「キネマ旬報」の連載コラム「映画人、逝く」をまとめた2010年の『歿 映画人忌辰抄』の続編『歿2 映画人墓参抄』(ワイズ出版)が出たばかりである。今回はキネ旬だけではなく、「シナリオ」「荷風!」「別冊太陽」各誌から採られた。
著者・浦崎浩實による、時に辛辣なる審判員としての、時に死者を慰撫し鎮魂する旅の念仏者としての言説は、読者を同道する吸引力に満ち満ちる。私は、前書&本書に相通じるこの感覚を「晴れやかなるメランコリー」と名づけたい。時に細やかな取材と資料探し、時に蕭々たる独歩の墓参。往来の誰も注目しない角地、路地の縁あたりというものは、誰かによって歩かれ、見流されるだけで生命を保つだろう。浦崎が、逝ける映画人たちに捧げる意識もそうしたものではないか。浦崎によって感知され、書き留められることによって、映画人の華やかな生の忘れられた側面が、そして映画史の表裏が、錆びつくのを防がれているのである。私は、ありがたいという感情と共に本書を読み終えた。
俳優と監督に偏りがちな私たちの関心と思考をしずかに叱咤するかのように、八住利雄から始まって、81人におよぶシナリオライターの墓参記が収録されている。本書のじつに6割以上がシナリオライターに割かれている(木下惠介、安部公房、寺山修司、山中貞雄、岸松雄、福田恆存、山村聰はじめ専従でない人も多数ふくむ)。「映画芸術」誌のようにシナリオライターたちが誌面づくりに参画し、自分たちの地位向上に役割を果たすというケースなら理解の範囲内であるが、評論家の単著としてはこれはかなり過激なことだと思う。そもそも世の評論家たちには、シナリオライターについて80人分も論評するほどの知識も気概もないだろう。これだけの人数についてのコラムが揃うと、それはそれでガイド的な紳士録、若い読者のための出会いの指南書として役に立つ。
ところで本書のあとがきが、「2013年1月22日、大島渚監督告別式の日にしるす」という締めで終わっている。大島の死は、私たちにとって生々しい現在の事象である。こうした締めからも、私たち生者が現在進行形で葬列の一員なのであって、またその列が、早晩みずからも閻魔大王様と面会するための行列でもある、という点に改めて気づかされるのである。
P.S.
最終章〈追悼おりおり&エピローグ〉の扉ページに、日本橋人形町は江戸情緒の残り香ただよう「芸者新道」(通称 小菊通り)の写真が使われている。老父と息子さんが昼夜交代でやっている昔気質のすし屋「大田鮨」、それから通りの通称の元となった花柳小菊の旧宅を改造した文化財的日本料理屋「よし梅 芳町亭」、そして日本橋界隈の飲食業界に多大なる影響力をもつ業務用食器の卸商「京雅堂」などが写りこんでいる。ふだん私が食べ歩き、飲み歩いているテリトリーなので、親しみの念がより一層に。
昔ふう建付の「大田鮨」は、空間の渋い雰囲気を愉しみながら、中級(の上)くらいのすしを食べたい方にオススメである。「京雅堂」は、上階に魯山人なども置いている名門の食器屋だが、一般客が通される1階と2階にはつまらないガラクタしか置いていない。一般の陶磁ファン用にもうすこしマシなものを置けばいいものを。清濁両面において「日本橋中華思想」(こういう思想が本当にある)を象徴する店と言えるだろう。
著者・浦崎浩實による、時に辛辣なる審判員としての、時に死者を慰撫し鎮魂する旅の念仏者としての言説は、読者を同道する吸引力に満ち満ちる。私は、前書&本書に相通じるこの感覚を「晴れやかなるメランコリー」と名づけたい。時に細やかな取材と資料探し、時に蕭々たる独歩の墓参。往来の誰も注目しない角地、路地の縁あたりというものは、誰かによって歩かれ、見流されるだけで生命を保つだろう。浦崎が、逝ける映画人たちに捧げる意識もそうしたものではないか。浦崎によって感知され、書き留められることによって、映画人の華やかな生の忘れられた側面が、そして映画史の表裏が、錆びつくのを防がれているのである。私は、ありがたいという感情と共に本書を読み終えた。
俳優と監督に偏りがちな私たちの関心と思考をしずかに叱咤するかのように、八住利雄から始まって、81人におよぶシナリオライターの墓参記が収録されている。本書のじつに6割以上がシナリオライターに割かれている(木下惠介、安部公房、寺山修司、山中貞雄、岸松雄、福田恆存、山村聰はじめ専従でない人も多数ふくむ)。「映画芸術」誌のようにシナリオライターたちが誌面づくりに参画し、自分たちの地位向上に役割を果たすというケースなら理解の範囲内であるが、評論家の単著としてはこれはかなり過激なことだと思う。そもそも世の評論家たちには、シナリオライターについて80人分も論評するほどの知識も気概もないだろう。これだけの人数についてのコラムが揃うと、それはそれでガイド的な紳士録、若い読者のための出会いの指南書として役に立つ。
ところで本書のあとがきが、「2013年1月22日、大島渚監督告別式の日にしるす」という締めで終わっている。大島の死は、私たちにとって生々しい現在の事象である。こうした締めからも、私たち生者が現在進行形で葬列の一員なのであって、またその列が、早晩みずからも閻魔大王様と面会するための行列でもある、という点に改めて気づかされるのである。
P.S.
最終章〈追悼おりおり&エピローグ〉の扉ページに、日本橋人形町は江戸情緒の残り香ただよう「芸者新道」(通称 小菊通り)の写真が使われている。老父と息子さんが昼夜交代でやっている昔気質のすし屋「大田鮨」、それから通りの通称の元となった花柳小菊の旧宅を改造した文化財的日本料理屋「よし梅 芳町亭」、そして日本橋界隈の飲食業界に多大なる影響力をもつ業務用食器の卸商「京雅堂」などが写りこんでいる。ふだん私が食べ歩き、飲み歩いているテリトリーなので、親しみの念がより一層に。
昔ふう建付の「大田鮨」は、空間の渋い雰囲気を愉しみながら、中級(の上)くらいのすしを食べたい方にオススメである。「京雅堂」は、上階に魯山人なども置いている名門の食器屋だが、一般客が通される1階と2階にはつまらないガラクタしか置いていない。一般の陶磁ファン用にもうすこしマシなものを置けばいいものを。清濁両面において「日本橋中華思想」(こういう思想が本当にある)を象徴する店と言えるだろう。
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