小樽のパパの子育て日記

日々のできごとを徒然なるままに2006年から書いて19年目になりました。
ヤプログから2019年9月に引越し。

日曜日

2010-09-12 08:45:06 | インポート
朝ラン60分。オタモイまで行って帰ってきました。

昨日はばんごはんをたかばあんちで。
そのあと花火をやりました。
線香花火きれいでした。

線香花火といって思いだす歌は?

やっぱりぼくはナガブチの夏祭りです。練習したなあ。


検察とは司法機関なのか?

2010-09-12 07:02:36 | インポート
検察は行政機関なのか。もうほとんど司法機関なのか。
昔習った三権分立の原則とは?


ソース永田町異聞

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伝統的捏造捜査への反省なき検察OBと大メディアテーマ

村木厚子さんが当然のことながら無罪となった。

真実に迫る努力を捨て、あくまで手柄のための筋書きに固執する特捜検事たち。その倒錯した自身を振り返る余裕もない思考停止の実態を、郷原信郎氏は著書「検察が危ない」のなかでこう書いている。

「特捜部ほど人間をスポイルしてしまう組織はない。そこには人間が本来持っている“世の中に対しての鋭敏な感受性”を失わせてしまう思考停止の構図そのものがある」

「特捜部に配属になり、共同捜査に組み込まれた時点で休日はなくなる。・・・プライベートは全くなし。・・・勤務時間は深夜まで、主任検事、あるいは副部長から『解除』、すなわち『帰ってもよい』という指示が出ない限り帰宅することは許されない・・・検察庁に身柄を拘束されているに等しかった」

「思考停止」の構造は新聞社の事件記者そっくりである。

検事も、記者も、目的は真実追求であるのに、自分たちの思い描くシナリオに合う材料を探し出そうと血まなこになる。捜査も、記事も自己都合となっている。

検事たちは、被疑者は嘘つきであるという性悪説を前提に、ろくにその訴えを聞こうとはしない。

予定したストーリーに合わない話はバッサリと切り捨て、意図的に聞き出した断片的な材料を、むりやりつなぎ合わせて、あらかじめ考えた通りの調書を作文し、心理的、肉体的疲労状態に追い込んで、署名を迫る。

昔から行われてきた悪しき慣習的手法であるにもかかわらず、テレビに出演した特捜OBらが、今回は特殊ケースであるかのごとく、大阪地検特捜部の不始末を批判する姿には、あきれるというより、嗤うしかない。

産経新聞の司法記者だった宮本雅史氏はその著書「歪んだ正義」(2003年12月発行)のなかで、東京佐川急便事件やゼネコン汚職、鈴木宗男事件などにみられた特捜検察の無理筋捜査について、元検察首脳の次のような発言を紹介している。

「検事調書の信用性や取り調べの問題点の根源は、実はロッキード事件にある。事件がすでに風化したこともあるが、これまで華々しい結果ばかりが持ち上げられ、捜査の疑問点などがまったく議論されずに封印されてきた。その悪しき習慣がそのまま罷り通っているんだ」

ロッキード社から田中角栄が5億円を受け取ったという東京地検特捜部の筋書きは下記のようなものだった。

◇1972年8月23日、目白の田中邸を訪れた丸紅の桧山廣社長が田中元首相に「ロッキード社が5億円の献金をする用意があるといっている。全日空がロッキードのトライスター機を購入するよう関係閣僚に働きかけてほしい」と依頼し、田中が「よっしゃ、よっしゃ」と承諾した。丸紅側は、ロッキード社からの5億円を、73年8月9日、73年10月12日、74年1月21日、74年3月1日の4回に分けて田中側の榎本秘書に、英国大使館裏の路上などそれぞれ別の場所でダンボールにつめて渡した◇

田中邸での働きかけについて、桧山氏は79年10月24日の公判で、「私の言葉ではない。(検事の)作文です」と否定した。

現金を受け取ったとされた榎本秘書は、金銭授受を認める供述調書にサインした理由について「取調検事のトリックに引っかかったためだ」と次のように語っている。

「逮捕されてまもなく、検事から『田中5億円受領を認める』という産経新聞の記事を見せられたので、おやじさんは何らかの意図があって認めたのだろう。秘書としてそれに合わせなくてはいけないのかなと思った」

田中逮捕の翌日、産経に限らず、大新聞のすべてが一面トップで同じように報じていた。田中は否認を続けており、明らかに検察側のリークによる虚報だった。

東京地検特捜部はロッキード社のコーチャン副社長に刑事免責を約束して、米国の裁判官に証人尋問をしてもらうという、「嘱託尋問」を行い、それをもとに事件の構図を描いたといわれる。

このように、不起訴の約束をして証言させるという司法取引は、捜査側に都合のいい供述を得るためのものであり、日本では違法である。そのうえ、贈賄の主犯であるはずの人物に刑事免責を与えて、相手方を検挙するなどという手法は許されることではない。

この嘱託尋問の担当検事は昨夜の報道ステーションで、後輩たちの不手際を指摘し、「村木さんに申し訳ない」と語っていた堀田力氏である。

上告審の最中に田中角栄はこの世を去り、最高裁は「公訴棄却」を決定、一審、二審と有罪だったこの裁判そのものが無効となった。

これにより、最高裁は判決文を書かずにすべてを終わらせることができ、安堵したといわれる。

村木さんの無罪判決で、大阪地裁が認めた「でっちあげ供述調書」は、大阪地検特捜部の今回に限った不始末というのではなく、過去から連綿と続く捜査手法の問題であるということを、あらためて心に刻んでおきたい。

そして、検察暴走の共犯でありながら、今になって「特捜検察による冤罪だ」(朝日)などと騒ぐ、大メディアの自己反省なき無定見ぶりを、われわれ一般国民は大いに嗤い、軽蔑しようではないか。