道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

2010年参議院選挙を振り返る

2010-07-14 11:05:55 | 政事
各党と政策ごとの連携を模索 菅首相、会見で意向(朝日新聞) - goo ニュース
自民復調、「敵失」が追い風に 谷垣氏は続投表明(朝日新聞) - goo ニュース

今回の選挙、民主党が負けたというのはよくわかる。
しかし、自民党が威張るほどのものなのかがよくわからない。

獲得議席数では自民党が勝ったが、得票率は民主党に及ばない。
もちろん、得票数と獲得議席数が比例しないのは選挙では当たり前のことであるが、それでも、得票数で及ばなかったのだから、自民党が民主党を負かした、ということにはならないだろう。せいぜい、野党が民主党を負かした、くらいのものであろう。
谷垣氏は確かによく頑張っているが、彼の「一番」ポーズには、もはやかつての政権与党としての重みはない。

消費税をめぐる話も、不思議なことが多い。
菅氏は、自民党の「10%」を参考に、増税の方向で議論を進める、とは言ったが、今すぐ上げる、とは言っていない。それで、「4年間は上げない」という前の選挙の公約と違うじゃないか、と批判された。批判に対して、議論を進めるだけで、次の衆議院選挙までは実際には上げませんよ、と応えると、「ブレた」と言われる。そこまでブレたようには思われない。
もっとも、新聞の見出しだけ見れば、ブレたようにも感じるかもしれない。「自民党の「10%」を参考に、増税の方向で議論を進める」⇒「消費税増税へ。10%か」、「議論を進めるだけで、次の衆議院選挙までは実際には上げませんよ」⇒「やはり4年間は上げない」、のように発言を切り取って、読みやすく、インパクトが出るようにするのがマスコミの編集部の仕事である。しかし、まさか、諸政治家先生方が、新聞の見出しや、それに引きずられたネット上の書き込みだけで判断しているわけではあるまい。

同様のことが、子ども手当てについても言える。
野党はしきりに、バラマキはヤメロ、財源は何なんだ、まさか消費税ではないのか、なんて批判しているけれど、これは全くピント外れである。というよりも、故意にピントをずらし、民主党への批判ではなく、有権者への主張にしているのだろう。
前の選挙の公約を少し見れば分かることだが、子ども手当てというのは、扶養控除を削減して捻出した税金を充てるというものである。要するに、「控除から手当てへ」という主張なのである。
子ども手当てを配ることで出生率が上昇するとも思われないし、私のように扶養控除を未だに活用しているような低所得者にとってはありがたくない政策だが、帳尻は合っているのである。かつ、「控除から手当てへ」というのは、所得がいくらで家族がなんとかで、という面倒な計算や処理を廃し、一律にあつめて一律に配るわけだから、役所の手間を削減できる。つまり、財政再建にもつながるのである(だから、家庭の所得に応じて子ども手当ての額を変えるなんていう面倒なことをしたら、本末顛倒)。
こういうのは朝三暮四で、子ども手当ての実施を先に行っただけで、扶養控除削減は早晩行われる。バラマキという批判は当たらない。
野党として議論すべきは、「子ども手当て支給=扶養控除削減」というセットの是非である。それなのに、「子どもたちに借金してバラマキをするのはやめろ」「消費税の増税分で子ども手当てをまかなうのであれば賛成できない」というのは、もはや悪意を以って誤解しているとしか思えない。


というよりも、本当に、他党の主張を理解していないのかもしれない。選挙速報の直後に放送された討論番組を見たのだが、各党の代表はいずれも人の話をよく聞かず、自分の主張ばかりを叫ぶ。一人が質問に対して回答を述べている最中なのに、他の人が大声で言葉をかぶせ、押し切り、自分の意見を朗々としゃべり出し、それに対してまた別の人が単発の言葉を何度も何度も断続的にかぶせ、そんなのが渾然一体となって、誰が何を話しているのかさっぱり分からない。
まず、他の人が話している途中に遮るのはマナー違反だ。そして、言葉をかぶせてしゃべり出すというのは、他人の話を聞こうという意思が全くないということなのである。

こんな人たちが日本の政治家だということが外国に知れたら、国辱ものである。まず、信用をなくし、国益を損ねる。

政策討論番組の放送は国内に限定し、その録画を海外に持ち出した人間は「売国奴」として罰するべきである。

「政治は可能性の芸術ではない。悲惨なことと不快なことのどちらを選ぶかという苦肉の選択である。」

2010-07-09 12:34:23 | 政事
「参院選に関心ある」81%…読売調査(読売新聞) - goo ニュース



明日・明後日は用事があるので、一昨日のうちに投票は済ませて来た。
別に昨日や今日行っても良かったのだが、大して考えが変わるとも思われなかったので、早めに権利を行使しておいた。

悲惨なことと不快なことだったら、私は不快なことの方を選びたいが、選挙の時に不快なことを唱える政治家は少ない。どの政治家の言うことも、耳に障らない抽象論に留まり、具体的には何も分からない。
その原因は恐らく我々の側にあって、減点法で彼らの政治を評価するからだろう。何か一つ大きな欠点や失敗があると、すぐにコケる。だから、臆病な候補者たちの主張は、どれも大して意味のない抽象的なお題目に終始し、結果、政治の議論は全然進まない。
要するに、悲惨なことと悲惨なことのどちらを選ぶかという苦肉の選択なのである。


○財政再建
 現政権は「事業仕分け」なんてことをやっているが、思ったより効果は上がっていない。これは当たり前で、元々、それぞれの事業は、それぞれの分野でそれなりに意味があると思って行っているものだからである。それを素人が評価しようなどというのが、おかしい。とある数学者が「カラシニコフは一丁30ドルで買える」と言って自動小銃費用の削減を迫ったらしいが、自衛隊と山岳ゲリラを一緒にするべきではなかろう。ただ、旧来の政権が踏み込めなかったところを見直そうとする姿勢は評価できる。
 「増税の前に徹底的な支出削減」と訴える政党は多いが、「全体で何%」「公務員を何%」とだけいうのは、全く意味をなさない。予算争奪競争が激化するだけで、仮に無理矢理配分を決めたとしても、その後の行政パフォーマンスが落ちる。
 そもそも、支出削減というのは、現場の人間の協力がなければ不可能なのに、ことさらに「政治家vs官僚」のような姿勢を出そうとするのがおかしい。官僚はお金が欲しくて残業するわけではないし、タクシー券を使いたくて終電を逃すわけではない。天下り先のために外注することもあるのかもしれないが、ほとんどは業務上必要だから予算を使うのであるし、あるいは、翌年以降の予算のために予算消化を行うのである。

 支出削減を目指すとすれば、まずは、官僚・公務員の負担を減らすシステム改革である。ややこしい計算やあちこちとの交渉、繁雑な書類作成が必要な仕組みを、なるべくシンプルにする。機材も部署の壁を越えて共有化できるものは共有化して、なるべく減らしたい。
 巨大プロジェクトを数個潰すわけではなく、無数の細かい無駄を削っていくのだから、この見直しは、カツマーが各部署・各地方をめぐっていちいち対決するわけにはいかない。現場の人間との協力が必要である。
 だから、システム改造によって、パフォーマンスを落とさずに業務効率化・予算削減を果たした事業、部署、省庁の人々には、削減具合に応じて、多額のボーナスを出すべきである。それは、金銭で釣ることも去ることながら、彼らの業務を高く評価することでやる気を持ってもらうということにも繋がる。
 しかし、残念ながら、「公務員に財政削減ボーナス金を出す」という策を唱える候補者は見当たらない。


○税制改革
 消費税増税が今回の目玉で、菅氏が谷垣氏の主張に相乗りして進めようとしている(普天間問題から焦点をずらそうという目論みだ、という分析もあるが、そういう意味もあると思う。そして、それは倫理的にはよろしくないが、戦略としては適切である)。
 逆進性をどうするか、というのが目下の問題であるが、それは徴税の仕組みで工夫するのではなく、やはり、行政サービスで考慮すべきであろう。食品の税率は云々、何とかの場合は云々、といちいち複雑にしていたら、役所の仕事が増える。役所の仕事が増えるということは、つまり財政の悪化につながるということである。
 消費税は一律にして、その分、「パンとサーカス」なり、介護ニューディールなり、貧乏人に恩恵のあるペイバックをすれば良い。消費税は貧乏人に負担が大きい、というが、金持ちだって多額の消費税を払っている。金を多く持っていたって、使わなければ意味が無い。多く使えば、多く消費税を払うのだ。
 共産党なんかは、金持ち優遇税制・大企業減税をやめるべきだ、という。理想論としては正しい。しかし、金持ちや大企業に多額の所得税・法人税を迫れば、外国に出て行ってしまうのが現状である。
 弱小企業を保護する、というのであれば、消費税免税範囲を、今の売上高一千万円から一億円くらいに引き上げるのはありかもしれない。
 先日、日曜討論を見ていたが、こういう話はなく、議論はすれ違っていた。


○資源・環境問題
 二酸化炭素削減問題では、「日本はもう雑巾を絞りきった状態」という話をよく聞く。麻生さんが国際会議で、「05年ベースで削減」と発言して失笑を買っていたのは記憶に新しい。
 前の東大総長小宮山宏(コミー)は、企業は省エネ努力を十分にしてきたが、一般家庭ではまだまだ無駄を省く余地があると述べ、小宮山ハウスの普及を訴えている。小宮山ハウスにそれほどの効果があるのなら、政府が是非報奨金をもっと出して普及に努めるべきであろう。

 二酸化炭素以上に問題なのは、資源獲得競争である。はっきり言って、北方領土や竹島、東シナ海ガス田なんて問題で争っている場合ではない。官民一体で、レアメタルやリン鉱石の獲得に努めなければならない。
 マニフェストを眺めると、自民党のみ「資源外交の強化」と書いてある。これは評価できる。


○農業
 90年代以降、自民党は農業を切り捨てているし、民主党もその系譜を継いでいる。見るべきものは少ない。
 しかし、海外の大農業地帯の中には、地下水を汲み上げて生産を行っているところも多く、それが早晩行き詰まることは確実である。また、リン鉱石の枯渇から、化学肥料を前提とした農業モデルも、そろそろ怪しい。
 もし愛国者を自認する人がいるとすれば、農業安全保障の重要性を考えるべきであろう。自給率の向上や、海外資源に依存しない農業モデル、あるいはウクライナあたりで日本輸出用に農地を買い占めておくのも手である。

 ところで、民主党政権の大きな失点に、口蹄疫があるが、私は、あれは全て民主党が悪いとは考えない。10年近く前の自民党政権ではうまく押さえ込んだが、今回は、それとは初期症状が異なる。マニュアルの想定外だったのである。
 強いて言えば、初期段階で、マニュアルを過信して見過ごした医者の責任となるが、それも気の毒であろう。口蹄疫かどうか確信もできず、マニュアルもないのに、自分の判断で農家に「あなたのところの牛は全て処分しなさい」とは言いにくい。
 なお、五月に外遊した農相は間抜けだが、その間、業務は福島氏に引き継いでいる。福島氏の失点とも言える。


○外国人参政権
 これははっきりいって、意味がよくわからない。「参政権が欲しければ帰化しろ」という意見はよくみるし、筋は通っている。永住権との違いを挙げれば、日本国籍を取得すると、母国の国籍を失うことと、名前を変える必要があること、くらいである。
 また、「大量にどこかに移住し、そこの選挙を牛耳って、某国のための政治を行うから危険だ」という意見もみるが、これは的を射ていない。そこまでの意図があったら、現在の状況下でも、みんなで日本国籍を取得して同じことをすれば良い。何も、外国人参政権のような目立つまねをする必要は無い。
 なお、「外国人参政権反対。帰化の条件も厳しくすべし」という主張も見られる。これは、私は賛成するわけではないが、「外国人参政権を認めると、某国のために外国人たちが動き出すから危険」という説よりは、筋は通っている。

 ともあれ、要するに、こういう政策案は、在日の人たちのロビー活動・選挙活動を受けたものであろう。合衆国の政治家がユダヤ人ロビイストのためにイスラエルをひいきするのと同じことである。



政治というのは、大局を見なければならない。碁に喩えれば、小さい場所はほどほどにして、大きい場所に先着することが重要である。時には石を見捨てるという非人道的戦略も必要となる。そういえば、小沢氏は与謝野氏から囲碁を習ったらしいが、政治にはあまり反映されていないように思う。
また、最近は、政治化には行儀の良い善人だらけで、また我々有権者も減点法で評価するから、どうも小粒である。間抜けな善人よりも、用意周到な悪党の方が、政治家としては優れている。収賄くらいの悪行は大した問題ではない。

と、早めに権利を行使したから、言いたい放題言ってみた。


J.K.ガルブレイス
「記憶力の悪さほど、政治の世界で重宝なものはない。政治の世界においては、もの忘れの才ほど珍重されるものはない。政治は可能性の芸術ではない。悲惨なことと不快なことのどちらかを選ぶかという苦肉の策である。」

『東京大学東洋文化研究所漢籍分類目録』経部書類に於いて諸尚書緯の処理に誤りがあること

2010-07-04 12:30:59 | その他雑記
東洋文化研究所には、OPACとは別に、漢籍目録データベースがある。
善本画像データベースともリンクされていて使い勝手が良いのと、そもそもOPACに入力されていない漢籍も少なくないので、東文研所蔵の漢籍を探すならこっちの方が圧倒的に優れている。

しかし、一昨日、分類のミスを見つけた。
『璇璣』『考靈曜』『帝命驗』等の尚書緯が全て『尚書中候』と共に「尚書中候」の属に分類されていて、「尚書緯」の属には『尚書五行伝』と『洪範五行伝』しか入っていない。
『尚書中候』というのは尚書緯とされる文献類の中の一種だが、全ての尚書緯が「尚書中候」に属するわけではない。
確認してみると、データベースの基になっている『東京大学東洋文化研究所漢籍分類目録』という冊子体の出版物の段階で既にこのようになっているのだから、もう30年以上間違えっぱなし。

以下は、仮説。
最初の草稿段階では『璇璣』『考靈曜』『帝命驗』及び『尚書中候』はいずれも「尚書緯」に分類した。しかし、その中で『尚書中候』に関連する文献と考えられる『中候握河紀』『中候摘洛戒』『中候雜篇』等といったものが多数あったので、「尚書緯」の項目の下に更に「尚書中候」という子目を設けた。そして、「尚書中候」の子目が終わった後に、すぐに『璇璣』『考靈曜』『帝命驗』等その他の尚書緯を続けた。
しかし、それを整版する段階で、編集者が「尚書中候」を「尚書緯」の子目と理解せず、それぞれ対等の分類項目と見なしてしまった。
その結果、本来は「尚書緯」に分類されるべき文献が、「尚書中候」の中に配置されてしまったのではなかろうか。


図式化すると、こうなる。

【本来の意図】

○尚書緯

 『尚書五行伝』
 『洪範五行伝』

 -尚書中候
  『尚書中候』
  『中候握河紀』
  『中候摘洛戒』
  『中候雜篇』
     ・
     ・
     ・

 『尚書緯璇璣』
 『尚書緯考靈曜』
 『尚書帝命驗』
    ・
    ・
    ・


【結末】

○尚書緯
 『尚書五行伝』
 『洪範五行伝』

○尚書中候
 『尚書中候』
 『中候握河紀』
 『中候摘洛戒』
 『中候雜篇』
    ・
    ・
    ・
 『尚書緯璇璣』
 『尚書緯考靈曜』
 『尚書帝命驗』
    ・
    ・
    ・



なお、蛇足ながら、『尚書五行伝』『洪範五行伝』を「尚書緯」に分類するのも、実はよろしくない。しかし、これは東文研のミスではなく、明代の『古微書』の分類を引き継いだものである。
ただ、そもそも『古微書』の学問的レベルはあまり高くない。やはりこれに従うべきではなかっただろう。