔」とは、「正月朔日」即ち一月一日のことである。一月一日を正しく設定することこそ、一年という生命活動の一サイクルを正しく始めさせることであり、王者の証だったのだ。そして、「正朔」の二字は、「正統」(中華を支配する王朝の正統性)の同義語ともされた。
 「1月1日」には、このように壮大な意味があったのである。

 では、古代中国の暦法は、何を以って正確としたのか。
 まず、年単位で誤差を出さないこと。これはグレゴリオ暦と同じ発想である。それから、毎月の第一日(「朔日」)は必ず新月であること。これはイスラム暦と同じ発想、と言えるだろうか。この2つを両立させるように一年・一ヶ月の日数を決め、閏を設定した。これが大前提であり、太陽太陰暦と呼ばれる所以である。
 時代が下れば観測・計算は精密となり、他にも、閏月と二十四節気との関係、大の月が三連続しないこと、木星を始めとする諸惑星の周期、更には歳差、等々、様々な要素を組み込んで複雑に発展して行った。こうした試行錯誤・改良、時に政治的意図に基づく改変を経て、完成されて行ったのが、現在我々の謂う所の「旧暦」である。太陽周期のみを問題にしたグレゴリオ暦のように簡明ではなく、実用の点では劣るかもしれないが、精確さでは決して劣るものではない。

 とはいえ、冒頭で述べたように、旧暦の「1月1日」も、太陽の位置から考えれば必ずしも「春の始まり(=一年の始まり)」とは言えず、毎年の「1月1日」に太陽が必ず同じ位置となる新暦との優劣は決められない。結局は考え方の相違であり、伝統文化が違うということに過ぎない。故に、正月を新暦で祝うのは間違っている、と主張する意図は無い。古代中華の聖人・帝王の意図にはそぐわないが、「“2011年1月1日”を喜ぶ」というのは分かり易く、これは大変良いことだろう。
 ただ、私が見ていて「これは違う」と思うのは、単純に新暦で一ヶ月ずらした日に旧暦の行事を行うこと。所謂「月遅れ」。例えば、七夕は、日本では一般的には新暦7月7日、中国では旧暦7月7日に行われるが、仙台の七夕祭りは新暦8月7日。旧暦で計算し直して申請・宣伝・施設予約その他をするのが面倒な気持ちは分かるが、このようなことをされると、「旧暦は新暦の一ヶ月遅れ」という誤った安易な考え方が普及しかねない。
 上述の通り、旧暦の発想は新暦とは全く異なるものであり、新暦をちょうど一ヶ月ずらせば旧暦になる、というようなものではない。伝統行事だから伝統に従って旧暦7月7日に行うか、雨が降ろうが槍が降ろうが潔く新暦7月7日にセッティングするかして欲しいものだ。