平 家盛公が宇久島に来島した時、久保盛興という、
山本の地に於いて勢力を持っていた豪族が、
ただ一人家盛公に従わなかった。
家盛公は、盛興一族を誘い出し、7人全員を風呂攻めにして殺害した。
久保盛興一族は、久保様の墓としてこの地で祀られている。
宇久七代領主・実公の弟・建公は、
江氏を継ぎ、正和5年 ( 1316年 ) 江端 ( 平郷ヒガンデ ) の地に
真言宗盛興寺 ( じょうこうじ ) を建てて祈願寺とし、
久保一族の霊を弔ったが、後に廃寺となり、寛永年間に福江に移した。
旧藩制のころは、毎年盆の7月15日に藩の重臣が、
毘沙門寺および東光寺の住職とともに
久保様の墓前で施餓鬼供養を行っていた。