東大地震研の首都圏直下型地震の発生確率の発表以来、
震度の話題があちらこちら盛んに行なわれている。
日本で最初の震度7は、95年1月に起きた、阪神・淡路だった。
それまでの最高震度が6までだったから、当初は6強と発表
されたが、実地に入った研究者たちが、あまりの家屋倒壊
振りに驚き、後刻震度7という、それまで無かった震度に
格上げされた。
ボクはその震度7を体験している。
倒れてきた家具などの下敷きになって圧死した犠牲者が、
神戸市でも最も多かった東灘区で、住んでいた家の中庭にも
活断層が走り、周辺に在った木造家屋は、全部倒壊した。
当時の後頭部が出っ張っていたテレビが、空を飛んだなんて事は
珍しくもなかった。這って歩けたなんて生易しいものじゃない。
這えるもんか。無理だ。
ボクが住んでいた場所を基点に、500メーターの半径で円を
画いてその中だけで500名が亡くなったのだ。
翌日になって、火事が発生し、多くの犠牲者を出した長田区は、
あれは第二次被害であった。
寝室には間違っても家具を置いちゃ駄目だ。そいつに殺される。
頭の周りに重い物を置いても駄目だ。そいつが飛んできて
一撃を喰らうと脳内出血を起す。
コンクリートの建物だって倒壊の怖れがと、ワイワイやっているが、
神戸では10階以上のマンションが倒れたり、途中の階がグシャリと
なったのは、いくらでもあったこと。
高速道路が倒れたことはご存知であろう。
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