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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県本部町 「 渡久地港瀬底第一灯浮標 」

2013-06-08 06:37:18 | 沖縄の灯台
















近くを通る漁船と比較すると灯浮標の大きさが分かる




灯台表番号 / 7114
ふりがな / とぐちこうせそこだいいちごうとうふひょう
標識名称 / 渡久地港瀬底第一号灯浮標
所在地 / 沖縄県渡久地港(渡久地港本部防波堤灯台の北方約1.9km)
北緯  / 26-39-27 
東経  / 127-52-38
頭標 / 緑色円筒形頭標1個付
塗色 / 緑色
灯質 / 群閃緑光 毎6秒に2閃光
光度 / 実効光度 49カンデラ
光達距離 / 4.0海里
水面上~灯火の高さ / 4.7m
業務開始年月日 / 昭和47年5月15日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)



沖縄県本部町 ・ 廃止撤去された 「 瀬底島灯台 」

2013-06-06 06:02:38 | 沖縄の灯台






























灯台表番号 / 7118
ふりがな / せそこしまとうだい
標識名称 / 瀬底島灯台
所在地 / 沖縄県国頭郡本部町(瀬底島)
北緯 / 26-38-53 
東経  / 127-51-19 
塗色 / 白色
灯質 / 等明暗白光 明3秒暗3秒
光度 / 8,500カンデラ
光達距離 / 13.5海里
地上~頂部の高さ / 11m
平均水面上~灯火の高さ / 20m
地上~灯火の高さ / 11m
業務開始年月日 / 昭和51年3月31日
光源 / 電球
電源 / 購入電力



瀬底島灯台は、2009年3月13日に廃止撤去された灯台である。
廃止になる前は瀬底島の西にある瀬底ビーチの丘に立つ灯台であった。
海水浴シーズンとなれば多くに人で賑わうビーチで、
向かいの水納島灯台とお互い向かい合って立っており、
この間を運航する船が安全に航海できるよう役割を果たしていた。
現在は既存のゴルフ場に合わせてリゾート開発が進められており、
灯台が瀬底島の観光スポットになるかも知れないと思っていただけに、
廃止撤去は残念である。


瀬底島灯台へのアクセス
瀬底島灯台へは、国道449号線を名護から本部方面に向かい、
約12キロほど走ると左に瀬底島が見えてくる。そこに架かる瀬底大橋を渡って
途中から右に瀬底ビーチの方へ突き当りまで行くと砂浜の左手に灯台が見える。
駐車は、ビーチの手前の広くなった場所に駐車したが、観光客の多い夏場は無理かも?



沖縄県本部町  「 渡久地港本部防波堤灯台 」

2013-05-29 00:06:47 | 沖縄の灯台



































那覇から鹿児島へ向う 「 A”LINE 」 が入港する







伊江島行きのフェリー






ターミナル内にある伊江島行きの切符売り場




灯台表番号 / 7105
ふりがな / とぐちこうもとぶぼうはていとうだい
標識名称 / 渡久地港本部防波堤灯台
所在地 / 沖縄県渡久地港(渡久地南防波堤外端)
北緯  / 26-38-28
東経  / 127-52-36
塗色 / 赤色
灯質 / 単閃赤光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度78カンデラ
光達距離 / 5.0海里
地上~頂部の高さ / 9.3m
平均水面上~灯火の高さ / 13m
地上~灯火の高さ / 9.1m
業務開始年月日 / 昭和50年3月31日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)



渡久地港本部防波堤灯台は、沖縄県の北部にあるフェリーの発着場にある防波堤の外端に立つ灯台である。
この場所には鹿児島から奄美諸島を経由するフェリーや伊江島を往復するフェリーなどが出入りしている。
灯台の立つ防波堤は新しく延長されたものであり、平成12年の改築となっているのは、
おそらく昭和50年に設置された灯台の移設にともなう改築だったのではないかと推察されるが、
これはあくまでも個人的な感想なので参考にされぬよう願いたい。


渡久地港本部防波堤灯台へのアクセス
渡久地港本部防波堤灯台へは、沖縄の名護市から国道449号線を本部方面に向かって
12、3キロ行くと、左手に瀬底島が見える。
その瀬底大橋の手前に本部港へ入る道があるのでそこから入った所にフェリー乗り場があり、
その海側に灯台がある。
駐車は、フェリー入港時でなければ灯台の近くまで車で行ける。




沖縄県渡名喜島  「 渡名喜港灯台 」

2013-03-24 04:49:03 | 沖縄の灯台



渡名喜港灯台

































渡名喜港灯台は、渡名喜島の港内に面したターミナルの裏に立っており、
オレンジの屋根の間から白い塔が新鮮に見える。
四角でガッチリした造りは海からの強風にも耐えうるもので、
地上から頂部までの高さは10mで、等明暗白光で明4秒暗4秒の間隔で点灯している。
以前は頂部にある小窓に指向灯が設置されていたが、2003年8月1日に廃止され、
現在は灯台のみになっている。

渡名喜港灯台へのアクセス
渡名喜港灯台へは、那覇の泊港から渡名喜経由の久米島行きで2時間で到着する。
船上からも上部だけは見ることが出来るが、波が強い日は渡名喜港に接岸しないこともある。


灯台表番号 / 7145
ふりがな / となきこうとうだい
標識名称 / 渡名喜港灯台
所在地 / 沖縄県島尻郡渡名喜村(出砂島南端の東南東方約4.0km)
北緯  / 26-22-21 
東経  / 127-08-28 
塗色 / 白色
灯質 / 等明暗白光 明4秒暗4秒
光度 / 590カンデラ
光達距離 / 8.0海里
地上上~頂部の高さ / 10m 
平均水面上~灯火の高さ / 15m 
地上~灯火の高さ / 10m
業務開始年月日 / 昭和53年3月2日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)



沖縄県渡嘉敷村  「 端島 ( はてしま ) 灯台 」

2013-03-18 06:24:41 | 沖縄の灯台



端島灯台






























端島灯台は沖縄本島と渡嘉敷島のほぼ中間に位置する島の灯台で、
ひょうたん島のような形をした島の下の段に立っている。
灯台は高さ13mの円筒形の形をしており、遠くから煙突のようにも見える。
灯台の初点は昭和55年三月30日で、島にしては意外と新しい灯台である。
灯器は単閃白光で毎3秒に1閃光の灯りを照らしている。
灯台は座間味から北回りのフェリーか高速船で見る事が出来るが、
北風が強い冬場は南回りになるので、
なるべくならば夏場の方が確率的に高いと思われる。


灯台表番号 / 7093
ふりがな / はてしまとうだい
標識名称 / 端島灯台
所在地 / 沖縄県島尻郡渡嘉敷村(端島)
北緯  / 26-14-25
東経  / 127-27-28 
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度 390カンデラ
光達距離 / 7.5海里
地上・平均水面上~頂部の高さ / 12m 
平均水面上~灯火の高さ / 35m 
地上・水面上~灯火の高さ / 12.1m
業務開始年月日 / 昭和55年3月30日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)



沖縄県読谷村 「 残波岬 ( ざんぱみさき ) 灯台 」

2013-02-13 00:15:56 | 沖縄の灯台

























灯台表番号 / 7101
国際番号 / F4740.3
ふりがな / ざんぱみさきとうだい
標識名称 / 残波岬灯台
所在地 / 沖縄県中頭郡読谷村(残波岬)
北緯  / 26-26-28
東経  / 127-42-49
塗色 / 白色
灯質 / 群閃白光 毎10秒に2閃光
光度 / 実効光度 640000カンデラ
光達距離 / 18.0海里
地上~頂部の高さ / 31m 
平均水面上~灯火の高さ / 44m
地上~灯火の高さ / 27.6m
業務開始年月日 / 昭和49年3月30日
光源 / メタルハライド
電源 / 購入電力




沖縄県津堅島 「 津堅島灯台 」

2012-11-13 00:25:03 | 沖縄の灯台
















































所在地 / 沖縄県うるま市勝連町津堅島
塗色  / 白色
構造  / 塔形   構造材質 / コンクリート造
灯質  / 単閃白光 毎4秒に1閃光
実効光度  / 実効光度 3700カンデラ  
光達距離 /  120海里       
頂部までの高さ / 14m
平均水面から灯火まの高さ / 51.0m
現用灯器  / LED灯器 ( 緑 )   電球 / LED
設置、点灯および業務開始年月日 / S24.5


津堅島灯台は、津堅小中学校の裏手の丘の上に立っている。
港から灯台までは300mほど坂道を歩かなければならないが、
比較的距離も近いし集落の中なので、辺鄙でないから楽である。
灯台の業務開始は沖縄返還の昭和47年5月15日で、高さが14mになっている。
灯質は単閃白光で毎4秒に1閃光の割合で点灯している。
津堅島港内にも防波堤灯台があるが、この灯台は遠くの与勝半島からでも見え、
平敷屋集落から見ると、勝連埼灯台と海を隔てて一直線になっている。


津堅島灯台へのアクセス
津堅島灯台へは、津堅小中学校の裏になる。
携帯のアンテナの手前を左に入ったところに立っている。


沖縄県津堅島 「 金武中城港津堅北防波堤灯台 」

2012-11-11 00:02:39 | 沖縄の灯台











































所在地 / 沖縄県うるま市勝連町津堅港北防波堤灯台外端
塗色  / 白色
構造  / 塔形   構造材質 / プラスチック造
灯質  / 単閃緑光 毎3秒に1閃光
実効光度  / 実効光度 73カンデラ  
光達距離 /  4.5海里       
頂部までの高さ / 6.6m
平均水面から灯火まの高さ / 11.0m
現用灯器  / LED灯器 ( 緑 )   電球 / LED
設置、点灯および業務開始年月日 / S61.1.10


金武中城港津堅北防波堤灯台は、
津堅島の港にある北側の防波堤に設置された灯台である。
長く延びた防波堤の外端に立つ灯台は細くてツンと立っている。

金武中城港津堅北防波堤灯台へのアクセス
金武中城港北防波堤灯台へは、与勝半島の平敷屋港から連絡船が出ているので、
それに乗って津堅島まで行けば港の入り口に立っている。
防波堤へは、港から坂を上った左側にガソリン販売所があるので、
その前を入って行くと、お墓の先の左側に防波堤に下りる道がある。



沖縄県津堅島 ・ 沖縄最古の灯台 「 津堅島灯台跡 」

2012-11-07 09:14:36 | 沖縄の灯台




沖縄最古の灯台 「 津堅島灯台跡 」

初代津堅島灯台は、明治期、国策によって建てられた灯台で、
同時期の先原埼灯台がほとんど痕跡をとどめていないこともあり、
沖縄最初の灯台遺構として歴史上重要である。

津堅島灯台は、沖縄本島の東方、中城湾の玄関口にある津堅島の南端にあり、
初点は、那覇の先原埼灯台と同じ明治29年(1896)11月25日であるが、
ただ、明治29年度の逓信省第11年報によれば、
先原埼灯台の竣工は明治29年9月30日で、
この津堅島灯台は明治29年9月15日と記されていることから、
津堅島灯台は沖縄で最初に完成した灯台ということになる。

灯台は鉄造六角形で白色に塗られ、高さは12.3mで、
南49度から北89度まで220度の範囲を白色燈明で照らすとされている。






津堅港を出て、左に行けば津堅小中学校があるが、
その反対の右に行くと津堅公民館があり、
その道をさらに突き進むと旧灯台跡の入り口に石碑が立っている。







細い道を奥に進んで行くと
緑の木々の間から目にも鮮やかなレンガの灯台跡が飛び込んで来た。
もっとも興奮する時間 ( とき ) である。













崩れ落ちた煉瓦とコンクリート塊があった。
沖縄戦以後、特に対策がとられているわけではないが、
遺構自体は思ったよりもしっかりしていた。

沖縄戦で処分された灯台の台座の石材は、村の建築用に再利用のため、
戦後に持ち去られている。
その台座の石積みの内部に使われていた煉瓦が現在遺っているものである。






「 沖縄最古のレンガ 」

灯台の台座に使われていることから、
灯台設置の明治29年当時のものであることが判明した。
そのことが当時の建築の記録誌に記されていた。
記録誌は、現在の日本建築学会の前身にあたる造家学会が発行していた「建築雑誌」である。
同誌の明治29年10月25日頒布の第118号には、
那覇の先原埼灯台の建設担当者からの書簡として
当時の沖縄の建築、レンガに関する詳細などが記されていた。


( 前略 )
当所工事は不便を極め候も、已に七分出来致候 ( いたしそうろう ) 。
敷地は海面上五十尺の高き岩石より成る丘上二百余坪を切開き煉瓦造燈台
( 燈火迄地盤より四十尺六等回転機械 ) 及び付属舎二棟建坪四十九坪余の建築に有之。
材料職工人夫共横浜神戸より回送に付き不便不少候 ( ふべんすくなからずそうろう ) 。

( 中略 )
石材は建築用に供すべきもの一も無之、皆鹿児島より輸入致候。
本県に産する建築材料は、石灰と煉瓦石のみに有之 ( これあり ) 。
煉瓦石は、本県監獄署に於いて昨年より焼き始め、
稍 ( ようやく ) 好果を得べき見込みの處 ( ところ ) 、
之に伴ふべき堅硬にして圭角ある砂なきは、遺憾なることに御座候。






丸い柱塔







「 津堅離島振興総合センター 」 にある再現した灯台の模型







沖縄戦で破壊処分される前、現役だった頃の 「 津堅島灯台 」


「 レンズ 」

津堅島灯台のレンズは明治29年に設置された
フランスのソーター・ハーレー社製第四等不動型フレネルレンズと記されている。
初点から戦災により無くなるまで四等レンズによる不動光の灯台であった。
このレンズについては、 「 燈光 」 昭和42年9月号の記事、 「 この道 」 で、
津堅島灯台の回想記で書かれてある。
その作者は、昭和15年12月から5ヵ月間、津堅島灯台の臨時職員であり、
後の 「 燈台の光よ永遠に 」 の著者、田中鉄繁 氏である。

那覇の大空襲によって致命的打撃を受けた沖縄は、
遅かれ早かれ敵の上陸を逃れる事は出来ないと云うことは、
野に一般の常識となっていた。
本局でも吾等の身上を心配してか、1月中旬引揚命令を発せられたが、
其の条件が六ヶ敷くて、仲々簡単に片付かなかった。

曰くレンズは丁寧に取り外し箱入にして地中に埋没、
重要書類、備品等は軍部に預け受領書をとる。


3月の中旬、津堅島灯台の大館氏が突如来られた。
彼も私と同じく、昨年家族を郷里鹿児島へ帰し、
度々の空襲に打ち勝って灯台を死守して来られたが、
本局の指示通り灯台の処分も完了したので、
荷物をまとめ、次の便で内地へ引き揚げることとなった。














灯台長夫人・通称 「 奥さん 」 が火葬された灯台下の海岸


「 言い伝え 」

島の人から 「 奥さん 」 と慕われていた大変美しかった灯台長夫人が亡くなり、
灯台下の海岸で、当時島では見られなかった火葬が行なわれた。
その光景が強烈だった所為か、灯台がなくなった戦後も、
旧灯台の近くに行くと、灯台長夫人の美しい幽霊が出ると言われていた。









この初代・津堅島灯台の詳細を知るまでは、
沖縄戦でアメリカ軍の攻撃を受けて破壊されたとばかり思っていた灯台だったが、
読谷村と嘉手納町の境に架かる榮橋と同じく、
日本軍の指示によって処分されたものだと知った。

この初代津堅島灯台については、
山本五十六元帥の戦死された後を受け、
連合艦隊司令長官になられた古賀峯一中尉が、
「 わしも、海軍に入って四十年、あちこちでずいぶん燈台も見て来たが、
これだけ立派に手入れの出来た燈台は見たことがない 」 と言わしめたほどの灯台である。

できれば、 「 そのままの形での遺っていて欲しかった。 」 と思うばかりである。