作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 小林繁を悼む 】

2010-01-19 14:10:26 | 10 我ら猛虎党

79年のことだった。世に言う江川問題。
すべては江川のエゴイズムから出た事件。

空白の一日なるものを、コミショナーが認める結果となる
インチキ操作の始末のために、江川をドラフトで獲得した
阪神とのトレードの指令が出て、宮崎キャンプに向かう
小林繁が急遽タイガースへの人身御供にされた。

ボクはというと、辞めさせないと頑張る会社の意向を無視
して、勝手に会社を長欠し、独立すべく大阪は淀川の
川向こうに、廉い家賃と保証金の事務所を構え、あとへは
引かんと会社との対決姿勢に出ていた。

大阪市東淀川区西中島。
この地名は、やがてマンション・トルコなるもののメッカとして
週刊誌などで喧伝されることになる。
そんな場所での独立の準備だった。

果たして脱サラ独立がうまく行くのか。
夕闇がせまり暗くなると、不安が頭をもたげてくる。

あの頃は、毎晩のように酒に浸った。
酔うことで不安を押しのけていた感じ。

新事務所の界隈に十数か所の飲み屋があって、そのすべて
にオールドのキープをした。ボトルの名前は、19小林だった。

80年のシーズンで22勝を上げた細腕サイドで、対巨人戦で
8連勝を挙げた。なのに当時の阪神タイガースは優勝とは
縁遠い弱小チームであった。

小林繁を暖かく迎えた選手会長が江本。
後に中西太監督に「ベンチがアホやから」と歴史的な暴言を
吐いて退団。
なんと参議院議員として政界に出た。
小林繁は31歳で野球をやめた後、歌手を目指したり、
事業家になろうとしたりで、あまり幸福ではなかった。

日本ハムの二軍コーチだったとは、今回の報道まで
知らなかった。  合掌


                    パパゲーノ



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