今度の部屋

授業でできなかったことや出版物についてフォローします(できるだけ^^)

堀越二郎『零戦 その誕生と栄光の記録』を読みました(その1)

2013-10-15 08:06:30 | 日記


 こんにちは。
 
 ブログのアップが遅れてしまいました。失礼しました。

 「零戦シリーズ」3回目です。

 堀越二郎『零戦 その誕生と栄光の記録』(角川文庫;244ページ)を読み終えました。

【内容】Amazonより
 世界の航空史に残る名機・零戦の主任設計者が、当時の記録を元にアイデアから完成までの過程を克明に綴った貴重な技術開発成功の記録。それは先見力と創意、そして不断の努力が見事に結晶したものであった。「われわれ技術に生きる者は、根拠のない憶測や軽い気持ちの批判に一喜一憂すべきではない。長期的な進歩の波こそ見誤ってはならぬ」日本の卓越した技術の伝統と技術者魂を見直すことが問われる今こそ、必読の一冊。

【気になった箇所】
・「…大きな仕事をなしとげるためには、愉悦より労苦と心配のほうがはるかに強く長いものであることを言いたい。そして、そのあいまに訪れる、つかのまの喜びこそ、何ものにもかえがたい生きがいを人に与えてくれるものであることを、この私の拙い小著から汲み取っていただけるなら、著者としてこれに過ぎる喜びはない」(5-6ページ)

 本書の「まえがき」にある文章です。堀越二郎というすぐれた人物が言うからこそ、重みをもってくることばだと思います。


・「われわれ技術に生きる者は、根拠のない憶測や軽い気持ちの批判に一喜一憂すべきではない。長期的な進歩の波こそ見誤ってはならぬと、われとわが心をいましめつつ、目のまえの仕事に精魂を打ちこんだ」(89ページ)

 5-6ページの文章と同じように、技術者の心構えとして、大変含蓄のあるものだと思います。(私は技術者ではないけれども・・・)

・(零戦が急旋回や宙返りをする特殊飛行試験の日に)「私はその空気の振動を全身に快く感じながら、首の痛くなるのも忘れて空を仰いでいた。試作機は、やっと自由な飛行が許された若鳥のように、歓喜の声を上げながら、奔放に、大胆に飛行をくりかえした。ぴんと張りつめた翼は、空気を鋭く引き裂き、反転するたびにキラリキラリろ陽光を反射した。
 私は一瞬、自分がこの飛行機の設計者であることも忘れて、「美しい!」と、喉咽(のど)の底で叫んでいた」(110ページ)

 零戦は戦争でつかわれる飛行機で、旅客機ではありません。零戦によって人が傷ついたり死んだりすることが充分想定されます(ほぼ確実に起こりうる)。時代状況からそれはしかたがないこと、当然のことだと思われるので、戦争の道具を作ったということで設計者を批判するつもりはまったくありません。
 極限までつきつめて設計し作られた飛行機はやはり美しいものなのでしょう。

・(堀越二郎が特攻隊を讃える文章を書くように言われて)「多くの前途ある若者が、けっして帰ることのない体当たり攻撃に出発していく。新聞によれば、彼らは口もとを強く引きしめ、頬には静かな微笑さえ浮かべて飛行機に乗りこんでいったという。その情景を想像しただけで、胸がいっぱいになって、私は何も書けなくなってしまった。彼らがほほえみながら乗りこんでいった飛行機が零戦だった」(221ページ)

 自分が設計した零戦で大勢の若者が特攻をしていることに対して、堀越二郎の複雑な心境が表れている文章である。

 
 今日も来てくださってありがとうございました(つづく・・・)。

吉村昭『零式戦闘機(れいしきせんとうき)』 を読みました

2013-10-11 10:10:12 | 日記



 こんにちは。

 零戦シリーズ2回目です。

 今日は、吉村昭『零式戦闘機(れいしきせんとうき)』 (新潮文庫)です。

 さて、ジブリアニメ「風立ちぬ」が上映されています。

 「風立ちぬ」は、零戦の設計主任であった堀越二郎をモデルの半生を描いた作品で、その中には堀辰雄の小説『風立ちぬ』の内容を少し取り入れているらしいです。まだ見ていないのでよくわかりません。

 さて、有名な零戦開発の経緯はどのようなものであったのかを知りたいと思い、読んでみることにしました。

【内容紹介】
 昭和十五年=紀元二六〇〇年を記念し、その末尾の「0」をとって、零式艦上戦闘機と命名され、ゼロ戦とも通称される精鋭機が誕生した。だが、当時の航空機の概念を越えた画期的な戦闘機も、太平洋戦争の盛衰と軌を一にするように、外国機に対して性能の限界をみせてゆき・・・・・・。機体開発から戦場での悲運までを、設計者、技師、操縦者の奮闘と哀歓とともに綴った記録文学の大巨編。


【気になった箇所】
・「牛車は、名古屋航空機製作所の荷役を請負う大西組所属のもので、・・・〔中略〕完成された機は、大西組をはじめ、東山、柘、加藤の各荷役の組の手で、胴体、翼に分離されて例外なく四十八キロへだたった岐阜県各務原飛行場へはこばれるのが常だった」(5-6ページ)

 トラックで約2時間、馬車では12時間かかる道を、牛車で24時間かけて、大江から各務原飛行場まで運んでいたことが書かれています。トラックや馬を使わなかった理由は、悪路では機体に傷が付くおそれがあったからです。牛のゆっくりした歩みが安全に機体を運べたのだそうです。
 後、ぺルシュロン馬という、力が強くおとなしい馬が導入されることになります。

・「牛も、必死だった。運ぶ回数も増すにつれて、牛たちの疲労も積み重ねられてゆく。そのため機体の運搬作業が終了すると、牛をそれ以上疲労させぬように、帰路はトラックに乗せた。牛に飼料は、充分与えられていたが、さらにその疲労回復をはやめるため、運輸係長の田村誠一郎は、ビールの特配を切望し、それをトラック上で牛に飲ませたりしていた」(249ページ)

 戦争が進むにつれ零戦も量産体制になり、牛が酷使されたので体力回復のための苦労話が描かれています。
 この当時の人々はビールを飲むことはできたのでしょうか。


・「日米戦争の一特徴ともなった壮絶な航空機による体当たり攻撃は、その日の突入に端を発して、翌二十六、二十七日とつづき、さらにそれは規模を徐々に大きなものにさせて、多くの若い操縦士たちは、それぞれ自機とともにその生命をつぎつぎと投じていった。
 かれらの間には、体当たり攻撃がいつの間にか日常的なものとなり、それを稀有なものとは思わぬような雰囲気がかもし出されてきた。そして、その海軍航空隊で手をそめた特攻戦法は陸軍操縦士にも積極的に採用され、飛行機は若者をのせた一種の爆弾と化し、太平洋は、祖国の危機を救おうとねがう若者たちの壮大な自殺場と化した。かれらの死は、戦争指導者たちの無能さの犠牲とされたものであると同時に、戦争という巨大な怪物の不気味な口に痛ましくも呑み込まれていったものなのだ」(331ページ)

 この文が、この本で一番心に残った箇所です。「壮絶な航空機による体当たり攻撃」とは、もちろん「神風特別攻撃隊」のことです。

 この作品には、零式戦闘機の開発に堀越二郎たちが苦労している叙述があります。どうして零戦が強かったのかの説明もあります。名古屋の勤労学徒たちの悲劇も描かれています。

 しかし、この文が心に残りました。特に「飛行機は若者をのせた一種の爆弾と化し、太平洋は、祖国の危機を救おうとねがう若者たちの壮大な自殺場と化した。かれらの死は、戦争指導者たちの無能さの犠牲とされたものであると同時に、戦争という巨大な怪物の不気味な口に痛ましくも呑み込まれていったものなのだ」のところです。

 私は、この箇所を読んだとき、「自殺場」「戦争指導者たちの無能さ」「呑み込まれていった」というところに、著者の激しい怒りを感じました。開発の話はどうでもよくなってしまいました。

 こういうことがこれから起きないようにしたいとは思いますが、かりに日本が平和だったとしても、他国では大勢の人々が内紛や戦争で亡くなっています。その解決策はわかりません。

 
 今日もきてくださってありがとうございました。

百田尚樹『永遠のゼロ』を読みました

2013-10-09 07:09:11 | 日記

 ↑ (箱座りをするネコ)


こんにちは。

今日から「零戦シリーズ」が始まります(全3回)。

百田尚樹『永遠のゼロ』(講談社文庫;589ページ)を読みました。

読み終えたのは2012年9月頃です(約1年前)。

おもしろい本ということで、読んでみようと思いました。

【内容紹介】
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくるーー。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。

【読んだ感想】
 本を読むことに慣れていない人でも結構楽に読み進められるだろうと思いました。内容はフィクションでしょうが、とてもわかりやすい話なのですぐに読み終えることができました。

 地図を開いて地名を確認しながら読むと、太平洋戦争がとても広い範囲で行われ、日本を離れた遠い地で死ななければならなかった人々の悲しみが伝わります。(もちろん連合国側の人も同じです)

 「歴史の授業ではこのあたりを勉強していないからよくわからない」という若い人にこそ読んでほしいと思いました。

 この作品をどう思うかはそれぞれあっていいのですが、まずは読んでみてほしいと思います。

 この小説は映画化され、その主題歌はサザンオールスターズが歌っています。いい曲です(「蛍」)。

 CD「ピースとハイライト」に収められているようです。この「ピースとハイライト」もいい歌でした。特に歌詞がユニークだと思いました。
 
 
 今日も来てくださってありがとうございました。

キャラクター商品とご当地グッズ(その27;滋賀県)その3

2013-10-08 01:01:20 | 日記



こんにちは。

滋賀県の3回目です。

滋賀県の自慢を調べていたら、素敵なHPをみつけました。

Be satisfactory ( http://shikairyoko.blogspot.jp/2010/04/100.html )

郷土愛にあふれたHPです。100個の自慢が載せられています(2010年4月の記事)。引用させていただきます。(長いですよ)

琵琶湖関連(とりあえず滋賀県といえば)
 01)面積日本一だぜ!
 02)京都と大阪の飲料水の源だぜ!
 03)世界でも珍しい古代湖だぜ!
 04)↑だから固有種だっているんだぜ!
 05)内陸県なのに漁港があるぜ(しかも最多)
 06)余呉湖はもっとレア湖
 07)セタシジミや鮎は京都の高級料亭で京料理に化けてる
 08)琵琶湖ルール(洗剤編)
 09)滋賀県のシンク排水溝の網目はどこよりも細かい
 10)複合遺産で世界遺産登録目指してる(複合遺産は世界遺産の中でも一番少なくて日本にはまだない)

文化財・歴史
 11)国宝の数は全国5位
 12)国指定重要文化財の数は全国4位
 13)延暦寺(世界遺産・天台宗総本山)
 14)重要文化的景観の第1号は滋賀県(近江八幡の水郷)
 15)薬師如来像の数は全国一
 16)紫香楽宮(甲賀寺)
 17)大津宮
 18)保良宮
 19)安土城
 20)彦根城(国宝)
 21)世界最大級の淡水貝塚
 22)正倉院宝物にもあるよ人面ヤシの実発掘
 23)藤ノ木古墳並だよ鴨稲荷山古墳
 24)歴女ブームにのっかって注目度UPUP佐和山城
 25)出世城だよ長浜城
 26)桜も綺麗だよ小谷城跡
 27)合戦場だって知名度は高いよ姉川古戦場跡
 28)行くなら5月がオススメ賤ヶ岳古戦場跡
 29)製鉄遺跡も沢山あるよ木瓜原遺跡・源内峠etc
 30)↑都に鉄製品を供給してた鉄工場=滋賀
 31)奈良の大仏は最初紫香楽で作ろうとしてたんや
 32)日本最古の漆塗り容器
 33)日本最古の起請文木札
 34)日本最大の起請文木札
 35)日本史の重要人物は滋賀県を必ず通った!
 36)瀬田の唐橋は壬申の乱の頃から今と同じ場所
 37)しかも当時としては最先端の高等技術で作られてた
 38)日本で一番水中考古学が進んでる
 39)昭和まで地区区分が律令時代のまま
 40)滋賀県になってからも律令区分=県(近江国=滋賀県)
 41)琵琶湖にも竜宮城伝説がある
 42)余呉湖の羽衣伝説は日本最古
 43)日本最古の真鍮(非金属)
 44)石山寺(物語の舞台にも、執筆場所にも)
 45)三井寺
 46)逢坂の関

産業とかその他県政とかごった煮
 47)京扇子と言いつつ骨は滋賀県産だ!
 48)滋賀県知事は関西ブロックと中部ブロックとを掛け持ち
 49)滋賀県の図書館は全国トップレベル
 50)↑通称人さらいの滋賀県(ヘッドハンティングしまくり)
 51)博物館業界でも滋賀県は魁(現在は停滞…)
 52)実は工業県
 53)県民の平均所得は意外と上位
 54)財政がそこまで真っ赤じゃない(これでも健全な方のグループ)
 55)交通の要衝(昔は船・今は高速)
 56)ゴミ処理場が意外と高機能(大津だけかな?)
 57)信楽学園
 58)内陸県なのに造船所がある(琵琶湖の所で書きそびれた)
 59)平和堂
 60)来来亭
 61)銀行の個人顧客率が高い(貸し付けがイマイチだが預金は多い)
 62)フローティングスクール
 63)信楽焼
 64)↑秋には『たぬきやすむで~』…というのがあった。
 65)信楽の窯業試験場は地味に色々スゴくて面白いものを作ってる。
 66)滋賀ロケーションオフィスの頑張り
 67)近畿なのに特別豪雪地帯(旧余呉町)
 68)歴代最高積雪11m(伊吹山・日本一記録)
 69)醒ヶ井のバイカモ
 70)子供人口が全国平均より高い=育てやすい街・滋賀県
 71)ヴォーリズ建築とけいおん!で豊郷町が一気に有名に
 72)近江商人
 73)↑日本で複式簿記を始めたのは近江商人から
 74)甲賀市長と伊賀市長は毎年手裏剣対決(負けたら勝った方の事も観光宣伝する)
 75)大河ドラマの第1シリーズは滋賀県が舞台(花の生涯)

滋賀県出身・ゆかりの有名人(だいぶ削った)
 76)雨森芳州(学者)
 77)中江藤樹(学者)
 78)W.ヴォーリズ(建築家)
 79)UVERworld(音楽)
 80)西川貴教(音楽)
 81)↑の滋賀県への還元っぷりはマジでスゴい。
 82)白洲正子(作家)
 83)司馬遼太郎(作家)
 84)ヒロ・ヤマガタ(画家)
 85)今森光彦(写真家)
 
食べ物
 86)嫌いな人も多いけど鮒鮨は高級品なんだ!
 87)赤こんにゃくは近江八幡だけだ!湖西では見ない!
 88)鯖鮨は焼き鯖鮨がオススメ!
 89)↑米はうるち米だけじゃなく餅米ミックスだとなおウマい
 90)たねや
 91)そしてクラブハリエ(ロールケーキうまー)
 92)話題性だけはあるサラダパン…湖北の一部でしか買えないし特に美味しいわけでもないよ…

スポーツ
 93)高校野球も強いぞ近江・比叡山etc
 94)高校サッカーも強いぞ野洲・守山北・草津東etc
 95)JFLに県内2チーム(佐川・Mio)
 96)栗東トレセン
 97)日本代表最多CAP井原
 98)次代の星、乾
 99)レイクスターズに東レもあるよ!

おまけ 
100)ジブリの高畑監督をして「ここがもののけ姫の世界か」と言わしめた里山

ーーーーー(引用 以上)ーーーーー

 こんなにあるのに、ご当地キティの数が少ないのはとても残念です。

 とても有名な「ひこにゃん」とのコラボはぜひやっていただきたいものです。

 比叡山キティちゃん、安土城キティちゃんも希望します。

 滋賀県はこんなにすごいのは、キティちゃんに頼らなくても充分やっていけるからなのでしょうか。


 今日も来てくださってありがとうございました。(おしまい)



キャラクター商品とご当地グッズ(その27;滋賀県)その2

2013-10-07 09:01:01 | 日記



こんにちは。

滋賀県の2回目です。

【甲賀流(こうかりゅう)】wikiより

 甲賀流(こうかりゅう、こうがりゅう)とは、近江国甲賀の地に伝わっていた忍術流派の総称。山を一つ隔てた場所に存在する伊賀流と並び、最も有名な忍術の一派として知られる。甲賀流伊賀流ともに伝系に関しては仮託の説が多く信用できるものはあまりない。なお、

「甲賀流」という名称の単一の流派は存在せず、あくまで甲賀に伝わる複数の流派があわさって甲賀流と呼ばれているにすぎない。
甲賀は本来「こうか」と読み、地名に因る名称であるが、忍術に関してのみ「こうが」との誤読が一般的となっている。
 
 今の滋賀県甲賀市(こうかし)、湖南市にあった。普段は農業をしたり、行商をしたりして各地の情報を探る一方、指令が下ると戦場やその後方へ出向き、工作活動に励んだ。手妻に優れると評され、忍術の流派の中でも薬の扱いに長けており、その名残として甲賀には今も製薬会社が多い。
 甲賀は六角氏の傘下に属しながらも「惣」(そう)を形成し、郡に関わる全ての案件を多数決によって決定(合議制)・運営するなどしていた。これはこの時期では全国的に見てもきわめて珍しいことである。

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【猿飛佐助(さるとびさすけ)】をついでに調べてみました(wikiより)

 講談や立川文庫の小説などに登場する架空の忍者。ただし、モデルとなった人物(上月佐助など)が実在したとする説もある

 忍者ものの文学、講談などでは群を抜く知名度を持ったヒーローである。戦後、猿飛佐助をモチーフにしたキャラクターが、多くの小説や漫画などで生み出されている。

 信濃の鳥居峠の麓に住む鷲尾佐太夫という郷士の息子で本名は井辺武助である。戸隠の山の中で猿と遊んでいるところ、戸澤白雲斎に見出されてその弟子となる。甲賀流の忍者だが、甲賀の里で修行した経験がない。
真田幸村に仕え、真田十勇士の1人として知られる。同じ十勇士で伊賀忍者の霧隠才蔵は、ライバルでもある。大坂夏の陣で徳川方に敗れた後、幸村と共に薩摩に落ちのびたという。

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 甲賀市には、製薬会社が多いというのはおもしろいですね。

 甲賀忍者なのに、甲賀の里で修行した経験がない・・・ふむふむ・・・。


 今日も来てくださってありがとうございました(つづく・・・)。

キャラクター商品とご当地グッズ(その27;滋賀県)その1

2013-10-06 14:14:23 | 日記



こんにちは、ご当地キティちゃんシリーズです。

今日は滋賀県です。

【あすなろ舎さん】http://gotochikitty.com/pref/shiga/

 15th Anniversary GOTOCHIKITTY 滋賀 鮎 : (ちょっとよくわからない)
 滋賀 甲賀忍者 : 忍者姿のキティちゃん
 滋賀 信楽焼寝転び :信楽焼のたぬきになったキティちゃん
 滋賀 彦根城 : 彦根城の前のキティちゃん
 鮎塩焼き : 鮎と一体化したキティちゃんが焼かれている?
 お江 :お江になったキティちゃん(着物姿)
 琵琶湖なまず10 : なまずになったキティちゃん
 琵琶湖雫 : しずくになったキティちゃん
 近江牛ステーキ10 : 牛になったキティちゃん
 タボくん(西川貴教)×HELLO KITTY :滋賀ふるさと観光大使を務めるアーティスト、西川貴教(T.M.Revolution)のキャラクターとキティちゃん


【WIKI】http://ja.wikipedia.org/wiki/ご当地キティ#.E6.BB.8B.E8.B3.80.E7.9C.8C

【琵琶湖】琵琶湖Vol.2 / 琵琶湖ミシガン(琵琶湖汽船のミシガンという船らしい) / 琵琶湖なまず / 琵琶湖鮎 / 琵琶湖鮎Vol.2

【その他】大津絵藤娘/甲賀忍者/近江しがらき/彦根城/滋賀大津東海道五十三次/栗東/鳥人間

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【栗東(りっとう;市)】wikiより
 滋賀県の南西部に位置する市。はかりの生産量が日本一である。 1991年に栗東駅が開業したことや、名神高速道路栗東インターチェンジが設置されており自動車の便が非常に良いこと等から人口が急速に増加し、2001年10月1日に市制を施行した。全国的には、日本中央競馬会(JRA)の栗東トレーニングセンターがあることで「馬のまち」として有名である。


【大津絵】
 映像については、http://www.google.co.jp/search?q=大津絵&client=safari&rls=en&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=qd1MUp6jOo_2kAXexYCgCg&ved=0CDkQsAQ&biw=1415&bih=1124&dpr=1

 をご覧ください。 

 以下wikiより引用します。

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 滋賀県大津市で江戸時代初期から名産としてきた民俗絵画で、さまざまな画題を扱っており、東海道を旅する旅人たちの間の土産物・護符として知られていた。

 東海道、逢坂関の西側に位置する近江国追分(髭茶屋追分)を発祥の地とする。寛永年間(1624- 1644年)のころに仏画として描かれ始めた。当初は信仰の一環として描かれたものであったが、やがて世俗画へと転じ、加えて18世紀ごろより教訓的・風刺的な道歌を伴うようになった。

 松尾芭蕉の俳句「大津絵の筆のはじめは何佛」には、仏画が多かった初期の大津絵の特徴が表れている。また、江戸時代初期のキリシタン弾圧に際して「自分は仏教徒である」という隠れ蓑的役割も有していたと言われる。

江戸時代を通じ、東海道大津宿の名物となった。文化・文政期(1804- 1829年)には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定し、一方で護符としての効能も唱えられるようになった(「藤娘」は良縁、「鬼の寒念仏」は子供の夜泣き、「雷公」は雷除けなど)。画題は増え続け、幕末には最盛期を迎えたが、画題の簡略化に伴って減少し、現在では百余種とされる。

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 藤娘は画題の一つであったらしいです。


 今日も来てくださってありがとうございました。(つづく・・・)

むのたけじ『たいまつ』から(2013.10.3)

2013-10-03 08:18:00 | 日記


こんにちは。

苦しいときの「むのたけじ」です。

むのたけじ『詞集 たいまつ 1』(175ページ;評論社)より、今日のひとこと・・・。


「意義ある人生は、絶えず未知への挑戦につらぬかれている」


簡潔で、力強い文です。

同時に、自分の人生がなんと情けないことか・・・。


今日も来てくださってありがとうございました。

教職実践演習が始まる(その3)

2013-10-02 07:13:41 | 日記

 (↑ ネコの 右フック 炸裂 の瞬間)


こんにちは。

「教職実践演習」3回目です。

文部科学省のHPはさらに続きます。

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4.授業方法等
 2.に示すような内容の授業を効果的に展開するためには、授業方法の面でも、課程認定大学が有する知見を結集して、理論と実践の有機的な統合が図られるような新たな授業方法を積極的に開発・工夫することが重要である。具体的には、授業内容に応じて、例えば教室での役割演技(ロールプレーイング)やグループ討論、実技指導のほか、学校や教育委員会等との協力により、実務実習や事例研究、現地調査(フィールドワーク)、模擬授業等を取り入れることなどが考えられる。

(想定される主な授業形式)

「役割演技(ロールプレーイング)」
 ある特定の教育テーマ(例えば、いじめ、不登校等)に関する場面設定を行い、各学生に様々な役割(例えば、生徒役、教員役、保護者役等)を割り当てて、指導教員による実技指導も入れながら、演技を行わせる。

「事例研究」
 ある特定の教育テーマに関する実践事例について、学生同士でのグループ討議や意見交換、研究発表などを行わせる。

「現地調査(フィールドワーク)」
 ある特定の教育テーマに関する実践事例について、学生が学校現場等に出向き、実地で調査活動や情報の収集を行う。
 学生に自己の課題を自覚させ、主体的にその解決に取り組むことを促すため、本科目の履修に当たっては、役割演技(ロールプレーイング)や事例研究、指導案の作成等の成果を省察する観点から、単に映像記録等を残したり、感想文を書かせるだけではなく、例えば学生に実践記録を作成させる等の工夫が求められる。

 受講者数は、演習科目として適正な規模(授業内容、方法等にもよるが、おおむね20名程度)とし、演習の効果が最大限に発揮されるよう配慮することが望ましい。受講者数が増える場合には、大学の実情に応じて、ティーチングアシスタント(TA)等を活用するなど、授業形態の工夫を図る必要がある。

 
ーーーーーーーーーーー
「役割演技(ロールプレイング)」

 いじめ・不登校・盗難・飲酒喫煙・・・など、私もいろいろな生徒指導をしました。

 それをロールプレイにうまく仕立て上げられるでしょうか。

 「指導教員により実技指導をいれながら」とあります。

 臨場感や現実感がないと、上滑りしますね、たぶん。

 これは難しそうですね。


「事例研究」
 
 これはロールプレイより簡単そうです。

 事例を読ませたり、ビデオを見せた後、話し合いさせる。

 研究発表まではいかないと思いますが、なんとかなるかもしれません。


「フィールドワーク」

 現場の学校に理解があるといいのですが、それぞれの学生の要望に応えてもらうことは難しいかもしれませんね。

 

 ということで、10月末からこの授業が始まります。

 がんばります!(何をがんばるのだか・・・)

 今日もきてくださってありがとうございました。(おしまい)

教職実践演習が始まる(その2)

2013-10-01 08:28:10 | 日記


こんにちは。

「教職実践演習」2回目です。

文部科学省のHPはさらに続きます。

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 具体的に目指されるものが規定されています。

3 到達目標及び目標到達の確認指標例 (到達目標のみを転載)

・使命感や責任感、教育的愛情等に関する事項

  ○教育に対する使命感や情熱を持ち、常に子どもから学び、共に成長しようとする姿勢が身に付いている。

  ○高い倫理観と規範意識、困難に立ち向かう強い意志を持ち、自己の職責を果たすことができる。

  ○子どもの成長や安全、健康を第一に考え、適切に行動することができる。

・社会性や対人関係能力に関する事項

  ○教員としての職責や義務の自覚に基づき、目的や状況に応じた適切な言動をとることができる。

  ○組織の一員としての自覚を持ち、他の教職員と協力して職務を遂行することができる。

  ○保護者や地域の関係者と良好な人間関係を築くことができる。

・幼児児童生徒理解や学級経営等に関する事項

  ○子どもに対して公平かつ受容的な態度で接し、豊かな人間的交流を行うことができる。

  ○子どもの発達や心身の状況に応じて、抱える課題を理解し、適切な指導を行うことができる。

  ○子どもとの間に信頼関係を築き、き、学級集団を把握して、規律ある学級経営を行うことができる。

・教科・保育内容等の指導力に関する事項

  ○教科書の内容を理解しているなど、学習指導の基本的事項(教科等の知識や技能など)を身に付けている。

  ○板書、話し方、表情など授業を行う上での基本的な表現力を身に付けている。

  ○子どもの反応や学習の定着状況に応じて、授業計画や学習形態等を工夫することができる。


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 今の教員志望の学生には上記のことが求められています。
 
 
 では、私が大学4年生の時にこれらのことができていたか・・・を思い出してみます。

 今の私ではないです。あくまでも学生時代を回顧しています。

 今の私を判定するといろいろ問題がでてくるので、あくまでも「学生時代の私」です。先生になる前の4年生です。(しつこい)

 (〇=よくできた △=まあまあ X=だめ : 理由 )


 ・使命感や責任感、教育的愛情等に関する事項

  ○教育に対する使命感や情熱を持ち、常に子どもから学び、共に成長しようとする姿勢が身に付いている。
     (×:子どもから学ぶなどと考えていない。子どもは教える対象だったと思う。先生はこどもより成長した存在と思っていた)

  ○高い倫理観と規範意識、困難に立ち向かう強い意志を持ち、自己の職責を果たすことができる。
     (×:ぬるま湯につかっている学生の私が、困難にたちむかうことはできなかったと思う)

  ○子どもの成長や安全、健康を第一に考え、適切に行動することができる。
     (△:子どもあっての教員なので、これはそこそこ考えていたと思う)
     

・社会性や対人関係能力に関する事項

  ○教員としての職責や義務の自覚に基づき、目的や状況に応じた適切な言動をとることができる。
     (△:挨拶をさぼったことがある)

  ○組織の一員としての自覚を持ち、他の教職員と協力して職務を遂行することができる。
     (〇:私は応援部だったので組織に対する適応力はあったと思う。厳格な上下関係には慣れていた。)

  ○保護者や地域の関係者と良好な人間関係を築くことができる。
     (△:人見知りが激しいので、なかなか大変だったと思う)

・幼児児童生徒理解や学級経営等に関する事項

  ○子どもに対して公平かつ受容的な態度で接し、豊かな人間的交流を行うことができる。
     (×:親しみを持った態度・・・ニコニコとか苦手ですね。しかも見た目はこわかったと思う)   

  ○子どもの発達や心身の状況に応じて、抱える課題を理解し、適切な指導を行うことができる。
     (×:生育歴ってなかなかわからないものです。子どもの家庭状況が子どもの行動に大きく影響するのはわかっていますが・・・)

  ○子どもとの間に信頼関係を築き、学級集団を把握して、規律ある学級経営を行うことができる。
     (△:「規律ある」学級経営はむずかしかったかもしれない。)

・教科・保育内容等の指導力に関する事項

  ○教科書の内容を理解しているなど、学習指導の基本的事項(教科等の知識や技能など)を身に付けている。
     (〇:まあできていたと思う。大学入試は勉強したので、他の人にも言えると思うが、人生で知識量のピークは大学入試のときだった)

  ○板書、話し方、表情など授業を行う上での基本的な表現力を身に付けている。
     (×:黒板に文字を書くこと、つまり板書はできなかったと思う。板書は難しい。慣れるのに時間がかかる。表情もあやしいものだ)

  ○子どもの反応や学習の定着状況に応じて、授業計画や学習形態等を工夫することができる。
     (△:教育実習でしか子どものことを知らないので、なかなか学生の頃は難しかったと思う。特定の内容を時間内で終わらせようとしたはずである)


 ひどいことになってしまった。


 〇=5点 △=3点 X=1点 とすると「32点」でした。

 満点は、60点です。

 きついですね・・・。たぶん教職実践演習の単位は落とすと思います。



 今日も来てくださってありがとうございました。(つづく・・・)