本日15日、午後2時より東京高等裁判所で従軍慰安婦裁判の口頭弁論があります。
(詳細は下記)
この事件は中国海南島で8人の女性が原告となった事件で、一審は東京地裁で敗訴しています。
従軍慰安婦の事件は、ほとんどの事件が既に最高裁までいって終了しています(もちろん、勝てていません)。
この裁判は、法的に争うことができる唯一の事件です。
本日は第2審の第1回目で、5人の弁護士がこの裁判のストーリーについて弁論します(法廷で話すということ)。
それは、大きく分けると
事実についての骨格加害の事実と被害の酷さ、現在も続くPTSD、法律論についての骨格、
政治的解決に代わる裁判所の判断を要望すること
などです。
杉浦は、PTSDに関して担当します。
法廷時間は、2時から3時半までをとってもらっていますが、3時ころに終わるかも知れません。
また、夏すぎになると思いますが、被害女性を一人中国からお呼びします。証人尋問です。
5月15日 午後2時00分~3時半
場所:東京高等裁判所 818号法廷(8階です)「控訴人:黄有良ほか」の事件
(当然ですが無料)
丸の内線、千代田線、日比谷線~「霞ヶ関」 A1出口すぐ
有楽町線~「桜田門」 2分ほどお堀を背に壁づたいにきてください。
但し傍聴席が40ほどだと思いますので、傍聴券を裁判所前で配布することになるかもしれません。この場合には、2時より少し前に来ていただかないと難しいです。
もっとも、法廷に入れなくても、裁判所の中には入れますので、法廷のドアの外にまってもらって、途中で傍聴人の交替をすることもあります。
また、法廷終了後、報告会を行います。
裁判は、外から見ていると勝ったか負けたかしか見えませんが、その過程でいろいろな人生模様が描かれていきます。
これまで誰にも話すことの出来なかった、悲惨な事実と許せない思い。自分など価値のない存在と思いこんでしまってきた女性たちのむなしさ。
彼女たちから話を聞き取る中で、理不尽に耳を傾ける元敵国の弁護士たちがいること、尋問のために決死の覚悟で来日した被害女性を温かく迎える学生を含む多くの支援者。
そんな出会いの中で、被害を受けた女性たちは、少しずつですが自分の価値を見つけだしてきています。
判決は裁判所に出してもらいます。
でも、そのことを早々に言及されるバルディオスさんは、この問題に関心をお持ちなのでしょう。
どうせ、あと10年ほどでこの原告の女性たちは皆墓場に行かれることでしょう。そのまえに一度、彼女たちに関わってみませんか。
たぶん、来年早々、1月の法廷で、おひとり尋問に立つために来日されることになると思います。
次回の法廷に傍聴にいらっしゃるのがいいと思います。
法廷の案内は、エントリーを立てますのでご覧下さい。
しかし、それができないので、行く意味はありません。反対尋問のない尋問で、何を明らかにできるものでしょうか。
私のような小物ではなく、秦郁彦氏とか櫻井よし子のような妄言屋に声をかけたらいかがでしょう?彼らのような軍国主義者の残滓に、「自分など価値のない存在と思いこんでしまってきた女性たちのむなしさ」を聞かせるべきです。反論が怖くなければ、ですが。
尋問は、法的には裁判官に尋問を聞かせることですが、傍聴席の方たちはそれを聞くことで、証言者も聞いてもらうことで、確実に変わる何かがあります。
また、裁判官が判断するに当たっては心証というものを採ります。
反対尋問がなくても見抜ける嘘がありますし、伝わる真実もあります。
不幸にも、バルディオスが案じられるまでもなく、ほとんどの場合裁判所は被告代理人顔負けの厳しさで証言を聞いています。
それでも、裁判所はつぎのように判断しています。
「本件加害行為に関する原告らの陳述書の記載や証言には,客観的な裏付けが十分でないといわざるを得ない面があることは否定できず,一部の原告についてはその陳述書の記載と証言との間に変遷も見られるが,本件加害行為の時から現在に至るまでに長い年月が経過していることからすると,やむを得ないことというべきであり,また,それらの記載,証言と矛盾,抵触する証拠もないことからすれば,それらの全体としての信用性を否定することはできず,本件加害行為についての原告らの主張は,大筋においてこれを認めることができるというべきである」
で、史学者の立場から言わせて貰うと、裁判所の判決文に、
>本件加害行為の時から現在に至るまでに長い年月が経過していることからすると,やむを得ないことというべきであり,また,それらの記載,証言と矛盾,抵触する証拠もないことからすれば,それらの全体としての信用性を否定することはできず
こんなことが書かれていたとしても、いささかも拘束される立場にありません。法的にも拘束する効力はない。民事訴訟における事実認定と、歴史学における史実の確定は、全然違いますので。
長い年月がかかっているから、「客観的な裏付がなくてもやむを得ない」?ふざけちゃいけませんよ。歴史学は数千年の昔のことでも解明することができます。
それに、「それらの記載,証言と矛盾,抵触する証拠」は、国側代理人が河野談話に拘束されているから、証拠として提出できないだけです。秦郁彦氏らの出版物には、数え切れないほど掲載されています。
お金とか手間とかを考えると、裁判に勝とうが負けようが当事者の割に合うことではないですが、これから戦争があっても、こんなことはしてはいけない、ということを確認するために、頑張って欲しいと思います。
戦争は、儲かる人がいるからやるのでしょう。だとしたら、その儲けを何とか吸い上げて、被害者に分配するのが筋だと思います。
私は、日本の子どもや若者に、真実を伝えたい。そして、過去を知った上でアジアの中で誠実に関係性を築いていってほしい。そのためには歴史を理解していなければならないと思うのです。
おっしゃるとおり、未来に向けての活動だと思っています。