道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

人間万事塞翁が馬馬虎虎式漢作文

2010-06-30 00:38:31 | 趣味愛好
友人が異動先で突きつけられた課題:
先輩の女性五人を、それぞれ結婚したい順位ランキングして下さい。またその理由についてもしっかり述べて下さい。
期限は7月9日。形式は書面。

友人が採った回答方針:
「夜静還未眠,虫吟遂難歇。無那一片心,説向雲間月。」という詩を入れて、その後に文章を続ける。そして、それを毛筆で清書、装丁して提出。

友人からpingへの依頼:
漢作文。


ping案:

夜静獨思服,蟲吟難止歇。
心無彼一片,但愛雲間月。
(詩は平仄を正す必要あり。よって多少改めた。)

古今人同,思服淑女輾轉反側,未見君子憂心忡忡。而亦有異,古人嘆于漢之廣,今人苦於海之狹。兩岸不遠,京邊愈近,驅車登古原,即日到沙丘。我無一片冰心,猶有五指。月有陰晴圓缺,而総相宜。願結情游,相期雲漢。
(女性五人の名前「海野・岸本・京子・上原・理沙」から一文字ずつ取って文中に使用。)



夜は静かで独り思う、虫は鳴き続けて止みそうもない(「静か」と相矛盾?)。
心中には例の一片は無く、ただ雲間の月を愛するのみ。

古今の人間は相も変わらず、彼女を求めてはごろごろと思い悩むし、彼氏がいなければ鬱々と憂う。しかし、また、差異もある。古人は漢水の広くて渡れないこと(恋人に逢えないこと)を嘆いたが、今人は大海が狭くて渡り易すぎること(恋人に恵まれること)に苦しむ。両岸はもはや遠からず、都会と辺境はますます近い。車を駆けて草原に向かえば、その勢いで沙丘にも着いてしまう。私には一片の氷心のような純粋さは無いが、五本の指(五人の女性)という不実さなら有る。月には晴れ・曇り・満ち欠けがあるが、いずれも美しい(どれかを選ぶことなどできない)。願わくば末永くお付き合いして、遥か雲間の彼方でもお会いしましょう。

典故
「思服淑女輾轉反側」――『詩経』国風周南関雎
「未見君子憂心忡忡」――『詩経』国風召南草虫
「漢之廣」――『詩経』国風周南漢広
「驅車登古原」――李商隠「登楽遊原」
「一片冰心」――王昌齢「芙蓉楼送辛漸」
「月有陰晴圓缺」――蘇軾「水調歌頭」
「結情游相期雲漢」――李白「月下独酌」


詩の平仄(○:平声、●:仄声、◎:韻字)。
●●●○●
○○○●◎
○○●●○
●●○○◎



語彙の時代感覚はバラバラだが、しかし、この際、それには目をつぶろう。
人間万事塞翁が馬馬虎虎式漢作文。

それよりも問題なのは、
そもそも、書の作品にしてしまうことで、順位をつけるという問題をうやむやにしてしまおうという魂胆であろうが、果たして、彼女たちに漢作文という冗談が通じるのであろうか。

まぁ、モテる男はつらいねぇ。

公レット

2010-06-27 23:11:10 | その他雑記
先日のビラ撒きの謝礼なのか、早稲田の演劇博物館の人から、北京人民芸術劇院の来日公演「ハムレット」のチケットをもらった。――ただし、社長と二人で一枚。

とりあえず、社長が前半を観て、途中の休憩時間に忍法替わり身の術を使い、後半を私が観ることにした。
まぁ、二人とも筋書きは知っているから、ちょうど良かったかもしれない。全部観るとかなり長いし。


社長から券を受け取ってロビーに入ると、折悪しく、劇が始まってしまい、そこで少し待つ。そして、再開音楽が終わった後、係員の案内に従って客席に入ったのだが、係員、暗い中でしゃがみながら足元を懐中電灯で照らし座席まで誘導してくれた。さすがは天下の劇団四季! 人件費をふんだんに使っていますなぁ。

座ったところは、左右2つずつ空席。我々同様、演博の招待券の分であろう。招待券を受け取っておいて来ないというのは、ちょっとけしからんなぁ。

劇自体は大変良かった。遠近法効果のある線が引かれた舞台の上で、いろんな人や道具がバタバタと行き交い、とてもパワフル。
そして、中国語というのは、もともとイントネーションが激しい言語のためか、演劇口調にしても全く違和感が無い。

ただ、残念だったのは、すその方にあった、電光字幕板。セリフに合わせて日本語訳が表示されるはずなのだが、明らかに内容が省略されている。タイミングが遅れたり、言葉の順番が違う場面も有った。何より、軽妙な掛け合いをしている最中に、全然その掛け合いが反映されず、ずっと前のセリフを表示したままになっているのが、いとすさまじ。
英語から日本語に訳したものを使っているからだったとしたら、お粗末。中国語の台本をもらって、自前で翻訳するくらいして欲しかった。

ともあれ、そんなこんなで劇は終わり(終幕後の挨拶で、おじぎがてんでんばらばらで全然揃っていなかったのはご愛嬌)、外に出ると、備え付けの喫茶店で社長はディアボロ・ミントなるアメリカのガムのような青色をした飲み物を飲んでいた。
社長は、どうやら、「ミント星人」らしい。そういえば、こないだもミント味のチョコを食べていた。

その後、喫茶店でいろいろ話したような気がするが、
最後に社長が「うちのいとこが、チェロリストでさぁ」と言ったセリフが強烈過ぎて、後は全部忘れた。
そうか、チェロリスト、というのか。


そして、浜松町まで歩いて、電車に乗って、帰宅。

ふと、ポケットに入った半券を見ると、
「北京人芸ハム」
と書かれている。

ハムかぁ。

共通の話題

2010-06-25 01:52:20 | 社会一般
イギリスでは放送法で、「国家の団結を図るため」に、地上波でスポーツのメジャーな大会を全て放送しているらしい。当然、サッカーのワールドカップは全て放送される。

スポーツの国際大会というのが「国家の団結」につながるというのは、まぁ、その通りで、日本でも「日本は決勝トーナメントに進めるか」というような話題を新聞・雑誌でよく見かけ、ネット上でも様々なコメントがなされていて、大半は日本代表を応援している。
私のような非国民は例外として、多くの国民が「日本人として」ワールドカップを話題にするのであるから、なるほど「国家の団結」を促進する行事と謂えよう。


「民族自決」(こう書くと集団自殺みたい)だとか「ネーションステート」というのは近代西洋の生み出したフィクションで、現在も有効かというと少し怪しい。
小規模な団体であれば、利害の共有・目的達成のための協力によって結びつきが強まるが、国家規模で全ての構成員が帰属意識を強めるような利益配分というのは難しい。それこそ、「仮想敵国」でも設定して「危機」を喧伝しない限り、不可能であろう。

こういう状況下で機能するのが、「共通の話題」なのである。
共通の言語で、共通の話題を話すというのは、親近感が湧く。謂わば「内輪ネタ」を共有する「仲間」のような感覚となれ、そのような共感意識があれば、見知らぬ人同士でも飲み屋で仲良くなれる。

ワールドカップやオリンピックで盛り上がるというのは、こういう効果があるのだろう。
「日本人として」「日本代表を応援する」という視点を共有すれば、話も弾む。
Jリーグではこうはいかないのだろう。


同じような効用を持つものとして、「天皇家」というものがあるように思う。
その存続・廃止について様々な考え方はあるが、ともあれほとんどの日本人が知っている共通の話題と謂えよう。

彼らの存在意義というのは、伝統の継承者というよりも、むしろ話題の提供者という点にあるような気がする。生まれた時からアイドルで、幼稚園に行っても小学校に行っても新聞・週刊誌で報道される。プライバシーも職業選択の自由も何のその。かつて天皇は人の形をした神であったが、今は人の形をしたパンダ、ひたすら衆目を引くことに価値を見出されている存在である。
ネタにされている皇族は気の毒であるが、そういう家系に生まれてしまった以上、諦めてもらうしかない。おそらく、彼らのあの人格の良さは、諦念から来ているのであろう。

ともあれ、「象徴天皇制」とはよく言ったもので、彼らの存在は、我々が「日本人として」語る内輪ネタを用意し、それによって「国家の団結」を図っているものと謂える。
東京オリンピック開会式に由来する体育の日は第二月曜日に改めても、
昭和の日・文化の日・建国記念日・勤労感謝の日といった天皇絡みの祝日を旧来のままに留めたのも、そういう配慮であろうか(例外は海の日のみ)。



そういえば、私は、天皇と皇太子の名前を憶えていない。
つくづく非国民に育ったものである。

「そうだ、彼岸、行こう」

2010-06-24 23:35:47 | 言葉
電通に言われるまでもなく、キャッチフレーズは重要なものである。(そういえば、電通自体の広告はあまり見かけない。)
毛沢東が数億もの人間を十数年に渡って煽動し続けるという空前絶後の偉業をなしたのも、彼の天才的なまでのフレーズ力に拠るところが大きい。
「你死我活」「造反有理」「人多力量大」「不爬長城非常漢」等々。簡潔でリズムも良く、しかも意味は極めて明瞭で憶えやすい。
かつて白話運動の提唱者胡適は、毛沢東の文章について、「白話を完成させるのは彼である」と述べたが、その評は実に正しかった。胡適自身の白話文学は見るに耐えないお粗末なものであるが、毛沢東の文章は芸術的なまでに完成された白話である。



ところで、日本で最も有名な仏教経典といえば般若心経で、真宗・日蓮宗を除けば、ほとんどの宗派で用いられている。
この経典は大般若経(オソロシク長い)のエッセンスを取り出して短くまとめたもので、非常に短いのにも関わらず効果抜群であるというのが最大のセールスポイントである。中でもその末尾にある呪文は、それを唱えるだけでもご利益があるというのだから、エッセンス中のエッセンスと謂えよう。
しかし、この呪文、漢訳では音写するのみで訳出されていない。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
というのも、原文がサンスクリット文法の規則から外れているため、玄奘も確信を持てる翻訳を行えなかったからであろう。
「gate gate paragate parasamgate bodhi svaha」
(中村元は試みに「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」と訳している。)
文法的に正確でなかったために訳出されず、東アジアの一般人には意味を理解できない音写であったために、むしろ「よく分からないけれどありがたい言葉」として歓迎されて広まったという側面もあるだろう。

この呪文について、サンスクリット及びパーリ語に詳しい先生に意味を訊いてみた。
「般若心経の"ぎゃーてー"って、サンスクリットでは、どんな意味なんですか?」
「"ガテー"というのは、恐らく命令形で、"行こう"という意味でしょう。」
「じゃあ、"はら"は?」
「"パーラー"は"彼岸"。」
「ということは、"羯諦 羯諦 波羅羯諦"というのは、"行こう、行こう、彼岸へ行こう"という感じですか? 何だかすごく簡単で、軽快ですねぇ。」
「そうそう、"ゴーゴー、彼岸へゴー"って感じ。」
「軽っ!!」

(以下、脳内BGM

「"はらそうぎゃーてー"の"そう"は?」
「"みんなで"という意味だよ。」
「じゃあ、"波羅僧羯諦"は"みんなでGO、彼岸へゴー"みたいな感じですか?」
「そうだねぇ、"Let's go to the HIGAN"みたいな?」
「うわ、さいてー。じゃあ、最後の"ぼーじーそわかー"は?」
「"ボーディ"は"悟り"、"スヴァーハー"は"幸あれ"だよ。」
「ってことは、"Have a Happy SATORI"?」
「You're Right!」
「さいてー」


○訳出
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
⇒「ゴーゴー、彼岸へゴー! みんなでゴー! ハッピー悟り!!」

○結論
般若心経の末尾にある陀羅尼は、思想的な内容は全く無く、経典全体のエッセンスというよりは、宣伝用キャッチフレーズ。語呂よく軽快な言葉で、多くの一般的インド人を大乗仏教へ勧誘したものと想像される。

続き

2010-06-22 12:22:39 | 言葉
親鸞が阿弥陀を信じる理由として、「賜はりたる信心」、即ち「我々は、阿弥陀によって、阿弥陀を信じる力を与えられているが故に、阿弥陀を信じること」を述べたというお話は、論理が非常にすっきり通っており、大変感心致しました。

ところで、「信じること」が本質的に「信じさせられること」であるということについて、英語の語法を用いて説明なさろうとして失敗していましたが、
今少し考えたのですが、英語ではなく「信じる」という我々の言葉自体が、原義からすれば受身から成り立ったものではないでしょうか。

「シンじる」というのは「カンサツする」と同様、「漢語+す」で作られた言葉で、謂わば漢語です。
では、「信」の原義が何かというと、「マコト」という和訓があるように、「言った言葉が真実であること」という形容詞です。
「その壁は青い」と同じような文法構造で「その話は信である」と言うわけです。

つまり、「信じる」というのは、「その話が信である」と思うことであり、謂わば「その話」によって「信じさせられる」ということです。(ただ、漢語の特質として、能動・受動の別は語法でははっきりしませんが)
喩えてみれば、その成り立ちは、「壁が青い」ということについて、「私はその壁を青ずる」というような感じでしょうか。対象自体が青いために「それが青だ」と認識させられることを「青ずる」と表現する。「信じる」というのは、このように、客観的事実によってそのような認識をさせられる、という形で生まれた言葉と謂えます。


ただ、蛇足ながら、認識について少し踏み込んで考えれば、「その話が信(まこと)である」という「客観的事実」も、結局は私がそう認識するということをしか表していないわけではあります。しかし、それはまた別の話でしょう。「その壁は青い」というのも、究極的には「私にはその壁が青く見える」ということを述べているに過ぎません(そして、光学的には、その壁自体は青以外の全ての色を吸収するが故に青く見えるのであり、謂ってみればその壁の色自体は本質的には「青以外の全て」になるわけです)。
しかし、それを言い出すと、全ての言葉が、「我思うと我思う、故に我在りと我思う」状態になるわけで、これは語意の話とはまた別個に論ずべき、存在と認識に関する問題でしょう。


もう一度整理しますと、
「信」の原義は「それが真実であること」で、
それを元にして「それが真実であることによって、それを真実と思わされること」という「信じる」が派生したわけです。

使えそうでしょうか?

草々

前略、

2010-06-21 23:21:16 | 形而上
「哲学と宗教はどう違うのか」ということを訊ねられた方への回答方法について、
自ら疑問を発して前提を掘り下げ続けるのが哲学で、
与えられた前提を信じてそこから思考するのが宗教、
という考えを先ほど申しましたが、補足があります。

それは、「哲学」も「宗教」も、そして「科学」も含め、かつては一つであり、いずれも一体の「真理を求める(/求めた結果得た知識を説く)知的営為」であったことです。
そして、後世の人間が自分たちの真理探究についての価値観・方法論によって後から三者を分類したこと、です。(現代の語彙・言語によって古人の考え方を知ろうとする際の落とし穴というのは、まさにここにあると言えましょう。)


「哲学」と「宗教」とを分けるのは、近代西洋の学問体系から強くなる傾向で、
それ以前の人々にとっては、「宗教」「哲学」「科学」は分けて考えるものではなかったのではないでしょうか。
西洋に於いて大地が世界の中心であるという認識は神学に裏付けられた「真実」であり、中国に於いて「天円地方」は経書に裏付けられた「真実」であったはずです。
「神」がいる、死後に人の魂は天国か地獄に行く、といった事柄は、それとは次元の違う話ではありますが、「大地が世界の中心である」のと同じくらい実感を伴った「真実」であったはずです。

それが、後から「科学」の発展によって、世界認識の部分が切り離され、
その「科学」の世界認識と衝突しない分野での形而上の思考が「哲学」として独立し、
それ以降は「科学」「哲学」「宗教」は別個のものとして分類されて今に至ります。
そして、これは主に近代西洋人が、自ら「科学」と認めるものと矛盾する自然科学的知識を「迷信」と分類し、「科学」と抵触しない形而上的思考を「哲学」とした上で、「迷信」を含んだ自然科学的知識・形而上的思考を総合したシステムを「宗教」と呼んだのではないでしょうか。
キリスト教も仏教も日本のアニミズムも、それぞれ全く異なるものであるのに同じ「宗教」にカテゴライズされるというのは、謂わば消去法であったためではないでしょうか。

しかし、元来、「科学」「哲学」「宗教」は、当事者の認識としては「真実とされる知識の上で思考する」という点で同じものだったのではないでしょうか(「科学」については「反証可能性」によって他と区別しようとしますが、他に無い特徴とは謂えないでしょう)。少なくとも「哲学」「宗教」両者に限って言えば、ある種形而上の真理・究極・結末を求める営みであることは、古今東西共通のもののような気がします。
ですから、現在、「宗教と哲学」を説明することは可能ですが、そこから「宗教」「哲学」を分けて別々に定義する原則というのは無いと思います。上記のように、ある一つの「真理を求める知的営為」からそれぞれが分裂し、「科学」と「(科学に抵触しない)哲学」と「宗教」とに分かれたという歴史的経緯から考察するのが分かりやすいのではないか、というのが私の考えです。

思い起こせば現在では「哲学」を意味する「Philosophy(愛知)」というのは、古代ギリシアでは今で謂う「自然科学」のような意味を含んでいましたね。そして、プラトンやアリストテレスの「Philosophy」が中世の神学に流れこむのはご存知の通りです。
また、あと500年、1000年もしたら(その頃に人類が続いていれば、ですが)、今の我々の「科学」が、「”電子”とか”原子”なんていう架空の概念を発展させて、宇宙の始まりだとか脳の仕組みだとかについて色々説いていた宗教」と言われている可能性もあるでしょう。
そのくらい、「科学」「哲学」「宗教」の境目というのは曖昧で、原理原則を定めてしっかり分離させているのではなく、自らを「科学」「哲学」と認識した近代学術の立場からイメージを抱いているに過ぎないのです。


その上で、「宗教」と「哲学」とを分けるとすれば、それは区分する原則ではなく、既に分けられてしまった後を眺めてみた場合に見出せる特徴の差異ですが、授業中に申し上げた通り「前提を信じるか、疑うか」ということになるのです。
「哲学」が前提を持たず、常識を掘り下げ続けるというのは、この世で見出しえる前提的知識を論じる知的営為は「科学」に持っていかれており、その後に残っていて、かつ「科学」と抵触しない知的営為が「哲学」になっているからではないでしょうか。
それに対し、「宗教」というのは、元々が自然科学的なものも含めて発展した体系であり、また「結論」を説くことによって人々の「救い」を求める需要に適って布教を進めたものが生き残ってきたという経緯もあり、「前提」を説きます。こうした自然科学的知識(現在の「科学」では「迷信」と見なされるもの)・「前提」をも含めて整合する知的体系として発展して来たが故に、「宗教」はそれらを切り離すことはできないのです。



では、「哲学と宗教はどう違うのですか?」と訊ねられた方に、どのように説明すべきか。
私であれば、「「哲学」も「宗教」も同じく「真理を求める」知的営為であり、本来は一体のものであった。西洋近代に於いて「科学」が分かれ、「科学」と抵触しない形而上学的分野が「哲学」となり、彼らの自意識がその他を「宗教」と呼んだ。しかし、それは「科学」「哲学」サイドから見た見方であり、絶対的な基準に基づいた区分ではない。その分別にとらわれすぎて「あれは宗教だから」「これは哲学っぽい」といった考え方をせず、自らの目でそれぞれの思考の本質を見極めることが重要」とでも説明すると思います。

いかがでしょうか?

民主主義非万能論

2010-06-19 03:46:14 | 政事
前回の日記で、「高度に政治的な案件」であろうと司法はつっこむべきだ(そして、実際に司法的チェックは入っていた!)、ということを書いた。思うに、立法府は民主的であって勿論構わないが、法体系は民主主義によって破壊されるべきではない。たとえ、国民の99%の意見が一致していても、適正な手続きを踏んでいなかったり、体系的一貫性が担保されていなかったりすれば、司法は「ノー」を表明すべきである。


ところで、別の話であるが、時折目にするのが、「日本銀行は非民主的だ」という論。人事システムには民意が関与する余地が無く、政府からも独立しているのに、巨大な権力を持っている、ということだろう。
しかし、民主的なら良いのだろうか。私はそうは思わない。
確かに民意を踏まえるのは必要なことだし、外部からの抑制力も一定程度あった方が組織を健全に保てる。しかし、最終的な決断は民意に流されずに自分で行うというのが、プロというものだろう。我々パンピーとは較べものにならないくらい経済について知識もあり、長い時間をかけて思考・討論し、良質な情報へアクセスする能力を持っているのだから。


信頼できる職人というのも似ている。
バイト先の上司は、顧客の意見を聞いてから作業を行うのだが、取り組む案件の優先順位は自分で判断する。その結果、顧客が指摘した問題は保留しておいて、彼らが気付いてもすらいない問題の解決に取り組むことはよくある。顧客はそんな問題があったことも知らないまま、問題が解決する。
また、一定の期間ごとに、総合的なメンテナンスを提案する。目に見える大きな問題が起こっていないのに、巨額の費用がかかることを言い出すのだから、なかなか顧客には受け入れてもらえないが、必要だと思うから連絡するのである。
こういう仕事をする人は信頼できると思う。
それに対して、客の言う通りのことばかりして、客の受け入れやすいことばかり提案する人というのは、信用できない。恐らく、こちらの方が営業としては短期で成功するだろうし、利益も評判も上がるのだが、長期的には大きな問題が生じてくる危険がある。


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かつて、小学生の時だったか、「直接みんなで決めるのは無理だから、間接民主制なんだよ」と教わった記憶があるが、あれはウソであろう。
今なら直接民主制だって、技術的には十分可能だが、むしろ恐ろしくてできない。

それは、プラトンの云うように、パンピーは生まれつき出来が悪いからエリートに政治を託すべきだ、という意味ではない。
出来が良かろうと悪かろうと、別の仕事をして生計を立てながら的確な政治判断を行うのは難しい。溢れかえる情報の中で、その真偽を見分けるのすら、ままならない。

新聞など既存メディアの報道を鵜呑みにすることが危険であるのは周知の通りである。発言は切り取って文脈を変えるし、報道する/しないの選択によって情報を操作している可能性も考えられる。そもそも、マスコミが注目を集めたいこと(及び我々がマスコミに報道を期待すること)と、我々が知らなければならないことが一致するとは限らない。
ネット上の情報は更にあてにならない。ゴミのようなガセネタが山ほどある。その上、「自民党がネット書き込み要員を雇って、民主党の悪い話を(捏造して)流している」という噂も聞く(この噂の出処自体が非常に怪しいが、あり得ないことではない。かつ、民主党も同様のことをしているだろうし、公明党や共産党に至っては雇用の必要すらなく、無償でそれをする支持者たちがいるのではなかろうか)。お隣の中国では、中国共産党から出来高払いで雇われているネット書き込み隊の存在は、もはや公然の秘密である。「騙されてはいけない!」という字を見る度に、「こいつに騙されないようにしなければ」と私は思う。
ともあれ、自分で調査するだけの情報網を持たず、深い専門的知識を持たない我々にとって、ある情報が真実か捏造かは判別し難く、その事柄があり得るか否かすらも判断し難い。

結局、こうした状況下で多くの人に自分の意見や伝えたい情報を伝え、支持させたい者を支持させることができるのは、言っていることが明快で分かりやすく、かつ「声が大きい」ものである。
明快で分かりやすいというのは、代表例はヒトラーと毛沢東である。彼らの発言はシンプルで、論理の構造がすっきりしていて、極めて分かりやすい。
「声が大きい」というのは例を出すまでもなく、要するに発信力である。古代ギリシャのアゴラなら文字通り大きな声、現代なら巨大メディアを抑えること、もう少し後になれば「ネット書き込み部隊」をどれだけ雇用できるかになるかもしれない。


故に、職業的政治家と、専門的官僚が必要なのである。

私から言わせれば、「政治と金」なんて大した問題ではない。利益誘導は多少問題となるであろう。しかし、最も問題なのは、政治家が気概を持たず、大衆に媚びる衆愚政治の様相を呈することである。
手間隙をかけて、情報を収集・選別し、高度な専門的知識を持って、じっくり問題の把握と対策の作成を練られること。かつ、問題の適切な解決のためには、ある程度は民意を無視し得るだけの度胸を有していること。
それだけの条件を満たしていれば、金銭面で多少悪人でも構わないと思う。

理想は上で述べたような職人気質であるが、そういう人間は政治畑では出世できないだろうから、その出現は期待しない。

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民主主義は、政治権力を抑制する能力に於いて、非常に優れている。いかに政治家が巨大な権力を持っていても、その権力の根源が「有権者」にあるということを片時も忘れることはできない。その抑制力が、権力の恣意の暴走を防いでくれる。
しかし、個々の事案の解決能力については、「非民主的」な方が優れている場合が多い。間違っても、「民意だから」という大義名分で枠を踏み外してはならない。

新聞もネットも、そういうことはあまり論ぜず、「民意」を煽るばかりのような気がする。

高度に政治的な案件

2010-06-18 23:30:17 | 政事
以前の日記で書いたように、入力が多くなればなるほど出力は遅くなり、再び高速度で出力できるようになるには、更に高い境地に達しなければならない、と私は考えている。

つまり、私が日記で専門のことについて書かないのは、自分の専門についての知識・見識が、高速出力できる段階は越えたが、高速出力できる段階には至っていない、ということである。

というわけで、本日も専門外の話。

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中学生の頃、私は謂わば原理主義者であった。
自衛隊の存在は明らかに違憲だと思っていたし、解決策は自衛隊をなくすか憲法を改めるかの二択だと思っていた。
しかし、大学に入ってからは、やはり九条と自衛隊とは相互に矛盾すると考えているのだが、解釈改憲というのは案外うまい手段なのではないかと思うようになってきた。

現行憲法を「占領軍による押し付け憲法」と単純に表現することについては是非の分かれるところだが、ここでは深入りしない。ともあれ、この九条というものが、理念上意図していたものというのは、自衛権についての認識の変更であったように思う。
喩えてみれば、日本の一般家庭のようなものを目指したのではあるまいか。玄関や窓に鍵はかかるが、アメリカのように銃器を常備しているわけではない。各家庭はこのように極めて不十分な防衛力しか持たないが、警察力に依存して治安の向上を図る。
では、この一家庭が一国家になった場合、警察とは何なのか。それは、国連軍を想定したのであろう。憲法九条というのは、恐らく、国連軍の発足を前提として作られた構想だったように思われる。

近代的戦争に於いて、防衛力とは即ち攻撃力であり、自国を守るに十分な戦力を有するというのは他国を攻めるにも十分な戦力となり得る。隣国が自衛のために戦力を増強すれば、それに合わせて自国も軍備を拡張する必要がある。その結果、全ての国が十分な防衛力を持つということはあり得ず、軍拡競争による国家予算膨張を招く。
それを考えれば、国家間の治安維持を担う軍事力を国家以外のものに委ねるという構想は、魅力的である(魅力的に感じない人もいるだろう。しかし、少なくとも私は、家の中に拳銃と弾薬を備えて管理する手間を煩わしく感じるタイプである)。

しかし、周知の通り、現在に至るまで、様々な政治的理由によって、常駐の国連軍は組織されていない。九条の前提となるものが欠けているわけである。
既に前提が失われた以上、自衛権は持たなければならない。そこで警察予備隊(→自衛隊)を創設したのであり、独立後に安保条約を締結したのである。

それでありながら九条を破棄しないのは、憲法改正の条件があまりに厳しいのがまず第一である。そして、同時に、憲法九条の持つ抑止力や外交的効果も失いたくなかったからであろう。
日本の防衛費が現在でも年間約5兆円で済んでいるのは、九条の効果が大きい。そして、国際社会復帰初期に於いて、九条というのはかなり役に立ったらしい。
建前のもたらす利益と現実に必要とされること、この二兎をうまくごまかしながら両方得ようとする試みが解釈改憲であったように思う。


外殻のままに中身を維持しようとするのは、いかにも頭が硬い。
中身がなくなったからといって外殻を捨てるのは、馬鹿正直が過ぎる。
殻には殻の使途がある。殻と身をうまく現実に合わせて運用することにこそ、政治に必要なしたたかさなのである。


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ところで、前々から不思議だったのは、
「高度に政治的な案件については司法判断はなじまない」
という最高裁判決。

「三権分立」というのは政治的な話ではなかったっけ?
司法は政治権力ではないのでしょうか?
他の二権の暴走を抑制するのが司法のシステムでは?
と私は思う。

そもそも、法律畑の話を聴くと、しばしば、民主主義に対する警戒心が感じられる(私自身も、民主主義が他の政体より優れていることは証明されていない、と考えている)。
そんな人たちが、上のような、立法・行政の判断を信頼するような態度を取るのは大変不思議である。国会を「国権の最高機関」であるという条文について「単なる美称」と言い放ったことすらあるし、そもそも、法学部出身であろうと、たとえ弁護士出身であろうと、政治家というのは彼らにとっては法学の何たるかをわかっていないピヨピヨなのである。

しかし、最近、気が付いた。
法律立案の際に、内閣法制局のチェックが入っているのだ。内閣法制局といえば、裁判所にとっては同業者も同然。 つまり、司法による抑制力がある程度働いていると見なしてよかろう。
政治家が単に民意を反映して(「人気取りで」とも謂う)作った法律だったら厳しい審査が必要だが、法律のプロである内閣法制局を通過したものであれば、その法体系への整合性は一定程度信用できる。かつ、法制局が事前に綿密な法解釈を準備していることも予想できる。故に、「高度に政治的な案件については司法判断はなじまない」なんてことも言えたのであろう。

これで納得。

田中角栄

2010-06-13 01:31:08 | 政事
「タナカカクエイ」というとすぐにラーメンズのコントが思い浮かんでしまう。 自分の冗談のネタのうちに、彼らの占める割合というのは、案外大きい。


ラーメンズのことはさておき、現在では、金権政治の象徴にして、国家財政の借金体質の原因として批判されることが多い。しかし、少なくとも新潟人の間では、未だに人気が高い。例えば、両親(ともに新潟の農村出身)は、「田中角栄は当時すべきことをしただけで、悪くない。今の赤字財政は、角栄の後の人が、時代的状況が変化したのにも関わらず、政策を改めなかったことが原因」と言う。
新潟人以外による評価はあまり聞いたことがないが、ともあれ、良きにせよ悪しきにせよ、戦後の歴史に於いて巨大な足跡を残した政治家であったことは間違いない。


ところで、そんな田中角栄の業績の一つに、日中国交回復がある。訪中前は「生きて帰れるのか」という不安も抱いていたようだが、無事に友好を結んで来たのは周知の通りである。
しかし、彼の地では、いろいろやってくれた。まず、周恩来と白酒を酌み交わし、乾杯合戦の末に、ベロンベロンに潰されたというのは有名な話であろう。
それから、彼が詠んだ漢詩というのが、またひどい。私がこれを知ったのは高校生の頃、とにかく「国の恥」と思ったのはよく憶えている。

國交途絶幾星霜,修好再開秋將到。
鄰人眼温吾人迎,北京空晴秋氣深。
(國交途絶して幾星霜、修好再開して秋將に到らんとす。
 鄰人眼温くして吾人迎ふ、北京空晴れて秋氣深し。)

まず、文法的な誤りとしては、「吾人迎」。隣人が温かい眼差しで自分を迎えてくれるのであれば、「迎吾人」である。また、語彙の問題だが、空が快晴であることを言いたいのであれば、「空晴」ではなくて「天晴」としなければならない(そもそも、「天晴」でも詩歌としてはひどい表現ではある)。そして、「秋」の字を二度も使っているが、これは詩としてはあまりよろしくないし、重複を避ける手段はいくらでもあったはずだ。
更に重大な点に、音韻の問題がある。形を整えた詩としては、「平仄」なるものを気にしなければならない。詳しいことは省略するが、要するに句の音調に適切な抑揚・リズムをつけるための規則である。これを守らない詩も多いが、それは内容に見るべき点があるから許されるのであって、未熟な詩であれば、せめてこの規則だけでもがっちり守らなければみっともない。角栄の詩は、このルールを全く踏まえていない。
そして、何より、この詩は押韻していない。韻が通じる気配すら感じられない。詩として成立するための最低限の美学が欠如しているのであり、従ってこれは漢詩と呼べるシロモノではなく、要するに漢字を二十八個並べただけの文字列に過ぎない。


このような思いを10年程抱いて来たのであるが、しかし、最近、ふと気が付いた。実はこれは「国の恥」ではないのではあるまいか。少なくとも、彼から詩を受け取った毛沢東・周恩来は、これによって逆に日本への評価を高め、田中角栄に畏敬・羨望の念を抱いたのではないか、と思うようになったのである。

社会主義革命を成し遂げた中国共産党の建前というのは、農村に入って活動し、農民側に立って戦い、謂わば「農民の味方」というものであった。特に1970年代というのは文化大革命の動乱が吹き荒れた時代であるが、当時問題とされたのは「出身階級」であり、祖先が地主階級――「農民の敵」――であった者はひどく叩かれた。
しかし、そもそも、このような理念を喧伝した毛沢東・周恩来達自身が、彼らの父は地主であり、謂わばブルジョワ層・エリート層の出身なのである。それについて、何か後ろめたい思いがあったとしても仕方がない。
後ろめたい思いはあっても、しかし、政治的スタンスを常に農民側に置くことによってそれをごまかし、あたかも自分が小作農出身かのように振る舞わなければ、彼らの政治的地位は維持できなかったのであろう。

そんな中で日本からやってきた田中角栄というのは、とにかく貧しい農家の出身で、高校すら出ていない。文句無しで「農民階級出身」である。そんな人物が首相になった日本というのは、共産革命を成し遂げたはずの中国よりも進んでいる。
もちろん、その程度のことは、角栄の訪中前から、毛沢東達は調査済みだったはずだ。しかし、実際に会ったら、無茶苦茶な詩を披露されて、かつそんな詩を詠みながら「ドウダ七言絶句トヤラヲ詠ンデミタゾ」と得意満面の角栄を見て、彼らはまさに「絶句」したことであろう。
「まさかこんな文化性の低い水準の人間とは!! 間違いなく、こいつは貧農出身で、ろくに教育は受けてはいまい。」
彼らは、角栄の庶民性に対し、軽蔑という度合いを超えて、むしろ感動を覚えたのではあるまいか。もしかすると、「田んぼの中」という農民臭い姓に羨望の念すら抱いたかもしれない。


――カクエイ、おそるべし。

美田を買わず

2010-06-07 03:12:57 | 精神文化
「○○人って××」という、一国家を丸ごとひとくくりにする言い方というのは乱暴が過ぎるが、しかし、文化・習慣・価値観といったもので、確かに「お国柄」と謂うような傾向がある程度存在するような気がする。

よく言われるものの一つに、「イタリア人はいい加減」という言説がある。
実際に彼の地を旅行した社長に訊いてみると、「もう、本当にいい加減。日本にいる時に“イタリア製”というと良さそうな感じがしていたけれど、イタリアで“イタリア製”というのを見ると却って安っぽく感じる」との評。
私が密かに「文羽様」と呼ぶ女性(自称「文化的バカ愛好家」)に至っては、「ドイツが二回の大戦で敗れたのは、イタリアなんかをアテにしたからだ。根性ナシのあいつらと組むとろくなことがない」とコテンパン。確かに、一次大戦では同盟国を裏切って英仏側に着いたし、二次大戦ではアフリカ戦線でドイツの足を引っ張りまくったという。
私の知り合いのイタリア人は非常によく勉強するから一概には言い切れないのだが、しかし、火のないところに煙は立つまい。

ところが、歴史を遡って古代ローマ人についての本を読むと、「勤勉」「地道」「継続性がある」「結束力が強い」等々の評がなされている。こうした美徳によって、都市国家ローマはエトルリア・カルタゴ・ギリシア・ガリアを征服して巨大な版図を有するに至った、という。

同じイタリア人なのに、えらく違う。二千年の間に、いったい何があったのであろうか。


何の実証的根拠も無く、勝手に想像してみるに、ローマ帝国の遺産が大きすぎたのではあるまいか。
例えば、きっちり舗装され、数百年以上そのままの形で使い続けることのできる街道が網の目のように張り巡らされており、石畳が消耗してガタガタになっても、それを整備さえすれば再び利用することができた。アッピア街道などは、18世紀の修復を経て、現在でも使われているとか。
また、帝国時代の巨大建造物があったため、中世に教会等を建てようとした際は、山から石を切り出して来なくても、遺跡からネコババすれば用は足りる。
そして、言語面でも、自分たちの口語に比較的近い古典ラテン語が長らくヨーロッパ共通の書面語だった。かつてローマ時代には、ローマ市民はラテン語の他にギリシア語も学習したらしいが、中世に至るとそういう外国語を学習する勤勉さは失われたのではないだろうか。
あまり頑張らなくても、先人の遺産を最大限に利用すれば何とかなる。あるいは、逆に、頑張ってもどうしようもない政治的状況というのもあったのだろう。

そう考えると、ギリシャも少し似ているかもしれない。古代ギリシアは商業で地中海を席巻し、商人と謂えばギリシア人かユダヤ人と言われていたくらいだが、現在はまるで振るわない。今回の金融危機では怠け者のような謂われよう。


まぁ、上の仮説の当否は分からないが、子孫に莫大な富を残すことの善し悪しというのは難しいだろう。
少し前のニュースで、余彭年という中国の富豪がその財産12億ドル相当を全額慈善事業に寄付した際に、財産を子供に遺さないのは、「彼らに能力があれば自分で稼ぐだろうし、能力がなければ食い潰すだけだ」と説明していた。評価は分かれるところであろうが、理には適っている。

かつて西郷隆盛は、
「不爲兒孫買美田(児孫の為に美田を買はず)」と詠んだ。
詩自体はゴツゴツしていて私の好みではないが(そもそも隆盛のことはそれほど好きではない)、しかし、一本の筋が通っているのは評価できる。
一人一人が公益に力を尽くすべきで、財産ではなく、その生き様こそが子孫へ遺す価値のあるものだ、ということであろう。


ところで、余談だが、古代中国に「子孫に美田を遺さない」という話を求めると、ちょっと違う意味になる。

楚の名宰相孫叔敖が病床に就き、まもなく臨終というところで、その子に言った。「自分の死後、王はお前に土地を与えようとするだろう。しかし、良い土地を受け取ってはならぬ。越との国境沿いに“寝丘”という、質も名も悪い土地があるから、そこを受け取れ。その地のみが長く有することのできるものだろう。」
孫叔敖の死後、楚王はやはりその子に良い土地を与えようとしたので、それを断り、寝丘を希望した。故に、ずっとその地を領有し続けることができた。(『呂氏春秋』孟冬紀異宝篇)

孫叔敖の死後、楚は政争が激化し、内乱が発生し、しまいには隣国呉に大敗して国土を蹂躙されることになった。しかし、寝丘だけは縁起が悪く使い途も無い土地だったために、常に争いごとの蚊帳の外にあり、故に領有し続けることができた、ということなのだろう。

つまり、ここで敢えて良質の財産を遺さないのは、頓智の利いた処世術なのである。西郷の発想とはかけ離れている。
――この違いを「お国柄」と言って良いのやら悪いのやら。