作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 そこまで言って委員会 】

2011-01-24 09:52:36 | 04 時事ニュース


なぜだか東京では放送されないと聞く番組の
二時間特番を、さきほどまで楽しんでいました。

未放送や過去に放映したものの再放送など
取り交ぜての、言いたい放題に見える番組。

こんな正直な発言を直接聞けない東京都民は
気の毒に思えます。

ところで、気になったことの一つが菅直人が
自らを長州人と言ったことに、主なメンバーが
ダウトを示していること。

菅は確かに宇部市に生まれたそうで、長州と
言っても支藩の一部。
ただ菅は幕末の歴史に疎いのは確かで、
こともあろうに参院選直後の内閣を名付けて
「奇兵隊内閣」と言った。

幕末には、他の藩と同様に毛利藩の中にも
倒幕派と佐幕派の対立があった。
「奇兵隊」は藩の正規軍に対する「奇」であり
すなわち、農工商の志あるものを集めた部隊。
ご存知高杉晋作が編成したもの。
非正規軍としては、「奇兵隊」の他にも諸体と
呼ばれた、農工商による部隊があった。

創立者高杉が「奇兵隊」を自ら指揮したのは、
藩内の俗論党(佐幕派の正規軍)を打ち破った
絵堂の戦いぐらいのもの。
山県狂助、赤根武人などに隊を任せて、
高杉自身は、上海に渡ったり、四国に逃げたり。
最後は九州で結核で死ぬから、討幕戦には
参加していない。

奇兵隊や諸隊の諸士は、戊申の役の終了後は
毛利家の邪魔者と扱われ、野に放たれた事を
菅直人は知らないらしい。

常連の勝谷も、菅の育ちを岡山と知って、
岡山なら宇喜多だから、あっちへこっちへと
言うけれど、いったいどの時代の宇喜多を
捕らえての発言だろう。

それを言うなら、毛利だって大内についたり、
尼子に味方したりで右往左往の時期もあった。
岡山の宇喜多だって、秀家の宇喜多は徳川に
屈することなく、最後まで豊臣家のために尽くし
最後は八丈島で生を終えた。
毛利や大内が台頭する前には中国全部が山名
の領地。

この番組を仕切る辛坊にも言いたい。
毛利の吉川・小早川の吉川はキッカワと呼ぶ。
ヨシカワではないよ。



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