大河『花燃ゆ』ー山本氏・講演の衝撃の続きです。
花燃ゆ 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) | |
クリエーター情報なし | |
NHK出版 |
見ないで批判するのもいかがかと、とりあえずざざっと、とばしつつも大方、録画を見てみました。
このドラマ、肝心要の部分で捏造をやらかし、支離滅裂になっていますし、ひどいところをあげればきりがないのですが、なに? この久坂玄瑞!!!と、もう茫然自失。主人公の夫なので、そう悪くは描いてないだろう、といいます事前の予想を見事に裏切ってくれまして、「捏造を重ねたあげくに、なんでこんな、かわいげのない、ボンクラでくの坊に描くわけ?!」と、腹立たしい限りです。
私、「究極、幕末長州は松陰がすべて」と思っておりまして、格別、久坂のファンというわけではないのですが、ご子孫の久坂恵一氏との、続・久坂玄瑞の法事で書きましたようなご縁もあり、黙ってはいられない気分となりました。恵一氏が実の曾祖母だと信じておられました芸者の辰次さんの描き方が、これまた、ひどいですしねえ。
恵一氏は逝去されましたそうでして、どなたに掲載のお願いをすればいいのかわからなかったのですが、そのときの写真です。
すばらしい詩吟を聴かせていただきました。
ともかくこの大河、全編を通して、捏造されました主人公、文と小田村(楫取素彦)のどアップどや顔がひたすらうざったいです。
最初は人見知りで無口、とかいっていた文が、突然、どこぞのおばはんみたいに無神経にでしゃばり こんなこともした、あんなこともしたと、ありえへん無茶苦茶を重ねて、ものすごく気持ちの悪いどや顔ばばあになっちまっているんです。
久坂と結婚した時点で、文さんはまだ15なんですよ? いったい、なにを考えてドラマを作ったのやら、です。
文を中心にすえて幕末ドラマを作るんでしたら、語り手にするしかありません。少女の目で見た長州幕末、ということで、物語の中心に、しゃしゃり出るべきではない人です。
楫取は楫取で、儒学者(医者と並ぶ、身分的には低い職種です)から、幕末長州改革派の上昇気流に乗って、実力派実務官僚にのし上がった地味な人です。頭はよく、儒学にはすぐれていたわけですけれども、洋学をやったのは実兄の松島剛蔵の方ですし、長州藩の洋学改革に大きく関わったのも、彼の方です。それを全部、楫取のやったことのように語ってしまい、なにかといえば眉根にしわをよせて、大声を張り上げ、しかしいったい、なにがしたいのかさっぱりわからない、気持ちの悪いどや顔おっさんに仕立てられちゃっているんですよねえ。この人も、本来、映像としては脇の脇にいる材料しか、ない人です。
順を追いまして、第一話の違和感からいきます。ここで、基本設定が決まるわけですから、見過ごせません。
まず、松陰が長州の軍事調練の指揮なんぞ、やらしてもらえたはずがないだろうが、糞馬鹿っ!!!
最初から、ただひたすら、ありえへんスタイリッシュ松陰!!!で、視聴者に媚びようという捏造があり、あげく、松陰が改革を志した藩内の生々しい身分の壁が感じられなくなり、人物像が薄っぺらで、リアリティのないものになっていくんですよねえ。
続いて、松陰と文と小田村を結ぶ禁書「海防臆測」です。
松陰は熊本藩士の宮部鼎蔵から、取扱注意だと、渡されたことにされてしまっているんですけれども。
幕末期長州藩洋学史の研究 | |
小川 亜弥子 | |
思文閣出版 |
この「幕末期長州藩洋学史の研究」によりますと、幕末長州で真剣に海防を考え、洋学振興の必要を唱えた中心人物は、まず村田清風なんですね。その志を受け継ぎ、藩校・明倫館改革までをも見据えたのが周布政之助で、弘化3年(1846)、北条瀬兵衛とともに、後に嚶鳴社(名づけたのは正親三条実愛です)と名乗る結社を、明倫館内に結成します。後に、この結社に、松陰の兄の杉民治や小田村も入ることになるんですが、小田村は、先に加入していた実兄の松島剛蔵に誘われて、のことです。
結成された年、松陰はまだ17歳で、勉学中の身。ちょうど、長州長沼流兵学者の山田亦介から、免許を受けました。
幕府が朝廷の許しなく通商条約を結んでしまいました安政5年(1858)、周布は藩政のリーダーシップを握り、隠居させられていました山田亦介を、軍制改革の総責任者に任命します。
この山田亦介こそが、嘉永5年(1852)、「海防臆測」を摺って長州藩内で配り、過激な海防論を唱えたために、幕府を怖れた藩当局から、逼塞、隠居の処分を受けていたんです。つまり松陰は、当然、藩内の師匠から配ってもらっていたわけでして、なにが悲しゅうて、わけのわからない捏造をするのでしょうか。
こう、ですね。長州では松陰と小田村だけが目覚めていたのよ、みたいなありえへん珍設定で、それぞれに勤皇家で、勉強家で、憂国の士でもありました兄の杉民治や父百合之助をそこいらの百姓風に見せ、松島剛蔵や周布政之助を取るに足らない小物風に仕立て、黒船来航の衝撃も、さっぱりリアリティのないものとなって、あげく、松陰と松下村塾はヒステリー集団だったの?と、貶める結果につながってしまっちゃっているような気がします。
松島剛蔵につきましては、また後に述べますが、軽くなっているといえば、玉木文之進も、ですね。いや、だから、武士が武士の子の面をはたくわけがないでしょうが、きちがいっ!!! まして、女の子のねえ。
ちゃんと資料を読むべきです。松陰に関しても「竹鞭でしばいた」と書いているでしょうが。肩とか背中とかでしょう、普通。
それはともかく、このドラマの文之進は、やたらに怒りっぽいくせに、保身大好きで、史実は松陰の行為の正しさを藩当局に訴え、身をもってかばっていたといいますのに、なんなんでしょうか、ひたすら上にさからうな、といいますような、この安っぽい描き方は。
小田村もそうなのですが、まずはわが身と家庭大事で、国家を考えるのは二の次、みたいな、日米安保のおかげで、国の安全なんて空気みたいなもの、九条があれば大丈夫!と錯覚しています団塊の世代のマイホームパパの身過ぎ世過ぎ、にしか、見えないんですよね。
そして、ですね。
文が生徒集めをして松下村塾が始まった! といいますようなキチガイ設定で、幕末の緊迫感はますますもって、消えてゆきます。
もともと松下村塾は、玉木文之進がはじめたものでした。松陰と兄の民治は、そこへ、学びにいっています。
文之進が忙しくて塾を続けられなくなったころ、吉田家の親戚の久保五郎左衛門が、隠居して手習い塾をはじめます。吉田稔麿や伊藤博文はここで学んでいまして、ここでは女の子も教えていましたので、文や稔麿の妹などが学んでいた可能性は、高いんですね。
この久保塾は、杉家のごく近くにありまして、松下村塾と呼ばれるようになり、松陰の塾が平行して設立されます。
稔麿や伊藤のように、久保塾から横滑りしてきた生徒もいましたが、野山獄でやっていました孟子の講義(講孟箚記)が評判を呼び、生徒が集まったんですね。
なぜかといえば、松陰の孟子講義は、ただの解説ではありません。革命は死に至るオプティミズムかで書きましたように、「松蔭は孟子にわが同時代者を見出し、自由に読み解き、読み破って」いたからです。松陰にとっての孟子は、ただの漢籍ではなく、いま現在の日本の危機をどう救うかを、考えるための道具でした。
罪人でありました松陰のもとへ、講義を聴きたいと弟子が集まってくるほど、危機意識を、大多数の人間が抱いていたんです。
手習い塾をようやく卒業するかしないかの文さんが生徒を集めてまわる塾が、政治思想結社の側面も持つにいたった松陰の塾だったなんぞという捏造は、史実の松陰を馬鹿にしきったものですし、あげくの果てに、松陰が死んだ後、第18回「龍馬!登場」では、おにぎり文さんの大きな勘違いに、テレビを壊したい気分にさせられます。
いやはやこのドラマ、文さんをここまで愚鈍な飯炊きおばはんに描くとは、史実とともに女をも、馬鹿にしきっています!よねえ。
久坂を中心とする元塾生が集まって、講孟箚記の写本を作っています。これを売って、活動資金にしようといういわゆる「一燈銭申合」の場面です。
なんの活動資金か、といえば、ですね。もちろん、幕府に殺されました松陰の志、一介の草莽の身でありながら、「主上御決心、後鳥羽・後醍醐両天皇の覆轍だに御厭ひ遊ばされず候はば」と天皇に迫り、幕府との戦いを辞さない覚悟で、主権を発動していただくための活動、なんですよね。松陰の村塾は、手習い塾ではなく、手習いもしないではない政治結社だったんですから。
ところがどや顔のおにぎりおばはん、「斬ったり斬られたりのための資金ににーさまの本を使うなんて!」「にーさまなら学べというはず。村塾はどこへいったんでございますか?」(いや、あーた。先駆けとなり、殺したり死んでみせたりしないと、世の中は変えよーがない。ともかく実践せよ!というのが、あーたのにーさんの教えだから)、と妹が、まったくもって松陰を理解せず、講孟箚記になにが書かれているかもわからないで、まさに松陰の志を継ごうとしている夫の久坂にわめきちらすんですから、こんな支離滅裂な場面を見せられる方は、しらけきってしまいます。
だいたい、ですね。
安政の大獄の評定所の取り調べの席で、囚人の松陰が井伊大老に論戦をいどむという絶対にありえへん珍場面を捏造し、松陰が藩に武器弾薬の貸し出しまで願って老中間部詮勝を要撃しようとしたことに関して「間部さまをおいさめしようとしただけ」と大声で大嘘をつくという、これまた絶対にありえへん設定にしてしまうとは、なんなんでしょうか、いったい。
大老が守ろうとした秩序からすれば、下っ端の陪臣風情が天下の政に首を突っ込もうとするとはおこがましいわけでして、まったくもって馬鹿馬鹿しいです。
クライマックスがこれほどリアリティに欠けた紙芝居ですから、その大老が一介の浪士たちに暗殺されるという大事件も、雪の上に赤い椿が落ちただけの絵空事ですし、それを聞いた松陰の母親がまた、テレビで他国の大統領が暗殺されたのを見ている現代のおばはん風に、「奥方様はどねえなお気持ちだったろうか、お子様たちはどうなされたろうか」と人ごとのようにつぶやくというありえなさ。
なんでこう、なにもかもが浮ついて、嘘っぽいんでしょう。
そして、いよいよ久坂です。
坂本龍馬が武市半平太の使者として萩に現れ、久坂が、「諸候たのむに足らず、公卿たのむに足らず、草莽志士糾合義挙のほかにはとても策これ無き事と、私ども同志うち申し合いおり候事に御座候。失敬ながら、尊藩(土佐)も弊藩(長州)も滅亡しても大義なれば苦しからず」「諸候も公卿もあてにはならない。われわれ、無名の志士たちが集まって幕府を糾弾し、天皇のご意志を貫かなければならない。そのためには、長州も土佐も、滅びていいんだよ」と記した有名な書簡を、龍馬に託す、という史実があります。
このとき、文さんも茶でも出して龍馬に会っていた可能性は高く、相当な山場のはずなんですが、久坂を久坂たらしめていますこの書簡にはまったく触れず、久坂ぬきで龍馬が文さんにフレヘードを語って終わるんです。なんでここまで、久坂を貶めなければならないのでしょうか?
おまけに、このドラマの龍馬のフレヘードの説明ときた日には。
この話の元になった松陰の手紙には、ですね。「独立不羈三千年の大日本、一朝人の羈縛を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや。那波列翁(ナポレオン)を起してフレーヘードを唱へねば腹悶いやし難し」とあるわけでして、要するに「三千年の間、他国の支配を受けることなく独立を保ってきた日本が、突然、外国の支配を受けることになるのを、心ある日本人が平気で見ることができるだろうか。フランスのナポレオンのような英雄を立ち上がらせ、自由独立を唱えなければ、この苦悶をいやすことはできない」
と、いうわけですから、この場合のフレヘード(自由)とは、他国の支配を受けない一国の自由、なんです。
それを龍馬は、「フレヘードとは、なにものにもとらわれんということでっせ。よーわからんけど、まっことえーもんに思える。このかたっくるしい国のどこにあったろう。文さんの兄上は自由になった。フレヘードじゃき」とうっとうしく語るわけでして、いや、だから、松陰は「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」と、死しても魂となってこの国の独立自由を守る、という辞世の句を残したんであって、「おれ、なーんにもしばられたくないーんだあ」なんぞと、飢え死にすることのない、いまどきのニートみたいな、のんきなこといっていたわけじゃない!から。
ほんとに、「志をもって危ないめにおーてはつまらん。握り飯を食らえさえすりゃ、あとはなにものにも束縛されんよう、小利口に立ち回れ」と、龍馬が説教しているような、脱力倦怠ありえへん珍大河です。
握り飯を作って食って、どや顔でさけぶばかりの凡人を、映像で見て、なにが面白いでしょうか?
で、いま現在進行中の攘夷戦です。
久坂は攘夷戦の実践指揮官だったわけじゃないからっ!!!
もう、ほんとに、唖然呆然のでたらめ攘夷戦です。
以下、参考文献は防長回天史(マツノ書店版)巻4文久3年と久坂玄瑞全集です。
だいたい、長州は藩をあげて攘夷戦をはじめたんですし、正規軍の指揮官となれるのは、毛利一門のような高身分の者だけです。
5月10日に、瀬戸内海の入り口、海上交通の要所、下関(赤間関・馬関)で攘夷戦をやると長州藩は決めまして、しかし4月半ばの段階で、下関に陣取っていたのは、支藩・長府の兵が十数名というありさま。
で、本藩は、赤間関海防総奉行・毛利能登に命じて、配下の寄組二千名のうち、六百名を派遣するんですね。
しかし六百名といいましても、当初、士分は91人にすぎず、これが軽率254人を率いていましたので、あわせて345人。ただ、非戦闘員の従者や人夫を入れたら七百人あまりだった、ということなんです。
太平に慣れ、まったく危険のない調練さえしていましたら、萩のお城下でおっとりぬくぬく暮らしていけました中から上の多くの士族たちに、やる気があったかといえば疑問でして、それに率いられた士卒たちも、上にやる気がないとなれば、命を危険にさらすのはごめんでしょう。
しかし、そうした旧式の藩の正規軍とは別に、世子従衛となっていました改革派の若い藩士たち、そして、京都で活動していました松下村塾生を中心とする志士たちが、下関にかけつけてきます。身分の低い者が多く、他藩人もまじったこの有志たちによって光明寺党が結成され、その中心になっていたのが久坂のなのですが、これに続・倒幕の密勅にかかわった明治大帝の母系一族で書きました中山忠光卿が加わるんですね。儲君(後の明治天皇)の母方の叔父ですし、侍従です。
藩庁は、光明寺党を無視できなくなり、「敵情偵察」を目的とする別働隊、ということにして、認めます。
久坂と光明寺党は、形の上では、毛利能登配下の来島又兵衛のそのまた配下、という扱いです。
攘夷を決行するとはどういうことか。
旧来の藩の軍事組織は有名無実。ろくろく役に立たないことはわかりきっていますので、下級士族や卒族あがりの松陰の弟子たちが、京でやっていましたように、朝廷直属の志士として活動し、藩の古い体質を解体することになります。
そして、コーストガードは、実質藩の管轄です。朝廷が幕府の結んだ条約を認めていないわけですから、いわば条約は批准されていませんし、朝廷の叱責によって、幕府は破約攘夷をするのだと、号令を発したんですね。
それに従って、朝廷のために働くわけですから、久坂は、「諸候も公卿もあてにはならない。われわれ、無名の志士たちが集まって幕府を糾弾し、天皇のご意志を貫かなければならない。そのためには、長州も土佐も、滅びていいんだよ」と書いたその通りのことを、実践しているんですね。松陰の意志を継いで。
そう。天皇を中心として、身分に囚われず、有能な人材を登用し、しっかりと国防に励み、諸外国の支配を受けない自由な日本を造るためには、長州は滅びてもいいんです。久坂にとっては。
最初に現れたのが、横浜から上海へ行く途中のアメリカの商船ですが、幕府が提供した日本人の水先案内人を乗せていて、神奈川奉行から長崎奉行への手紙もあずかっているという、幕府公認の船でした。
そこで、当然のことながら、お家大事、ことなかれ主義の総大将・毛利能登は発砲を禁じます。
しかし、これまた当然のことながら、「中山の狂人」を頂く光明寺党が、これに納得のいこうはずがありません。
そこへ現れたのが、長州が誇る洋式帆船・庚申丸です。総督は、小田村の実兄で、勝海舟とともに長崎でオランダ海軍伝習を受け、長州洋式海軍の生みの親となった松島剛蔵。
このドラマ、松島剛蔵を、小田村の義母死去とコレラ流行に際して、というおおよそどーでもいいような場面にわざわざ登場させておいて、この肝心要の攘夷戦争で、なんで出してこないんですかね。
軍事の洋式化を、大々的に推進しましたのは、先にも述べましたように周布政之助ですし、これを桂小五郎が手助けするのですが、松島剛蔵はその同志で、松島と桂は、松陰の意志を継ごうと、丙辰丸上で水戸藩有志と盟約を結んだりもしていますし、弟の小田村よりはよほど、絵になる活躍をしているんですけどねえ。
松島剛蔵の攘夷戦につきましては、高杉晋作「宇宙の間に生く!」と叫んで海軍に挫折に書いておりますが、これ実は、アメリカ船、オランダ船との間に、フランス船にも襲いかかったことがぬけております。このフランス船のときは、陸の砲台がかなり活躍したこともありまして、このときは省いて書きました。
実は、光明寺党は陸上で戦ったわけではなく、三戦とも、この長州の二隻の軍艦に乗り組んでいました。
なにをしていたかって‥‥、偵察とか連絡とか以外、ほとんどなにもしていなかったと思いますよ。三戦とも砲撃戦でしたし、松島が、軍艦の砲を素人に扱わせるとは思えませんし。
久坂は、「中山の狂人」を軍艦に閉じ込めて、直接の手出しはできない形で攘夷戦に参加させたわけでして、ものすごくかしこかったと思います。
海軍総督の松島は、陸の総督・毛利能登の管轄外にいたようですし、久坂は、親戚で、同志の松島と心をあわせて、藩の正規軍と摩擦を起こさないよう、それでいて攘夷の実績は残せるよう、上手く光明寺党を導いたたわけですわね。
三戦終わって、久坂は京都に攘夷の報告に行き、中山卿もぬけ、光明寺党は解散状態になったところで、上海にいたアメリカ軍艦、ワイオミング号の報復が有り、しかし、これは上陸はしませんでしたが、続いて報復にきたフランス軍艦が、陸戦隊を上陸させ、長州の旧式正規軍はぼろ負けします。
つまり、ですね。
負け戦の時、久坂は現場にいないんですね。
例えいたにしましても、陸で戦ったわけもなく、乗っていた軍艦が撃沈されるだけのことです。
陸は近いですし、おおよそ、死ぬこともありませんでした。
で、正規軍のだらしなさに、東行高杉が下関に呼び出され、光明寺党の残されたメンバーを核として、旧式の藩の正規軍とは別の、陸の奇兵隊を編成したわけです。
これは、久坂のような医者上がりの下級士族ではなく、れっきとした中級士族の高杉だから、正規軍藩士たちの反感を押さえて、やれたことなんですね。
つまり長州藩の陸軍を戦える組織にする改革は、久坂から高杉にバトンタッチされたわけでして、現実の高杉と久坂は、それぞれの持ち味を生かし、役割分担をしながら、松陰の志を継いでいますのに、なんなんでしょうか、この糞ドラマはっ!!! ガキのお遊びじゃないんだからっ!!!
久坂が攘夷戦の総指揮官みたいな描き方で、一人でやって一人で負けて、異国(といってもたかが上海です。長州海軍には、咸臨丸でアメリカまで航海した人材もいるというのに、です)を見た高杉が、久坂を押しのけ、たった一人の思いつきと力で奇兵隊を創設し、「久坂、おまは失敗したんやから俺の下で働けよ」と、どや顔で、嫌味ったらしく、下品にふんぞり返り、うどの大木のような能無し久坂は、負け犬となり、すねくって引きこもりになってしまう、という、どーしようもなさ。
しかも、高杉の嫁の雅さんがまた、ありえないガキっぽさで、どや顔おにぎり文さんとともに、見るに堪えません。
そして芸者の辰次さんは、口が血で染まっていそうな妖怪変化。
NHKは、よほど長州が嫌いなんでしょう。ともかく、こんな気持ちの悪い久坂と高杉は、初めて見ました。史実よりもよく描こうとするのが普通ですのに、二人とも、史実そのままの方が、はるかに魅力的で、感じがいいんです。
これじゃあ、松陰も文さんも、久坂も高杉も、雅さんも辰次さんも、楫取も松島も、周布も木戸も、みんなみんなみんな、うかばれませんわねえ。
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出演者を知って大河ドラマを見ようと思いながらも、スルーしてしまう。役者さんの魅力をしても内容の面白さに期待できないということでしょうか。
大河ドラマより、郎女様のブログのほうが楽しみです。
桐野利秋を演じるなら、阿部寛さんか、要潤さん。顎が長いからという単純な理由です。
鹿児島市内の病院に付添ったときのことです。病院の隣、繁華街にひっそり民家がありました。竹下家とあります。そういえば桐野夫人の実家のあたりでしょうか。幕末の人物を知る人々から直接話を聞いた人々も亡くなっていく。貴重な話を書き留めておくことも大切なことだと思います。
今回のブログの内容も貴重なものだと思います。いつの間にか作られた歴史や人物像が真実のように伝わっていくことは悲しいことです。ご子孫ならなおさらでしょう。次回もまた楽しみにしています。
実は私も、ドラマの内容をちゃんと見ないままに批判をしておりました。
いや。確かに第4話までは見ていたのですが、その後は見るのを止めていました。郎女さんと同じように全て録画だけはしていたのですけど。
ただ、第4話までの視聴と、それ以降のネットでの評価記事を読む事によって大体の内容は把握しておりました。
郎女さんがこの駄作の中身にわざわざ目を通されると知りまして、私も同じように録画分に目を通してみました。
分かってはいた事なのですが、拷問を受けるに等しい苦行でした。
飛ばし飛ばしで見ても、脳みそがおかしくなりそうな内容でした。
NHKが視聴の対象としているのは、我々のような歴史マニアではないのです。
あまり歴史に詳しくない一般の視聴者を対象に、番組を制作しているのです。
今回のアレに対して「歴史的事実から見て、異常である」と批判する事は、多くの批評サイトでもなされています。
しかし、基本的に「一般の視聴者のみ」を対象としているNHKに対して、そのような批評はあまり意味があるとは思えません。
一般の視聴者はそのような詳しい歴史背景など、ほとんど把握していないのですから。
「歴史イメージの捏造」=「長州に関する歴史上の人物や出来事を矮小化する」
矮小化する、と言うよりも、現代の価値観、戦後的価値観に沿った形の人物像として描く、そこが一番の問題なのだと思います。
まあ問題はそれだけではなくて、異常な点をあげ始めればキリはないのですが…。
ご都合主義なストーリー展開。空疎なセリフのオンパレード。「とりあえず出しておきました」的な挿話の紹介等々。
あと、女性キャラの扱いが酷すぎますね。郎女さんも仰っているように。
主人公である文が一番邪魔な存在である事も含めて、出てくる女性キャラの全部が全部、男である私から見ても全く魅力がないキャラばかりです。
郎女さんが過去記事でも仰ってますが、長州(山口)や安倍総理への意趣返しの為に作られた政治的な作品である可能性が高いと思います。
気の毒なのは、現在と過去の長州(山口)の人達だと思います。
2年前の「八重の桜」の時だって、あの作品がそんなに良い作品とも思いませんでしたが、地元会津に対する最低限の敬意はあったように思います。
もし2年前に今回のような作品を作っていたら、NHKは地元会津から激しく糾弾された事でしょう。
しかし今回山口から糾弾されるような事態になったとしたら、それは安倍総理をバッシングする材料に(メディア的には)利用できる訳です。
余談ですが、下関での四カ国艦隊戦の場面では「私」も伊藤や井上らと一緒に登場させられるのかも?と当初は思っていましたが、おそらく出番はなさそうですのである意味ホッとしています(笑)
長文、失礼致しました。
ほんとうに、NHKが大河でやると、それが本当だと信じる人がけっこういますので、困ります。来年の大河「真田丸」の脚本をやります三谷幸喜が、滅びる側を描きたいので、西南戦争か真田を、と言ったんだそうなんですのよ。NHKが西南戦争をいやがったので、真田になったとか、噂なんですが、やってくれなくて、本当によかったと思います。怒りの持って行き場に困ること請け合いかと(笑)
長州をやるなら、やはり「世に棲む日日」が、決して史実だというわけではないのですが、一番おもしろくて、おおざっぱにわかりやすいと思うんですよ。実際、昔、NHKでやりました「蒼天の夢」には、文句がなかったんです。「花神」は司馬氏の作品をいくつかあわせているみたいですが、「世に棲む日日」だけでは一年間もたないにしても、なんとか、やりようはあるのではないか、という気がします。
例えば正木退蔵を語り手にして、松陰と村塾生の群像を描けば、普通におもしろくなると思いますのに、なんでこんなひどい大河になるのか、ほんとう、おっしゃるようにNHK労組に絡んで、政治的な意味があるのではないかと。これから「大奥」編になるそうですが、毛利家の幕末の奥の話なんか、だれが見たいでしょう。
薩道愛之助を主人公にした大河を、私、見てみたいと思うのですが、いまのNHKには、やってもらいたくないとも思います。
受信料をまきあげて、高い制作費をかけて、ほんとうにひどい話です。解体して、規模を縮小し、税金でまかなう国営放送にするべきではないか、と思う今日この頃です。
僕はブログにて見てない奴の批判が多いと書いているのですが、見てからの批判(それもかなり詳しく)されていましたので、コメントさせて頂きました。
現在まで欠かさず見ていますが、これは!という部分のオンパレードで、郎女様の書かれる批判箇所にはほとんど共感できます。
しかしながら、たかがTVドラマなのです。
僕の感覚では「ドラマで史実を語ってるものなんて無い」という認識です。
資料、論文、小説、TVの特集、ドラマや映画、マンガやアニメと、それぞれ立場が違うのではないでしょうか?
資料や論文は、真実を語るものなので、間違っていたり湾曲されていたりすれば「捏造」であると思います。
しかし、小説以下はやはりただの創作なのではないでしょうか?
漫画「るろうに剣心」や「お~い竜馬」を史実と違う!と目くじらを立てる人が少ないように、やはりドラマもたかが創作物なのではないでしょうか?
ただ、残念ながらその「ただの創作物」を事実と誤解する人々もいます。その部分においては、発信者の責任も発生してくるでしょう。その創作物が政治や歴史を湾曲したという例も少なくありません。司馬遼なんてその最たる例ですね。
僕はもういい歳になってますので、あまり期待せずに「花燃ゆ」を見ています。地元が大河の舞台になったというだけで、万々歳なのです。
糞ドラマかもしれませんし、事実に反しているのも重々承知しています。しかしその糞ドラマに希望を繋ぐしかない場合もあるのです。
先に書いた例と同様に、マスコミやブログにも扇動の力があります。視聴率が悪い糞ドラマとか。内容がどうのこうのだから見てないなどの意見を目にしますと、一般視聴者は見るのを止めてしまいます。
僕は内容がどうあれ「花燃ゆ」が幕末に興味を持ってくれるきっかけにさえなればいいと思っています。
「花燃ゆ」を見て幕末に興味を持った視聴者が、その後色々調べて事実はこうだったんだ、ああだったんだと知る事もあるでしょう。
とにかく「花燃ゆ」が失敗だったという最近の流れが酷すぎて、幕末という時代がこれから二度と日の目を見ない状況になるのではないかと心配なのです。
郎女様におかれましては、ブログを拝見するかぎり膨大な知識がおありと認識致します。
それならば大きな心をお持ちになって、「花燃ゆ」では、このように描かれていたが、実際はこうだったなど、解説や注釈のような切口をしていただけたらと勝手に望んでいます。
文書に共感ができる分、「花燃ゆ」の感想がこの1回限りで終わるのを惜しみましてコメント差し上げました。
ご無礼お許しくださいませ。
おっしゃるように、ドラマに創作はつきものですから、私もすべての歪曲を、捏造とは申しません。
例えば「篤姫」におきまして、将軍家定が無能ではなく、篤姫との間に深い愛情があった、というように描かれておりましたが、これは、けっこうなことだと思っていました。原作小説にもないことだったんですが、原作のままでは、あまりにも篤姫が賢女すぎまして、一般の共感は得づらかったと思いますし、それで、歴史が変わるわけではありませんので。
そういう創作と、私が書いてきましたことは、別だと思うんですね。多少の省略は仕方がないのですが、幕末におきまして、下級武士のだれか一人がなにもかもきりまわしていたり、反対になにもかも一人の責任だったりしますのは、絶対にありえないことですし、まったくリアリティをなくしてしまいます。大河は、時代劇ではなく、歴史ドラマであり、視聴者に、史実だと受け止められても、仕方のないものなのです。
地元が大河になって云々は、松山はほとんどその恩典と関係のない土地ですが、「坂の上の雲」で、やはり多少なりとも観光効果はあるんだなと、納得しました。
はっきり言いまして、そんなことから、大河の企画者は、どこへ行って、市長やらなにやらからもちやほやされるでしょうし、驕りたかぶって、目が見えなくなっているんじゃないでしょうか。
幕末で、普通の女が主人公で、おもしろいドラマはこれまでになかったかと、比較の意味で思い出してみたのですが、ありました! 宮尾登美子氏原作の「一弦の琴」です。一弦琴にうちこむ土佐の中級士族の娘が主人公で、琴を教える塾には、一応、龍馬と乙女ねえさんが通っていたりしますが、ほとんど出てきません。ほとんど政治は描かれず、しかし、よく時代が描かれていますし、非常におもしろかったんです。原作の主人公には、モデルがいるそうですけれど、こういう風に、まったく政治に触れないで描くならばいいのですが、松陰と松下村塾を出して、それはないでしょう。
私が一回きりで終わらせるつもりだと、よくおわかりになりましたね(笑) 私には、このつまらないドラマを見て、幕末に関心をもってくださる方がいようとは、到底、思えないのですが、せっかくのお申し出ですので、できるかぎり、「花燃ゆ」と史実の間、みたいな連載を、続けてみてみようかな、と思います。
またどうぞ、お越しくださいませ。
まず幕末の事件が豊富な時代において、天寿をまっとうしたような人物を描けば、薄っぺらいドラマになるのは初めから判ってたようなもの。
やはり視聴者もよく勉強してよく創りこんだドラマが視たいわけで、なんなら文久3年~元治元年だけの大河の方が面白いんじゃないかと思ってしまいます。
「下級武士のだれか一人がなにもかもきりまわしていたり、反対になにもかも一人の責任だったりしますのは、絶対にありえないことですし」
同感です。日本全国に小田村伊之助という大した事してない人物のファンがあふれるのを想像すると寒気がしますね。
「一弦の琴」良さそうですね。視てみます。
僕の視た中では「獄に咲く花」が良いかなと。それこそ「花燃ゆ」と比較してしまいましたが・・・。
『「花燃ゆ」と史実の間』期待しています。
私個人としては、幕末を知るきっかけとなって良かったですが、江戸時代の教育、家制度や階級による考え方や気持ちの違いが全く伝わってこない。文之進や百合之助、梅太郎も馬鹿にみえます。なぜ下級武士や豪農、豪商は養子制度で、少しでも良いところに行こうとしたのか、も伝わってこない。当時の女性の地位もわかっていない。私の世代でも悔しい思いをした人もいるというのに、あまりにも江戸時代の制度を研究していない。かえって私個人としては知らなかったことばかりだっただけに、関心のなかった分野に興味をもって知りたいと思うようになりました。
女にとりましては特に、抑圧の強い時代でした。その中でしかし、堪え忍びながら、なにかを(恋でも仕事でも)つらぬこうとした女の意地のようなものは、時代を超えて、人を惹きつけるんじゃないんでしょうか。「一弦の琴」を思い返しまして、主人公がうちこむ一弦琴は、「他人に聞かすものではなく、自分と向かい合って、自分のために弾くもの」というのですが、これは、西洋近代の受け入れの中で消えていった、日本の音楽の本質ではないかと思うんです。幕末維新の激動の中の女を描くとき、きびしい時代の中で凜として誇を守り、しかしなお、自分が自分であることを求め、そして、消えていこうとする日本の原風景への哀惜が歌われていることが、名作の条件だと思います。「蝉しぐれ」も、藤沢周平の原作あればこそのドラマでしたし、大河を続けるつもりならば、原作なしはやめてくれ、と叫びたくなります。
文さんは、さまざまな材料から考えて、ほんとうに久坂を愛しぬいたのだと思います。
そして千代さんは、叔父さんに敬意を抱いて介錯し、だからこそ、千代さんの息子の吉田庫三は、松陰とともに文之進にも、敬意を抱き続けたのではないでしょうか。