郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

続・久坂玄瑞の法事

2006年01月14日 | 幕末長州
以下に書いた「久坂久坂玄瑞の法事」のときの写真のことで、久しぶりに、久坂ファンの知り合いに電話しました。

久坂玄瑞の法事

なんということでせう!
「没後百何十年とやらの個人的な法事に招かれた」
と思い込んでいたのですが、あれは、久坂さんの法事ではなかったのです。
年に一度、政経界で活躍する山口県出身の方々によって営まれている、防長殉難志士の法要だったのです。場所は、東福寺の退耕庵でまちがいありませんでした。
なんで久坂さんの法事とまちがえたかと申しますと、当時、久坂玄瑞のご子孫の久坂恵一氏が奈良に住まれていて、その法要の世話人かなんかをなさっておられたのです。
で、一文字三星の毛利家家紋の幕を背景として、久坂恵一氏を真ん中に、久坂ファンさんと私がおさまった写真は、たしか久坂恵一氏の方から撮ろうと誘っていただいたもの、だったと思います。久坂ファンさんも私も、ネガは持っていないんです。

今回、電話しましたのは、写真をブログにあげるならば、久坂恵一氏の了解をいただかねばと、ご連絡先を聞くためだったのですが、久坂ファンさんによれば、なんでも、恵一氏は九州の息子さんのところだったかに移られ、現在、どうなさっておられるか、まったくわからないのだそうです。
彼と電話で話していて思い出したのですが、そのときの法要で、久坂恵一氏の詩吟を聴かせていただきました。久坂玄瑞も、詩吟が得意だった、という話ですよね。
伊予松山藩士を祖先の一人に持つ私は、なんか、とても不思議な縁だなあ、と思いながら、防長殉難志士の法要に参加させていただいたのでした。
まあ、そんなわけでして、写真をあげるのは無理ですね。

久しぶりに、幕末のことをあれこれ、しゃべりましたが、もう一つ、ご注意を受けました。

土方歳三 最期の一日

で、私は「初回が池田屋で、殺陣の下手さかげんに腹を立てまして」と書いたのですが、彼いわく「あれは池田屋じゃないから」。
あらま、そーだったんだ。池田屋事件のころではあっても、池田屋そのものじゃないんだそうです。
「よかったよ。あの大河の新撰組は。長州の描き方はちょっといただけなかったけど」とのことで、「いや、本編よりも最期の一日の方がいい」という私とは、だいぶん隔たりがありましたが、まあ、そこはそれ、彼は久坂ファンで、久坂玄瑞が死去して後のことは、あんまり関心が向かないのだそうですから、そのせいだ、ということにしておきましょう。
彼は、会津好きの方などから、「会津は薩長に朝敵にされて」と言われると、「いえ、僕の知るころの会津は官軍で、長州が朝敵にされてました」と答えるんだそうです。

さらに、彼から聞いた話ですが、一坂太郎氏によれば、久坂玄瑞の史伝を、井上勲氏が、書かれる予定があったんだそうです。
井上勲氏は、下記の記事に書きました、『王政復古』(中公新書)の著者です。

モンブラン伯王政復古黒幕説

井上勲氏が書かれる久坂玄瑞、読んでみたいですねえ。残念なことに、なかなか実現しないそうです。
ついでに、「『王政復古』の評判は?」と聞いてみましたところ、幕末ファンの間では、とてもいいんだそうです。
よかった! と、安心いたしました。
井上勲氏は、きっちり、鹿児島県資料を読み込んで書かれていて、幕末も押し詰まった時期の政治情勢の解説書として、非常にすぐれたものだと、私は常々思っていたのです。

それにしても……、久坂ファンさま、ここをのぞいてらしたとは、お人が悪い(笑)

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