今年(2014)、ももクロの国立競技場ライヴの初日、3月15日は、有安杏果の19歳の誕生日でした。
同じく今年の夏の西武ドームライヴ「桃神祭」2Daysの初日、7月26日は、杏果がももクロに加入した日です。
また、10月18日に熊本のライヴハウスで行われたももクロのライヴ「ちびっ子祭」は中学生以上で身長は男性159㎝、女性155㎝以下の方しか入場できない限定ライヴでしたが、企画したのは、我らが有安杏果でした。
今年のももクロのライヴは、杏果の存在がなにげに重要なキーだったなと思いますね。
思えば、ももクロにおける杏果の歩みは、決して平坦な道ではありませんでした。
加入時の紆余曲折、加入後の他のメンバーとの間にできた「壁」。
その壁を克服したあとも、無理な発声を繰り返していた為に声帯を痛めてしまい、2013年の正月からおよそ3ヶ月間、声をだすことを禁じられます。
その間も仕事はひっきりなしに続きます。ライヴでは歌を歌わずダンスだけで参加し、トーク・イベントではスケッチブックを用意して様々なコメントを予め書き込み、また現場で臨機応変にコメントを書き込むなどして、必死にトークについて行きました。
杏果といえば「努力」、「努力」といえば杏果というくらい、杏果はその自らの苦闘をファンの前にさらけ出してきた。
普通タレントというものは、ここまで己の苦闘をさらけ出さないものではないでしょうか?努力や苦労を見せずに、さらりとやってのけるのがカッコイイ。浪花節じゃないんだから、苦労を売りものにするべきではない。
でも杏果の場合はそれを売りものにしているわけではありません。ただ「隠せない」だけなのです。
「嘘をつくのが嫌い」と、普段から杏果は公言しておりますが、杏果の場合、嘘を「つかない」のではなく、嘘が「つけない」のです。
苦労を「隠さない」のではなく、「隠せない」のです。
結果、ファンは杏果の生身の「悲しみ」「苦しみ」「喜び」すべてを見ることになる。
そして杏果は、苦闘しながら自らの問題を自らの手で克服し続けている。
その「過程」を我々ファンは見せつけられているのです。
杏果推しのモノノフは、こうした「人間」有安杏果を応援せずにはいられない者たちだといっていいでしょう。
2011女祭りライヴ。体調不良でフラフラの杏果、それでもステージに立ち続ける杏果。そこへ観客から「杏果がんばれー!」の声が…。
2011女祭ライヴ総集編。すべてのモノノフにとって、これは伝説的なライヴでしょう。消さないで欲しいなあ…。
プロなら体調管理は当然で、本番で体調を崩すなどもっての外!
それは確かにそうですが、なってしまったものは仕方がない。我々ファンが惹かれるのは、それでもライヴを続けた、ステージに立ち続けた杏果の「意志」です。
フラフラで、声も出なくなった身体で、それでも杏果は3時間以上のライヴを休むことなく続けた。
ステージに穴を開けるわけにはいかない。メンバーに迷惑はかけられないし、折角観に来てくれたファンに申し訳が立たない。
そしてなにより、自分自身が納得できない。
これが泣かずにおらりょーか!?我々杏果推しは皆、この「人間」有安杏果が好きなのです。
無骨なほどに不器用な杏果という少女に、強く強く惹かれるのです。
杏果が「別世界」に感じたというように、杏果以外の他のメンバーは、虚と実の区別が非常にあいまいです。
何処までが「素」で、どこからが「演技」なのかよくわからない。楽屋からまったく変わらないテンションのままで現場へ入って行く。
リーダー百田夏菜子は、太陽のように屈託のない明るさで、あらゆる人の垣根を取っ払い、己のテリトリーへと引きずり込んでいく。総合的なタレント性という点では、ももクロの中でも抜きんでた存在です。
あーりんこと佐々木彩夏の面白さは、「あーりん」という「虚像」を、佐々木彩夏という少女が「演じて」いるのだということを周知させることによって、逆に「なんでもアリ」な状況を作りだしたことです。
あーりんという「虚像」は佐々木彩夏本人をも取り込み、虚と実の境は益々曖昧模糊となっていく。
高城れにのボヘミアンな破壊力は、一歩間違えばマイナスの方向に倒れて、ヤバいことになりそうですが、ももクロに出会った御蔭で、プラスの方向に爆発することができました。というより、ももクロという「場」が、プラスにしている、というべきか。
繊細な方でもありますので、悩みの多さでは杏果と共感するところもあるようですが、杏果に比べてどこか地に足がついていない危うさがあるように思えます。
この方もやはり、「別世界」の人と言うべきか。
しおりんこと玉井詩織。私はこの方が一番「わからない」。
ある意味この方はももクロそのもの、そこにいるだけでいい、そこにいるだけで、この方はももクロなんです。
この方もこの方なりの努力を続けているのでしょうが、その片鱗すら私には垣間見えない。ある意味「完璧」なのです。
「完璧」なる別世界の人。努力が丸見えの杏果とは対極の人だといっていい。
杏果という人は、常に目の前にあることを一生懸命にやる方です。
その為、遠い未来のことは考えられないのだそうです。
2020年の東京オリンピックが決まり、みんなが「その時、ももクロはなにしてるんだろうね」と盛り上がっていたとき、杏果だけ、「私、まだ続けているのかな…」とボソリと言ったとか。
それはネガティブなわけではなく、そんな先のことは考えられないのだそうです。
杏果はまた、死んだあとのことは分からないとも言います。信じる信じないではなく、分からないというのです。
分からないのだから、考えても意味はないと。
極めて真っ当な、現実界に足を付けた発言ですね。
ももクロという別世界、「夢」の世界のメンバーでありながら、杏果は常に、我々ファンの住む現実界にしっかりと足をつけている。
有安杏果という方は、この現実界と、夢の別世界とを繋ぐ、橋渡し的な役割を果たしているのかも知れません。
だからすべてのモノノフは、誰推しであろうとも、杏果のことを無視することは出来ない、気に成らざるを得ないのです。
無骨で不器用で、どこまでも我々ファンのことを考える、心優しき苦労人。「人間」有安杏果を、
私は推します。
「灰とダイヤモンド」
感極まった杏果が泣いています。この方はよく泣くんです。
良い顔してるね。
参考資料
『クイックジャパンspecial issue ももいろクローバーZ~compass of the dream~2013-2014』
『クイックジャパンVOL116有安杏果特集』
「川上アキラ著『ももクロ流~5人に教えたこと 5人から教わったこと~』」
「ももクロペディア私家版http://momoiro-clover.ldblog.jp/archives/22660852.html」
これにておしまい…で、ありやす。
真剣丁重?意味をわからず。ま~いいか。ひとつひとつは自分への言葉と戻りますね。
ある意味では、家族より兄弟よりの相性も理解もあるし。それでも衝突もある。でもそれでいいし。それがいいと思います。出会いと別れて出あい。おそるべしももクロさん。感謝と初心忘れるべからずですね。お疲れ様です。ありがとうございます。みんな知っているのですね。嬉しいです。
それは杏果だけじゃなくて、メンバー全員が同じように学び合っていることでしょう。それぞれの在り方で。
この子達の行く末が本当に楽しみです。いつまでも見守っていたいですねえ。
まさにそれを思っています。改めて薫風亭さん有り難う。
国立DVD発売記念でスペシャで特集組んでくれて日本青年館から国立まで見たけど百果の表情は大人でした。
労働讃歌かのPV見た時に前髪が出ていて最初の印象クールビューティーに見えたのだよね。
でもみんなオーラが増えているのぉ。
記事内でしおりんのことを「わからない」と書いたけど、この方はももクロ一の『正統派」アイドルなんです。ももクロってどちらかというと異端のアイドルじゃないですか?その中にあっての正統派だから、逆に「見えない」のかなと、今は思ってます。
ももクロの中でのアイドルというとあーりんですけど、あーりんって、はっきり言ってアイドルの「パロディ」的な存在だと思うんですよ。そのパロディをあえてアイドル的要素の中心に据えているところが、ももクロの異端性の表れであり、ももクロのももクロたる所以であると、その分、正統派なしおりんが目立たなくなっちゃってるのかなという…おっと、また語ってしまった(笑)
実は最近しおりんは中道で他者を生かす人なんじゃ?と感じてしおりんの歌のあとに百果の気張りが生きる!とか、しおりんが一番を歌って二番は誰かな?って探して遊んでました。百果だけじゃなく、れにちゃんの少女声やあーりんスタイルやかなこのここぞのサビを歌うことを生かしてる?なんて。
正統派アイドル!そうですね、しおりんはもしかしたらどんなアイドルグループに入ってもしおりんのままで居られるのかも?他の4人は他のアイドルグループに入ったら個性が生かされないかも~。
仮想ディストピアのしおりんは最近一番好きかも。