今回の熊本訪問は、選手時代の先輩に会うのと、
かねてから訪れてみたいと思っていた
竹崎順子、徳富蘇峰らが育った益城町杉堂への旅だった。
震災の被害が大きかった熊本県益城町立津森小学校の横にある四賢婦人記念館は、
この村の出身者の竹崎順子・徳富久子・横井つせ子・矢嶋楫子の資料館である。
「 四賢婦人記念館 」 は、江戸時代後期に益城町杉堂に建てられた、
惣庄屋矢嶋忠左衛門直明の旧家屋を移築したもので、
館内には、矢嶋家や徳富蘇峰に関する古文書や生活用品を展示しているが、
熊本地震の影響で現在は閉館中である。
また、記念館の敷地内には矢嶋家姉妹の功績を称えた 「 四賢婦人誕生地之碑 」 は
上部の碑は倒れ台座のみが残っている。
矢嶋家は、 「 熊本の猛婦 」 ・ 「 四賢婦人 」 と称され、
近代日本における女子教育や婦人解放運動に尽力し、
今日の男女共同参画社会の礎を築いた竹崎順子・
徳富久子・横井つせ子・矢嶋楫子を輩出しています。
矢嶋家は、幕末の思想家で明治新政府の参与となった横井小楠との関係が深く、
長男直方 ( 源助 ) をはじめ、矢嶋家姉妹の配偶者らも門下生として小楠に師事した。
また、雑誌 『 国民之友 』 、 『 国民新聞 』 を主宰した
近代日本を代表する言論人徳富蘇峰も、
文久3 ( 1863 ) 年に徳富一敬・久子夫妻の長男として、
母方の実家であるこの家で生まれている。
生前の蘇峰はこの家を訪れ、
昭和27 ( 1952 ) 年には 『 生誕之記 』 を執筆し、
潮井神社 ( 杉堂 ) に記念植樹をしています。
竹崎順子は、幕末~明治期の女性教育者。
旧姓矢島。竹崎茶堂に嫁し、夫を助けて農業と子弟の教育に当る。
夫と兄矢島源助を通じて横井小楠の影響をうける。
海老名弾正に従いキリスト教に入信。
夫の死後は女子教育に専心し熊本女学校生徒監督・同校長となる。
矢島楫子は妹・徳富蘇峰・蘆花は甥。
明治38年 ( 1905 ) 歿、84才。
徳富久子は、1829-1919 幕末-明治時代の女性。
文政12年4月生まれ。肥後熊本藩郷士矢島直明の娘。
漢学者徳富一敬(かずたか)と結婚し,徳富蘇峰(そほう),蘆花(ろか)の兄弟を生む。
のち東京にうつり,妹の矢島楫子(かじこ)の
日本基督 ( キリスト ) 教婦人矯風会の仕事を助けた。
姉に熊本女学校長の竹崎順子。
大正8年2月18日死去。91歳。
横井つせ子は、矢嶋家の五女で、横井小楠に嫁ぎ、
明治維新の立役者小楠を内から支えた女性です。
矢嶋楫子は、 [ 1833~1925 ] 女子教育家。肥後の生まれ。
女子学院の初代院長をつとめ、キリスト教に基づいた教育を行った。
明治26年 ( 1893 )日本基督教婦人矯風会を設立して会長となり、
婦人運動・社会改良事業に尽くした。
〔 所在地 〕 上益城郡益城町大字上陳436