フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

RESTAURANT SALIERI

2005-07-10 08:22:48 | パリ・イギリス滞在

昨日(7月9日)ロンドンに着いて Courtauld Institute of Art Gallery でややせわしないが充実した時間を過ごした後、その近くを歩き回る。少し変わった、見る人が見ればけばけばしい(私自身は気に入った)装飾を施したレストラン、サリエリ Salieri が目にとまり、そこで夕食を取る。食事の前にオーナーが来ていたので少しお話をした。パリのジャズ・カフェ Le Petit Journal のオーナーもそうだったが、彼も立志伝中の人物のようだった。キプロスから出てきてこの業界で活躍しているようだ。店で働いている人もほとんどが同郷の人ではないだろうか。店の装飾も独特で、壁や椅子に描かれた絵が面白いという話をすると、彼は店内の装飾の特徴やこれまで人生を語り始めた。地下にも席があり、装飾をしたアーティストは Vincent O'Brienと言っていたようだ。料理は数日前にパリのステラ・マリスで食べた後なので気になることは沢山あったが、おそらく値段相応なのだろう。ちょっとした出会いになった。

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パリ最後の夜 LE DERNIER JOUR DE PARIS- AMATEUR D'ART

2005-07-08 23:51:50 | パリ・イギリス滞在

ここ2-3日肌寒い日が続いている。今日も雨が時々降っていた。昨日は働いているセクションの人が、私のためにそれぞれ料理を持ち寄ってパーティを開いてくれた。私が皆さんを招待しようと提案したのだが、受け入れてもらえずこのようなことになってしまった。MDからはプレゼントがあった。中世美術館で聞いたスペインの中世音楽に彼の家で再会したというお話を書いたが、そのCDであった。実は昨日 FNAC で探したのだが見つからなかったもので、感激。

今日はこれからの仕事の打ち合わせをMDとした後、ケーキを囲んでお返しのお別れパーティを開いた。

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その後、一ヶ月に及んだパリ滞在の最後に不思議な出会いが待っていた。少し長くなるが、フランス語の勉強もかねて書いてみたい。

一昨日の夜、久しぶりにブックマークしている展覧会などを扱っているサイトに行って驚いた (Amateur d'art: visites d'expos)。これまで日本の方からいろいろコメントをいただき、励まされてきた。今回は日本語もわからない方が、そのブログの中で私のサイトについて触れていた。今パリにいるので、何か不思議な、ありがたい気持ちになった。

そこには次のように紹介されている。

J'ai commencé ce blog le 28 mars. J'ai depuis publié 25 papiers, et reçu 50 commentaires provenant d’une vingtaine de personnes, souvent fidèles, avec qui des liens se développent peu à peu.
Bien que n'ayant jamais parlé du Référendum sur la Constitution Européenne, j'ai aujourd'hui entre 200 et 250 visiteurs par jour. Ce chiffre me fait très plaisir. Etre inclus dans la Sélection du Monde m'a aussi fait très plaisir. Parmi les sites qui ont eu la gentillesse de me mentionner, il y a même un japonais, nommé Paul Ailleurs, dont la devise semble être In vino veritas.

(私は、3月28日にこのブログを立ち上げました。すでに25の記事を発表し、20人くらいから50のコメントを貰っています。彼らとのコミュニケーションは徐々に発展しつつあります。UE憲法の投票については話したことはありませんが、毎日200-250の訪問者がいます。この数字を嬉しく思っています。またル・モンドにこのブログが載ったことも非常に喜んでいます。私のブログについて触れてくれているサイトの中には、In vino veritas がタイトルと思われるサイトをやっている Paul Ailleurs という日本人もいます。)

そのページに以下のコメントを送った。

Merci de commenter mon site. Je suis très honoré. J'habite à Tokyo, mais je suis à Paris depuis un mois. Malheureusement je dois partir ce week-end. Il y a 4 ans, je suis devenu francophile (je ne sais pas pourquoi), et j'ai commencé à écrire toute les choses qui sont evoquées par la culture française. Je reviens à votre site. À bientôt.

(私のサイトについて触れていただき、ありがとうございます。私は東京に住んでいますが、一ヶ月ほどパリにいます。残念ながらこの週末には去らなければなりません。4年前にどうしてかわかりませんがフランコフィルになり、フランス文化に触発されるすべてのことについて書き始めました。また訪問させていただきます。では近いうちに。)

このコメントに対して、直ちに以下のようなメールが入った。アクサンなどで文字化けしていたのを推測で再現してみる。

J'avais en effet noté le lien sur votre site, mais n'avais évidemment pas pu comprendre. Je ne savais pas si vous étiez un Français au Japon, ou un Japonais francophile et francophone. J'aurais été ravi de vous rencontreré à Paris, mais je suis à Londres et ne rentre que vendredi. A une prochaine fois, j'espère. Je suis allé une dizaine de fois dans votre pays, pour affaires et une fois un peu de tourisme (ascension du Fuji Yama). Mais sans connaître la langue, il est difficile d'appréhender l'histoire, la culture. Et aussi, je trouvais un tel écart entre ce que je savais des films et de la littérature japonaise, et, de l'autre côté, mes contacts avec les hommes d'affaires, que c'était assez frustrant.

(以前からあなたのサイトのリンクについては気付いていましたが、読むことができませんでした。あなたが日本にいるフランス人なのか、フランコフィルでフランコフォンの日本人なのかわかりませんでした。パリでお会いできれば嬉しいのですが、今ロンドンにいて金曜にならなければ帰れません。おそらく次の機会に。これまで日本には10回は行っていると思います。仕事がほとんどですが、1回は富士山に登りました。しかし言葉がわからないと歴史や文化を理解するのは大変です。それに日本映画や文学で知っていることと実際に仕事で会い、苛々させられることの多い日本人とのギャップの大きさに戸惑っています。)

このメールに対して、昨日の朝以下の返事を出した。

Merci de votre réponse. Je suis 100% Japonais. J'ai commencé à apprendre le français il y a 4 ans et cette fois-ci j'ai eu beaucoup de plaisir d'utiliser la langue musicale et merveileuse, même si ça m'a gêné. Si vous avez le temps vendredi soir, j'aimerais vous voir quelque part. Si vous serez fatigué, à la prochaine fois, peut-être au Japon.

(ご返事ありがとうございます。私は純粋の日本人で4年前からフランス語を始めました。今回は、少し大変なのですが、音楽的で素晴らしいフランス語を使う喜びを感じています。もし金曜の夜お時間があるようでしたら、どこかでお会いしたいのですが。お疲れでしたら、次の機会に、日本ででもお会いしましょう。)

その10分後に以下のメールが届いた。

Avec plaisir (à moins que les attentats à Londres ne me bloquent ici !)
Vendredi 18h au café B, ça vous conviendrait ?
(喜んで。今度のロンドンへの攻撃でここから動けなくならなければ。では金曜午後6時カフェBで、よろしいでしょうか?)

カッコ内の彼の話は冗談かと思っていたら、周りが騒ぎ出したので本当にロンドンがやられたことを知る。メールにはOKの返事を出した。

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全く知らないフランス人と rendez-vous をするというので、今日のパーティの時に行くのは危ないのではないか、要注意、という声が多数。途中から加わった隣のセクションの人もやや呆れ顔であった。thrilling だ、というのをフランス語で何というのか聞いてみると、この場合は effrayant ではないかとのこと。少し心配になりながら部屋に戻った。出る時に受付の人に今晩の予定を言うと、もし明日戻っていなかったら誰に連絡すればいいのか、と真面目な顔でからかっていた。

約束の時間に少し遅れていたので急いで Centre Pompidou (Beaubourg) の近くのカフェへ向かった。中に入りそれらしい人を探していると、向こうからこちらに乗り出して来るような素振りをする人がいるのですぐにわかった。大体同年代で、芸術を愛するような風貌の人がそこに座っていた。私の直感は正しかったと実感し、それから1時間密度の濃い話をした。

彼はワイン関連の仕事をしていて、ロンドンで4日、残りをパリで過ごしている。暇を見て他の街に行き芸術に触れるという。今回のロンドンのテロの一つは彼のオフィスから300 メートルのところであり大変だったようだ。昨日予定を早めてパリに帰ってきたのだが、ロンドン中心はまさに砂漠のようで、交通機関は全くなし。困っていたところ、rickshaw を見つけ駅まで行ったそうで、夢のような経験だったという。onirique という形容詞を使っていた。美しい言葉だと思った。この騒乱の中、イギリス人の落ち着いた対応に感心していた。

私はアメリカに7年滞在し、これまでアメリカからものを見ており、フランスに目覚めたのはほんの4年前、フランス文化に触れることによりいろいろなことに目が開かれて exciting だというような話をする(exciting は excitant かと聞くと、それは drogue や sexe に関連した場合で、文化的な場合は intéressant とのこと)。彼もアメリカに同じ7年いて、ボストンのMITの後、ワシントンDCの世界銀行に勤めていたという。日本にも行っているが、最初の3つの夢、旅館に泊まること、大衆浴場に入ること、富士山に登ることのすべてを成し遂げたと満足げだった。

彼が今やろうとしているのは、iPod で展覧会の解説(型どおりのものだけでなく、面白いものも)を télécharger して楽しめるようにすることだそうである(企業秘密でなければよいが)。そうなれば、展覧会や美術館がもっと魅力あるものになるだろうということで期待したい。あっという間の1時間であった。ありがたかったのは、彼がフランス人に話すのと全く同じ調子で(話し方を言葉のよくわからない外国人に対するような調子に変えるのではなく)話してくれたことである。こういう時は、言葉の誤りを余り気にせず、自分なりに内容に集中できるので実質的な話がどんどん進む。この他にもいろいろなテーマが話題になり、それぞれの考えのエッセンスを出し合うというような rendez-vous になったようだ。こういう1時間も面白いものだな、と思う。また私がパリに来たときに会うことを約束して分かれた。

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彼と別れてから、会う前に若干の不安があったせいか、久しぶりの解放感、カタルシスを感じながら Halles のあたりを歩き回る。偶然見つけたアメリカン・カフェで夕食をとる。明日から Anglo-saxon の世界に移る。アメリカン・ミュージックも懐かしく感じられた。食事の後、すぐ近くにあったジャズクラブ Le Baiser Salé に入り、Afro-Jazz を聞きながら、不思議な、刺激的な出会いの多かったパリ滞在を締めくくるにふさわしい最後の夜を反芻していた。

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旅のメカニズム、あるいは吉野建 MECANISME DU VOYAGE OU T. YOSHINO

2005-07-07 23:05:22 | パリ・イギリス滞在

今回の旅が終わりに近づき、感じ始めていることがある。それは、これまでの時間がまた頭のどこかの引出しに入っていってしまうのかということ、裏返すと今生活しているのは実は自分の頭の中なのではないかということである。日本に帰ると全く次元の違う生活が待っている。そこで生活しているうちにこの一月の時間は記憶のどこかに消えていく、というよりどこか手の届かないところに蓄えられる。そして、何かの引き金でそれが鮮やかに蘇ってくるのだろう。

今回も人に会うことにより、これまで忘れていた(記憶に上ってこなかった)ことが鮮明に浮かび上がってくるという経験をした。人間の記憶の凄さを見せつけられた。おそらく年とともに記憶力が落ちるというのは間違っているのだろう。日々身の回りに起こっていることはどんどん蓄積されているのだ。しかし記憶されたものを引き出す力が弱くなってくると言った方がよいのではないか。それはある意味当然なのだろう。蓄積されている情報量が年とともに増えるのだから。そして、記憶を蘇らせるのは、異質なものに触れるしかないのではないか。そういう時に記憶の引出しが開き、そこに詰まっている情報の多さと正確さにわれわれは驚くのだ。

現在と過去のやり取りにより、喜びや悲しみを呼び覚ますことができる。そういう精神活動(脳を刺激すること)が自ずとできる一つの場所が旅になるのだろう。さらに、人類の過去(昔の人、昔の出来事、昔の人が考えていたこと、成し遂げたことなどなど)とも向き合うことにも繋がる。人類の過去と向き合うことにより、自分の過去も蘇ってくる。絡み合っている。そういう機会をこれからもできるだけ作っていきたいと思い始めている。

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今回は、不思議としか言いようのない繋がりに出会う旅である。今日、仕事場のある5階の窓から外を見ていたBが、日本人がいると教えてくれた。会いに行ってみると、何と私が昔学んだ大学の学生のグループだった。まさに奇遇としか言いようのない、今回の旅を象徴するような出来事であった。

夜はなぜか気分がよくなり、以前に触れたことのある Stella Maris を3年ぶりに訪ねた。前回に来た時とは雰囲気が変わって、店内は明るく広々とした印象を与える。奥様によると全面改装したとのことであった。窓側の席に座っていろいろな角度から店内を見てみたが、どの方向を見てもどこかに植物が目に入り、その視界に入る所を切り取ってみると絵になる。細心の注意で配置されていることがわかった。今回は、シェフの吉野さんが挨拶に出てこられて、皆さんに言葉をかけていた。私のところにも来られたので、ここに来るようになった経緯や Le Point の記事のことなどを少しだけお話した。何か変わったデザートでもお出ししましょうか、という言葉を聞いて、今までには余り感じたことのない心遣いのようなものを感じた。それは家庭医が患者に対する時の心にも通じるようにも感じたのだ。前回はお見受けしなかったので、このようなことがあるとは予想していなかったが、シェフとお話をできるということはそこに行っているものにとってありがたい経験になるということを今回実感した。今夜は新たな出会いを味わい、素晴らしい料理に時間を忘れ、平安のうちに過ぎていった。

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パリとの別れの感情が、、PARTIR DE PARIS, DEJA NOSTALGIQUE

2005-07-06 22:29:22 | パリ・イギリス滞在

今週末にはロンドンに移動しなければならない。パリ滞在はあと2日しか残っていない。まさに今回の滞在の crépuscule である。別れの感情が生まれつつある。日曜から始まるイギリスのケンブリッジの会合には日本からの参加もあり、その意味では現実に戻りつつある。この3週間半が早くも懐かしいものに思われ始めている。夢の世界に変わりつつあるということだろうか。

今日は最後のミーティングが午後にあり、若い人が発表していた。フランスから去るということになると、フランス語モード(緊張感)が解けつつあるのか、話しに熱が入らなくなっているようだ。今回は、私のフランス語学習のために、との彼らの思いやり(?)のためか、すべてフランス語であった。ぼんやりとはわかるようになってきている (今回よく聞いた言葉は、se débrouiller 何とか切り抜けるという意味で、こういう場合に非常に便利)。しかし、しっかりわかるようになるためには、それを自分の頭の中で再構成できるようになっていなければ駄目なのだろう。これからは、いろいろと読んだり聞いたりを続けながら、未熟であることは気にせず自分の中で文章を作り、それを機会を作って発していくこと。その過程で彼らの言葉の使い方を少しずつ掴んでいくしかないのだろう。長いプロセスの、新しい Défi の始まり。

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最近テレビでは連日のように PARIS2012 が取り上げられていた。今日の午後その結果が出て、2012年のオリンピックがロンドンに決まり、皆さん少し元気がないように感じる。今朝の Le Monde には、フランスの代表 (パリ市長 Bertrand Delanoë) のインタビューが載っていて、結果がどうなるかわからないという不安とともに語った 「フランスにはアングロサクソンのロビーイングの伝統がない」 Nous n'avons pas la tradition du lobbying anglo-saxon という見出しが目に入った。今回はフランス人の特徴とも言われている arrogance が出ないように控えめにやったようである。リュック・ベッソンのプロモーション・フィルムを見ていると、パリの風景が大きく変わるかもしれない歴史的な機会だったということがわかり、新しいパリを見てみたかったという点ではやや残念でもある。

今日のディネは、地元(という感じになってきている)のカフェで日が沈むのを味わいながらゆっくりと取った。それにしてもフランスパンが固い。前回はこのように感じたことはなかったが、そろそろ歯が弱ってきているのか。

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ブルトゥイユのシャトー CHATEAU DE BRETEUIL

2005-07-03 23:39:59 | パリ・イギリス滞在

昨日はMDのお宅に招待を受けた。パリを車で南に下り、50分ほど行ったところにある中世の街、シュヴルーズ Chevreuse の森の中に彼の家はあった。フランス語の先生をしている奥さんの出迎えを受け、その素晴らしい家を案内してもらう。パリでは到底手に入らない大きさなので気に入っているようであった。今回驚いたのは彼自身が彫刻や絵などをやっていて、その作品を家に飾っていることだった。中にはコクトー張りのものや目の錯覚を利用した見る位置を変えることによりものが動いて見えるもの、コカコーラのボトルを処理して不思議な形にしたり、女性を表現した作品などがあった。パリに住んでいたらこういうことをする気にもならないし、作業スペースの面でも無理だっただろう、と郊外に住む利点を説かれた。あなたもパリ郊外に家でも買って移ってきたらどうだ、などと冗談を言っていた。

早速フランス料理を意識したという昼食をいただいた。シードルを飲みながら、サラダ、ラパンと野菜の煮物、それから赤い果物4種の組み合わせ (fruits rouges? と言っていたようだ) にアイスクリームと焼いたばかりの la langue-de-chat という口当たりのやさしいクッキーがデザートに出された。それから庭に出て、トルコ・コーヒーを飲みながら、これからの予定を説明される。この近くの中世から 16-17 世紀にかけての街を数ヶ所回った後、Château de Breteuil でゆっくりするとのこと。Dampierre と Choisel の名前が頭に残っている。

中世の建物のなかで生活している人、廃墟に近い教会の墓地では大人と分けて埋葬されている子供の墓や過去の大戦で亡くなった人の墓(この小さな町で第ニ次大戦で3-4人の戦死者だったのに第一次大戦では30人くらいが死んでいる、それだけ guerre 14-18 が激烈だった証だと彼は言っていた)、中世に使われていたという小川の脇に作られた洗濯所など、を見た後、目的地のシャトーへ。フランス庭園の特徴を持った、左右対称できれいに刈られている木や植物が広い空間に置かれている。解放感がある。2時間ほど庭園の中を歩いた。ここは日本人にも人気の場所らしい。日本語のパンフレットもあった。どういう訳か、当日は人をほとんど見かけなかった。さらに庭の周りは野生の森が広がっている。下まで行ってみないかと言うので森の中を3時間ほど歩いて帰ってきた。

帰りにミッテランの友人でもあったという作家のミシェル・トゥルニエ Michel Tournier (1924-) が近くに住んでいるというので、その家に立ち寄ってくれた。

お宅にたどり着い時はすでに8時を回っていたので失礼しようと思ったが、夕食をとってから帰らないかということになり、もうしばらくお邪魔した。夏に庭で食事をするのが楽しみだと言っていたが、確かに気持ちがよい。どんな音楽がいいかと聞くので、古いもの、例えば中世の音楽はどうだろうと言うと、流れ出した音楽が先日中世美術館のコンサートで聞いた Cantigas de Santa Maria だったのには驚いた。その音楽を聴きながらゆったりとした週末の夜を過ごした。さらに別れ際に奥様がギリシャ・ローマの神話についての本(学校でも使っているという)をプレゼントしてくれたのには、朝訪れたモロー美術館で感じていたことを見透かされているようで驚くと同時に、感激した。やっと暗くなりかけた10時過ぎにお宅を失礼した。

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パリの3週間 TROIS SEMAINES DE PARIS - COSMOPOLITISME

2005-07-01 22:03:37 | パリ・イギリス滞在

パリに来て3週間が経過した。最初の1-2週間は興奮状態で、相当に歩いている。3週目は少し疲れも出てきたのか、今までであれば歩いていたところもメトロを利用するようになってきた。レジダンスの前のいつも買い物をする店の親爺も私の顔を見るとニコニコして話しかけるようになっている。ブログを読み直してみたが、結構いろいろなことをしてきたようだ。とにかく1ヶ月である。日本に帰ってから少しは深めてみたいと思えるものの種を蒔いておくくらいしかできないだろう。残りの1週間もできるだけいろいろなものに触れておきたい。

先週、同じ職場で働いているBが日本語の文字について質問を浴びせてきた。見え方の違うのがあるがどう違うのか(カタカナ、ひらかな、漢字)、また日本語は文字に意味が込められていると聞いていたがどうなのかと。そこで、われわれのセクションにいる人の prénom を漢字に直してみた。漢字の選択に私の先入観もあるのかもしれないが、出来上がった名前はその人の特徴(一部なのだろうが)をよく表しているのに気付き驚いた。彼らもそう思ったらしく、メールで回した途端に大きな反応があった。午前中は別のセクションで働き、午後にわれわれのセクションに来ている秘書のSはすぐにメールを送ってくれた。

MERCI beaucoup, c'est vraiment super !!

Sは以前から午前中働いている隣のビルに一度来ないかと誘ってくれていた。今日行ってみて、彼女が誘ってくれていた意味がわかったような気がした。私が来ているところは、すべてフランス人で比較的少人数、広い仕事場を各人がゆったり使っている。今日行ったところは、chef が在仏20年近いアメリカ人女性で、働いている人もイギリス人、イタリア人、ドイツ人、中国人、それからブラジルで生まれパリ在住30年という日系の女性など多彩。人も多く、横を向けば隣の人の肘が当たるという狭さであった。フランスでもこれだけの違いがありますよ、というところを私に見せたかったのではないだろうか。ただSはどちらかというと、このごった煮の状態が気に入っているようだったが。彼らとも一度に食事に行かないかと、ありがたいことまで言ってくれた。

フランスでは、アメリカほどではないが、責任者に外国人を積極的に採用するようになっているようである。現に私のいるところの各セクションを束ねているのはアメリカ人(奥さんはフランス人とのことだが)で、他にもセクションのトップにポルトガル人、イタリア人、アメリカ人など多彩である。この方式の方がうまく行っているので、追随するところが増えているとのことであった。日本にもこういう cosmopolite な環境があれば、難しいこともあるだろうが働いてみたい気もする。ただ、ヨーロッパの中の国でさえ文化が違い大変とのこと、日本に来た場合の彼らの負担を考えると実現には相当の時間がかかりそうだ。

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FNAC MONTPARNASSE - L'HOMME QUI MARCHE

2005-06-30 20:00:19 | パリ・イギリス滞在

街を歩いていると、むずがる子供に Tu arrête ! Ça suffit ! (止めなさい) と大きな声、坂道を子供がローラーブレードで降りていくのを見て Doucement ! Doucement ! (ゆっくり、ゆっくり)、赤ん坊にお菓子を差し出しながら Tiens ! と言い、受け取ったら Merci ! とはっきりした口調で話しかけている母親などを見かける。またこのあたりの小学生が先生と一緒に歩いている姿をよく見かけるが、子供が騒いでいると Calmez-vous ! (静かにして) と先生の怒鳴る声が聞こえる。文字を読んでみると単純なのだが、街中の現場で聞くと言葉が生きていて美しく響く。フランス語が今回のように耳に入ってくるのは初めてだ。そこで生活しているような心の余裕があるせいだろう。

写真のデータをパソコンに移すための小物を探しにモンパルナスの FNAC に出かけた。パソコンのコーナーに行くとカメラのコーナーに安いのがあるというので1階に戻って仕入れた。そのお陰でこちらで撮った新鮮な写真を載せることができるようになった。

先月18日に谷口ジローの漫画について触れたが、その時は谷口ジローの「歩く人」が手に入らなかったので、こちらでフランス語訳を仕入れようと考えていた。早速、その思いを実行に移すべく3階に向かう。彼の本は一般の展示棚とは別に、通路に特別に設置した棚に置かれていた。やはり高く評価されているようだ。日本の製本よりは立派で重量感がある。幸い L'homme qui marche はそこにあった。

それから近くにあった語学コーナーで、面白そうな教科書はないかと物色する。こちらに来て早3週間。周りの人も日本の学校では学べないような言葉を教えてくれる。これまで蓄積したものを日常の中で話したり聞いたりしていると、どのように使えばよいのかという感触が少しずつ得られてきたようなので、日常会話の表現を体系的にしかも簡潔にまとめられている本で頭の中を整理してみたくなった。日本の本屋でも見たことがある Guide pratique de la communication を迷った末に買った。こちらにいる間に、生の感覚をつかんでおこうと思ったのだろう。実際に自分が経験している日常生活の状況に応じた表現がまとめられているので、すんなり入ってくる。日本に帰ってからでは読む気にならなかっただろう。

暇を見て L'homme qui marche をざーっと読み流した。何気ない日常が、言葉少なく、まさに谷口の詩情溢れる静かな世界として広がっている。これまで読んだ作品と同質の世界である。こちらで読んでも何かを呼び覚ましてくれる魅力溢れる世界だ。

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ある古本屋にて

2005-06-17 17:51:31 | パリ・イギリス滞在

宿泊先の résidence (という名前になっている) に入る時に、目を横に向けると通りの向こうの店先に白いひげを生やした恰幅のいい、中世から出てきたような (こういう時に使う言葉としてあるのだろう、moyenâgeux がぴったり当てはまる) 親爺が立っていた。私が目をやったのを見て店の中に入っていった。今まで全く気付かなかったその店のほとんど剥げ落ちている看板を見てみると、d'occasion の文字が読める。古い物を置いているようだ。中に入ってみると、古本屋の風情。

入り口近くにあったフランスの古い絵葉書の類が入ったファイルを見ていると、20世紀初頭の日本のものもあるけど見ないか?と親爺が聞いてきた。25年間かけて世界中から3万枚もの絵葉書を集めたのだという。見るだけ見てみた。上野公園、小金井の桜、銀座、芸者風の女性ものも多数あり、中には神戸女学院などが出てきた。なぜか懐かしい気分になる。パリのこの汚い店で日本の明治時代の女性や風景などを見ている。不思議な感じがした。そこの汚さは歴史の底に沈んでいきそうな怪しい汚さで、やや疲れもした。これに比べると日本の古本屋の汚さはまだ軽く気楽で清潔に感じられた。

古いものを見ているうちに、そこに埋もれて生活しているこの店主が少しだけ羨ましく感じられてきた。古いものを集め出すと抜けられなくなるという話をよく聞く。歴史ものにはそうさせる甘美な何かがあるようだ。メランコリックな目をした店主は来週の火曜から1ヶ月バカンスに出ていなくなるという。それまでにもう少し店の中を探ってみたい。

不思議な rencontre であった。

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古本市 Parc Georges Brassens


(2013年7月1日)

再びこの店の前を通ったところ、蛍光灯が煌々と照らす新しいお店に変わっていた。あの親爺はどうなったのだろうか。時の流れを感じさせる変化に出遭うと、どこか物悲しいものがある。


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朝のひと時 AU CAFE DU MATIN

2005-06-16 21:47:47 | パリ・イギリス滞在

このところ時差ぼけのためか5時には目が覚める。今朝は7時過ぎに部屋を出て、角のカフェで朝のカフェを飲みながら Le Point を読む。日本に帰ればあるはずなのだが、Parisの特集が目に付いたので買ってしまった。文化欄に行くと « Proust, l'été de 1906 » のタイトルが見える。Marcel Proust の友人の手記が出てきて、それが出版されるという (« Une saison avec Marcel Proust. Souvenirs », de René Peter. Avant-propos de Dominique Brachet, préface de Jean-Yves Tadié; NRF Gallimard, 171 pages)。1906年といえば、プルーストが母親を亡くし、ベルサイユに落ち着いた時期で、近くに住んでいたルネと半年ほど生活をともにしたその思い出が書かれているようだ。彼が有名になる前の姿が浮かび上がってくるのだろう。

また別のページには、マルセイユで8月中旬まで開かれているプロバンスを描いた画家の展覧会 (Sous le Soleil, exactement) の記事がある。ヴァン・ゴッホ、セザンヌ、ジョルジュ・ブラックなどの他にも18世紀くらいの画家も含まれているらしい。昨日、FNACに行って Baux Arts のセクションを見ている時にこの展覧会のカタログが売りに出されていたのを思い出していた。日本で遠くの出来事として読むのと違って、すぐにでも手に入る本や週末にでも見に行けそうな展覧会などが出てくるので気持ちが良い。

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昨日の朝の6時くらいであったか、テレビをつけると人間の生殖細胞や胚の扱い(人間がこれらを操作してよいか)について専門家の話をまとめたドキュメンタリーをやっていた。彼らの話を聞いていて、議論が浮き足立っていない、背後に筋が一本入っているような印象で、とても私と同年代の人とは思えない落ち着きと哲学的な何かを秘めている様子が漂っているのを感じていた。別の印象を言えば、ほとんどの人が mélancolique なのである。年齢だけのせいではないと思われる。アメリカのビジネスライクな(やや、いけいけという感じの)ところでは余り感じられなかったものでもある。日本でもまだ追いつけという発想が強いのか、アメリカのやり方に染まっているせいなのか、そういう印象を持つことはほとんどない。若い頃にはヨーロッパは少し遅れているというような印象を持っていたが、今では彼らの生き方も面白いと感じるようになっている。日本賞を貰ったという学者も出てきてコメントしていた。彼女は人がほとんどいない広々とした、古びた実験室で、日本ではもう使われていないだろう種類の顕微鏡を覗いていた。

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仕事に意味を DONNEZ UN SENS AU TRAVAIL

2005-06-15 21:34:25 | パリ・イギリス滞在

今日はセクションの la réunion が午後1時間あり、その後私を受け入れてくれたMDと1対1で3時間ほど話をする。何語でやりましょうかというので、間違いがないように英語で行くことにした。théâtral とさえ言える調子の話を聞いていて、彼の仕事に対する熱がじわじわと伝わってくる。時々私の意見を聞いてくるものの、ほとんど休みなく話し続けるのである。そのエネルギーはどこから来るのだろうか、とにかく感心させられた。伝えようとする(伝えたいという)気持ち、あるいは人の考えを聞きたいという思いが強いのだろう。見習わなければならないと感じる。もうひとつは、仕事を哲学的に見ようとしている。やっていることに意味を、できるだけ普遍的な意味を与えられないか、ということに執着しているのを感じた。この点も、自らと照らし合わせてみると、もっと務めなければならないようだ。人と真剣に話すと必ず何か得るものがある。これまでの経験では、日本よりは外国での方がこの手の話はやりやすいようだ。

話し終わって、雑談に移る。仕事以外でも何かを一緒にやらないかという話になり、MDがセクションの仲間と一緒にお宅に招待したいと言い出した。フランスの奥深く (au fond de la France) に案内しますよ、とのことであった。せっかくの機会である、« profiter de cette occasion» ということにしたい。

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パリでの日常

2005-06-14 23:34:43 | パリ・イギリス滞在

パリでの日常が始まった。仕事場は Tour Montparnasse の近くの15区にある。朝、近くのカフェでクロワッサンとカフェ(日本で言えばエスプレッソに当たるのか)の簡単な le petit déjeuner を取ってから歩いて行く。せわしなく出勤するパリジャンの姿を見ながらの出勤は気持ちよい。

月曜の朝、仕事場に顔を出すと、最初だけでも英語で紹介されるのかと思ったが、受け入れてくれたMDからは威勢の良いフランス語が飛び出した。どうもフランス語で通す予定のようだ。どうなることか。実は、パリに着いてから4日間ネットにつなぐことができなかった。ここの reseau につなげなかったのだ。こちらで働いている日本の方2人にも来ていただいたが埒が明かず、最終的には informatique の専門家がフランス語版の Windows (ここはほとんどが Mac) の設定と比較しながら調整をしてくれた。4日間が非常に長く感じた。ネットにつながらないと仕事にならない生活をしていたということに改めて気付く。周りの若い人が非常に親切なので助かる。

午前中、仕事を始めるに当たり書類の作成、ID の発行などがあり、来る前の書類のやりとりから感じてはいたがフランスの bureaucratique な側面を見る。夜に関連施設の人が集まる専門の会があるというので、様子を見に出かけた。8時開始なのだが、ワインとおつまみ(デザートまで揃っていて、充実していた)で皆さん情報交換とか世間話をしてなかなか始まらない。子供の話、ベトナムで教育に携わった時の話、ギリシャ哲学のこと、中国の状況などが出てきて結構刺激になった。MDがその場で私のことを francophile で francophone だと紹介したので、後の方は違うと慌てて否定。会が終わる10時ころには時差ぼけのためか、ものすごい睡魔に襲われ、その後のお付き合いもそうそうにホテルに直行した。年配の人が多い和やかな会で、街では味わえない経験であった。

本日(火曜)は昼休みと仕事が終わってから仕事場の近くを散策する。この時期のヨーロッパは夜10時くらいまで暗くならないので、うきうきする。偶然にロダンの弟子の彫刻家ブルーデルの美術館 (le musée Bourdelle) を見つけた。すでに閉まっていたので柵の間から中庭に展示されている彫刻を見る。週末にでも入ってみたい。帰りに、住まいの近くにあるカフェで planche campagnarde (ハム数種、チーズ数種、野菜を板の上に乗せたもの)とワインの夕食をとる。横ではこれから発表か試験でもあるのか、2人組の女子学生がビールを飲みながら口頭練習をし合っている。Serveur も年配だが胸を張り威勢がよく、気分が解放された夜となった。

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成田出発まで

2005-06-11 23:44:58 | パリ・イギリス滞在

11日土曜の朝、出発前にNHK-TVをつけると「悲しい本」という翻訳絵本(谷川俊太郎訳)が3万部以上売れているという。これは異常な反応のようだ。息子をなくした老境に入った男の話で、悲しみを避けたり、そのために無謀になったりして過ごしていくが、最終的には蝋燭の火をともしながらその悲しみと向き合うことによって心の安寧を得るというお話のようであった。2人が取材されていた。一人は生まれたばかりの息子を亡くした60歳の夫人。今まではどんなことをやっても悲しみは消えなかったが、この本を読んでから悲しみに向かい合うことにより、気持ちが非常に楽になったと言う。実際に蝋燭をともして、彼と一緒に生きていると話しかけるといる。もうひとりは80歳の女性で、今は認知症になった姉90歳と一緒に居酒屋をやっていたが、姉の入院により止めざるを得なくなった。これまで人に言えないような意地悪をしたり、人の喜びをともにすることもできなかったらしいが、本のおかけで人と一緒に喜ぶことができるやさしさを持つことができるようになったという。80歳にしてである。

新宿でNarita Expressを待っている時、News Weekの日本版を読む。これまでの生活を完全に外から見直すことができる生活に向かうという微かな喜びがある。最初のページにある世界の政治風刺漫画を読み始めた時、なぜかその昔のニューヨークでの週末が蘇ってきた。日曜の早朝、近くのレストラン(今適切な名前が浮かんでこないが、実際は喫茶店のような食堂)で朝食を取り、歩いてイーストリバー沿いへ。そこのベンチに腰掛け、途中で買ったニューヨークタイムズの分厚い日曜版を川の匂いと風を感じながら隅から隅まで読んでいた。これから先のことなどをぼんやりと考えていたのだろうか。幸せな時間が流れていたことを思い出していた。

空港でチェックインをした時、予想もしていなかったトラブルが発生。スーツケースが24 Kg で罰金13,000円くらいになるという。重そうなものを出したがまだ21 Kg。日本のカウンターである、これでよろしいですよと言ってくれた。パリの空港(あるいはヨーロッパの)だったら、絶対に譲らないだろう。それから荷物の再チェック。その時に鍵を掛け忘れていた。自分に腹が立っていたのだろう。気付いた時はすでに遅し。以前にも同様のことがあり、その時は無事に戻ってきたので、今回もそう願いたい。幸先の悪い出発となった。

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ヨーロッパ・モード

2005-06-09 21:28:45 | パリ・イギリス滞在

この土曜日にパリに向け出発である。いつも1-2日前にならないと、その気にならない。今朝、メールをチェックするとパリで私を受け入れてくれるMDから歓迎の熱意が伝わってくるメッセージが入っていた。またイギリスのケンブリッジで会を主催する旧友のDAからは20分程度のお話をしてほしいとのメールもあり、次第にヨーロッパ・モードになりつつある。

今回のヨーロッパは、以前とは全くと言っても良いくらい見る目が違ってくるのではないかという予感がする。このブログを書き始めたことと無縁ではないだろう。まだ確かな目を持っているわけではないが、過去に埋もれているものが想像を絶するくらい多いということを意識できるようになっているのと、望むらくはひとつの視点を持ってそれらを見ていければ、という気持ちが芽生えてきているように感じるからである。

向こうで何をやるかは具体的には考えていない。いつもの通り、その時の気分に任せることになるのだろう。先が見えているほどつまらないことはないので。1ヶ月を越える滞在の中で、異物との触れ合いから生まれる自分の中の変化を観察してみたい。

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夢から覚めて

2005-05-23 20:41:21 | パリ・イギリス滞在

花粉症が去り、体の方は少し前から落ち着いていたが、ようやく寝覚めの悪い夢から覚めたようで精神的にも落ち着きを見せてきている。「今・ここ」 に腰を落ち着けて、という気持ちになっているようだ。今年の花粉症シーズンを今の段階で振り返ってみると、どうもブログを始めるためにあったようにも思えてくる。

現実に戻ると、来月中旬からパリへの出張が始まる。今日、年末に会ったジャズマン (2 avril 2005) からメールが入っていた。まだ準備もしていないが、何か予想もしないような新たな出会いでも待っていないものかと、ぼんやり考えたりしている。

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Stella Maris = 吉野 建

2005-04-27 20:17:14 | パリ・イギリス滞在
                 "Rue de Paris. Temps de Pluie."
                  Gustave Caillebotte (1877)

昨日届いた Le Point にパリのレストラン 「ステラ・マリス(Stella Maris)」 のシェフ、吉野建 Tateru Yoshino さんが un japonais étincelant として、« Le dernier samouraï » の中で紹介されていた。étincelant という言葉の響きも、意味 (= brillant, vif: esprit étincelant きらめく才気) も素晴らしい。なぜか嬉しくなる。

パリ、料理に詳しい方はよくご存知だと思いますが、私がこのレストランを知るようになったのは、3-4年前のこと。よく顔を出していたレストランのシェフ (HH) が、もしパリに行くのなら一度行ってみてはいかがですか、と勧めてくれた時に始まる。HHさんはパリで7-8年働いていて、シラク大統領にも料理を出したこともあるという人で、最初はフランス語を教えてもらったりしていた。目に入る情報が増えるに従って、吉野さんはその道では名の通った料理人であること、若いときにパリで勉強した後日本で成功するが、それに飽き足らず再びパリで研鑽しようとする (Le succès ne l'empêche pas de revenir en stage à Paris.) 求道の人であることを理解する。Michelin の星がなかなか手に入らないらしいが、料理も星の数では計れないだろう。Le Point の記事でもその点は好意的に扱われている (Michelin ne lui accorde que deux fourchettes. Mais toute la critique est sous le charme.)。

数年前に初めて、凱旋門近くにあるそのレストランに立ち寄った。丁度横に座ったイスラエルからのご夫婦 (昔アメリカの大学で働いたが、今は悠々自適の生活をしているという) と気持ちのよい会話の時間を持つことができたことを思い出す。そんなにパリが好きだったらきっと気に入るだろう、と言って"Paris to the Moon" (by Adam Gopnik) という本を紹介してくれた (邦訳も 「パリから月まで」 としてアプオンから出版されている)。不思議なことに、その本をその時読み始めていたのだ。

帰りに吉野さんの奥様から、本 (「星をつかむ料理人」 新潮社) が出たこと、NHK-TVの 「ようこそ先輩課外授業」 に出演することなどを教えていただいた。本の方はまだであるが、「課外授業」 は幸運にも見ることができた。どの料理人も子供の時に経験した味が基本にあるということを改めて感じた。

前回の滞在では時間が取れず、行けなかった。この夏にパリを訪れた時には、是非もう一度味わってみたい。財布に余裕をもって。Le Point によれば、Les prix, eux, ne font rire personne. Mais ils sanctionnent la qualité. とのことなので。

7 juillet 2005 吉野 建
10 septembre 2006 マルモッタン美術館
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