
仲順大主 ( ちゅんじゅんうふぬし ) の墓

仲順大主の墓の入り口

墓の前に広がる風景
仲順集落の北側はずれの十字路を屋宜原に向かう道と、
反対方向へ約70m進んだ所に琉球石灰岩の岩山がわずかに残っている。
この岩山の北側の岩根を掘り込んで造られた墓が仲順大主の墓である。
仲順大主は、仲順村の創建者といわれる。
1259年に英祖に王位を譲り、放浪していた義本王をかくまったとの伝承があることから
13世紀中葉の頃の人物だと考えられる。
エイサー曲で有名な 「 仲順流り 」 も仲順大主にまつわる伝承が念仏歌になっている。
元は 「 長者流れ 」 と称していたようで、発音が似ているので、
仲順大主のことだと言うようになったなったと思われる。
歌劇 「 仲順流り 」 では三人の息子が登場するが、実際の仲順大主には子どもが居なかったようである。
また、隣村の喜舎場公とは同年代の人で、お互い協力して義本王をかくまったとしている。
仲順大主の位牌は花崎家に祀られていたが、明治末期に中之安里家に移り、
1952年ごろ 「 根殿の宮 」 に舜天王・義本王と一緒に合祀されている。