郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

広瀬常と森有礼 美女ありき9

2010年10月08日 | 森有礼夫人・広瀬常
 広瀬常と森有礼 美女ありき8の続きです。
 森有礼夫人・広瀬常の謎 前編後編下で書きました、下の本が発売されました。

辛夷開花
植松 三十里
文藝春秋


 とばし読みしかしてないんですけれども。
 このお常さん、怖いんですっ!!!
 なんといいますか……、テーストは「徳川の夫人たち」文明開化判!!!
 えー、広瀬寅五郎=秀雄説をとっておられますが、函館奉行所履歴明細短冊(慶応二年)では定役ですのに、なぜか同心から調役まで出世して旗本、ということになっていたりしまして、常は旗本の一人娘で、美人で、いやーな感じにえらそーなんですの。

 しかも、ですね。
 「徳川の夫人たち」の主人公・永光院お万の方は、ですね。公家の娘の誇りはあっても、そこにとどまることなく、なぜ公家が落魄れているかを考え、与えられた環境でせいいっぱ自分を生かし、春日局との戦い方も見事で、秘めた恋にも共感がわくんですが、この小説のお常さんはただただ西洋かぶれの白人男好きでヒステリーな感じでして、「わあああああっ、無名のお芋ちゃんたちかわいそう!」「お里さんもお広さんも、かわいそう!」なんです。


 だいたい、森有礼全集を見ましたら、末っ子の有礼は明治3年に分家しておりまして、本家の跡取りは、有礼の長兄の遺児、有祐です。つまり広瀬常と森有礼 美女ありき2で書きましたが、クララ・ホイットニーが「「王子さまみたい!」「これほど洗練されて優雅な子はほかに日本にはいない!」「美の典型!」」と絶賛した有祐少年が本家の跡取りですし、その母が広さんです。なんでその広さんを、横山家の嫁にして、底意地の悪い同居親族に仕立てなければならないのか、まったくもって、私にはわかりません。
 文庫で読めます「勝海舟の嫁 クララの明治日記」では、ホイットニー一家の来日は明治8年8月で、森有礼と常の結婚式(2月)のときにはまだ来日していませんのに、していることとなり、まあ、それはいいとしまして、有礼の両親と広さん、有祐の本家一族は、有礼と常の新婚分家夫妻とは、別所帯だったらしいことが読み取れますのに、同居にしてしまい、気の毒な里さんは、西洋嫌いで、絵に描いた鬼婆のような姑にされてしまってます。
 えー、森有礼夫人・広瀬常の謎 後編上で、「常が明治8年12月30日、長男の清を生んだときに、取りあげたのは、シーボルトの娘イネではなかったか」と推測したんですが、ちょうど、そのわずか15日ほど後の平成9年1月14日、クララが同じ敷地の森本家を訪ねた描写があります。以下、「クララの明治日記」より引用です。

今日、神様のお顔を見、お手を感じる厳粛な出来事があった。森さんのおばあさま(里)は、先頃卒中におかかりになった。とても親切な方なので、私たちは皆気づかっていたが、悲しいことに、今にも去ってしまいそうな魂のために、木と石の神様に随分祈願をなさっておられる。昨夜お祈りの後で、母が有祐さんに、おばあさまはイエス様のことを聞いたことがおありになるかどうか尋ねると、有祐さんは、いいえ、と言った。母はいい種を蒔こうといつも心掛けているので、有祐さんにおばあさまがいつか、お祈りや、神様についての話をお聞きになりたいかどうかをうかがって下さい、と言った。有祐さんはお辞儀をして、聞いてみますと答えたが、間もなく走って戻って来て、おばあさまがすぐに母に来て欲しいと言っていらっしゃる。と言った。(中略) 森さんのお父さまと、背の高いお孫さん、それから日本人があと二人、一部屋で将棋を指していた。そして別の部屋に、屏風で仕切った陰におばあさまが、左側がすっかり麻痺しておられるので、とても苦しそうに寝ていらっしゃった。日本式の寝床なので、私たちはそばに坐り、ヒロ(広)と少し話をした。母がお祈りを始めると、部屋にいた人たちはは皆低くお辞儀をした。(後略)

 常の出産時、里さんは卒中で倒れ、半身不随になっていたことがわかりますし、中心になってそのめんどうを見ていたのは、本家の嫁である広さんであることも、はっきりします。里さんと広さん、二人して初産の常をいじめまくったって、どこから思いつかれたのやら。
 また広さんは、常より先にホイットニー一家と知り合っていますし、里さんは病床まで、ホイットニー夫人とクララを入れたんです。有礼の密航留学が決まったとき、「チェストー!!! 気張りやんせ、金之丞(有礼)!」と大喜びした里さんが、外国人嫌いのはずがないじゃありませんか。
 この翌日、クララはこう書いています。

今日、森さんのおばあさまから母にお祈りに来て欲しいとというお使いが来た。今度は通訳もつけていらっしゃり、ご自分の神様は信じる価値がないから、もっといいものが欲しいと言われた。

 まあ、ですね。ここらへんのクララの記述を読んでいますと、クリスチャンではない私などは、既成のプロテスタントもけっこうカルトじみてるなあ、と思うのですが、クララの母・ホイットニー夫人がとてもいい人で、里さんの身をほんとうに案じていたのはよくわかりますし、里さんはその博愛の情を感じとって、キリスト教に帰依してもいい、と思ったんでしょうね。
 おそらく、夫からか息子からか勧められて、八田じいさまの「大理論畧」を読んでいたでしょうし、有礼は「キリスト教の神も日本の神も同じだから」なんっちゃって理論を語っていたでしょうし、愛息のすることを、逐一理解するだけの教養を、里さんは備えていたと思いますわよ。単に、英語がしゃべれないだけで。



 で、なんといっても呆然といたしましたのが、「ライマンなんかに惚れるかあ、普通???」ってところでしょう。広瀬常と森有礼 美女ありき6で書きましたが、ライマンって、あきれた上から目線のいやーな男ですし、松本十郎は「常は断った」と回想しているんですし。
 おまけに、安の父親はゆきずりのアメリカ人設定で、恋する常はヒステリー状態。理解に苦しみます。
 最後に、私的には、「鮫ちゃんが出てこないっ!!!」が、けっこうな不満かな(笑) 鮫ちゃんは、有礼の魂の伴侶ですわよ。

 すみません。植松三十里さま。小説ですものね。同じ資料を材料にしましても、いろいろな書き方があるのは百も承知です。
 しかし、常を調べているうちに、里さんも広さんも大好きになりました私としましては、ちょっと黙ってはいられない気分でした。
 言いたいことを言い終えましたので、ギャグだと思って楽しむことにします。

 このシリーズ、続きます。

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コメント (12)
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