作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 ハンガリー動乱 】

2007-10-27 11:50:00 | 04 時事ニュース


昨日の日経紙「春秋」からの引用ですが、1956年
秋に起きた、ハンガリー動乱を描いた映画が、
ハンガリーと英国との共同で制作され、11月
封切りになるという。題して「君の涙ドナウに流れ」。

動乱と呼ぶのは、当時の東欧圏を支配下に
置いていたソ連からの見方であって、当事者の
ハンガリーから見れば、あれは対ソ戦争だった。

ボクがハンガリーに盛んに出入りしたのは、
1975年から78年にかけてだったが、ハンガリー人
が異句同音に唱える、「この前の戦争」とは、まさしく
世界が動乱の言葉で片付ける、あの1956年の
対ソ戦争のことだった。

1968年に起きた「プラハの春」。こちらはチェコの
自由化運動をソ連軍が踏みにじったものだったが、
それに先駆ける1956年に、いち早くハンガリーが
ソ連の圧政から脱して、自由な国になろうとしていた
のだ。

ボクは大学4年だった。「スペインの牛」と
呼ばれていた。赤旗を見ると狂うという意味で、
敗戦後の満州で、小学生5年ながら、暴行
・略奪・凌辱をほしいままにしたソ連の軍隊を、
この目で見ているから、日本に共産党が居ること
自体が許せなく、「赤い大学」とまで呼ばれていた
のを、共産党関係の部室のすべてを開放し、
党籍を誇る教授三人を辞めさせるまで
頑張ったのだった。

そんな時に起きたハンガリー動乱だったが、首相の
ナジが、逮捕されたあげく、見せしめにと両足を
くくられて木の枝にぶら下げられて、嬲り殺しに
あった写真報道があったが、共産党は「あれは
西側のスタディオで制作された、為にする
インチキ写真だ」とまで言っていた。

民族大移動の時期に、あの地に残された
アジアの民が作った国が、ハンガリーだ。
すごく親日的な国でもある。
赤ん坊には、蒙古斑点が、そのまま出るし、言葉の
体系も日本語とそっくり。ただし単語は難しい。
シーズンになると、エンドウ豆を入れて塩味をつけた
ご飯を炊く国、ハンガリーをボクはこよなく愛する。

こんな映画ができるほどに、ハンガリーは
自由国家になった。
おめでとう。    

                  パパゲーノ

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