松涛の爆発事故から10日が過ぎようとしている。
白昼の街中で、突然爆発があったのだから、何とも恐ろしい話である。
あの日、私は駒場にいた。
以前書いたように、駒場は松涛からかなり近い。
私はちょうど電車に乗っていたために爆発の音は聞かなかったが、
2時半過ぎに駒場に着いて友人に会うと、彼が、
「さっき、すごい雷があったね」
と言った。
――今思えば、それはガス爆発の音だったのであろう。
駒場まで、「すごい雷」というレベルで聞こえたということは、
松涛や渋谷では、きっとすさまじい轟音だったのだろう。
そうとも知らず、授業を受けていたのだが、
授業中ずっと、ヘリが上を行き交っていて、うるさい。
一機が去ったと思ったらまた一機、それが去ったらまた一機、
絶えずプロペラ音がしていて、先生の声が聞こえない。
授業が終わった後に会った友人に、松涛でガス爆発があったことを聞き、
そこでようやく事故のことを知り、轟音やヘリの理由が分かった。
夜、オルガンを弾いた後に、後輩と渋谷にご飯を食べに行くことにした。
歩いて行く途中に、ちょうどそのスパがあったので、少しヤジウマをしてみた。
その時、後ろから、
「おお、お前じゃん」
という声。
振り向いてみると、3年前に授業が一緒だった知り合い。
久しぶりに会うので、後輩を少し待たせて、立ち話。
どうやらマスコミに就職して記者をしているらしい。
そして、仕事の具合や、この爆発事件について、
事故直後からずっと張りこんでいて、いい加減疲れた、
等などの話を聞いた。
食事を終えて、後輩と別れ、私は駒場へ歩いて戻ったのだが、
その途中でまた事故現場を見てみると、まだ記者たちがいる。
きっと、例の知人もまだいるのであろう。
昼から夜遅くまで、とにかく大変である。
ところで、記者をやっている例の人との話の中で、
「テレビカメラの人は傲慢」
という言葉を聞いた。
要するに、現場を撮る時に、人にぶつかったり、押しのけたり、
かなり強引なことをしているということであろう。
まぁ、良い映像を得るためには、そのくらいのことをしないとならないのであろう。
こういった行為、それにヘリの音もそうだが、
これらは実際に周りにいる人間にとっては非常に迷惑なのだが、
しかし、ひとえに、テレビや写真を見る人たちの需要に応えるためなのである。
ニュースで映像や写真を見る時に、我々は何の気もなしにそれを見ているが、
それを提供するために、マスコミは、
多大な努力を払い、そして周りの人間には迷惑を与えているのである。
それを覚えておこう、と思った日であった。
白昼の街中で、突然爆発があったのだから、何とも恐ろしい話である。
あの日、私は駒場にいた。
以前書いたように、駒場は松涛からかなり近い。
私はちょうど電車に乗っていたために爆発の音は聞かなかったが、
2時半過ぎに駒場に着いて友人に会うと、彼が、
「さっき、すごい雷があったね」
と言った。
――今思えば、それはガス爆発の音だったのであろう。
駒場まで、「すごい雷」というレベルで聞こえたということは、
松涛や渋谷では、きっとすさまじい轟音だったのだろう。
そうとも知らず、授業を受けていたのだが、
授業中ずっと、ヘリが上を行き交っていて、うるさい。
一機が去ったと思ったらまた一機、それが去ったらまた一機、
絶えずプロペラ音がしていて、先生の声が聞こえない。
授業が終わった後に会った友人に、松涛でガス爆発があったことを聞き、
そこでようやく事故のことを知り、轟音やヘリの理由が分かった。
夜、オルガンを弾いた後に、後輩と渋谷にご飯を食べに行くことにした。
歩いて行く途中に、ちょうどそのスパがあったので、少しヤジウマをしてみた。
その時、後ろから、
「おお、お前じゃん」
という声。
振り向いてみると、3年前に授業が一緒だった知り合い。
久しぶりに会うので、後輩を少し待たせて、立ち話。
どうやらマスコミに就職して記者をしているらしい。
そして、仕事の具合や、この爆発事件について、
事故直後からずっと張りこんでいて、いい加減疲れた、
等などの話を聞いた。
食事を終えて、後輩と別れ、私は駒場へ歩いて戻ったのだが、
その途中でまた事故現場を見てみると、まだ記者たちがいる。
きっと、例の知人もまだいるのであろう。
昼から夜遅くまで、とにかく大変である。
ところで、記者をやっている例の人との話の中で、
「テレビカメラの人は傲慢」
という言葉を聞いた。
要するに、現場を撮る時に、人にぶつかったり、押しのけたり、
かなり強引なことをしているということであろう。
まぁ、良い映像を得るためには、そのくらいのことをしないとならないのであろう。
こういった行為、それにヘリの音もそうだが、
これらは実際に周りにいる人間にとっては非常に迷惑なのだが、
しかし、ひとえに、テレビや写真を見る人たちの需要に応えるためなのである。
ニュースで映像や写真を見る時に、我々は何の気もなしにそれを見ているが、
それを提供するために、マスコミは、
多大な努力を払い、そして周りの人間には迷惑を与えているのである。
それを覚えておこう、と思った日であった。