ちょっと古い話だけど、記事を書いた
歌田さんのblogを見つけたので貼っておく。
isedでの議論は
こちら。長いです。
確かに、彼らが理想とした2chは、彼らにとって終焉を迎えたと言えるでしょう。というか、単に2chのformat&protocolに慣れてしまって、知的刺激を受けなくなったという見方もできます。
私はどうも「知識人」という表現が嫌いで、評論家とか知識人を鼻に掛けてるような人を見ると避けて通るクチなので、少し意地悪く見ている可能性もあります。
ただ、元々2chの話だと思って読んでいた議事録ですが、加野瀬氏の発言に関しては本題とは別に首を傾げてしまいました。ちょっと引用が長くなります。
「
加野瀬:
そ、そんな(笑)。いま金さんの話を聞いて思ったのは、韓国でネットゲーム内で流通しているお金をリアルマネーにするという仕組みができつつあるという話が、なぜ日本でできないのかなということでした。韓国でもゲーム会社自体はそれはやめて欲しいわけなのに、オークションみたいな感じで法人化しているところもあり、そのような形で仕組みが形成されつつあるわけです。日本だとまだサイトができたぐらいですが、今後の展開がどうなるのか興味があります。
つまり、言い換えるとネットゲームにハマっているのを脱社会的に見るのか、脱社会的ではなく実は社会的な存在であるという見方*1を韓国ではできるわけですね。日本だとそうはならなくて、ネットゲーマー=廃人だから、イコール脱社会的だという単純な見方があるように思います。」
ゲーム上の通貨やアイテムを現実に持ち込む仕組みについて、それをポジティブに捉えるのはいかがなものか。
RMT(Real Money Trade)は、結局のところCheatやBOTの存在意義を生み出すという、重大な問題でもあります。それ以前に、ゲームが現実になるということで、生活をゲームに注ぎ込む職業廃人を生産することにもつながります。
そもそも、「閉ざされた系の中で頑張った人にはその系の中での褒賞が与えられる」という仮想社会でのルールを破壊する事になり、反社会的行為に連なるものではないかと。現実社会と接してはいるけれど、社会的とは言えないように思えます。
さらに踏み込んで言えば、この議論の中で脱社会とレッテルを貼っている行為は、従来の社会性が扱う「現実」と系は違うのだけれども、下位の系での社会構築になっている事例を含んでいるように見えます。
二重生活に近い人も居れば、完全に仮想社会に軸足を置いてしまった人もいる。ただ、現実社会ではないけれど、本人の社会性そのものは仮想現実で維持されているケースに対して、脱社会という命名は誤解を招くように思います。
過去の(あるいは現在も、一部の業種では見受けられる)事例で言えば、「会社人間」というのがまさしくこれに似た特徴を示しています。社会性はあるけれども、その社会性が「就職した企業」という閉ざされた系にのみ投射されているわけです。彼らは、「現実」の家庭・企業・地域社会といったさまざまな系を包含する社会から、住み心地のいい企業という系に特化して存在していたわけで。定年になって、企業から外に出た途端、熟年離婚などの憂き目に会ったりするわけです。
存在する平面が異なると見えなくなるので、そういう意味では脱社会と一括りにしがちだけれども、人の在り様として社会性を軸に考えるなら、BBSやネットゲームといった社会に存在を積極的に置くケースと、あくまでも受動的に社会の外側に身を潜ませるケースを同等に扱うべきではないように思います。
どうだろうかね。