道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

第74回日本ダービー

2007-05-29 00:51:17 | 旬事
今年も去年と同じく、学園祭の翌日に日本ダービーを見に行った。

今回は、フジビュースタンドがオープンしたのが何よりの目玉。
ここ1年以上ずっと工事をしていて、去年はその工事をしている土方の人たちとも知り合ったりしたが、
今年の4月21日、ついにグランドオープンしたのである。
すでに一ヶ月前のことではあるが、これは府中市民として見ておかなければなるまい。
そう思って、何個か別の誘いを断って、競馬場へ向かった。

府中本町側から競馬場に接近すると、見える見える、
巨大なスタンドが、ぬっ、と姿を現した。
大きいと聞いてはいたが、かなりの迫力である。
そして、入場料を払って中に入ると、ファンファーレの音と、人々の熱気。
これぞ、まさに競馬場に来た、という感覚である。

ダービーの発走まで2時間ほど余裕があったので、競馬場の中を探検。
とにかくフジビュースタンドが高い。
6階まで登ってみたが、府中の街並みが遠くまで見渡せる。
そして、飲食施設も拡充して、ろんたんなど、様々な店が出ている。
http://www.jra.go.jp/facilities/race/tokyo/foods.html
色々あって迷ったが、ハロンボウで激辛カレーを食す。
まぁ、可もなく不可もなく、という味であったが、
皿は底が深い構造で、持ち運びやすく、早く食べやすくなっている点に、
なんとなく競馬場らしさを感じた。


さて、今年はレースもしっかり見ようと思い、まずはパドックから。
かなり上からちらっと見ただけだが、3番の馬が何となく興奮しているのが分かった。
掲示板を見ると、馬名は「ウォッカ」、なかなか魅力的な名前である。

そして、発走時間近くになったので、スタンドへ。
さすが大きくしただけあって、去年より格段に見やすくなっている。
スクリーンに皇太子殿下やら安部首相夫妻やらが映し出されたが、
それは正直、馬を見たい身としては、どうでも良い。
オペラ歌手の中鉢氏が君が代を歌い、馬たちもゲート・イン。
そして、発走。

速い速い。テレビやスクリーンで見てもそれほど速いは感じられないが、
直に見ると、やはり速い。
馬たちが一体となって、目の前を通り過ぎ、あっという間に点のようになってしまう。
私は最近の競馬事情をチェックしているわけではないので、
レース展開自体はあまり分からない。
しかし、この、馬の走る速さは、面白い。

そうこうしているうちに、馬群が一周して戻って来た。
先頭に逃げる馬が2頭。その後ろから1頭、ぐんぐん伸びて来る。
伸びて伸びて、ついに抜き去り、
3馬身差でゴール。
――強い。
私の目の前にいたおじさんは、興奮して、叫びながら隣の人に話していた。
「強い! ありゃつえーわ!
 いやー、えーもん見せてもろーたわ!
 このために夜行で名古屋から来た甲斐があったっちゅーもんや!!」

レース結果が発表された。
約60年ぶりに牝馬がダービーを制した。
その名も「ウォッカ」!
……あれれ。あの馬ではないか。。
牝馬だったのか。そして、こんなに強い馬だったのか。

聞くところによると、父タニノギムレットもダービー馬。
親子2代でのダービー制覇。
目の前にいるおじさんは、
「いやー、ええ娘やわー!
 ほんま、ええ娘を持ったわー!!」


直線での逆転劇、牝馬のダービー制覇、
そしてダービーのために名古屋から来たおじさん。
いろいろと面白いものを見た一日であった。

麻疹と学園祭

2007-05-28 23:59:26 | 旬事
土曜日、尺八を吹くことになったので、学園祭へ行った。
午前中は利き酒へ行き、午後は演奏会。
何ともない、普段通りの学園祭であった。

普段通りでなかったとすれば、最近大流行の麻疹。
先週本郷キャンパスでも10名ほどの発症者を出したということで、
委員会により、企画参加者が抗体を持つことの証明が義務付けられた。
そして、早稲田生は企画から締め出し。
入口にも、麻疹感染の恐れがある方は来場をご遠慮下さい、との看板。

しかし、企画参加者に証明を義務付けるとは言っても、
母子手帳が見つからない者は、予防接種を打ったことがあるという旨の誓約書で済み、
面倒だと思えば偽造も出来る代物。
まして、麻疹感染の恐れがある方は来場をご遠慮下さい、と言われても、
それでおとなしく帰る者はいないであろう。

――要するに、「対策をしてます」というアピールに過ぎないのである。
果たして、何事もなく終わるのか、あるいは。。。

深窓の令嬢

2007-05-12 17:55:14 | 言葉
友人が、「深窓の令嬢」という言葉を知らなかったので、
広辞苑を引かせてみると、「深窓の佳人」という言葉で載っていた。
「佳人」とはまた古雅な表現である。
googleで検索してみると、「深窓の令嬢」のヒット数がやはり最も多く、
「深窓の麗人」、「深窓の佳人」がそれに次ぐという感じであり、
「佳人」という言い方は、今はあまり多用されないようである。

「佳人」と言えば、「佳人薄命」、
これも現在では「美人薄命」と言う方がポピュラーである。

「佳人薄命」については出典がはっきりしていて、
蘇軾の詩に「自古佳人多命薄(古くから美人には薄命の者が多い)」
とあるものである。
この詩で詠まれている人物は、早逝したわけではなく、
尼僧として生きている女性なので、
ここでいう「薄命」というのは「短命」というよりは、
「薄倖」の意で解するべきであろうか。
ともあれ、元々は「佳人薄命」という言葉であったものが、
人口に膾炙するうちに「美人薄命」に変化し、
現在では元々の言い方の方がマイナーになっているのであろう。
なお、現代中国語では「紅顔薄命」という。

「深窓の令嬢」は不明である。
現在の中国には「深窓佳人」「深窓令嬢」といった言葉はないが、
それに当たる言葉として「深閨」というものがある。
これは、長恨歌の一節、
「養在深閨人未識(寝室の奥で育てられ、人々に知られていない)」
が由来である。
もしかすると、「深閨」が日本では「深窓」になり、
「深窓の~」といった表現になっていったのかもしれない。

ともあれ、言葉というのは、次第に変化していくものである。


ところで、ある友人が、小学校時代、周りの人間とソリが合わず、
登校拒否で引きこもっていたというので、
私が「深窓の令嬢だったのね」と言うと、
それに対して即座に返した一言;
「ううん。『死にそうの令嬢』だったのよ」
――うまい。

このようにして、日々新たな言葉が生まれていくのである。

「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」

2007-05-10 14:06:11 | 社会一般
4月の契約実績で、ソフトバンクが初めて純増加を達成し、
番号ポータビリティー制導入以来、顧客数が減り続けているのは、
ドコモだけとなった。
http://www.asahi.com/business/update/0509/TKY200705090262.html

そんな中で、ドコモが新たに打ち出したのが、「ドコモ2.0
――「ウェブ2.0」のパクリ、と言ってしまえば身もフタもないが、
要するに、ドコモが進化して、今までの携帯とは根本的に異なる、
ということを強調したいのであろう。

今までのドコモのイメージとは異なるデザインの広告を作り、
特別のホームページを立ち上げて、
TVのCMや、駅にポスターを貼るなど、かなり力が入っているが、
「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」
「絶対にマネできないケータイ、遂に完成。(いまのところ)」
といったキャッチコピーは、力が入りすぎて、暴投の感が否めない。

「絶対にマネできない」「(いまのところ)」というのは、
いわゆる「若者っぽさ」を追求したものであろうが、
何となく幼稚な響きがある。
若者言葉の軽い雰囲気を取り入れようとして、
やや軽薄になりすぎてしまったような気もする。

そして、何よりまずいのが、
「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」
――負け惜しみというレベルを超えて、何かを見下しているような響きである。
もちろん、負け続けとはいえシェアNo.1であるし、
最も実力がある者が不利に陥りながら、それを後から挽回する、
というのは、古今人気のある筋書きである。
しかし、「さて」「してもいいですか?」という、余裕のある口調、
丁寧な言葉を使うことで、却って謙虚さが感じられなくなり、
どことなく傲慢で、俗悪な後味が残る。
少なくとも、人をして応援する気にはさせられないのではなかろうか。

私は以前からNTTドコモの宣伝力には疑問を持っていたが、
今回、更にまた、その思いを強くした。

どの携帯会社も、契約内容・電波状況・基本的サービスとしては一長一短であるし、
ドコモが特別不利だとは思わない。
しかし、いまいちイメージがよろしくない。
「高い」「電波が悪い」「サービスが微妙」
こういった悪いイメージを払拭すべきであるのに、
効果的な広告を打たないばかりか、
どことなくお高くとまった、逆効果のキャッチフレーズを使ってしまう。

さて、そろそろちゃんと反撃して下さい!

護憲・改憲を越えて

2007-05-07 21:11:11 | 政事
NHKの特集で、憲法改正についての何人かの意見が紹介されていた。
中立的な立場を取らなければならないNHKらしく、
全体的に護憲的雰囲気を思わせる構成ではあったが、
番組としてどちらかを支持するようなことは言わず、
最後に憲法学者小林節氏の話を持って来て、
「護憲・改憲の立場を越え、互いに議論を交え、考えを深めるべき」
という趣旨のまとめ方をしていた。
――全くもって同感である。

小林氏は、自己の経験から、
護憲派・改憲派が互いに自分たちのシンパ同士で群れるだけで、
異なる主張と正面から議論していない現状を指摘していた。
すなわち、自分の言いたいことを言うだけであり、
相手の意見を受け止め、議論を戦わせ、
互いによりよい結論へ昇華するというプロセスが欠如しているということである。
自分が自分なりの意見を持つように、相手にも相応の根拠があって異論を唱えるのであり、
互いの根拠・考えを交換しあい、反論に耐えうる論を組み立てることで、
独りよがりでない、多くの人の賛同を得られる主張に成長するのではないか。
こういったプロセスが欠如した中で、改憲案が提出され、
国民それぞれが議論を踏まず、それぞれの思いだけで投票を行ったのでは、
結果がどちらになろうとも、危険である。

小林氏は改憲派であるため、番組の中では、
自分が以前参加していた改憲派の集会について言及するのみであったが、
護憲派も同様である。
私は、以前、とある経緯から、左翼団体の中にいたことがあったが、
3ヶ月でやめた。
主張が合わなかったからではない。
彼らが、自分の言いたいことを声高に主張するのみで、
異なる意見を聞こうとしなかったからである。
何かの案件に対して異論が出た時に、十分な反論もせずに、
多数決で結論を下してしまう。
その手法に疑問を覚えたからである。

また、憲法論議のみならず、
議論が国民的に熱っぽく盛り上がるということが、
最近はほとんどないように思われる。
あるいは、日常でも、
他者と意見をぶつけあうということが避けられ、
互いと衝突しないようにする曖昧な話術ばかりが向上している。

これは、危険な現状であると思う。

近代的思考というのは、
様々な異論や反証可能性を受け付け、それを考慮し、組み入れ、
より高い次元の、多角的かつ正確な判断へ至るあり方であり、
批判精神を自らにまで向けることによって、
迷信や権威への盲信を超越して来たのである。
こういったプロセス、思考がなされなくなってきているとすれば、
前近代に逆戻りである。

近代を非とし、前近代を是とするのであれば、これで良いのかもしれないが、
少なくとも、近代社会の一市民を自負するのであれば、
他者の異論には目を通し、機会があれば果敢に論争を挑みたいものである。