以前、湘南にあるチェンバロ屋へ、電子オルガンを試弾しに行った。
その電子オルガンはなかなかよくできていて、これで98万円なら安い、というものだったが、もちろん学生に手の出せる価格ではない。
ただ、もし将来、多少お金を稼げるようになったら、これを買うのはアリだな、と思った。
チェンバロ屋の社長も、「本物のパイプオルガンに強いこだわりを持つオルガニストは多いですが、教会に置くのでも、もうこれで十分ですよ」と言う。私は、教会に置く場合は、やはり本物のパイプオルガン方が音圧・響き・見た目の点で優れていると思うが、しかし社長の言うことにも頷いてしまうほど、その電子オルガンはよくできている。
ところが、脇に並べてあるチェンバロも弾かせてもらっていると、社長は「綺麗な音でしょう。電子でもチェンバロはありますが、やはり本物の弦が鳴るのが一番ですよ」と言う。
主張に若干整合性が無いような気もする。
しかし、やはり本物のチェンバロが素晴らしい音色ということは、間違いない。
その日は、買い物もしないのに、長居をして、お茶まで出してもらった。チェンバロ屋の社長はさすがに物知りで、ヤマハが楽器を作るようになったエピソード等を聞かせてくれて、大変面白い。
そんな会話の中で、社長は「今までは“一家に一台ピアノ”でしたが、これからは“一家に一台チェンバロ”を目指します」と言っていた。
その野望のために、一台60万円程の普及用チェンバロまで開発したという。
確かに、それもアリだと思う。
まず、『ソナチネ』や「エリーゼ」までだったら、チェンバロでも弾ける。ダンパーペダルを使わなければならない曲を弾くレベルまでピアノのお稽古を続ける人間は、それ程多くないと思う。
また、同じ音量で弾いても、チェンバロの音は壁を隔てればかなり小さくなり、ピアノよりも隣近所への迷惑が少ない。
そして、音色が佳い。これは主観的意見だが、しかし、少なくとも私が弾く限り、ピアノよりはチェンバロの方が綺麗な音が出る。きちんと打鍵しないとなかなか音は出ないが、少し弾けばすぐに慣れるし、下手くそが弾いてもそれなりに味わい深い音が鳴る。
(この話をヤマウチさんにしたら、「そしたらむしろクラヴィコードでしょう」と言っていた。確かにそれはそうだ。一台20数万円で、相当味わい深い音が出る。かつ音量は微弱、隣の部屋に聴こえるかすら微妙)
そもそも、私は、自分が弾くピアノの音は、あまり好きではない。最近はそれでもマシになった方で、まぁ、何とか聴ける音にはなって来ている。以前はひどかった。
ピアノというのは、鍵盤を叩けば音は出るのだが、叩き方を注意しないと音色がガタガタになる。それは楽器としての長所でもあり、様々な音色を打鍵の具合だけで鳴らし分けられるということなのだが、それには大変な神経を使う。とてもではないが、やんちゃ盛りのガキに扱える代物ではない。
私がバッハを好きになった遠因もここにある気がする。バッハの曲というのは、音色がガタガタでもそこそこ聴けるものが多く、かつ、弾いている者にとっては音色や響き以外の面白味がある。つまり、ピアノをうまく鳴らせなかったことも、私がバッハを好んで弾くようになった理由の一つなのではなかろうか。
最近、少しは音色に気を遣えるようになって来て、かつて使っていた楽譜を引っ張り出して弾いてみると、今更ながら「これはいい曲じゃん」と思うことが多い。まさに十数年ぶりの再評価。
昔は『ブルグミュラー』なんて曲が素直すぎて面白くなかったし、『ソナチネ』も指の練習くらいにしか思っていなかった。しかし、今弾いて見ると、『ブルグミュラー』の曲は、構造は単純ながら、多様にして自然な発想の数々が、ピアノの様々な音色を引き出してくれる。また、『ソナチネ』も、ピアノのピアノらしい良さを、存分に発揮させてくれる。
今まで不当に評価していてごめんなさい。
とにかく、ピアノというのは難しい楽器である。
それに比べたら、チェンバロの方が余程入門者向けだと思う。
少なくとも、かつての私のような大雑把なガキ(今も雜だが)には、チェンバロの方が向いている。
故に、「一家に一台チェンバロ」、実に酔い野望だと思う。
ところで、余談であるが、ピアノの分かりやすい魅力というのは、低音の豊かな響きだと思う。太く、重く、腹の中に染み渡る低音は、やはり打楽器ならではのものである。これはチェンバロでは真似できない。
そういえば、小さい頃も、家ではよくオクターブ低くして曲を弾いていた。そして、今でもする。たとえば「エリーゼ」なんぞを低く弾くと、実に渋く、かっこいい。
まだ試したことがなければ、オクターブ下げ弾き、ぜひお薦めしたい。
その電子オルガンはなかなかよくできていて、これで98万円なら安い、というものだったが、もちろん学生に手の出せる価格ではない。
ただ、もし将来、多少お金を稼げるようになったら、これを買うのはアリだな、と思った。
チェンバロ屋の社長も、「本物のパイプオルガンに強いこだわりを持つオルガニストは多いですが、教会に置くのでも、もうこれで十分ですよ」と言う。私は、教会に置く場合は、やはり本物のパイプオルガン方が音圧・響き・見た目の点で優れていると思うが、しかし社長の言うことにも頷いてしまうほど、その電子オルガンはよくできている。
ところが、脇に並べてあるチェンバロも弾かせてもらっていると、社長は「綺麗な音でしょう。電子でもチェンバロはありますが、やはり本物の弦が鳴るのが一番ですよ」と言う。
主張に若干整合性が無いような気もする。
しかし、やはり本物のチェンバロが素晴らしい音色ということは、間違いない。
その日は、買い物もしないのに、長居をして、お茶まで出してもらった。チェンバロ屋の社長はさすがに物知りで、ヤマハが楽器を作るようになったエピソード等を聞かせてくれて、大変面白い。
そんな会話の中で、社長は「今までは“一家に一台ピアノ”でしたが、これからは“一家に一台チェンバロ”を目指します」と言っていた。
その野望のために、一台60万円程の普及用チェンバロまで開発したという。
確かに、それもアリだと思う。
まず、『ソナチネ』や「エリーゼ」までだったら、チェンバロでも弾ける。ダンパーペダルを使わなければならない曲を弾くレベルまでピアノのお稽古を続ける人間は、それ程多くないと思う。
また、同じ音量で弾いても、チェンバロの音は壁を隔てればかなり小さくなり、ピアノよりも隣近所への迷惑が少ない。
そして、音色が佳い。これは主観的意見だが、しかし、少なくとも私が弾く限り、ピアノよりはチェンバロの方が綺麗な音が出る。きちんと打鍵しないとなかなか音は出ないが、少し弾けばすぐに慣れるし、下手くそが弾いてもそれなりに味わい深い音が鳴る。
(この話をヤマウチさんにしたら、「そしたらむしろクラヴィコードでしょう」と言っていた。確かにそれはそうだ。一台20数万円で、相当味わい深い音が出る。かつ音量は微弱、隣の部屋に聴こえるかすら微妙)
そもそも、私は、自分が弾くピアノの音は、あまり好きではない。最近はそれでもマシになった方で、まぁ、何とか聴ける音にはなって来ている。以前はひどかった。
ピアノというのは、鍵盤を叩けば音は出るのだが、叩き方を注意しないと音色がガタガタになる。それは楽器としての長所でもあり、様々な音色を打鍵の具合だけで鳴らし分けられるということなのだが、それには大変な神経を使う。とてもではないが、やんちゃ盛りのガキに扱える代物ではない。
私がバッハを好きになった遠因もここにある気がする。バッハの曲というのは、音色がガタガタでもそこそこ聴けるものが多く、かつ、弾いている者にとっては音色や響き以外の面白味がある。つまり、ピアノをうまく鳴らせなかったことも、私がバッハを好んで弾くようになった理由の一つなのではなかろうか。
最近、少しは音色に気を遣えるようになって来て、かつて使っていた楽譜を引っ張り出して弾いてみると、今更ながら「これはいい曲じゃん」と思うことが多い。まさに十数年ぶりの再評価。
昔は『ブルグミュラー』なんて曲が素直すぎて面白くなかったし、『ソナチネ』も指の練習くらいにしか思っていなかった。しかし、今弾いて見ると、『ブルグミュラー』の曲は、構造は単純ながら、多様にして自然な発想の数々が、ピアノの様々な音色を引き出してくれる。また、『ソナチネ』も、ピアノのピアノらしい良さを、存分に発揮させてくれる。
今まで不当に評価していてごめんなさい。
とにかく、ピアノというのは難しい楽器である。
それに比べたら、チェンバロの方が余程入門者向けだと思う。
少なくとも、かつての私のような大雑把なガキ(今も雜だが)には、チェンバロの方が向いている。
故に、「一家に一台チェンバロ」、実に酔い野望だと思う。
ところで、余談であるが、ピアノの分かりやすい魅力というのは、低音の豊かな響きだと思う。太く、重く、腹の中に染み渡る低音は、やはり打楽器ならではのものである。これはチェンバロでは真似できない。
そういえば、小さい頃も、家ではよくオクターブ低くして曲を弾いていた。そして、今でもする。たとえば「エリーゼ」なんぞを低く弾くと、実に渋く、かっこいい。
まだ試したことがなければ、オクターブ下げ弾き、ぜひお薦めしたい。