1923年、俳優Mは群馬県に生まれました。祖母は伊豆半島にいくつかある被差別の出身者で、祖父は死穢に関わる棺桶作りの職人でした。
幼いころから周囲の人々の射るような視線を感じ、金持ちの家の自転車などが盗まれると、真っ先に疑われた。
父親は電気工事の仕事をしておりましたが、激しい差別にさらされながら生きてきたせいでしょうか、権威に対する反骨精神が大変に強い方だったようです。会社の若い者が出征するとき、一度も「万歳」を唱和したことがなく、官憲に追われた労働者を匿い、握り飯を持たせて浦山に逃がしたこともあったとか。
そんな父の影響でしょうか、Mもまた権威には反抗的で、差別と闘い続けた生涯を送りました。召集令状を受取るや兵役を逃れようと九州へ逃げますが失敗。九州の連隊に配属されます。上官の命令に逆らい続け、毎日のように殴られていたそうです。2年間大陸を転々とし続け、1発も銃弾を撃たないまま終戦を迎えました。
1950年、27歳の時、東京銀座をぶらついているときにスカウトされ映画デビュー。たちまち頭角を現します。
当時の映画業界には「五社協定」というカルテルがあり、俳優の引き抜きの禁止と、俳優が勝手に他社の映画に出ることを禁じていました。
が、そこは反骨の俳優Mです。自分が専属する会社以外の映画に許可を得ずに出演し、五社協定違反の俳優第1号となります。
いくつもの映画会社を何度も渡り歩き、独立系の映画には手弁当で出演し続けた。現場でも反抗的なMに、「河原乞食のくせに……」と陰口を叩かれることもよくあったとか。
「俳優などどこへ行ってもバカにされ、だまされる。頼れるのは自分だけ」あるインタビューでこのようなことを語っていた俳優M。差別というものに敏感だったMは、親鸞の悪人正帰説に感銘を覚え、信者となり、親鸞を主人公にした映画『親鸞 白き道』を制作します。「悪人」に「芸人」を重ね合わせ、差別され続けたからこそ救われる、と解釈したのでしょうか。
老人の役作りのために、麻酔をかけないまま自分の歯を抜き、相手役を殴るシーンでは、リハーサルから本気で殴りつけ、相手役を失神させてしまったこともある俳優M。その狂気にも似た芸能者としての血ゆえに、家庭を顧みず、家族、特に息子さんからはかなり憎まれていたようです。
しかしその息子さんもまた、同じ俳優の道を進み、今や日本映画界を支える重鎮となられました。Mはこの息子さんのことを、どのような思いでみていたのでしょう。
反骨の芸能者の血は、こうして伝えられ続ける……。
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俳優の故・山城新伍さんは、ある酒場で飲んでいるときに、その場に居合わせた客から「河原乞食!」と揶揄され、大げんかしたことがあったそうです。それも1990年代も終わり頃の話。わずか20年ほど前の事です。
今でこそ「河原乞食」なんて言葉を知る人は少なくなったかもしれない。しかし、芸能に携わる人々に対する潜在的な「差別意識」は、未だ絶えることなく続いているように思われます。
日本の社会が古くより培ってきた負の側面、芸能と差別について、つらつらと考えてみたい。
続きます。
参考文献
星野陽平著『芸能人はなぜ干されるのか? ~芸能界独占禁止法違反~』
鹿砦社刊
武勇伝のように語られますが、愛情力と自分の中の曲がったことが嫌いなところに忠実だったんですね。
お父さんは義理のお父さんだったみたい、Wikipediaで見直したら、血の繋がっている母親より義父が大好きだったと。
芸能に関しては、もしかしたらどの国でも差別はあるものなのかもですね。
オジーオズボーンをふと思い出しました。
私は農業で何かを作り出す、生産者でありましたが、それだけで現代では大変なことをされていて…と言われてそれだけでリスペクトみたいな空気もあるのですが、なんか違うなぁとずっと思っていて。芸能は何も作り出してない訳じゃない、その間にある努力、過程も作品を通して感じれると思うのですが。
なんか昔読んだ本で、作家が入院して、周りは何かを作り出して供給している職業ばかりで、あんたは何も作り出してない、みたいなお話あった気がするんですが、薫風亭さん、知りませんか?
話飛んじゃったけど、言わんとするところがうまくまとまらないです。
芸能差別の根幹にはそれもあるんだろうね。そうしたことを、これから色々考えていきたいと思います。
Mさんの晩年はとても良い顔をされていたと思います。思いっきり生き切ったからでしょうね。
俳優Mさんも同じ俳優の息子さんも好きです。
俳優Mさんのご冥福をお祈り致します。
合掌
Mさんの息子さんは本当に良い役者さんです。応援していきたいですね。
息子さんは後輩から慕われているようですね。
そして、先輩は、「お父上と共演して」という話がかならずついてくる。
良い人の役が多いけれど、若い頃は凄かった話もあり、これほど父子の仲の悪さを公表している家族も珍しい。
父子共演が「美味しんぼ」なのもなんかおかしいのかおかしくないのか?
最優秀主演男優賞のトロヒーが「重く感じるのは年齢のせいで筋力が落ちたからか」とボケて誰も笑ってくれなかったとか、息子さんの話は色々言えますけど、お父様はまるで出来ません。楽しみにしています。
っていうか、合ってます?(笑)
息子さんは出まくりですね。最盛期の緒形拳さんを彷彿とさせる、いや、凌ぐかも。
Mさんの御母上は伊豆の裕福な網元の家に生まれましたが、外洋へ出た船が遭難沈没に逢い家は破産。生活は困窮し、父親は自殺…。一家離散の憂き目に遭いました。
残された母親は娘であるMさんの御母上を呉の海軍の偉い軍人の家へ女中奉公に出します(この時に他の兄弟も養子や奉公に出されたと思われます)。
しかし、Mさんの御母上は奉公先で後のMさんを身篭ってしまいます(主人が若い女中の生娘に手を出すのは昔からよく聞く話です)。
Mさんを身篭った御母上は奉公先を追い出され帰郷を余儀無くされますが、帰郷したところで生活に困窮して奉公に出されたのに果たして実家に居場所があるでしょうか…。
Mさんの御母上は自身の居場所を探さなくてはならなくなり、そして帰郷の途で出会ったのが同郷の電気工事の渡り職人をしていたMさんの後の養父でした。
同郷とはいえ、網元の娘と被差別出身の青年…。かつて差別した側と差別された側です。網元の家が没落しなければ結婚は許されなかったでしょう。