道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

「壁を越えられる」

2010-04-29 21:44:11 | 国際関係
昨日、社長(という渾名のバイトの人)がデータベースを更新しようとして、H先生にメールを出した。
「更新するのは、○○文庫、××文庫、△△文庫でよろしいでしょうか?」

返事:「そのへんで」


そこで作業に取り掛かろうとしたら、サーバーにログインできない。「これでは仕事ができない」と言って(※傍目から見る限り、ログインできた時でも、それほど仕事はしていない。故に「社長」)、H先生に再度問い合わせ。
すると、すぐに新規IDとパスワードを設定して送って来た。

これで問題なくなったのだが、社長はついでに問い合わせた。
「東京から台湾のサーバーにアクセスして作業するためのIDの設定を、どうして北京からそんなに早くできるんですか? セキュリティーはどうなっているんですか??」


以下、H先生が返事として送って来た作文:

こちらの理想の「彼女」の条件の一つに、
「壁を越えられる」
というのがある。
これは、ネットで壁を越えることを言う。
北京大を例に言えば、ここは二重の壁に
囲われている。一つは、中国教育ネット
の壁。教育ネットは、中国の全国的ネット
サービスの一つだが、壁があって、外国の
サイトには繋がらない。有料のサービスを
受けるか、無料でも壁を越えられるソフトを
使うことによって、外国サイトに繋がる。
しかし、その外には更にGreat Fire Wall
なる壁が存在している。Great Wallは万里
の長城のことだから、それにかけた安易な
ネーミング。
これは、共産党が様々な理由で中国国内からアクセスさ
せたくないと思うサイトへの接続をブロックする壁で、
かなり厚い。これを超えるソフトが各種あるが、
壁もそれに対応してどんどん高くなるので、
技術競争が続いている。
こうして中国の一般人のネット技術は日進月歩している
のであった。

遅筆

2010-04-27 00:49:06 | 精神文化
大学3年生になって最初のゼミの発表は、A4で20枚以上書いた。
卒業論文は、締切2週間前にようやくテーマが決まって書き出したが、結局10万字書いて提出。

知識・経験が増せば更に早く書けるようになる、と思っていたのだが、大間違い。

その後、修士1年で報告集の原稿を書いた時はなんとなくはかどらず、修士論文は執筆にかなりの時間がかかった。
そして、博士課程進学後は遅筆にどんどん拍車がかかり、現在では1時間かかって1行しか進んでいない、ということすらある。

恐らく、知識が増え、語彙が増え、表現できる事柄と表現する方法が広がったが故に、却ってその選別に時間がかかっているのであろう。
喩えればパソコンのようなものであろうか。保存データ量が増えるほど、出力の速度は遅くなるのである。


それでは、知識・経験が増せば増すほど、どんどん筆が遅くなって行くのであろうか。しかし、そうではないだろう。

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『淮南子』道応訓に次のような話がある。

秦の国に伯楽という、名馬を見抜く天才がいた。
自らの身を「滅するが若(ごと)く、失するが若く、其の一を亡なうが若く」して、馬を見極めたという。

そんな伯楽も老いたので、主君の穆公は後継者について相談した。
すると、伯楽は下働きの九方堙という人物を薦めた。そこで、穆公は九方堙を召し出し、名馬を探し出して来るように命じた。

三ヶ月後、九方堙が帰って来て、沙丘に名馬を見つけたと報告した。
穆公がその状について尋ねると、「牡馬で黄毛です」と答えた。

早速、沙丘に人を遣って馬を捕らえてみたのだが、それは牝馬で驪(黒毛)であった。

穆公は不愉快になり、伯楽を召し出して文句を言った。
「お前の薦めた男は、毛色も牝牡も判断できない輩であったぞ。馬のことなどまるで分かっていないではないか。」

伯楽は言った。
「あいつはついにこの域にまで達しましたか! その精を得てその粗を忘れ、内に在りてその外を忘れ、その見るべきを見てその見るべからざるを見ず、その視えるべきは視えてその視えるべからざるは視えず。彼が見つけて来た馬は、きっと群を抜いているはずです。」

果たして、その馬は、千里を行く名馬であった。


故に老子は言う。
「大直は屈するが若(ごと)く、大巧は拙なるが若し。」

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馬を見る者は、はじめのうちは、馬を知れば知るほど、多くのことが目に入るようになるのだろう。普通の人間が全く注意をしたことがないような細部まで、ありとあらゆることをよく観察し、それで馬の良し悪しを判断する。
しかし、そのうち、見るべきところのみを見るようになり、見る必要のないところは見ないようになる。そして、やがては毛色や牝牡の別すらも目に入らなくなる。この域に達すれば、何を見るかを迷うことはなくなり、一目見た瞬間に、その見るべきところを見て、名馬か否かを見極めることができるのである。
もはや、馬を見る時には、見るべき箇所のみを見ていて、その他の世界中の何もかもを忘れ、我が身の存在すら念頭から消え去る。これを「滅するが若(ごと)く、失するが若く、其の一を亡なうが若く」と謂ったのであろう。

凡そ芸事というのは、こういうものなのではないだろうか。
始めた直後はほとんど何も知らず、一つのことしかできない。
やがて、知識・経験が増えるに連れて、様々な選択肢が生まれ、どのようにすべきか迷いが生じる。
しかし、極めて行くと、どの瞬間に何を考え、何をすべきかがどんどん絞られて行き、しまいには、最善の進路を示す一筋の光明以外のものは全く見えなくなる。
この一筋の光明を、「道」と謂ったのであろう。

今日、指導教官が、悦に入りながらこんな話をしていた。
山は山である。しかし、修行を積むと、山は山でなくなる。
山が山ではないと分かったところで、更に修行を積むと、
山はやはり山であるということが分かる。
これもやはり伯楽の話に似ていると思う。
おそらく、分別知・無分別知、世界・認識の有・無というテーマではあるが、一度広がってから再度狭まり、そこで確固として見えて来るものが以前とは異なる見え方をする、というプロセスは同じである。




要するには、このモデルが正しければ、
拡散しつつある我が文章表現は、いつしか収縮へと向かい、
やがて以前のように素早く、しかし内容はより高度なる著作活動を行えるようになる――ハズなのであるが、見込みは薄い気がするなぁ。。

桜と別れ

2010-04-04 10:47:01 | 精神文化
蘇軾はかつて、「人有悲歡離合,月有陰晴圓缺」と詠った。
人間には出会いもあれば、別れもある。月が満ち欠けをするように。

仏教の八苦(「四苦八苦」の八苦)の一つに、「愛別離苦」というものがある。別れが苦しいのは、人間の本性である。

電話機の普及と電子メールの発明で、別れの酸味は少し薄まった。それでも、やはり本当に別れなければならない時は、依然として存在する。

かのエジソンは、晩年、死を目前にして、霊界との通信機を発明しようとした。その執着には、悲哀を思わずにいられない。

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古代中国の詩歌では、出会いと別れのトポスは月であったが、
思うに、現在の日本に於けるそれは、桜なのではないかと思う。

かつて紀貫之は「散るといふことは 習はざらなむ」と詠んだ。
しかし、散らない桜には、別れがない。それはもはや人生ではない。

春は、出会いと別れの時節である。そしてそれを象徴するのが、桜なのだろう。
日本人はこれを愛し、ソメイヨシノを接ぎ木で増やしまくり、周り中をピンク色に染め上げるという一大ファンタジーを出現させた。そして、それらは同一遺伝子であるために、一斉に咲き、一斉に散る。
この劇的な演出には、人生の別れに対する、凶気にも似た思いを感じざるを得ない。

四月一日雑記

2010-04-02 00:54:52 | 世間話
小学生の頃、この日が来る度に、

「今日はウソをつくぞ」

というウソをついていた。

最近はウソばっかりついているから、もう4月1日くらいは本当のことだけを言うことにしているけれど。

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今日の昼は、ひでみちゃんのお使いで、国会図書館に行ってマイクロの閲覧&複写申込をして来た。

私はマイクロフィルムというのが非常に苦手で、手でくるくる回しているうちに、酔う。幼い頃はバスに乗る度に車酔いをしていて、しまいに「ゲボくん」という渾名までついていたが、最近は5時間10時間バスに乗っても平気。しかし、マイクロだけはいけない。今日もくるくるリールを回しているうちに吐きそうになって来た。
「うううううぅぅぅ」
しまいには、ライトを消してからリールを回し、お目当てのコマの辺りまで行ったところでライトを再点灯、というわけのわからないことをして凌いだ。


そんなこんなで、ひでみちゃんを恨みながらマイクロを回していたのだが、しかし、ひでみちゃんというのは上司として仕えるのには非常に良い人だと思う。彼の指示は非常に詳細で分かりやすい。「あー、○○やっといてよ」「やっといて、って、どうやっとけばいいんですか?」「いいんだよ、てきとーで」という極めて抽象的なメルヘンとは大違い(しかも、メルヘンは、こんないい加減な指示をしておいて、こっちが創意工夫のないいい加減な仕事をすると、「それじゃおもしろくないじゃなーい」とダメ押しをする)。ひでみちゃんの場合は、一挙一動に至るまで肌理細やか。

今回は、まず、「aaaaaaaaaaaaaaaaa」という謎のタイトルのメールが来て、「 『蘇苏文定公文集』(宋)蘇轍撰 存十八卷(存卷四至六,卷十至十五,卷二十,卷二十六,卷二十七,卷三十七,卷三十八,卷四十一至四十四, 後集存卷七至十三,卷十七至二十, 三集存卷六至十, 應詔集十二卷)宋孝宗時眉山刊本,十六冊」という文面。続いて「bbbbbbbbbbbbbb」というタイトルのメールが来て(題名を考えるのが面倒だったのだろうと思うけれど、あるいはウケ狙いかもしれない)、『蘇苏文定公文集』のマイクロフィルムを国会図書館に行って複写してくるように指令が書かれている。

しかし、この指令が非常に細かい。
まず、「マイクロを管理しているのは、図書課第一別室というところ」と言い、「国会の入り口は二階ですが、図書課第一別室は三階」と解説。
その指示の通りに図書課第一別室へ行って、メールを見ると「北平図書館のマイクロが見たいと言えば、冊子になった目録を教えてくれる」と書いてあるからその通りに言う。すると、図書館職員が「まずOPACで調べてみて下さい」と言うから、館内OPACで調べるが、ヒットしない。職員が調べてみても、やはりOPACでは見つからない。さすがひでみちゃん、OPAC未入力だから、冊子になった目録で探すしかないことまで知っているのだ。
資料が出てきたから、マイクロ酔いしながら、そのフィルムが「『蘇苏文定公文集』(宋)蘇轍撰 存十八卷(存卷四至六,卷十至十五,卷二十,卷二十六,卷二十七,卷三十七,卷三十八,卷四十一至四十四, 後集存卷七至十三,卷十七至二十, 三集存卷六至十, 應詔集十二卷)宋孝宗時眉山刊本,十六冊」であることを確認し(ひでみちゃんがこんなにも細かく卷数の詳細を送って来たせいで、マイクロ酔いしながら頑張らなければならなかったのだ)、複写申込をする。すると、職員の人が、「A4にしますか? A3にしますか?」と訊いてくる。うーん、と思いながらメールを見ると、「最も一般的な、A4コピー用紙への紙焼きで結構です。特に字が小さかったり不鮮明であったりという問題が無くて、より安価であるなら、B5でも結構です。(B5は無いかも)」とあるから、A4を選択。
そして、「業者、あるいは国会に代金を支払う場合、領収書の発行を要求して下さい」という指示があるので、領収書くらいくっついて来るだろう、と思いながらも、それを職員に言う。すると、「ああ、はい。代金精算後に領収書を発行するように手配しておきます」との返答。更に、「請求書・納品書に添付して、明細も送られてきます。領収書に、請求書・納品書・明細に共通の番号を記入してもらって、領収代金の内容が特定できるようにしてもらって下さい。(「但し、複写料金(No.××××)として。」といった感じ。)」とあるから、それもそのまま職員に見せると、「番号は書かれるはずだと思いますが、……少々お待ち下さい」と言って業者に電話。そして、電話の後に、「やはり指示しないと番号は書かないようですので、注意書きしておきます」と言う。
すごいすごい、ひでみちゃん。何も言わないと、領収書も来ないし、領収書が来ても複写番号が記されていない場合があることを、職員よりも熟知している。
最後に、複写完成後に受け取りに来るか郵送してもらうかという話になった時に、またメールを見ると、「出来上がったら、郵送をお願いします。業者あるいは国会から、郵送してくるので、書類だけを抜き取って支払い手続きをして頂いて、包装はそのままにしておいてもらえば、その箱をそのまま使って郵便で出して頂けます」という指示。もしや、と思って、職員に「ここで受け取りにした場合、複製はどんな入れ物に入っているのですか?」と訊くと「ビニール袋です」との返答。うむむ、これでは確かにそのまま郵送は不可能だ。ひでみちゃんはここまで知っているから、郵送を指示したのであろう。

とにかく、こんな感じで、私は一切脳味噌を使わずに、来たメールの言う通りにして、お使いが済んだ。全くこちらが迷う余地がない。ひでみちゃんおそるべし。
なんだか、全て彼の手の内で踊らされているような気さえしてくる。

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夜は、友人と、新宿のブックファーストへ、マンガを買いに行く。
残念ながらお目当てのマンガは売り切れていたが、その周辺をぶらぶらしていると、「Boys Loveコーナー」というのが堂々と掲げられている。そこで、その棚に行って、見本の冊子を立ち読み。あり得ないくらい顎の細い男たちが描かれている。むむむ、こういうのがウケるのか。
すると、後ろの方で何やら声がする。
「......so this is "BL", you know. Japanese girls like boys love 云々」

――ぷぷぷぷぷぷっっ

思わず、噴き出してしまった。
すると、流暢な英語で紅毛人たちにジャパニーズ☆カルチャーを解説していた青年が、「すいません! すいません!」と私に本気で謝って来た。

本気で謝られても――ますます笑える。

友人と二人で堪えられずに大笑いしながら、店から走り去った。

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もともと、面白いウソをつくのはそれほど上手ではないのだが、
特に最近は、ホントのことがあまりに面白すぎて、なかなか越えられない。