荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

『適切な距離』 大江崇允

2011-06-07 00:32:26 | 映画
 今年の大阪CO2映画祭で大阪市長賞(最高賞)を獲った大江崇允の『適切な距離』が、《映芸シネマテーク》にて東京初上映されたので、見に行ってきた。どうせロメールあたりの上っ面だけの模倣だろうとも思われそうなタイトルではあるが、実際には、じつに骨太で面白い作品である。関西某大学の演劇科を卒業間近の主人公・ユウジ(内村遥)が、小学生時代につけていた日記を再開しようとして、同時に、不仲な母親がつけている日記を発見する。母の日記のなかでは、ユウジは死んだことになっており、その代わりに死んだはずの弟レイジが、母の理想に近い孝行息子として暮らしている。
 母子の日記はそれぞれ矛盾したまま平行線を辿り続け、その一方で、互いが互いの日記を盗み見していることは明らかである。しかし盗み見のシーンがまったくない、というのがいい。あり得たかもしれないもうひとつの現実が、いまこの現実を浸食していることに主人公は気づくけれども、それは延々と回収しきれないものである。上映後のトークで監督が、おそらくそのような交錯の現象を「束としての現実」というふうに述べながら、薪の束を胸でどっさりと抱える仕草をしたのが、非常に印象的だった。

 私が現在読んでいる本で、400ページ超ある上に注釈も詳しいためなかなか読み終わらないスーザン・ソンタグの新著『私は生まれなおしている 日記とノート1947-1963』はまさに、彼女の息子であるデイヴィッド・リーフが編者として、亡き母の青春時代の日記を整理し、出版にこぎ着けたものである。年若い才女がひそかに書き綴った赤裸々な告白や、名声への渇望、セックスへの欲望を、こうして死後に公表するにあたり、息子が必然的に受ける傷が、この本の潜在的な主題とさえなっている。また同時に、私たち読み手は、この編者が公平さを欠く検閲官として、本当には読まれたくない箇所を削除しているのではないかという疑念を拭うことができない、という点をも主題として取りこんでいるだろう。
 ソンタグは本書のなかで、日記というものはいずれ家族や恋人に盗み見される運命にあり、また潜在意識的には、盗み見されることを前提としたテクストなのかもしれない、と推測している。この『適切な距離』は、これと同種の意識の潜在的な断層を覗き見ようとした、スリリングでイヤらしい欲望の発露なのである。

P.S.
上映会場が地元の人形町であったという気安さも手伝って、主催スタッフ諸氏とついつい朝7時まで飲んでしまった。この街は酒が旨いから、仕方がないということにしておこう。元来は、夕刻早くから杯を傾け始め、遅くなる前にさっと切り上げる品のいい都会であって、朝までくだを巻く街ではないのだが。


大阪CO2映画祭の受賞各作品は、7月下旬より、ユーロスペース(東京・渋谷円山町)にて巡回上映を予定
http://co2ex.org/


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『適切な距離』の一般公開が決定 (中洲居士)
2012-06-04 23:08:24
『適切な距離』の一般公開が決定したようです。9月1日(土)より二週間連日21:00より、新宿K's cinemaにて。お見逃しなく。

コメントを投稿