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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

鹿児島県奄美市笠利町  「 辺留 ( べる ) グスク 」

2017-01-25 12:56:08 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡


























『 笠利町誌 』 に、この墓地について簡単な記載がある。
「 海抜約21メートルの小高い断崖の上に広げられる狭い地積に、
大島特有のサンゴ礁の板石壁と蓋石におおわれた古墳墓の間に、
島津藩の仮屋敷蔵方目付有馬十蔵、医学者有馬宗賢、新納弥兵衛、
与人格新納実章等石碑墓を並べてある。
この墓地は 「 辺留城ウドン 」 とよばれている 」 とあるが、
沖縄の王や按司たちが築いたグスクとは性質的に違い、
墓を聖域としたグスクだと思われるが、それも定かではない。


辺留グスクは、奄美大島の北に位置する
奄美市 ( 旧・笠利町 ) の東海岸へ舌状に延びた
高さ21mの岬に築かれたグスクである。
グスク下には琉球王府から薩摩藩に行政が移ってから
ここに奄美大島全体をつかさどる奉行所が設置されていた。
もともと辺留の港は喜界島の湾港とともに、
琉球国時代の主要港で盛んだったようである。
そんな辺留を詠った 『 おもろ 』 いくつか残されている。


一  きこゑ、おしかさ、
    とよむ、おしかさ、
    やうら、おちへ、つかい
又  き、やの、うきしま、
    き、やの、もいしま
又  うきしまに、か、ら、
    ひるかさり、きやち
又  ひるかさり、かち、
    中、せ(とう)ち、きやち
又  なかせ(とう)ち、から
    かねの、しま、かち
又  かねのしま、から、
    せり、よさに、かち
又  せり、ゆさに、から、
    かゑふたに、かち
又  かゑふたに、から、
    あすもりに、かち
又  あすもりに、から、
    かなひやふに、かち、
又  かなひやふに、から
    なは、とまり、かち



この 『 おもろ 』 は、喜界島の神女が首里王府へ行くまでの、
島渡り 『 おもろ 』 の一首である。
名高く鳴り響 ( とよ ) む押笠 ( おしかさ ) 神女が、
喜界(き、や)島の湾港を出立して、
ひるかさり ( 辺留笠利 ) 、中せとうち ( 中瀬戸内 )、
かねのしま ( 徳之島 ) 、せり、ゆさ ( 沖永良部 ) 島、
かゑふた ( 与論 ) 島、あすもり ( 安須杜=辺戸の御嶽 ) 、
かなひやふ ( 金比屋武=今帰仁の御嶽 ) 、
なは、とまり ( 那覇港 ) を経て、首里城へ登城したさまを詠っている。


辺留グスクへのアクセス
辺留グスクへは、奄美市 ( 旧・笠利町 ) の笠利小学校の前に当たる。
駐車は古墓前に駐車できるが、道幅が狭く、
轍の溝がひどいので車では注意が必要である。


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