道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

睡眠時間

2010-02-21 23:06:23 | 身体
1980年代にアメリカで100万人以上を対象に行われた、睡眠時間と寿命の関係の調査では、予想外の結果が出ました。

1日に6.5~7.5時間の睡眠をとっている人が最も死亡率が低く、それ以上およびそれ以下の時間、眠っている人は寿命が短くなる傾向にあったのです。特に長く眠っているほうが問題で、7.5~8.5時間以上の睡眠時間をとっている人は、6.5~7.5時間睡眠の人よりも死亡率が20%もアップしました。

この研究を行ったカリフォルニア大学サンディエゴ校のダニエル・クリプペ博士は、「睡眠は食欲と似ている。欲望にまかせてものを食べると、食べすぎて健康を害する。睡眠も、眠たいからといって、いつまでも寝ていると、体によくない」と述べています。

「寝過ぎは逆効果? 長生きできる最適の睡眠時間とは」(exciteニュース2010年2月21日付)より

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この手の話は、既に小学生の時に聞いたことがあった。
8時間以上寝ている人は、統計的に死亡率が高い、と。

しかし、当時も思ったことで、かつ今も思っているのだが、
調査対象にある程度のバイアスがかかっているのではないだろうか。

8時間以上も寝られるというのは、8時間未満と比べて、
仕事が少なくて十分な収入がないとか、
そもそも病気・虚弱体質その他で安静にしていなければいけないとか、
そういう問題を抱えている人たちが多く含まれているのではないのだろうか。

つまり、
「長時間の睡眠⇒寿命が縮まる」ではなく、
「何らかのマイナス要因⇒長時間の睡眠」かつ「そのマイナス要因⇒短命」という可能性が考えられるのだ。

十年以上も昔からこう思っていたわけだが、
そういえば、まだ、その調査の方法自体を調べたことがなかった。
もしも、収入も健康さも同程度の人間を集めて、その中で睡眠時間を比較するというのだったら、その結論にも納得がいく。
しかし、そうでなく、無差別抽出だったとしたら、バイアスがかかった統計と謂わざるを得ない。

実際のところ、どうなのだろうか。

手前味噌

2010-02-18 13:21:39 | 音楽
以前の日記で書いた技で、後輩がサークルのホームページを更新してくれた。

オルガン同好会>Concert

メジャーな曲でレベルの高い演奏というのはたくさんあったけれど、
それはプロの演奏を録音したCDを聴く方が良い。

しかし、ここにアップされたのは、
オルガンではまず聴くことのなかった曲の数々!
これは相当面白い!! と私は思う。
こういった曲をオルガンで弾こうと考えついて、それを実現したメンバーたちの力と、
(なお、「My Favorite Things」と「いつか王子様が」はオルガン+ピアニカを一人で弾いている)
何より、自由に遊んでいるサークル活動の雰囲気が出ているのがとても佳い。

アマチュアであることの良さというのは、ここにあるのではないかと思う。

SHIBU2にて

2010-02-16 12:27:20 | その他雑記
いきなり余談だが、私は「SHIBU2」を「シブシブ」と呼んでいる。


先週献血をしたら、
「70回目だから記念の盾を差し上げます」と言われたから、
「いりません」と返答しておいた。

ガラス製で少し大きめだから、
希望者には宅配するらしい。
そんなもの、受け取るだけめんどくさいし、
家に飾ったって仕方ないだろう。

「そんなものよりも、10・30・50回目に頂いた、ガラスのおチョコが欲しい」と言ったら、
「それは次は100回目に差し上げるんですよ」と言う。

何かおかしな話だ。
「献血ありがとう」なんていう盾を誰かが欲しがるとは思えない。
10回目にもらえるお猪口はとても酔いものなのに、
70回目にもらうのは変な盾(見たことないけれど)。
しかも、変な盾の方には宅配サービス付。
そんなのに金をかけるくらいだったら、お猪口が欲しい。

そして、10・30・50回目にもらえるものと、
100回目になってようやくもらえるものが、
同じお猪口だというのも少し変な話ではある。


まぁ、私は映画を見るためだけに行っているのだから、
何でも良いのではあるが。



そういえば、今日、問診の医者に、
「いつも検査結果の通知を希望されていないのですが、どうしてですか」
と言われた。
別にコレステロール値とか興味ないし、そんなのを送るための紙と郵便代がもったいないから断っているだけなのだが、
医者は、
「これは献血して頂いている皆様へのサービスであって、あなたの権利なんですよ云々」
とおせっかいを言う。
とにかく要らないものは要らないのだと言うと、話は終わった。

とにかく、私が献血に行くのは、
困っている人たちを助けるためでもなければ、「献血ありがとう」という言葉の入ったグッズが欲しいわけでもないし(お猪口はちょっと欲しい)、健康診断のためでもない。
映画見て漫画読んで菓子を食うためである。
献血ルームというのは、少しサービス過剰というか、方向性が間違っているような気がする。
たまに無料占いコーナーを開くこともあるらしいが、これも不要。
占い師を呼ぶお金があったら、ドーナツを増やして欲しい。


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「ベンジャミン・バトン」を見終わった。
これまでの2回で、かなり後ろの方まで見ていたから、
今回はすぐに残りを見切ってしまい、
ボーナストラックを見ていた。

この映画は、どうやら原作物らしい。
そして、スピルバーグやらトムクルーズやら、
過去にいろんな人が映像化に挑んで失敗してきたとか。

面白いのは、原作の小説自体はごく短いもので、
あまり華やかな飾りつけがないので、
映画では、色々な人が青春の思い出を出しあって、
それを脚本に加えていったらしい。

そうか、そうすると、あのシーンやあんなシーンも、
実は誰かの実体験に基づくものだったのかもしれない、
と思うと、ちょっとおかしい。
しかし、
どんどん若返る男、という非現実的な設定なのに、
個々のエピソードに現実の生命を感じたのは、
まさにこのためだったのだろう。

続・任継愈について

2010-02-13 00:40:20 | 精神文化
人を褒め称える際には、スケールが大きければ大きいほど、楽である。
そこで、先程の記事ではかなり大きな話をしてしまった。
しかし、もうちょっと身近なスケールで、彼を称えることのできる功績がある。


任継愈に対する追悼文を書こうとして資料を集めていたら、彼がその師湯用彤のために書いた追悼文が出てきた(『中国哲学史論』所収「悼念湯用彤先生」)。
これは面白い偶然だ、と思って読んでいると、この中には、任継愈の意外な業績が記されていた。

湯用彤には『漢魏両晋南北朝仏教史』という歴史的名著がある。
文章は古雅で、地の文と引用文の別が分かりにくいという難解なものだが、その学術的水準は間違いなく高い。任継愈の『中国仏教史』とは較べ物にならない。
しかし、この本は共産中国成立前に書かれたものであるために、当然、唯物史観など少しも踏まえていない。
1950年代に北京でこの本が再版されたが、その時、末尾に「重印後記」なるものが付された。この「重印後記」では、マルクスやエンゲルスの文を引きながら、本書が「唯心論」的に書かれたことについての反省と、自身の唯物史観への転換、そして余力がないために全面的な改訂を行わずに再版することについての遺憾が表明されている。

もちろん、こんなのはカムフラージュである。
革命前の本をそのまま出せばどのような批判を浴びるかわからないが、マルクス主義に従って全面的に書き改めれば学術的レベルは確実に激減する。
そこで、窮余の策として、内容はそのままにしつつ、反省文らしきものを末尾に付して、批判をかわそうとしたのである。
最初にこの「重印後記」を読んだ時には、湯用彤もなかなかやるじゃん、と思った。

しかし、「悼念湯用彤先生」が言うには、
どうやら、この「重印後記」は任継愈が書いたものだったらしい。
なるほど、確かに、これだけうまくマルクス主義に媚びる文章は、湯用彤には書けまい。任継愈ならではの技である。
そして、任継愈が「重印後記」を代筆したからこそ、湯用彤は安心して「唯心論」的に書かれた『漢魏両晋南北朝仏教史』を共産中国下で堂々と再版することができたのであろう。


一年程前、私はこの本を手元に置いておこうと思って神保町を歩き回ったが、どの本屋にもなく、最終的に代々木の東豊書店に行った。
書籍が棚に収まりきらず、棚の上から天井に至るまでぎゅうぎゅうに詰め込まれ、平積みになって通路を塞ぎ、それでも足りず、棚の間に棒を渡してその上にも本を乗せるというオソロシイ密度で本がある、トンデモナイ本屋である。この本屋に来れば、古い本は大抵ある(もし見つかれば、だが)。
この東豊書店で『漢魏両晋南北朝仏教史』を探すと、旧版と新版の二種類が見つかったのだが、何故か旧版は下巻だけが二冊あって、上巻がない。店のおじさんも「あれー、おかしいなー」と言って探してくれるのだが、段々本の山が崩れてきて、大惨事の手前に突入してきたので、新版を買った。
この新版が、すなわち、任継愈が「重印後記」を代筆して出版を実現したものである。

私も、こんなところで任継愈の恩恵に預かっていたことを、今更になって知った。


彼のマルクス主義に傾倒した言説も、このような形で役に立つことがあったのだ。

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ところで、私の師から聞いた話だが、任継愈の唯物史観にまみれた記述も、実は本気だったのかどうかアヤシイところもあるらしい。

以前、師が、任継愈から翻訳を頼まれたことがあるらしい。
彼は面倒だから断り、結局その仕事はしなかった。
しかし、その時、任継愈はこのように言ったという。
「自分の著作の中で、マルクスとかエンゲルスとかの言葉を引用した部分は省略していい。これらを抜いても前後の意味が通るように文章を書いてある」と。

どうも、マルクス主義が中国の主流思想でなくなった場合も見越して著述を行っていたのではないだろうか。
というよりも、マルクスの引用は単なる政治的ポーズであり、文章技巧であって、内容的意味は全くないのではないか。

以上のように、師は言う。


本当のところは、本人が死んでしまった今では知りようがないが、
もし師の言う通りだとすれば、誠に中国の学者といえよう。
古来、中国の知識人というのは、いつの時代でも、
このような裏表を使い分けて学問を修めてきたものなのである。

任継愈について

2010-02-12 22:14:28 | 精神文化
昨年7月、同じ日に季羨林・任継愈という二人の大学者が亡くなった。
しかし、季羨林に比べて、任継愈はあまり評判がよくない。
まず、その研究にあまり新しい意見がない。
そして、何でもかんでも唯物論的に記述したからだろう。

かなりの博識で、古代から近代に至るまで、諸子百家に儒仏道、史学・文学・自然科学に渡って、更には近代西洋の概念まで用いて著作をなしたが、その多くは、優等生の書いた教科書、に過ぎない。
実際、彼の『中国哲学史』は、40年以上に渡って、中国の哲学科の大学生向けの基本教材として用いられ続けた。しかし、学術研究として見ると、ほとんど旧来の定説を離れておらず、もの足りない。

そして、旧来の説と異なるのは、ただ、唯物論的に思想史を記述したことのみである。
仏教が如何なる経済・政治的状況の上に生まれたのか、ある時代の儒教学説がどのように抑圧者の利益に貢献したのか、一貫してこのような視点で語っている。



ただ、このように言うこともできる。
彼の学問は、常に一般大衆を対象としたものであり、そして、新しい時代の新しい哲学を生むことを目指したものだったのである、と。


そもそも、任継愈が中国哲学史の研究を始めたのは、一般の人々のことを考えたからであった。
彼は当初、真理や永遠性といったことの追究を志し、哲学科にいた。
しかし、1938年、盧溝橋事件に伴う大学南遷の旅中、困窮した農民と荒廃した農村を目の当たりにした。ある労働者に「何故アヘンを吸うのか」と尋ねると、
「吸得起,戒不起(吸うための金はあるが、やめるための金はない)」と言われたという。
つまり、アヘンは安価だが、吸うのをやめれば仕事ができないのだ。こうした貧困・落伍に対して、真理や永遠性の探究がどうして役に立つであろうか。
これをきっかけにして、彼は中国に根ざした思想研究を志し、中国一般大衆の文化的レベル向上という目的意識を掲げたのである。

晩年にも、以下のように語っている。
個人でいくら才能があり、いくら努力しても、その社会全体の大きな流れに沿うものでなければ何の作用も期待できない。そして、社会全体の知的レベルが低ければ、社会の問題を正確に認識して解決することはできず、甚だしくはエリート層までもが参加して愚かな行いをすることになる、と。
そして、このような考えの下で、「民族的認識」「群体的認識」のレベルアップを自らの任務とした。

つまり、民智の向上を目的としたからこそ、高度な語彙をちりばめた学術的レベルの高い研究ではなく、平易な文章で定説を普及させる教科書的著作を発表し続けたのである。


また、新しい時代の新しい哲学について、任継愈は以下のように考えていた。
中国の過去の哲学と連続するものであり、旧哲学から完全に離れて一から建設したり、外国のものを全て移植したりするものではない。将来の中国文化が外来文化を吸収するのにあたっては、もともとあるものの上に接木をすることはできても、溶接で無理にくっつけることはできない。
中国哲学の歴史的任務は、当時の人間が持っている知識を利用し、吸収できる文化的遺産を吸収し、中国哲学史上の具体的内容と結合させ、社会主義の要求に答える中国独自の哲学体系を創建することである。
等々(『任継愈学術文化随筆』所収「従中華民族文化看中国哲学的未来」)。

新しい時代の新しい中国の大衆の要求(任継愈はこれをマルクス主義と考えた)に答える新しい哲学体系の構築が必要なのであるが、その新しい哲学体系も中国の伝統的な文化や哲学と整合するものでなければならないと考えていたのである。そのための試みの一つが、新時代の語彙によって、伝統文化中の様々な事柄について記述し直すということだったのではないだろうか。つまり、新しい時代の概念を用いて伝統文化を理解することによって、新しい文化と伝統文化との間の連続性を実現しようとしたように思われるのである。
そして、第一の理念、一般大衆の知的レベルを向上させるというのも、この第二の理念と連環するものであった。新しい哲学体系は「群体的認識」から乖離しては社会的に効力を持ち得ない。そもそも、全体的な民智が低ければ、新しい時代の問題を正確に捉える概念が生まれることすら難しい。この第二の理念を実現するためには、第一の理念の実現が不可欠なのである。


そして、これらの理念は、著作のみならず、その編纂事業にも反映されている。
彼が主編を務めたものだけでも、『宗教詞典』・『道蔵提要』・『中国科学技術典籍通彙』・『中国蔵書楼』・『中国版本文化叢書』・『墨子大全』・『仏教大辞典』・『中華大蔵経』(漢文部分)、『中華大典』等々多数に上る。
こうした事業は、中国文化について分野の壁を越えた綜合的・体系的な研究を促すためのものであるとともに、その成果を一般に供するためのものでもあった。
彼自身、このように語っている。「今回の古代科学技術典籍の整理は、まだ初歩に過ぎない。……(中略)……現在はまだ、一般の読者の閲読に供するための、点校注釈本や訳文を付した普及版を出版するほどの力量はない」(『中国科学技術典籍通彙』総序)、「我々の国家の現状から考えるに、古籍をしっかり加工した整理事業が本当に必要である。ただ影印本を出すというだけではいけない」(『世紀老人的話 任継愈巻』、pp.130-131)
伝統文化・伝統思想の粋を、専門家以外の人間でも吸収できる形で広く公開することを目指したのである。そして、それは古今東西のあらゆる分野の知を融合させた、中国独自の新しい哲学体系を成立させることを最終的な目的としていたといえよう。



私は、一般論として、
ある一つの明確なイデオロギーによってなされた学問は、
その時代には大きく流行するかもしれないが、
数百年という単位では長続きしないものだと思っている。

任継愈の学問も、マルクス主義の色彩が強すぎるために、
もはや現在すでに古臭いものとなっている。
しかし、表層の言葉から一歩掘り下げて眺めた時、
そこには何か普遍的な理念が見出せる。

現在、彼の著作を引用する論文はほとんどない。
しかし、彼の思想は、決して過去のものではなく、
我々の進むべき、一つの方向を示し続けているように思えてならない。