花江茶亭は、旧三の丸にあった13代藩主・毛利敬親の別邸
花江御殿内にあった茶室 「 自在庵 」 を、
明治22年 ( 1889 ) 頃に指月公園内に移築したもので、幕末の多事多難のおり、
この茶室で敬親は支藩主や家臣たちと茶事に託して時勢を論じ、
国事を画策したといわれています。
建物は木造入母屋造り茅葺き平屋建てで、
桁行6.84m、梁間3.62m、本床と脇床がついた4畳半の茶室と、
3畳の水屋からなっています。
移築の際、瓦葺きの平屋一棟が控の間として増築されました。
【 萩市指定有形文化財 】
梨羽家茶室 ( 煤払いの茶室 )
正式な座敷構えを呈した毛利家の重臣・梨羽家の茶室
梨羽家茶室は、萩城内、花江茶亭の隣にある、毛利家の重臣・梨羽家の別邸茶室で、
もともと上津江の藩寄組3,218石余りを領す梨羽氏別邸にあったものを
明治時代に移築したものです。
隣接の花江茶亭のような遊興の茶室ではなく、
正式な座敷構えを呈した格式のある茶室で、
木造桟瓦葺入母屋造り、花月楼形式を今に伝える名茶室です。
城内の年末大掃除の際、藩主は城を出て重臣の邸によける慣例があり、
茶室などに藩主を迎えたので、
別名 「 煤払 (すすはら ) いの茶室 」 とも呼ばれています。