時代劇によく出てくる「虚無僧」というのは、普化宗という禅宗の一派に属する僧侶ということらしいです。
しかしほとんどの虚無僧は、禄を失った侍つまりは浪人者が、尺八を吹いて角付けをし、日銭を稼いでいたもので、僧侶というよりご浪人さんのアルバイトでした。
ですから僧侶といっても剃髪せず、髷を結わない総髪だったのだそうです。
そんなわけですから、虚無僧は僧侶というより、尺八を吹いて日銭を稼ぐという「芸」を売る、「大道芸人」の括りの中に入れられていたようです。
江戸時代当時、芸人、芸能民はとされていました(江戸の歌舞伎役者は例外)。、はの配下とされ、穢多頭の弾左衛門の差配の下にありました。
ですから虚無僧も身分としてはなわけですが、元々武士だった方々をに列っしてしまうのは可哀そうということもあったようで、虚無僧に限っては大道芸人であっても、身分は町人身分に留められていたようです。
ちなみに、虚無僧が胸にぶら下げている箱(?)には「明暗」と書かれております。これには宗教的意味合いは特になく、単に明暗寺という寺の世話になっている、という意味なのだそうな。
芸能民は、「人に非ず」だったわけですから、相当差別的な待遇を受けていたようです。それは江戸の歌舞伎役者とて同じこと。歌舞伎役者は身分上は町人だったものの、実際の扱われ方はと変わらなかった。彼らは自らの身を立て、身を守るために、ヤクザや渡世人などの「裏社会」の人々とも密接な関りを持っていく。
地方を回る芸人一座などが町場で興行を行う場合、必ず地元の「顔役」や地回りのヤクザに挨拶をしなければなりません。それによって興行を守ってもらうわけです。抑々ヤクザや渡世人には、元々だった人々も多い。初代市川團十郎は侠客であったと伝えられていますし、そうした人々との親和性も強かったでしょう。
このようにして芸能民と裏社会とは密接な関りを持ち、それは明治以降もかたちを変えながら存続し、現代においても、その名残はまだまだ強く残っていると申せましょう。
芸能会にはまだまだ古い体質が残っていて、芸能事務所と所属タレントとの契約関係には、徒弟制度的な不透明さが根強く残っているようで、もはや現代の体質とは明らかに合わなくなってしまっています。これがここのところ頻発している、事務所移籍等のゴタゴタを引き起こしている原因だと云えます。
事務所にとってタレントとはまさに「人に非ず」。そんな事務所もまだまだ多いのかもしれませんねえ。
最近頻発している騒動は、そんな芸能界の古い体質に変化の兆しが表れてきた、ということなのかも知れません。
まあ、色々と複雑な事情も絡み合ってるみたいですがね(笑)
芦田愛菜
凄いよね、超難関有名中学に、2つも合格したなんてね。子役というものの定説を根底から覆しましたよね。
本田望結ちゃんのように、タレントとフィギア・スケートと学校とを全部きちんとこなしている子もいるし、この子達の賢さとか集中力の凄さには、今までにないスーパーなものを感じさせ、将来が楽しみでなりません。
こういう子たちによって、芸能界の古い体質も自ずとかえられていくのかもしれない。
芸能界に限らず、世界全体の途轍もなく大きな変化の芽を、こうした若い子たちに見ている、そんな今日この頃ではあります。
本田望結
それにしても、宗教に逃げたところで、ロクなことにはならないよ。
ハイ、余計なお世話です!
宗教の件は、私たちに大きな問題提起をしてくれましたね。 一人でも多くの人が目が覚めて欲しいです!!!