たくさんの方にご心配をお掛けしました。
昨日父は山田町の避難所「豊間根中学校」から10キロほどの宮古を経て
バスで盛岡に到着しました。
やっと携帯が通じるように。
依然豊間根では通信が途絶えています。
被災地の情報が錯綜する中、被災者の家族として知り得た情報を少しでもお伝えしたく
ブログに更新しました。
父が標高1000mの八ヶ岳の麓から、岩手県の沿岸部にある山田駅に降り立ったのは
3月11日の14時25分。
14時46分M9.0の地震に遭遇。
15時11分に「地震に遭遇した」とメール。
その後津波の第1波が沿岸部を襲い、その後連絡は取れなくなっていました。
父の祖先のお墓に、法事を前にひとりでお墓参りに行ったところでした。
7mの堤防が決壊。流される家や人の映像。
駅に着いてから20分で、慣れない土地で、父は逃げることが出来たのだろうか?
ひたすら祈りました。35才の若さで亡くなった父のお父さんに「父を連れて行かないで!」と。
情報が錯綜し、通信がマヒし、いろんな意見が飛び交い、冷静な判断も鈍る。
ただただ母の側に寄り添うことしかできませんでした。
現在花巻空港から羽田までの便が動いており、満席状態らしいですが
席は数日中には確保できる状態と。
東京では交通が落ち着きを取り戻しつつあるので、
山梨に戻れる日も近いことを信じています。
被災地にはまだまだ多くの方が避難所生活を続けています。
不慣れな父を津波から救ってくれたのも山田のみなさま。
避難所で土地の者ではない父を受け入れてくれたのも。。
感謝の気持ちでいっぱいです。
私にできること。続けていきたいと思います。