道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

漢詩を音読すべきか訓読すべきか

2009-03-28 14:42:09 | 言葉
と訊かれましたが、難しい問題です。


音読というのは一つの解決法。
一般的には現代中国語の中の、所謂「普通語」(共通語)が用いられる。

○長所
・多くの詩で、韻が分かりやすい。例えば、「朝辞白帝彩雲間、千里江陵一日還」という句があったら、「間jian」と「還huan」で、「-an」の韻が踏まれていることが分かる。
・唐詩を読む場合は、平仄が多少分かる。唐代以降(南北朝後期からすでにその傾向はある)の詩では平仄という、音の調子についてのリズムが強く意識されている。「二四不同」だとか「二六対」だとか、色んな規則があるけれど、まぁ、要するに、平声ばかりが連続したり、平声仄声があまりに入り混じりすぎたりすることが、避けられている。例えば、「空山不見人、但聞人語響。返景入深林、復照青苔上」だったら、「○○●●○、●○○●●。●●●○○、●●○○●」(○は平声、●は仄声)となっている。何となく、バランスの良い配置だと思いませんか? これが、現代中国語での発音では、第1声と第2声の漢字は大体は当時の平声のもので、第3声と第4声の漢字はほとんどが仄声。ただし、現代の普通語では、古代に仄声の一部として存在した入声というものがなくなっているので、対応関係に若干のズレがある。その点で、広東語や台湾語など、方言の方がより正確と言うけれど、まぁ、今から漢詩を読むためだけに方言の発音をやるというのは、敷居が高い。普通語で良いでしょう。
・韻が分かる、平仄が大体分かる、というのは、つまり読み上げた時に、当時のものとはかなり違うものではあるけれど、リズムや余韻を楽しむことができる。暗唱をするのでも、慣れるとこっちの方がやりやすいかもしれない。リズムが良いから。

○短所
・意味がわからないまま読めてしまう。呪文と化す危険性。
・日本で手に入る本で、ピンインが書いてあるものは、まずないから、調べるのが面倒(尤も、慣れれば、大体の字の発音は調べなくても分かるようにはなる)。


一方、訓読は、研究者の間では少しずつ地位が下がっているけれど、
漢詩の鑑賞という用途では、バカにしたものではないと思う。

○長所
・読みながら、意味が大体分かる。
・自分が覚えた詩や語彙、あるいはそれらを使って自分の心情を、周りの日本人に説明できる。「人生別離足る」だとか「揚州一覚十年の夢」とか。飲み会で「君に勧むぅぅ更に尽くせぇぇ一杯の酒ぇぇぇ」と言ったり、酔っ払ったら「酔ひて沙上に臥すとも~君ぃ笑ふぅぅこと勿れぇぇぇぇ」とか言ったりして、遊べる。
・日本語として、まさに「声に出して読みたい日本語」を修得できる。故加藤周一も、日本語のレベルを下げないために、漢文を読んでいたらしい。漢文訓読というのは、間違いなく、日本語を構成してきた重要な要素で、これを唱えたり憶えたりするというのは、日本語の修練として損はない。

○短所
・訓読語で分かったつもりになってしまって、意味をきちんと理解していない、ということもありえる。たとえば、「則」と「即」と「乃」では意味が違うのに、訓読で「すなはち」と言っていると、その違いを意識しないままで流してしまう危険がある。
・韻や平仄は分からない。それから、七言絶句や五言律詩を読んでも、それが28文字だとか40文字なんだという実感がわかない。



私は、要するには、
漢詩を、
外国文学として鑑賞したいのか、
日本文化として鑑賞したいのか、
ということによるのではないかと思います。
前者なら中国語で音読すれば良いし、後者なら訓読すれば良い。
私は、唐詩に関しては、両方やっています。両方必要だから。


しかし、いずれにせよ注意すべきは、
どの方法も、古代そのままではない、ということです。

現代中国語で発音しても、当然、李白や王維が唱えたであろう言葉からはかなり離れていることを意識しなければならない。
それでもある程度の共通性はあるから、現代中国語で発音した時にも、かなり美しいリズムや響きにはなる。「現代中国語としての音声の美しさを味わうのだ」くらい開き直るべきかもしれない。

訓読も、実は我々ができるのは明治以降に確立された訓読法で、江戸時代以前のものとは、ほんの少しだけ違う。訓読の作法も、平安以降、時代ごとに少しずつ違う。だから、「清少納言も松尾芭蕉もこう読んだんだ」と思い込むのは、少しだけ危険。
もっとも、これは、そこまで問題ではない。極端に違うことはないから。

昨日は

2009-03-22 22:54:40 | 趣味愛好
升田幸三の誕生日だった。
朝日新聞の記事では「命日」って書いてあったけれど、誕生日。

私は升田幸三が好きである。
一番好きな棋士だ。
というよりも、彼以外の棋士についてよく知らないから、
正確には、「唯一知っている棋士」とでも言うべきかもしれない。

高校時代は升田式石田流ばかり指していたけれど、
ただし、あれは、みんなが嫌がるから、していただけ。
8年経った今では、升田式が大分流行しているらしく、
たまに将棋を指した時にやってみても、みんな全然嫌がらないので、つまらない。そろそろ別のハメ技を考えなければならないだろう。


私が升田幸三を好きなのは、
まずは、
「新手一生」
これにつきる。
修行時代から、定跡を外して自己流。しかも、構想がダイナミックで、見ていて面白い。
ひどいエピソードもあって、先輩棋士が一般向けの講座で角落ちについての語った後に、升田と模範大局をしたのだが、升田は定跡と全然違うことをやって、動揺している先輩を負かしてしまった。角落ち定跡の講座だろうがなんだろうがお構い無しに、好き勝手やる。

それから、このエピソードでも分かる通り、反骨心が強い。
基本的に好き勝手やる。接待将棋であろうと何だろうと、わざと負けることはなかったとか。
戦後すぐにGHQに呼ばれた時も、ビールを飲ませろと言うわ、飲んだビールがまずいと言うわ、「おんどれら」と言うわ(もっとも、これは通訳が意味を知らなかったので、相手には伝わらなかった)、しまいには「木村義雄(名人)が海軍大学等で講演しまくったから戦争に負けた。オレが代わりにやっとったら、日本が勝っておる」と言う始末。

言葉のセンスも良い。軽快で、語呂が良い。ミモフタもないことを平気で言うから面白い。
「錯覚いけない、よく見るよろし」
「名人など所詮はゴミのようなもの」「(自分は)ゴミにたかるハエ」
「棋士は無くてもいい商売だ。だからプロはファンにとって面白い将棋を指す義務がある」
発言もとにかく好き勝手だから面白い。偏見やらその場の勢いのでまかせやらホラやらで、かなりヒドイものもあるけれど。

そして、何よりも、将棋に限らず、何か普遍的なものを見ようとしている。
升田自身は「物事を、将棋にあてはめて考える癖がある」と言っていたけれど、
将棋で得た洞察を、他の物事に応用して、それがまたおかしい。
「着眼大局、着手小局」なんてのは、今で言う「Think global, act local」なんだろうけれど、
他にも、雑用係をやっていた時に得た見解、
軍隊生活が空白の期間となった体験と修行となった体験の違い、
等々、彼の自伝からは、将棋指しでなくても得るものがある。
剣術を究めていくうちに、書や花も究めた宮本武蔵にも似ている。
そういえば、自転車で大怪我をするまでは、剣豪になりたかったらしい。


「名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」(本人も意味は憶えていない。自伝では、「広島名人をやっつけ」てから「本場の大阪に行」く、ということではないかと推量している)と言って、無一文で家出して広島まで歩いて行って、洗濯屋で働きながら将棋を勉強して、紹介状を得るなりそこを飛び出して、また無一文で大阪に向かう。
酒の飲み過ぎ(五歳から飲んでる)で健康を損ね、それでもしまいには、香落ちで名人を倒している。

ああいう棋士は、もう出ないんだろうな、と思う。

修論執筆中に No.3

2009-03-08 13:01:33 | 趣味愛好
お経を作りました。
名付けて『百足般若經』。

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色則似空、空則皆色
愛慾色色、佛道空空


色即是空、空即是色
色非是色、空非是空
是色是空、非色非空
色不色即空不空、空不空即色不色

非色即非空、非空即非色
非色非非色、非空非非空
是非色是非空、非非色非非空
色不色非無非有即空不空非有非無、空不空非有非無即色不色非無非有

非非色即非非空、非非空即非非色
非非色非非非色、非非空非非非空
是非非色是非非空、非非非色非非非空
色不色非無非有非色不色非無非有即空不空非有非無非空不空非有非無、空不空非有非無非空不空非有非無即色不色非無非有非色不色非無非有

非非非色即非非非空、非非非空即非非非色
非非非色非非非非色、非非非空非非非非空
是非非非色是非非非空、非非非非色非非非非空
色不色非有非無非色不色非有非無即空不空非有非無非空不空非有非無非色不色非無非有非色不色非無非有即空不空非有非無非空不空非有非無、空不空非有非無非空不空非有非無即色不色非無非有非色不色非無非有非空不空非有非無非空不空非有非無即色不色非無非有非色不色非無非有


即是即非、即非即是
是是是、是非是、是是非、是非非
非是非、非非非、非是是、非非是

即是即色即空、即非即空即色
色即是色、色非是色、色即是空、色非是空
空即是空、空非是空、空即是色、空非是色

此言即是即非、彼言即非即是
色即是色色非是色色即是空色非是空即是色即是色色非是色色即是空色非是空、色即是色色非是色色即是空色非是空非是色即是色色非是色色即是空色非是空
空即是空空非是空空即是色空非是色即是空即是空空非是空空即是色空非是色、空即是空空非是空空即是色空非是色非是空即是空空非是空空即是色空非是色

修論執筆中にNO.2

2009-03-07 19:21:36 | 音楽
今度は、歌詞というか、演奏指示つき。
写真は何枚かあるうちの一部。



著書の序文にお星様の話を書いた漢学者のある一日について、

「キラキラ星」の最初の4小節をひっくり返して付点をつけた伴奏を延々と繰り返し、
その上にメロディーを乗せたもの。

H.H.「~」
は、その漢学者の台詞。

K.K.「~」
は、その秘書の台詞。
なお、この人の台詞は、全て「かえるの歌」の旋律。


以下は、演奏指示。

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alla hashimota

我らが親愛なる橋本老師は布団の中で眠っている
(よーぞらーのほーしがーきらきーらーひーかるー)
(よーぞらーのほーしがーきらきーらーひーかるー)

おもむろに目を覚まし起き上がる
今日もまたいつもの一日の始まりだ
顔を洗い身支度を整え さあ出勤だ

着いた

お茶を入れる
本を読む 本を読む 読む

H.H:「おい くにぞう ポパイラーメン たべにいかないか」

可愛い礼書は読みたいけれど ちょっと休憩 待っててね
さあ まずは 食堂へ

着いた

注文は もちろんポパイ

ラーメンができるまで ちょっと待つ


さあ できた

ポパイラーメンを食べよう
ああ うまい

食べる
ポパイを

食べる
ポパイを

ご満悦 ご満悦

K.K:「ところでハシモトさん キラキラぼしは?」

この曲のテーマはキラキラ星なのです 

H.H:「そうだな」

しかし まだ一度も出てきていませんでした


  ♪♪「キラキラ星」のテーマもどき♪♪


ご満悦 ご満悦

H.H:「どうだ くにぞう  キラキラ星 なかなか良いだろう」

K.K:「ええー どこがキラキラ星なんですか?」

K.K:「これがキラキラ星ですよ」

  ♪♪「キラキラ星」のテーマ♪♪

K.K:「ですから アレンジするのでも」

  ♪♪「キラキラ星」のアレンジ♪♪


K.K:「このくらいはやって欲しいですよー」


H.H:「いいんだよ いいんだよ これでもいいんだよ」

H.H:「俺には俺のお星様がいて “北極星”なんていらないの」


(よーぞらーのほーしがーきらきーらーひーかるー)
(よーぞらーのほーしがーきらきーらーひーかるー)

自分のお星様を見つめながら
泥だらけの足を踏ん張って

修論執筆中に

2009-03-07 19:17:50 | 音楽
作った曲。

「小さな世界」を上下反転させたものと、
「きらきら星」を上下反転させて付点をつけたものと、
「どんぐりころころ」を転調したものと、
「かえるの歌」
を、全部混ぜたもの。四重奏。


東文研では、
私の指導教官が「小さな世界」が大好きで、「葬式で流して欲しい」と言っていて、
その弟子に、著書の序文にお星様の話を書いた漢学者がいて、
事務の人たちに「くりきんとん」と呼ばれている教授もいて、
それから、非常勤職員でこよなく蛙を愛する人がいるので、

ぜーんぶ混ぜて、曲を作りました。


ほとんどが単純な和音なので、
響きはやたらときれい。

ちょっとくらい不協和音を入れておけば良かった。

現実には、あの人たち、不協和音なんだから。