1989年、リクルート事件の責任をとるかたちで、時の総理大臣竹下登氏が辞意を表明します。ポスト竹下として名前が挙がった候補の中に、会津出身の政治家がおりました。
伊東正義という方です。
伊東氏は金権スキャンダルなどとは一切関わりのない方で、クリーンなイメージが強かった。だからリクルート事件の後を受けた後の首相としては最適の人事だとおもわれたのでした。
しかし伊東氏はこれを固辞、曰く
「表紙だけ変えても中身が変わらなければ意味はない」
辞任したとはいえ、竹下氏の権力は未だ隠然たる勢力を誇っており、今総理になったとしても結局は竹下氏の傀儡に甘んじてしまうのがオチ。
自分の仕事ができないなら、総理などなる意味はなし。
【政事は利害を以て道理を枉ぐべからず】
(会津藩家訓十五ヶ状より)
その邸宅はバブル期の当時にあって、雨漏りのするあばら家だったそうです。政治はなにかと金がかかる、だからこそこの邸宅のありさまは、そのまま金権政治との無縁さを表していた、と云えましょう。
【賄を行い、媚を求むべからず】
政治家というのは、清濁併せ呑むという気概が必要なところがあって、そういう意味では、伊東氏の在り方は政治家としてはクリーンであり過ぎたかもしれません。しかし、会津人の気骨をとことん貫いたその生き方は、人間の一生として立派だと私は思う。
亡くなるに際しても、叙勲などはいらないし、銅像など建てるなと最後まで奢侈に走らぬよう戒めていたそうです。
この気骨、この信念、まさに会津武士道。会津魂これにあり!
こういう人、私は好きだな。
【若し志を失い、遊楽を好み、馳奢を致し、士民をしてその所を失わしめば、則ち何の面目あって封印を戴き、土地を領せんや。必ず上表して蟄居すべし】