旅の最後は、名古屋である。
友人が四日市と犬山に住んでいるのと、私自身があまり名古屋に立ち寄ったことがなかったので、ここは一度しっかり観光したかったのである。
名古屋というのは、人によってはかなり評価の低い街である。
まず、観光名所と言えば、何より名古屋城であり、少し足を延ばせば犬山城や熱田神宮があるが、
その他にはユニモールやらテレビ塔やら、東京や大阪にもあるようなものばかりである。
また、人々はケチで、ナンパの成功率も他の都市に較べてかなり低いともいう。
しかし、私は、わずか1泊2日の滞在ではあったが、気に入った。
街は近代化されてしまっているが、人の感じは何だか昔ながらのような気がする。
合理的で、ケチであるが、自然なのである。
もう少しいたら、もっと良いところや、悪いところも見えてくるであろうが、
これはまた次回のお楽しみである。
東京に帰って来て、はや2ヶ月、
その記録を書き切ったのが今更というのは、我が怠慢である。
日常の諸事に追われている現在ではあるが、
思い返しているうちに、また旅情が催して来た。
次はぶらり何処へ行こうか。
友人が四日市と犬山に住んでいるのと、私自身があまり名古屋に立ち寄ったことがなかったので、ここは一度しっかり観光したかったのである。
名古屋というのは、人によってはかなり評価の低い街である。
まず、観光名所と言えば、何より名古屋城であり、少し足を延ばせば犬山城や熱田神宮があるが、
その他にはユニモールやらテレビ塔やら、東京や大阪にもあるようなものばかりである。
また、人々はケチで、ナンパの成功率も他の都市に較べてかなり低いともいう。
しかし、私は、わずか1泊2日の滞在ではあったが、気に入った。
街は近代化されてしまっているが、人の感じは何だか昔ながらのような気がする。
合理的で、ケチであるが、自然なのである。
もう少しいたら、もっと良いところや、悪いところも見えてくるであろうが、
これはまた次回のお楽しみである。
東京に帰って来て、はや2ヶ月、
その記録を書き切ったのが今更というのは、我が怠慢である。
日常の諸事に追われている現在ではあるが、
思い返しているうちに、また旅情が催して来た。
次はぶらり何処へ行こうか。
日本一美しい城といえば、「白鷺城」の異名をとる姫路城であるところは、衆目の一致するところである。
その壮大な規模はもちろん、天守の威容、白壁の美しさは、天下無双である。
これだけ美しい城であるが、入ってみれば、曲がりくねった通路、石を落とす穴、防火性の壁など、実戦に即した建築であることも分かる。
外見美だけでなく、機能美も兼ね備えた城である。
熊本城とは異なり、実際に本格的な籠城戦の舞台となったことはなく、
戊辰戦争・太平洋戦争ではきわどく戦火を逃れたようである。
それでも、建城から今までまったく同じ姿でいるかというとそうでもなく、
戦後直後に「昭和の大改築」が行われ、一度全て解体して、全く同じ形に組み直されている。
建物があまりに巨大であるために、礎石が耐え切れなくなっていて、コンクリートで固めたというから、その凄まじさが思われる。
ところで、城内をめぐっていると、「お菊井戸」なるものがある。
例の「皿屋敷」のお菊さんが放り込まれ、化けて出て皿を数えた井戸という。
私の記憶では、皿屋敷の舞台は江戸だったはずなのであるが、どうも、全国いろいろなところで、このような「皿屋敷」のエピソードはあるという。
ともあれ、土産物屋がこれを見逃すはずはなく、「姫路名物 播州皿せんべい お菊物語」というものが売られていた。
その壮大な規模はもちろん、天守の威容、白壁の美しさは、天下無双である。
これだけ美しい城であるが、入ってみれば、曲がりくねった通路、石を落とす穴、防火性の壁など、実戦に即した建築であることも分かる。
外見美だけでなく、機能美も兼ね備えた城である。
熊本城とは異なり、実際に本格的な籠城戦の舞台となったことはなく、
戊辰戦争・太平洋戦争ではきわどく戦火を逃れたようである。
それでも、建城から今までまったく同じ姿でいるかというとそうでもなく、
戦後直後に「昭和の大改築」が行われ、一度全て解体して、全く同じ形に組み直されている。
建物があまりに巨大であるために、礎石が耐え切れなくなっていて、コンクリートで固めたというから、その凄まじさが思われる。
ところで、城内をめぐっていると、「お菊井戸」なるものがある。
例の「皿屋敷」のお菊さんが放り込まれ、化けて出て皿を数えた井戸という。
私の記憶では、皿屋敷の舞台は江戸だったはずなのであるが、どうも、全国いろいろなところで、このような「皿屋敷」のエピソードはあるという。
ともあれ、土産物屋がこれを見逃すはずはなく、「姫路名物 播州皿せんべい お菊物語」というものが売られていた。
広島には何日かいて、平和記念資料館・原爆ドーム・広島城、といった定番の場所から、市の北にある山に行ったり、まんが図書館に行ったりと、様々なところに行った。
市全体として、小さくまとまっているために、街の端から端まで徒歩でぐるりと廻ってしまえる。
そして、山あり川あり道あり、その地形に合わせてリズムよくアクセントが利かされている、良い街である。
写真は、縮景園というところ。
書物を手がかりに、中国の様々な場所の雰囲気を小さく再現しているとか。
確かに、橋の形や、置物の具合がそれらしさをイメージしてはいるが、本場中国の庭園には及ばない。
この写真は、その庭園の中で、一番良かった景色を写したものだが、これは結局日本の庭園そのものの景色である。
よそのもののコピーというのも、それはそれで挑戦する価値はあるが、
日本ならば日本の美しさを追究した方が、完成度は高くなりやすいであろう。
庭造り同様、街造りも然りである。
他の都市のコピーのようなことをしてもあまり完成度は高まらない。
街の特色をうまく活かしてこそ、住んでいる者が誇り、旅をする者が訪れる街となるのだ。
その点で、広島の街は、良い。
市全体として、小さくまとまっているために、街の端から端まで徒歩でぐるりと廻ってしまえる。
そして、山あり川あり道あり、その地形に合わせてリズムよくアクセントが利かされている、良い街である。
写真は、縮景園というところ。
書物を手がかりに、中国の様々な場所の雰囲気を小さく再現しているとか。
確かに、橋の形や、置物の具合がそれらしさをイメージしてはいるが、本場中国の庭園には及ばない。
この写真は、その庭園の中で、一番良かった景色を写したものだが、これは結局日本の庭園そのものの景色である。
よそのもののコピーというのも、それはそれで挑戦する価値はあるが、
日本ならば日本の美しさを追究した方が、完成度は高くなりやすいであろう。
庭造り同様、街造りも然りである。
他の都市のコピーのようなことをしてもあまり完成度は高まらない。
街の特色をうまく活かしてこそ、住んでいる者が誇り、旅をする者が訪れる街となるのだ。
その点で、広島の街は、良い。
これは、広島市内の路上に埋め込んである標識。
字体が少し怖い。
少し行くと、施設の方向を指し示す看板があり、
「広島城」「平和記念資料館」「原爆ドーム」と言った文字が、やはり同じような字体で書かれていた。
さすが広島、というべきであろうか。。
字体が少し怖い。
少し行くと、施設の方向を指し示す看板があり、
「広島城」「平和記念資料館」「原爆ドーム」と言った文字が、やはり同じような字体で書かれていた。
さすが広島、というべきであろうか。。
いわずと知れた日本三景の一つ。
厳島神社の鳥居は、特に有名である。
JR宮島口駅で降りて、少し歩くとフェリー乗り場がある。
その中のJR経営のフェリーは、嬉しいことに、18切符で乗船できる。
例の鳥居を見ながら島に接近し、上陸。
上陸後すぐに気付くのは、宮島には鹿が多いこと。
数は奈良公園ほどではないが、人懐こさはそれに匹敵する。
こんな小さな島にも、鹿がいるとは、観光の力は恐るべしである。
神社は期待に違わず素晴らしい。
そこから続く、白い砂浜も見事な景色である。
さすがは日本三景、もちろん松もある。
しかし、島内を歩いていて思ったのは、海沿いだけでなく、
山の中も、また良い。
紅葉の季節ではなかったが、それでも紅葉橋の一帯は、奥深く清涼な美しさを秘めていた。
この時、広島の銘菓が何故「もみじ饅頭」なのかが分かったような気がした。
厳島神社の鳥居は、特に有名である。
JR宮島口駅で降りて、少し歩くとフェリー乗り場がある。
その中のJR経営のフェリーは、嬉しいことに、18切符で乗船できる。
例の鳥居を見ながら島に接近し、上陸。
上陸後すぐに気付くのは、宮島には鹿が多いこと。
数は奈良公園ほどではないが、人懐こさはそれに匹敵する。
こんな小さな島にも、鹿がいるとは、観光の力は恐るべしである。
神社は期待に違わず素晴らしい。
そこから続く、白い砂浜も見事な景色である。
さすがは日本三景、もちろん松もある。
しかし、島内を歩いていて思ったのは、海沿いだけでなく、
山の中も、また良い。
紅葉の季節ではなかったが、それでも紅葉橋の一帯は、奥深く清涼な美しさを秘めていた。
この時、広島の銘菓が何故「もみじ饅頭」なのかが分かったような気がした。
写真は「巌窟王」である。
おそらく、小中学校のどこかで習ったことだが、
カルスト地形と言えば秋吉台、鍾乳洞と言えば秋芳洞である。
九州から広島に行く途中に、せっかくなので一日寄り道して、
山口から秋吉台に行った。
新山口駅(かつての小郡駅)で下車、そして駅前から秋吉台に行くには、
片道約1000円のバスに乗らなくてはならない。
乗車40分程度に1000円とは高いが、他に行く方法がないのでやむをえまい。
秋芳洞前には土産物屋が立ち並び、そこをまっすぐ行くと、鍾乳洞の入口に辿り着く。
洞窟から冷気が流れ出し、入口付近は夏でもひんやりとして涼しい。
中に入れば、めぐるめく奇岩ワールド。
鍾乳石や石筍は、その生成過程によって様々な形状をなし、
それぞれに「百枚皿」「大黒柱」「マリア観音」などと言った名がつけられている。
巨大な洞窟の中で不思議な岩々を見ていると、光の届かない奥底から魔物が現れてもおかしくないような、幻想的な気分になってくる。
洞窟を抜けて、山を登って行くと、秋吉台の野原に出る。
展望台からあたりを見渡せば、確かに不自然な形で岩が露出したり窪地ができていたりする。なるほど、カルスト地形というものである。
その後、宿に行って、少し休んでから、
夕方に鍾乳洞入口近くの土産物屋通りに行って見ると、すでに全て閉まっている。どうやら、鍾乳洞が閉まる5時頃になると、全て閉店してしまうようだ。
携帯電話(FOMA)の電波も届かないし、ここが山奥であることを改めて思い出させる。
おそらく、小中学校のどこかで習ったことだが、
カルスト地形と言えば秋吉台、鍾乳洞と言えば秋芳洞である。
九州から広島に行く途中に、せっかくなので一日寄り道して、
山口から秋吉台に行った。
新山口駅(かつての小郡駅)で下車、そして駅前から秋吉台に行くには、
片道約1000円のバスに乗らなくてはならない。
乗車40分程度に1000円とは高いが、他に行く方法がないのでやむをえまい。
秋芳洞前には土産物屋が立ち並び、そこをまっすぐ行くと、鍾乳洞の入口に辿り着く。
洞窟から冷気が流れ出し、入口付近は夏でもひんやりとして涼しい。
中に入れば、めぐるめく奇岩ワールド。
鍾乳石や石筍は、その生成過程によって様々な形状をなし、
それぞれに「百枚皿」「大黒柱」「マリア観音」などと言った名がつけられている。
巨大な洞窟の中で不思議な岩々を見ていると、光の届かない奥底から魔物が現れてもおかしくないような、幻想的な気分になってくる。
洞窟を抜けて、山を登って行くと、秋吉台の野原に出る。
展望台からあたりを見渡せば、確かに不自然な形で岩が露出したり窪地ができていたりする。なるほど、カルスト地形というものである。
その後、宿に行って、少し休んでから、
夕方に鍾乳洞入口近くの土産物屋通りに行って見ると、すでに全て閉まっている。どうやら、鍾乳洞が閉まる5時頃になると、全て閉店してしまうようだ。
携帯電話(FOMA)の電波も届かないし、ここが山奥であることを改めて思い出させる。
神仏習合の史跡が多く残るという国東半島を一日バスで巡った。
国東半島は鉄道がほとんど通っておらず、移動はバスになるのだが、普通にバスに乗ろうとすれば、停留所でどれだけ待つことになるか分からない。
よって、観光バスに乗るのが良い。
宇佐駅から乗れば、各史跡の入場料・ガイド付きでおよそ4000円、一日楽しめる。
宇佐神宮・富貴寺・真木大堂、いずれも非常に格式高く、また太古の息吹というのであろうか、不思議な雰囲気に包まれていた。
そして、目玉というべき石仏は、かつて修験道の修行者たちが行き交った山の中腹に静かに座っていて、霊妙であった。
平均年齢の高いツアーに、一人で飛び入りをしたのだが、
人数もそれほど多くなく、親しみやすいガイドがついていたこともあり、周りの人たちと仲良くなれたのも良かった。
イギリス旅行を計画しているおじいさん、山登りが好きなおばあさん、20歳くらいの女の子を連れて来ているおばさん、一様に落ち着いた雰囲気の人たちではあるが、話してみればそれぞれに色々な背景を持っている。
知らない人と話すのも、またツアーの楽しみである。
国東半島は鉄道がほとんど通っておらず、移動はバスになるのだが、普通にバスに乗ろうとすれば、停留所でどれだけ待つことになるか分からない。
よって、観光バスに乗るのが良い。
宇佐駅から乗れば、各史跡の入場料・ガイド付きでおよそ4000円、一日楽しめる。
宇佐神宮・富貴寺・真木大堂、いずれも非常に格式高く、また太古の息吹というのであろうか、不思議な雰囲気に包まれていた。
そして、目玉というべき石仏は、かつて修験道の修行者たちが行き交った山の中腹に静かに座っていて、霊妙であった。
平均年齢の高いツアーに、一人で飛び入りをしたのだが、
人数もそれほど多くなく、親しみやすいガイドがついていたこともあり、周りの人たちと仲良くなれたのも良かった。
イギリス旅行を計画しているおじいさん、山登りが好きなおばあさん、20歳くらいの女の子を連れて来ているおばさん、一様に落ち着いた雰囲気の人たちではあるが、話してみればそれぞれに色々な背景を持っている。
知らない人と話すのも、またツアーの楽しみである。
西南戦争が「西南」で終始したのは、
西郷率いる鹿児島勢の猛攻を、熊本城がはね返したからである。
かの西郷隆盛をして
「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」
と言わしめた熊本城は、行ってみればなるほど名城である。
熊本の町の高台にあり、敷地も広大、
なにより、深くて広い堀が何重にも巡らされ、
堂々たる櫓・天守が立ち並ぶ様は、
敵をして戦意を喪失させるに充分たる威容であった。
さすがは、建城マニア加藤清正公の居城である。
西郷率いる鹿児島勢の猛攻を、熊本城がはね返したからである。
かの西郷隆盛をして
「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」
と言わしめた熊本城は、行ってみればなるほど名城である。
熊本の町の高台にあり、敷地も広大、
なにより、深くて広い堀が何重にも巡らされ、
堂々たる櫓・天守が立ち並ぶ様は、
敵をして戦意を喪失させるに充分たる威容であった。
さすがは、建城マニア加藤清正公の居城である。
吉野ヶ里遺跡、と言えば誰もが教科書で一度は見た、弥生の遺跡である。
約2000年もの昔の様子を再現したものであり、太古の息吹が感じられる……というのがセールスポイントなハズなのだが、
木造の見張り台に登ったり、竪穴式住居を覗いたり、勾玉作りまでやってしまったから、
どこかのアスレチックパークに行って遊んでいるような感覚になってしまった。
遺跡というよりは、弥生時代のものを用いたテーマパーク、として楽しめるものであった。
約2000年もの昔の様子を再現したものであり、太古の息吹が感じられる……というのがセールスポイントなハズなのだが、
木造の見張り台に登ったり、竪穴式住居を覗いたり、勾玉作りまでやってしまったから、
どこかのアスレチックパークに行って遊んでいるような感覚になってしまった。
遺跡というよりは、弥生時代のものを用いたテーマパーク、として楽しめるものであった。