正直なところ私は岡田利規の上演作品および散文作品に対して、マンネリと停滞を感じ取っていた。彼が書く文章、語るインタビューに対しても冷ややかな感想しか持つことができなかった。
しかし今夜、それは少し風向きが違ってきた。フェスティバル/トーキョー13の演目のひとつとして上演されたチェルフィッチュ『現在地』が提示したSF的なフィクション、これは都市のトリビアルな生態からの脱却であると同時に、プリミティヴと言っていいほど、現在的問題と対峙している。はっきり言うならば、この『現在地』は、先の選挙で大勝した保守・右傾化政権に対する強烈なノンである。原発事故から目をそらすわれらに対する叱責である。7人の女性がカフェテリアのような椅子とテーブルの付近に集まり、順繰りに言葉を紡ぎ出す。それはかつての『三月の5日間』『フリータイム』の間接表現(世界は紛争まみれではあるが、僕たちはラブホテルに連泊してるというような)も軽快な若者言葉も影をひそめ、アジテーションにも似た言葉の叩きつけとなって、観客に突きつけられた。
P.S.
ささやかなこの記事を、若くして逝った鷲見剛一の魂に捧げる。鷲見君は早大シネ研の後輩で、七里圭と同期。8ミリ映画『酔醒飛行』が稲川方人などによって絶讃された。
2010年3月、つまり東日本大震災の1年前、私は、横浜美術館レクチャーホールで上演されたチェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人である』の完成前のワークインプログレス公演『わたしたちは無傷な別人であるのか?』の物販ロビーで9年ぶりに鷲見君と再会し、しばし旧交を温めた。帰りのみなとみらい線、東横線の中でも話は尽きなかった。
「ブログ、いつも読んでますよ。荻野さんって、学生時代よりマメになってますよね」と彼は言った。2000年初頭に一度、私は彼に仕事を手伝ってもらったことがあり、私の忙殺ぶりを彼はよく知っている。だから、その言葉は「あんたはあんなに忙しいのに、ほかの用件を無視して、休息も取らずによくもまあ、あちこち見たり聴いたり行ったり、精が出るよね」とわが鬼っぷりを褒められていると解釈し、まんざらでもなかったことを覚えている。
東京芸術劇場(東京・池袋)で12/8(日)まで
http://festival-tokyo.jp/program/13/current_location/
しかし今夜、それは少し風向きが違ってきた。フェスティバル/トーキョー13の演目のひとつとして上演されたチェルフィッチュ『現在地』が提示したSF的なフィクション、これは都市のトリビアルな生態からの脱却であると同時に、プリミティヴと言っていいほど、現在的問題と対峙している。はっきり言うならば、この『現在地』は、先の選挙で大勝した保守・右傾化政権に対する強烈なノンである。原発事故から目をそらすわれらに対する叱責である。7人の女性がカフェテリアのような椅子とテーブルの付近に集まり、順繰りに言葉を紡ぎ出す。それはかつての『三月の5日間』『フリータイム』の間接表現(世界は紛争まみれではあるが、僕たちはラブホテルに連泊してるというような)も軽快な若者言葉も影をひそめ、アジテーションにも似た言葉の叩きつけとなって、観客に突きつけられた。
P.S.
ささやかなこの記事を、若くして逝った鷲見剛一の魂に捧げる。鷲見君は早大シネ研の後輩で、七里圭と同期。8ミリ映画『酔醒飛行』が稲川方人などによって絶讃された。
2010年3月、つまり東日本大震災の1年前、私は、横浜美術館レクチャーホールで上演されたチェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人である』の完成前のワークインプログレス公演『わたしたちは無傷な別人であるのか?』の物販ロビーで9年ぶりに鷲見君と再会し、しばし旧交を温めた。帰りのみなとみらい線、東横線の中でも話は尽きなかった。
「ブログ、いつも読んでますよ。荻野さんって、学生時代よりマメになってますよね」と彼は言った。2000年初頭に一度、私は彼に仕事を手伝ってもらったことがあり、私の忙殺ぶりを彼はよく知っている。だから、その言葉は「あんたはあんなに忙しいのに、ほかの用件を無視して、休息も取らずによくもまあ、あちこち見たり聴いたり行ったり、精が出るよね」とわが鬼っぷりを褒められていると解釈し、まんざらでもなかったことを覚えている。
東京芸術劇場(東京・池袋)で12/8(日)まで
http://festival-tokyo.jp/program/13/current_location/
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