毎年、このころになると戦争のことを取り上げる番組が多くなります。
今日もNHKで、元兵士の証言を中心にした番組がありました。
http://www.nhk.or.jp/shogen/
かつては、原爆被害者の被害の部分だけを取り上げた記録ものは見たような気がしますが、「あの戦争はなんだったのか」はあまり深く取り上げられては来ず、とくに東南アジアへの出兵した若い兵隊たちがどんな状況の中で亡くなったのか、が仲間によって具に語られたことは少なかったように思います。
立派に祀られていた特攻服の(親戚だという)青年の写真が、祖母の家にあった記憶がありますが、亡くなり方については、絵に書いたような説明を聞いていました。
先にあげた証言で作った番組では、語る方が、みな80代後半から90才に至るくらいの方たちでした。
これまで語れないできた苦しい過去、1日たりとも忘れられない惨状を今語らなかったら残せなくなる、後悔する、という思いで、本当にあちこちで堰を切ったように話されていると感じます。
いまでも、夢で戦争の時のことを見るそうです。
番組は、若者が戦争体験者の話を聞く、という構成になっていましたが、私はこのような企画はとてもいいと思います。
聞き取りからはじめて、その若者たちが話し合い、討論をするというくらいまでを番組にしたらいいです。
ぜひ、マスコミの方取り上げてください。
若い人は、感じる力がありますし、感動も伝えられます。
「意味のある死」といういい方は、しようと思えばなんとでもそういえると思いますが、どう考えても無意味な死であったり、軽んじられた命と扱われた事実は、いろいろな戦争の中に存在します。
少なくとも、多くの命、特に若い命がそのように失われていくことは、もうやめなければならないと思います。
今日もNHKで、元兵士の証言を中心にした番組がありました。
http://www.nhk.or.jp/shogen/
かつては、原爆被害者の被害の部分だけを取り上げた記録ものは見たような気がしますが、「あの戦争はなんだったのか」はあまり深く取り上げられては来ず、とくに東南アジアへの出兵した若い兵隊たちがどんな状況の中で亡くなったのか、が仲間によって具に語られたことは少なかったように思います。
立派に祀られていた特攻服の(親戚だという)青年の写真が、祖母の家にあった記憶がありますが、亡くなり方については、絵に書いたような説明を聞いていました。
先にあげた証言で作った番組では、語る方が、みな80代後半から90才に至るくらいの方たちでした。
これまで語れないできた苦しい過去、1日たりとも忘れられない惨状を今語らなかったら残せなくなる、後悔する、という思いで、本当にあちこちで堰を切ったように話されていると感じます。
いまでも、夢で戦争の時のことを見るそうです。
番組は、若者が戦争体験者の話を聞く、という構成になっていましたが、私はこのような企画はとてもいいと思います。
聞き取りからはじめて、その若者たちが話し合い、討論をするというくらいまでを番組にしたらいいです。
ぜひ、マスコミの方取り上げてください。
若い人は、感じる力がありますし、感動も伝えられます。
「意味のある死」といういい方は、しようと思えばなんとでもそういえると思いますが、どう考えても無意味な死であったり、軽んじられた命と扱われた事実は、いろいろな戦争の中に存在します。
少なくとも、多くの命、特に若い命がそのように失われていくことは、もうやめなければならないと思います。
「あの戦争は、日本の軍国主義によるアジア侵略だった」ばかり取り上げられ、それに対する反論が抹殺されていたからでしょう? 画一的な物の見方・結論ありきで考えても思考が深まるはずはありません。
ここ十年ほどですか、やっと色々な考えが容認されるようになってきたのは。
>若者が戦争体験者の話を聞く、という構成になっていました
悲惨な戦争体験談だけでなく戦争に至るまでの日常生活のことなども話してくださればいいですね。
「朝鮮半島や台湾、満州では、日本人が幅を利かせて現地の人から搾取しまくっていた」なんてことを信じている若者もまだ多いですから。
植民地のインフラを整備してやったなんて言うんじゃないでしょうね。
事実であり史実ですが、それが何か。
あの戦争が、満州国が、日韓併合が、台湾割譲が何だったのかを考え、反省を未来に生かすためには、歴史の流れをつかみ、複数の角度から見る必要があるでしょう。
歴史の一部分だけ切り取り、また一方的な角度からしか見ないということは、例えて言えば映画「突入せよ! あさま山荘事件」全編を見た人が、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」のリンチ場面だけを見て「やっぱり連合赤軍は○チガイの集まり」と判断することと同じです。
多摩さんには自由社版つくる会教科書「日本人の歴史教科書」をお勧めします。反対派がペタペタ嘘レッテルを貼っていますが、「アジア解放」は名目で南方の資源獲得が目的だったとか、アジアの人々に苦しみを与えたとかきちんと書いてありますからご安心を。
大切なのは、無批判に内容を受け入れることでも、最初から理解を否定して拒絶することでもなく、冷静に論理的な異議を唱える姿勢を保つことだと思います。
それはいいんです。私が反発を覚えたのは植民地支配のいい面と言うのは、支配された側の評価で充分だと言う事です。
支配した側が、「してやった」と言う態度を取る事は許されないと言ってるのです。
あと100年ほどすれば民族によっては、無関係としてくれる場合もあるでしょう。
しかし、あくまで相手の決める事です。
殆どの民族はされた事を忘れません。
なにしろ2000年以上も前の復讐を全く関係のない民族にしてる輩もいるのです。
侵略の美化をしてる連中と同じ様な書き方でしたよ。
あなたは社民党の参院候補だった瞳さんに植民地支配もいい面もあったと言わせたいのですか?社会党の現実路線と言う欺瞞を頑に拒んだ愚直で真摯な人が社民党に残ったのですよ。
日本人の殆どがかつての「保守本流」を支持してる事なんて誰だって知ってます。流れの中にいれば、しわ寄せを喰った人の事は見ない振りをしてれば安泰です。しかし、そのしわ寄せを喰らった人達の立場も救っていこうと考えているから社民党なんです。
誰が、辺野古での運動を支援するんですか?
誰が柏崎の放射能汚染を告発するんですか?
六ヶ所村の事もです。
年金問題で真っ正面からぶつかるのは?
事故米は?基地問題は?劣化ウラン弾の国内での実弾演習隠蔽は?
大人の対応をする人なら社民党なんて割りに合わない。純粋だから弱い。
あなたの考えは一部民主党議員には120%賛同を得る意見でしょう。
そちらの方の議員さんにあなたの意見を伝えた方が、きっと実現しますよ。
民主党は自民党とほぼ同じ政策を選びます。社共は干されます、確実に。
それを分かっていて私は社民党を支持します。
私は確かにあなたに対してはケンカごしに思えるかも知れません。
ただ、あくまで一国民として同等とみているからです。
絶対に上からの言い方だけはして居ないつもりです。語気を荒めても議論は議論。穏やかでも裏に含みを持たせるより正直だと思っています。
明日は高遠菜穂子さんの講演をまた聞きに行きます。
偏っていてもまずはひとつ、またひとつ、深く理解して行くだけです。
マスコミの報道と彼女が話してくれた話し。どれだけ距離があると思いますか?
中道を保つバランス感覚なんて、今の私には必要のないものです。
大事なのは事実です。
長文ご容赦下さい。
>植民地支配のいい面と言うのは、支配された側の評価で充分だ
アジアのどの国でも、日本の占領統治について悪く言う人もいれば良く言う人もいます。日本の功罪どっちも認めた上で未来への国づくりをしているアジア諸国のことを、「日本を恨んでいる」としか歪めて伝えないというのは大問題ですね。
>支配した側が、「してやった」と言う態度を取る事は許されない
日本政府は「してやった」なんて態度は取ってないし、つくる会教科書もそうですよ。
>社民党の参院候補だった瞳さんに植民地支配もいい面もあったと言わせたいのですか?
少なくとも植民地支配の闇の部分だけを見て、現在の価値観から批判するような低レベルの御方にはなってほしくないですね。
あなたの社民党への思い、市民運動への思いは十二分に受け取りました。権力は必ず暴走するものである以上、監視し、声を上げる存在は必要不可欠でしょう。
しかし、現実路線を「欺瞞」と言い切り、干されるのを承知で現状の社民党を支持しようとするあなたの姿勢が理解できません。現実を変えようともする力も努力もなしで「理想」だけを叫ぶなんて、「しわ寄せを喰った人」にとっても迷惑なんじゃないですか?
>絶対に上からの言い方だけはして居ないつもりです。
では、「植民地のインフラを整備してやったなんて言うんじゃないでしょうね。」なんて書き捨ては止めたほうがよろしいかと。
少なくとも私は、「あなたは日本の植民地政策の過酷さも知らずに、ネトウヨの捏造歪曲を信じ込んでいらっしゃるんでしょうね。まあお可哀想に。」ぐらいの悪意を感じ取りました。
>中道を保つバランス感覚なんて、今の私には必要のないものです。
私は教師という仕事柄、中道を保つバランス感覚が必須なんです。「上から」と取られる言い方をしているかもしれませんが、それはご容赦くださいとしか言えません。
>大事なのは事実です。
その通り。歪曲捏造された事実を基にした主張や陰謀論なんて必要ありません。
支配された側に、客観的に評価する力があればそうかも知れません。しかし、台湾人はともかく、韓国・朝鮮人にはそんな能力は欠片も見られません。日本人にとっての歴史は歴史ですが(一部には、未だにマルクス主義史観という人も残っておりますが)、韓国・朝鮮人にとっての歴史は、願望でしかないからです。
>支配した側が、「してやった」と言う態度を取る事は許されないと言ってるのです。
そうでしょうか?支配した側にも、自分の行為を振り返って評価する権利はあります。そしてその権利を行使するに当たって、支配された側と歴史認識を共有しなければならない義理はありませんな。
私にはそうは思えませんが、それは偏見ではないんですか?
<歴史を客観的に評価する力
これはどこの国の人でもそうは多くないと思いますが。
それより、散々我慢してられたんでしょう。(笑)
ところが、昨今の研究によっては、全く異なっている。土地調査によって官有地にされた土地は、全農地の内の5%程度に過ぎず、「収奪」は行われていないことが明らかになっている。そして、何より朝鮮近代化の礎になったことが全く理解されていない。あの時代の近代化とは、言うまでもなく資本主義化であって、そのために必要な一つが私有財産の不可侵。これは近代民法の原則の一つでもあるわけです。私有財産を保護するには、まず第1歩として所有権を確定しなければならない。だから日本国内では地租改正を行い、朝鮮でも同じことを土地調査として行った。それだけのことですよ。独立後の韓国において、所有権というものが存在しているとすれば、それは土地調査と近代的民法を移植した朝鮮総督府の功績だとしか言いようがない。客観的に見ても、このような結論しか出てこない。
ところが、このようなことを資料と常識を示しながら説明しても、全く理解しない(できない)のが韓国・朝鮮人であるわけです。彼らの主張には史料上の根拠がなく、ただ一方的な感情があるだけです。不本意ながら長年、韓国・朝鮮人の主張に付き合ってきた私としては、彼らに比した自分の客観性に十分自信を持っております。
支配された側の感情は支配した側からそう簡単に理解できるものでしょうか?
私には恨みが消えるのにはもっと時間と支配した側の努力が必要だと思えるんですが。
<不本意ながら
どの様な立場で関わられて来たのかは想像すらできないのですが。
私の場合、彼等との関わりがありませんでしたが、旅先などで直接目にした事などで、一般的に確かに感情が表に出易い人達だとは思っています。
ただ、個性の強い彼等にしても団体や組織の建前上、あるいは日本人として組織を全面にだす場面ではそれを言わなくてはならないと言う事もあるのではないでしょうか?
私自身の経験ではないのですが、日本の戦時中の行為より北の同胞に対する行為が許せないと言ってる人もいたそうです。また、支配したのが日本だからまだましだった、これが朝鮮民族だったら感情にまかせてもっと残虐だったろうと言った人もいるそうです。
これらは、個人対個人の信頼関係があって初めて聞く事ができた話しだろうと思います。
もし、これらの話しを聞いた人が、いきなり「してやった」と言う態度だったらけして話してくれなかったのではないでしょうか。
功績と言う表現は、褒め讃える為の言葉ですから、翻訳の問題かも知れませんが、私にしてみれば充分「してやった」に当たると思います。
話題がずれますが、彼等の感情的な面は私には羨ましいと思える事があります。
例の狂牛肉の輸入反対のデモです。
日本のマスコミが数万人程度としたデモは20万人だった。
今の日本人は、何があっても大人しい。
イヤなものはイヤとはっきり主張する彼等が時々羨ましく思います。
理解する必要はないでしょう。イギリス人がインド人の感情を理解しているようには見えませんし、フランス人がベトナム人の感情を理解しているようには見えません。
韓国・朝鮮人が日本を恨むなら、勝手に恨ませておけばいいのです。別に日本が沈没するわけではありません。恨まれても、痛くも痒くもありませんね。