東博の《写楽》会期最終日に滑りこむ。当然のこと、大変な入場者数で、他人の後頭部と後頭部のわずかな隙間から作品をかろうじて覗きこむかたちとなったが、だからといって、こうしたお祭り騒ぎに対していちいち気分を害したりするのは、いかにも高踏的に過ぎる。かく言う私も、この大群衆の1人なのだから。
1794年5月から翌年2月のわずか10ヶ月間しか活動期間を持たず、その後はプツリと消息を絶ってしまったこの「謎の絵師」は、人々の好奇心を大いに掻きたて、その正体を推理する解釈本、研究、ドラマなどが量産されたことは、周知のことである。好き嫌いでいったら、写楽のデフォルメを駆使した洒脱な風刺精神は大好きだ。とはいえ、今回参考展示されていた喜多川歌麿などと並べてしまうと、かなり見劣りしてしまうのが、正直なところ。
ただし、ここでどうしても強調しておきたいのは、そうした知的好奇心の発生うんぬんではなくて、「大震災以後」を生きていくために、東洲斎写楽を改めて見直すという行為が、ぜひとも必要に思われたということである。そもそもこの特別展は、大震災が起きなければ、4月5日から1ヶ月半の会期でおこなわれる予定だった。したがって写楽は、2011年の東日本大震災そして福島原発事故とともに記憶されなければならない作家となってしまったのだ。「みそぎ」とは決してなり得ない。しかし再出発に際して、写楽からまた始めなければならない。
1794年5月から翌年2月のわずか10ヶ月間しか活動期間を持たず、その後はプツリと消息を絶ってしまったこの「謎の絵師」は、人々の好奇心を大いに掻きたて、その正体を推理する解釈本、研究、ドラマなどが量産されたことは、周知のことである。好き嫌いでいったら、写楽のデフォルメを駆使した洒脱な風刺精神は大好きだ。とはいえ、今回参考展示されていた喜多川歌麿などと並べてしまうと、かなり見劣りしてしまうのが、正直なところ。
ただし、ここでどうしても強調しておきたいのは、そうした知的好奇心の発生うんぬんではなくて、「大震災以後」を生きていくために、東洲斎写楽を改めて見直すという行為が、ぜひとも必要に思われたということである。そもそもこの特別展は、大震災が起きなければ、4月5日から1ヶ月半の会期でおこなわれる予定だった。したがって写楽は、2011年の東日本大震災そして福島原発事故とともに記憶されなければならない作家となってしまったのだ。「みそぎ」とは決してなり得ない。しかし再出発に際して、写楽からまた始めなければならない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます