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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄の文化財 / 沖縄県宜野湾市 「 大山貝塚 」

2015-04-26 05:52:41 | 沖縄の文化財








大山貝塚
Oyama Shell Mound

( 国指定史跡 )
National Historical Monument


指定年月日 : 昭和 47 ( 1972 ) 年5月15日 
Designaed Date : May 15,1972
所在地 : 沖縄県宜野湾市大山富盛原
Location : Oyama,Ginowan-shi,Okinawa-ken


 大山貝塚は、国道58号線沿いの大山の南北に延びる
標高70m前後の琉球石灰岩丘陵上に位置する貝塚である。
近くにはミシュクムイと呼ばれる大山集落の拝所があり、
拝所の周辺に数基の岩陰墓が残っている。
1958年に発掘調査が行われ、沖縄の考古学調査で
層位学的に土器編年が行われた学史上も貴重な遺跡である。
貝塚内に堆積している黒色の土から土器、石器、
骨製品、貝殻、魚骨などが出土している。
特に深鉢の器形の土器は大山式土器と呼ばれ、
貝塚の時期を決める際の指標となっている。


 The shell mound is located on a Ryukyuan limestone hill which is approx.70m.
above sea level and stretches north and south at Oyama and National Highway
58.
There is a sacred place of Oyama village called Misukumui and several rock
shelter graves nearby. As excavation was conducted in 1958.
This shell mound is significant because the chronological sequence research
on is
pottery was done stratigraphically by Okinawan archaeological investigation.



沖縄県恩納村 / 沖縄の文化財 「 仲泊遺跡 」

2015-03-25 04:29:41 | 沖縄の文化財







仲泊遺跡
Nakadomari Ruins
( 国指定史跡 )
National Historical Monument


指定年月日 : 昭和 50 ( 1975 ) 年4月7日 
Designaed Date April :7,1975
所在地 : 沖縄県中頭郡恩納村字仲泊比屋根原
Location : Nakadomari,Onna-son,Nakagami-gun,Okinawa-ken


仲泊遺跡は標高20m~30mの琉球石灰岩丘陵の
東側崖下に形成された遺跡群である。
史跡内には4つの貝塚と近世の石畳道があり、
このうち第4貝塚と呼ばれている所からは、
沖縄貝塚時代前期 ( 約3500年前~2500年前 ) の
岩陰礫床居址にともなって仲泊式土器が発見されている。
近世の石畳道は別名、比屋根坂とも呼ばれ、
首里城を起点として国頭へ向かう西海道の一部であった。
現存する石畳道の総延長は約174mで、
昭和48年に国道58号線の改良工事で壊されそうになったが、
保存運動により保護された遺跡である。


 The ruins are under the east cliff of a Ryukyuan limestone which is 20~30m.
above sea level.
There are four shell mounds and a stone pavement in the sites.
In one of the shell mounds, called the Fourth Shell Mound,
Nakadomari pottery are discovered along with remains of a rock shelter residence
with gravel bedding for the coffin which belong to the early Okinawan Shell Mound Age.



沖縄県伊平屋島 「 クマヤ洞窟 」

2014-12-30 05:12:41 | 沖縄の文化財












































クマヤ海岸から見る久場山





クマヤ洞窟は全国に数多ある 「 天の岩戸伝説 」 の、これは最南端地。
日本発祥の地は沖縄だ!という大胆な説をとなえたのは徳川時代の国学者・藤井貞幹で、
同時代の高名な学者・本居宣長とは大論争を醸している。

「 神武天皇は琉球の恵平屋恵 ( ゑへやしま ) に生誕あそばされたり 」 という
藤井説の根拠がこのクマヤで、現在もたびたび国学関連の大学の研究機関、
沖縄史跡研究者が調査に訪れている。

伊平屋島にたゆたう太古の時間と大自然の中では
「 ここから全てが始まった 」 といわれれば、
素直に頷ける気がするから不思議である。
歴史・民俗ファンならずとも必見のマジカル観光ポイントで、
昭和33年に県指定天然記念物となっている。


沖縄県伊平屋島  「 念頭平松 」

2014-12-27 04:41:41 | 沖縄の文化財





















この念頭平松は、高さ8m弱、枝張り約25mという巨大な枝振りの良い琉球松で、
久米島にある五枝の松とともに琉球松の二大銘木として有名である。
1990年に 「 新日本の銘木100選 」 に選ばれ、
その周辺は拾い公園としてとても綺麗に整備されている。

言い伝えによると、この島には松の木が多くて、
その松を目当てに盗みにくる不心得者もいたそうです。
以前この場所には兄松と呼ばれる名木がおよそ500年前に植えられていましたが、
今から300余年昔に隣にある伊是名島の男が盗伐して持ち帰ってしまいました。
その後程なく男は松を伐った崇りで病気になり、亡<なってしまいます。
その後、このことを恐れた男の親類が松を伐ったお詫びにと植えたのが、
現在の念頭平松だと言われていて、樹齢は300年余りになるそうです。



沖縄県沖縄市 「 カフンジャー橋 」

2014-12-26 04:37:41 | 沖縄の文化財



小型だががっしりとした造りになっている








橋の袂にある説明板







沖縄市の国道329号線沿いに架かる橋







アーチ頂部から路盤までの厚みがある







左右の壁石も高く積まれている







橋脚同様に壁石も布積みされている







通路部は舗装されて石橋だとは気づきにくい





所在地 /   沖縄県沖縄市美里
架橋  /   1912年
石工  /   不明
長さ   /   5.4m    幅   /   4.6m
拱矢  /    1.85m  径間  /     ?m
環厚  /    34㎝    単一アーチ


カフンジャー橋は沖縄市内を通る国道329号線沿いに架かる橋で、
現在は人しか通ることが出来ないが、その姿も活躍も現役である。
橋の袂の説明板には、
「 西洋から中国を経てきた石造技術を生かしたアーチ型工法の橋で、
( 1912年前後の建造 ) である。
歴史書 「 球陽 」 に、カフンジャーは昔から大雨の時には水流が激しく、
交通の難所であったことが記録されており、
先人の治水への苦心や橋の歴史を知るうえで貴重な石造物である。 」 と記されている。


カフンジャー橋へのアクセス
カフンジャー橋へは、沖縄市を通る国道329号線を
コザ方面から知花に向けて行くと美里小学校の先の美里交差点から
100mほどの場所 ( 右側 ) に架かっている。
駐車は、橋のすぐ横に車一台分の広くなった場所があるので、そこに駐車した。


沖縄県伊平屋島 ・ 沖縄の文化財 「 久里原貝塚 」

2014-12-10 04:42:41 | 沖縄の文化財







久里原貝塚
Kusatobaru Shell Mound


( 県指定史跡 )
Prefectural Historical Monument

指定年月日 : 昭和 57 ( 1982 ) 年3月4日 
Designaed Date : March4,1982
所在地 : 沖縄県島尻郡伊平屋村字前泊久里原
Location : Maedomari,Iheya-son,Simajiri-gun,Okinawa-ken



久里原貝塚は沖縄県北部に位置する伊平屋島の前泊集落北の砂丘地(高さ約5m)にある
沖縄貝塚時代早期 ( 約7000年前~3600年前 ) ~
後期 ( 約2000年前~12世紀 ) にかけての貝塚である。
発掘調査の結果、遺物の分布は広範囲にわたり、
東側が古い貝塚で西側が新しい貝塚になっている。

沖縄本島の伊波貝塚、荻堂貝塚、大山貝塚、
カヤウチバンタ貝塚などで見つかった土器と同じ種類の土器が見つかっており、
遺物を含んだ最も下の層からは沖縄貝塚時代早期のスジの入った土器が見つかっている。

また、奄美系の土器も見つかっており、
沖縄と九州・奄美との文化的な関わりを調べていく上でとっても重要な貝塚である。


 The shell mound is at sandhill which is north of Maedomari vil.,
and belongs to the early( approx. 7000 ~ 3600 years ago ) to the
late ( approx. 2000 years ago ~ the 12th century )
Okinawan Shell Mound Age. In the lowwest relic-containing layer,
pottery with stripes,
which is of the early Okinawan Shell Mound Age, was found.
Here, the same kinds.
of pottery are found as in Iha, Ogido, oyama, and Kayauchibanta shell mounds.
Also, Amami-type pottery is excavated,
making the shell mound quite significant in examining
the cultural relationship between Okinawa, Kyusyu and Amami.



沖縄県国頭村 ・ 沖縄の文化財 「 宇佐浜遺跡 」

2014-12-08 04:51:41 | 沖縄の文化財







宇佐浜遺跡
Uzabama Ruins

( 国指定史跡 )
National Historical Monument


指定年月日 : 昭和 47 ( 1972 ) 年5月15日 
Designaed Date : May 15,1972
所在地 : 沖縄県国頭郡国頭村字辺戸宇佐浜
Location : Hedo,Kunigami-son,Kunigami-gun,Okinawa-ken



宇佐浜遺跡は、沖縄本島最北端に位置する辺戸岬に近い崖上の
標高50mの地にある沖縄貝塚時代中期( 約2400年前~2100年前 ) の遺跡である。
4回行われた発掘調査の結果、こぶしほどの大きさの石で
四角形状に囲まれた炉の跡がある住居跡が数ヵ所見つかっている。
また、住居跡から石器や土器なども見つかっており、
石器にはきれいな加工が施された石斧 ( せきふ ) 、石皿などがあった。
土器には表面に文様のない壷形と甕形のものがあり、
特に壷形で口の周りが厚くなっている土器は宇佐浜式土器と呼ばれている。
これらの土器や石囲い遺構と似たような特色を持つ遺跡が奄美大島にもある。


 Uzabama ruins are on a cliff of 50m.
high near the Cape Hedo which is at the northmost tip of the main island of Okinawa.
The ruins belong to the middle ( approx.2400~2100 years ago )
Okinawan Shell Mound Age. As a result of four excavations,
pottery and several house sites surrounded
squarely with fist-sized rocks are discovered.
Among the pottery, there are jars and pots without
decoration, and ones with thick mouths are called Uzabama pottery.


沖縄の文化財 / 沖縄県伊是名島 「 尚円王誕生地屋敷内 ( みほそ所 ) 」

2014-12-02 04:57:41 | 沖縄の文化財







尚 円王生誕地屋敷内 「 みほそ所 」
Mihoso-dokoro

( 県指定史跡 )
Prefectural Historical Monumen


指定年月日 : 昭和 33 ( 1958 ) 年1月17日 
Designaed Date : January17,1958
所在地 : 沖縄県島尻郡伊是名村字諸見
Location : Shomi,Izena-son,Simajiri-gun,Okinawa-ken



伊是名島の諸見集落の屋号アサギの敷地内にある尚 円王生誕にまつわる
御臍所 ( ミフスジュ ) である。
方形状にめぐらした基壇内にある庭石ほどの珪石があり、
尚 円王の 「 へそつぎ 」 をした場所だと伝えられている。
近くには産井であったといわれる潮平御井があり、
『 伊平屋嶋旧記集 』 には、
「 尚 円王様御屋敷首里村北表午之向20間角之内みほそ所5間角
土壇上ヶ真中真石 ( 珪 ) 三、
高木八一本計の御一本有候四方松木植廻申候
御屋敷八根所二成並神アシャゲ居住古より、
首見ノ子、子孫代々ノ居住二而奉嵩候
御公儀並嶋中ノ御願所二而御座候事 」 と記されている。


 Mihoso-dokoro is a mifusujyu which concerns the birth of King Sho-En.
It is on the premises of a place by the name of Asagi in Moromi village .
There is a garden stone-size quartzite in a square foundation platform,
where King Sho-En is said to have been done “ Hesotsugi ”.
Woods have grown thick around the place, and they are creating a silent atmosphere.



沖縄県渡嘉敷島 「 根元家の石垣 」

2014-11-28 04:44:41 | 沖縄の文化財




































渡嘉敷村の貴重な文化遺産 〈 村指定有形文化財 〉

渡嘉敷村字渡嘉敷45番地の屋号「根元」家の石垣は、
渡嘉敷村に残る貴重な文化遺産である。
当家は、琉球王朝時代にこの島の男たちが水主(唐や薩摩へ行く船の乗組員)として
唐船(進貢船・接船)や(薩摩へ行く御用船)で活躍した頃に繁栄したと伝えられている。

屋敷を囲む石垣や、内にあるヒンプンは、
どれも精巧に切り取られた石灰岩を正確に積み上げられており、
現在のような道具もなかったであろう時代の
職人技の素晴らしさをかいま垣間見ることができる立派な石垣である。

この石垣は、渡唐船の船頭役を勤めた当家の主が
『 唐儲け 』 により建設したといわれており、往時の財力がうかがわれる。
第二時世界大戦において東側の一部が破壊されたが、平成九年三月に修復したものである。

( 渡嘉敷村教育委員会 )



沖縄の文化財  「 伊江村の城山 ( ぐすくやま ) 」

2014-07-29 00:22:41 | 沖縄の文化財



本部半島の備瀬から見た伊江島の城山 ( 伊江島タッチュウ )






伊江村の城山
Gusukuyama of Ie-son

( 県指定名勝 )
Prefectural Scenic Beauty


指定年月日 : 昭和 42 ( 1967 ) 年4月11日 
Designaed Date : April 11,1967
所在地 : 沖縄県国頭郡伊江村字東江上グスク原
Location : Agarie uegusukubaru,Ie-son,Kunigami-gun,Okinawa-ken


伊江城山は伊江島の東寄りにそびえ立っている岩山で、伊江島タッチュウとも呼ばれている。
高さは172mあり、山全体が赤色珪岩から出来ている。
頂上に登れば360度見渡すことができ、県内でも指折りの景勝地とされている。
この山は沖縄のグスク時代の遺跡で、住民の信仰の対象にもなっている。
また、貴重な植物であるイエジマチャセンシダも生育している。


 This rocky mountain is located at the east of the Ie island, and is also
called Iejima-tacchu.
It is 172m. high, and made of red quartzite.
The entire island can be seen at the top of the mountain which is one
of the most famous scenic spots in Okinawa.
This mountain is the remains of okinawan Gusuku Age, and is worshiped
by the residents at the same time.
Also, it is a place where a precious plant Iejimachasenshida grows.




沖縄の文化財 ・ 沖縄県伊江島 「 具志原貝塚 」

2014-07-25 04:47:41 | 沖縄の文化財



整備されて広っぱになった貝塚跡






具志原貝塚
Gushibaru Shell Mound

( 国指定史跡 )
National Historical Monument


指定年月日 : 昭和 61 ( 1986 ) 年6月9日 
Designaed Date : June 9,1986
所在地 : 沖縄県国頭郡伊江村字 川平下原
Location : Kawahira ,Ie-son,Kunigami-gun,Okinawa-ken



具志原貝塚は、伊江港北側の砂丘地に形成された貝塚である。
これまでに三度の発掘調査が行われ、
沖縄新石器時代早期 ( 約7000年前~3600年前 ) から
後期 ( 3500年前~2500年前 ) にかけて
約5000年もの長い間生活を営んでいたことがわかる。
また、その後の発掘調査によって数多くの土器や石器、
貝製品、貝類などが見つかり、
中でも九州からもたらされたとみられる弥生式土器 ( 中期の山ノロ式土器 ) が
沖縄で最初に発見されている。
これで弥生文化との関連を実証したことは学史的にも名高く、
さらにその後の調査で弥生後期の免田式土器やガラス製の小玉も発見され、
当時の人々が盛んに九州と交流していたことが窺える。


The shell mound is formed on a sandhill which is the noth of the Ie harbor.
Three excavations have been conducted so far,
and it was found that theshell mound
belongs to a long period of time, from the early to the late Okinawan Shell Mound Age
( for about 5000 years ).
The excavations also found many pieces of pottery, shells and shell products.
It is scientifically well known that this spot was the first
Okinawan shell mound where Yayoi pottery was found.
It is believed that the people in those days actively exchanged with people in Kyusyu.



沖縄最古のトンネル 「 運天トンネル 」

2014-04-05 05:02:41 | 沖縄の文化財














輪石などコンクリートで巻かれているので、当時の姿ではないが、
このトンネルは沖縄最古のトンネルである。
大正13年(1924)年に、村の人々の力によって造られたもので、
琉球王朝時代には運天港の近くに北部の行政の要であった今帰仁間切所が設置されていて
村民は港や今帰仁間切所に行くまでにこの山を越えなければならなかった。
だが、このトンネルが出来たからは周囲の集落へ安易に往来できるようになり、
村人たちも随分と楽になった。




消えた琉球競馬 ・ 幻の名馬 「 ヒコーキ 」 を追いかけて

2014-02-06 09:48:41 | 沖縄の文化財











今帰仁村仲原馬場跡






















宮古島にある鏡原馬場跡








鏡原馬場に残る勝敗やルールなどを見極めた審判台








読谷村にあるカタノー馬場







道路の直線がかつての馬場の面影を残している








首里大名町にある 「 平良馬場 」







平良馬場にある 「 馬浴せ小堀跡 」







大名町界隈の地図







糸満市米須にある 「 米須馬場跡 」







南海に浮かぶ小浜島で見かけた馬




競馬が好きで地元の地名を冠名にした豊前や豊州からその名を取った
スインホウシュウから競馬を愛した。
それからホウシュウエイト、ホウシュウリッチ、ホウシュウミサイル。
ブゼンコトブキにブゼンサカエというように上田さんの馬を応援していた。
もちろん、タイテエムやハイセイコー、キタノカチドキ、ディクタボーイ、
さらには重馬場の鬼、マサイチモンジなど数えきれないほどの馬を愛し応援して来た。
その競馬愛が冷めた近年、また新たな情熱をたぎらせる本に出会った。
それが 「 消えた琉球競馬 」 である。


スポーツニッポンの新聞記者で、沖縄でかつて行われていた 「 琉球競馬 」 を題材にした
「消えた琉球競馬 ( 幻の名馬 「 ヒコーキ 」 を追いかけて ) 」 を書いた
梅崎晴光さんが2013年度のJRA賞馬事文化賞と、
沖縄タイムス出版文化賞に輝いた本だ。

1秒でもハナ差でも速く走ることをめざし、
負けない馬を造ることを目的とした近代競馬がスピードスケートだとしたら、
琉球競馬は、その歩様の美しさを競うもので、
とりわけフィギュアスケートといったところだろう。
薄い皮膚にバランスの取れた馬体。そして柔らかい繫ぎでダクを踏む。
その華麗さを競うのである。

この本はかなりの労作だと思う。現存する馬場を探すのではなく、
そのほとんどが道路になったり、その後造成などで姿を変えたものを含めて、
探し出して行かなければならない。
資料と訊き込みで馬場を探し出していく行程は、グスクや石橋の探訪によく似ている。

ボクが何よりも嬉しかったのは軽視されがちな琉球競馬が
この本の出版によって全国的に日の目を見たことと、
この本が、東京や大阪の大手出版社ではなく、
那覇の与儀にある小さな出版社から出されていたことである。

沖縄のグスクや石橋を探訪している時に、たまたま馬場に出くわしたものは写真に撮っているが、
今後、沖縄の馬場を探訪するというカテゴリーがひとつ増えたので、
これから軽便鉄道ともども馬場探しが楽しみになって来た。


今帰仁村仲原馬場カタノー馬場
首里平良馬場、糸満の米須馬場、
それに宮古島の鏡原馬場



沖縄県那覇市辻 「 サンモウジ ( 三文珠 ) 」

2014-02-04 00:05:41 | 沖縄の文化財



三文珠公園内にある小さな丘になった 「 サンモウジ 」








琉球石灰岩で出来た丘







丘の下にある 「 坊主神 」 の墓?あるいは拝所










サンモウジ(三文珠)

那覇市辻町にある岩の毛が 「 サンモウジ 」 である。
18世紀、琉球国を代表する教育者、程順則 ( 名護親方寵文 ) 、
琉球国の執政で政治家の蔡温 ( 具志頭親方文若 ) 、
スグリ山田と呼ばれた山田親雲上 ( ペークミー ) の三人の賢者が
若き日このサンモウジの毛に時々集つて、夢を語りあい、琉球国の行方を語り、
多いに議論を交わしたことから、この場所がサンモウジと呼ばれるようになった。

また、他にも 「 三孟子 」 「 紗帽瀬 」 「 烏帽子 」 などと記されている物もあり、
どれが本当なのか判然としない。



沖縄県の文化財 「 伊江島鹿の化石 」

2014-01-21 06:13:41 | 沖縄の文化財



断崖の中腹にある半洞穴になった遺跡






伊江島鹿の化石
The fossil of Iejima-Shika ( deer )


( 県指定史跡 )
Prefectural Historical Monument

指定年月日 : 昭和 31 ( 1956 ) 年10月19日 
Designaed Date : October 19,1956
所在地 : 沖縄県国頭郡伊江村字 リリーフィールド内
Location : Rele field ,Ie-son,Kunigami-gun,Okinawa-ken



伊江島鹿の化石は伊江島の北海岸のリリーフィールド内にあり、
高さ約20mの断丘崖の中腹に形成された半洞穴の遺跡である。
昭和11年(1936年)に徳永重康は、洞穴で発見した鹿の化石の中に
加工された叉状骨製品が含まれていた。
そのことから、この遺跡を日本最初の旧石器時代の遺跡として学会に発表した。
しかし、近年では叉状骨については加工されたものではないとの見方もある。
戦後、同じ場所から旧石器時代の人間の頭骨片と数個の打製石器が見つかっている。
この遺跡は我が国の考古学研究史上においても貴重なものである。


The site is formed in a semi-cave halfway up a 20m.
high terrace whichis located at Rele field the noth seashore of the island.
The spot was presented as the oldest historic site of the Old Stone Age in Japan at a scientific
society by Shigeyasu Tokunaga because processed V- or M-shape bone objects had been
found in the fossils.
After the war, pieces of a human skull and several chipped stone tools were discovered there.