作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 幼き日々のこと (2) 】

2007-03-23 15:05:56 | 12 幼き日々のこと


ボクは父の勤務の関係で大連市で生まれた。

大連には日露戦争に絡む将軍たちの名前を
冠した通りや街区が多くあって、
ボクの出生地もその一つ、山縣通りという。

言うまでもなく、明治の元勲の一人、
山縣有朋から取った名前。

奇兵隊上がりで、元の名を狂介という。
こんなヤツが陸軍の総帥となったから、
旧帝国陸軍には野蛮な部分が多かったんだと、
これはボクの個人的意見。

幸か不幸か、ボクには山縣通りの想い出が無い。
ムリもない。生後一年以内に奉天に移ったから。

年に一度、父は会社から長い休暇をもらい、
内地に家族連れで帰ってくる。
母方の祖父が、歯医者の出で、その兄貴と共に
事業を始めて成功していた。

日本で初めて出来た歯科用のセメントを作ったのが
その祖父兄弟の会社「赤尾セメント」。

祖父の家は帝塚山の北隣、松虫にあった。

内地に帰国すると松虫の母の実家が本拠地となる。

3才児のボクは、祖父の連れ合いに天王寺動物園
に連れられて行っている。祖父の連れ合いといった
のは、母の実母じゃなく、後妻でもない。
つまりはお妾さんだったのだが、3才児のボクの
あずかり知るところじゃない。

ボクはサル山の前から動こうとしない。
ゾウにもキリンにも興味が無かったらしい。

覚えたての大阪弁で、

「オサルのオケツは真っ赤っ赤」なんて叫んで
いたらしい。一つ違いの妹が居たんだが、ボクは
その妹のことを、全く記憶していない。

奉天に「満蒙百貨店」という、大きなデパートがあり、
そこの写真館に長い間、ボクと妹が並んで写った
大きな写真が張り出されていた。

二人は全く似ていない。
妹は父譲りの目の細い子で、
ボクの方は、母親そっくりの二重まぶたの大きな目。
そいつが海軍の水兵帽をかぶって居た。

ボクはそのデパートへ行って、その写真を眺め、
妹のことを知ったんだ。


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