作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 かしましいTPP論議 】

2011-10-20 10:50:29 | 02 華麗な生活

24項目の一つ一つをあげつらい解説する俄か論者が多い。
反対論の主たるベースは、相変らず農業問題だ。
TPPに参加しようがしまいが、関係なく農業従事者の高齢化
現象があり、
個々の農家の規模零細がある。
農村に生まれた者が帰農する以外に
日本の農業を再び繁栄
させる道はない。TPPは関係がない。

一つの例を上げよう。
昭和21年9月末、満州から4人の親子が淡路島南部に
引揚
げてきた。四国からの連絡船が淡路島の港に着いた時、
すでに辺りは真っ暗だった。
淡路鉄道という電車があり、福良から賀集駅までの最終に
間に合ったが、
すでにバスは運行を止めていて、親子は
夜道を一時間ほど歩いて目指す家にたどり着いた。

朝になって水道が来ていないことを知った小六の息子は、
生まれて初めて見る井戸の水を
汲み顔を洗った。
家の周りは僅かの前庭を除いて、すべて田んぼであった。

すでに稲刈りが終っていたのかも知れない。
息子はそれまでコメの成る植物を見たことが
なかった。
だが家の周りがみんな田んぼとは頼もしいことであった。
満州時代に内地は食糧不足だと聞いていたのに、ここは
コメの成る田んぼで充ちている。

田んぼの持ち主たちは、満州帰りの一家に冷淡であった。
一家は早速食糧難に苦しむことになる。僅かの大麦と主体
がサツマイモのお粥が一家の
主食の日々が、それから
丸三年続いた。
元々病弱児であった息子は栄養不足で成長期を
過ごすこと
になる。
高校に進学して、お粥が麦飯に昇格したが、冷えた麦飯に
ゴマ塩だけ、
またはサバの削り節に醤油をかけたモノを
まぶせただけの弁当は哀れなモノであった。

それが満州から敗戦の一年後に、父の生まれ故郷に帰って
来た一家の実情であった。
実質上の主食となったサツマイモだって、農家が供出用に
作るのは「増産芋」という、
甘みもかすかにあるだけの、
やたら図体だけが大きなモノで、中味が赤みを帯びた
美味い
芋は農家が自家用に別に作っていた。

殆どの農家には乳牛が二・三頭飼われて
いたが、そこで絞る
牛乳は工場に送られ、引揚者一家のクチに入ることはなかっ
た。

敗戦から一年が過ぎていたから、農地解放の実体は知らな
い。それまで小作農であった
零細農家が、一挙に自作農に
なり羽振りが良かったことだけを覚えている。

これが農村に舞い降りたよそ者が受けた仕打ちであった。
農業を守るためにTPP参加
反対と言われて、そうかと言う
気にはなれない。
農家はイザという時に、日本全体のことなど考えはしない。



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